妹尾健「流木のやがて没する冬の河」(「俳句新空間」第17号より)・・


「俳句新空間」第17号ーBLOG俳句空間媒体誌ー(発行人 筑紫磐井・佐藤りえ)、 救仁郷由美子追悼特集とあり、高橋修宏「返礼にかえてー救仁郷由美子さんへ」の中に、


 (前略)「日本地図を逆さにし、日本海を逆さにし、日本海を内海とする地図を発行する富山の志士に、現代俳句の眺望も、ときに絶景となる」(「未来からの言葉8 応答」豈54号、二〇一三年)という一文などに出会うたび、面映ゆさを感じながらも泣きそうになります。もう少し歩まなければ、との思いを抱くのです。このような文章から受け取ったものを、いまだ十分に説明することはできません。ただ、勝手にわたしは、(友愛)と名付けるしかない想いを感じつづけてきたことは確かです。(中略)

 救仁郷さんの論が、彼女らしいストイシズムを秘めながらも、さらに広々とした俳句の地平へと迫り出してゆく予感さえ抱かせてくれたのです。


 (…)俳句の表現において、リアリズムを拒否したとき、俳句の表現とは何かという問題である。リアリズムを否定する立場においても、「リアリズムによって語られる」問題は根幹にあると言える。そして、表現に表わされた擬態や模倣に遊ぶままの俳句が我が身であってよいかどうかという問題にも突き当たる。(救仁郷由美子「風の言語」ー俳句のリアリズムー」俳句新空間12号、二〇二〇年より)


 おもえば、救仁郷さんは安井浩司と向き合い、語りながらも、たえず自らを問いつづけていたことでしょう。(中略)

 また三度目の電話では、お身体の具合が一進一退であると言われながらも、どこか明るく語られていたことが印象的でした。(中略)そのとき、救仁郷さんが自らの経験や記憶を辿るようにして、ソンタグが記した、ある言葉を示されたことには驚きました。わたしも、彼女の文章のなかで、ひときわ印象深く覚えていた言葉の一つだったのです。


 暴力を否定すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。

少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券をもたず(・・・)、冷蔵庫と電話のある住居をもたないで(・・・・)この地球に生き、飛行機に一度(・・・)も乗ったことがない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。(スーザン・ソンタグ『良心の領界』木幡和枝訳、二〇〇四年より)


あの9・11直後、自らに言いきかせるようにソンタグが記してた言葉の一節を書き写していると、どこか消え入りそうな救仁郷さんの声が耳元でよみがえるようです。

 救仁郷さん、どうぞ安らかに。ありがとうございました。


 とあった。また、筑紫磐井は、「資料・救仁郷由美子ー特に安井浩司論を中心に」と題して、「琴座」「未定」(大井ゆみこ時代)、そして「豈」「LOTUS」(救仁郷由美子時代)の初出誌を記録していただき、かつ「BLOG俳句新空間」「BLOG俳句新空間・大井恒行の日日彼是」掲載記事のリストを網羅していただいている。怠惰なる愚生のために、今後の指針を整理していただいているような案配で感謝のほかはない。ともあれ、以下には、もう一つの特集「コロナ禍に生きてⅡ」より、一人一句を挙げておきたい。


   葉牡丹にしみじみ密といふ言葉      内村恭子

   秋風やかなしきことのやがて碑に     岸本尚毅

   セーターを着ずに身軽な冬である     佐藤りえ

   新芽つんつん巣ごもりそして病みにけり 高橋比呂子

   早贄を上げしお前もいづれ贄       竹岡一郎

   ウイルスの遊戯で縮む寿命あり      冨岡和秀

   木枯し一番一家ずるずる接触す      堀本 吟

   青みかんのみ面会を許さるる       松下カロ

   道しるべどこにもなくて去年今年    もてきまり


【★追伸・お知らせ・・新たな「大井恒行日日彼是・続」が見られないという方々から、連絡をいただいています。もっとも簡単なのは「BLOG俳句新空間」の右側にある欄から「大井恒行の日日彼是・続」をクリックしていただき、画面がでましたら、お気に入りに登録して下さればよいかと思います。もしくは、アーカイブとなった「大井恒行の日日彼是」の画面右上の「ダッシュボード」をクリックしていただけると、新しい「…続」の方が出てくると思います。大井拝】



     撮影・中西ひろ美「いのちふたつ見送りしこと古日記」↑

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