中西夕紀「白魚の雪の匂ひを掬ひけり」(『中西夕紀句集』)・・・
現代俳句文庫87『中西夕紀句集』(ふらんす堂)、解説は筑紫磐井「作家論 騎馬する少女ー中西夕紀論」と堀切克洋「恋心、あるいは執着についてー中西夕紀第四句集『くれなゐ』」である。他に、中西夕紀のエッセイ「生涯の一句集 竹田小時」、「群青忌と藤田湘子」を収める。筑紫磐井は、その結び近くで、
最近「都市」の編集後記を読むと、中西は「俳人は俳句だけ作っていればいいと言う時代は終わったのではないでしょうか。これからは、俳句の方向性を探るために、『考える』ことを結社をあげてやっていきたいと思っています」と述べているが、私の考えに共感してもらえたのと、指導者らしい態度が明確になってきたようで嬉しい。指導者には理念が必要なのである。理念の後に、実作もあり、指導もある。藤田湘子が中西夕紀に示したのは、そうした姿であったと思っている。
と記している。また、堀切克洋は、
業深く生きて霜焼また痒し
さてこの句が、どこまで作者の本心であるか。少なくとも、読者には作者の「業」がどれほど深いものであるか、それほどうまく想像できない。席題でつくられた遊びの句のようにさえ、思われてしまうのは損なことかもしれない(句会で出たらわたしも採るとは思うけれど)。あえて「業深く生きて」といえるほどの業はそれほど感じられないのも事実なのだ。だからこれも、内面的な吐露というより、むしろ無頼への「あこがれ」と解するほうが、至極当然なのかもしれない。
と述べている。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句をあげておきたい。
猫の恋シャワー激しく使ひけり 夕紀
桔梗とひとつこころの正座かな
涅槃図を落ちて濁世のかたつむり
妣の手も蛍を招くその中に
芽柳や水かげろふのかけのぼり
蝋燭の頌(じゅ)と消えにけり都鳥
いくたびも手紙は読まれ天の川
春愁のバンドネオンのぶんちやつちや
悼 大庭紫逢
噎せ返る百合の小路を残さるる
蘆の中蘆笛鳴らせ無為鳴らせ
悼 宇佐美魚目先生
邯鄲や墨書千年ながらへむ
逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花
鶴飛ぶや夢とは違ふ暗さもて
中西夕紀(なかにし・ゆき) 1953年、東京生まれ。
撮影・中西ひろ美「旧年や同じところに忘れ物」↑
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