攝津幸彦「霧去りて万歳の手の不明かな」(「里」第208号・2023年1月号より)・・
「里」第208号・2023年1月号(里俳句会)、巻頭の上野遊馬の短期集中連載「『創造と模倣』上」に目が留まった。それには、
「よく似た文言や短歌、そして剽窃疑惑の小説・音楽・美術作品」を長年メモしていたのですが、今回は句と短歌を取り上げ短いコメントを付してみました。多分前の作品の方が古いと思いますが、間違っていたらお許しを。(中略)
「創造と模倣の花園」へようこそ!
とあったので、その中から、短いものを紹介しておきたい。
●ほととぎす鳴くやさ月のあやめ草あやめも知らぬこひもするかな
(詠人知らず/古今集)
●ほととぎす啼くや五尺の菖草 (松尾芭蕉)
・・・・「さ月」(五月)を「五尺」にしただけの手抜き? (中略)
●から崎の松のみどりも朧にて花よりもゑいづ春のあけぼの
(後鳥羽院)
●辛崎の松は花より朧にて (松尾芭蕉)
・・・・歌枕「近江八景」への挨拶をそっくり“借用“で済ますとは、芭蕉先生、いくら何でもて抜きが過ぎるのでは・・・。あ、松島でも句作をスルーされましたね。 (中略)
●古りたる池に蛙鳴くなり(連歌「山何」のなかの付け句?/一四四〇年・永享年間百韻?)
・・・この句について詳しいことご存じの方、ご教示下さい。
●古池や蛙飛びこむ水のをと (芭蕉)
・・・芭蕉は三百年前の連歌の付句を本歌取りして、この人口に膾炙する句を作ったのでしょうか?「声でなく動きを詠んだのが革新的」などと学校の古典の先生はもっともらしい解釈をし、「この句はタダゴト句ではない」と力んでましたが、本当ですか?
●新池や蛙飛び込む音もなし (良寛)
・・・われらが良寛さんですからね、もう一捻りして欲しいところ。
●古池や芭蕉飛び込む水の音 (仙涯和尚/江戸末期の禅僧) (中略)
●愁ひつつ岡にのぼれば花いばら (与謝蕪村)
・・・江戸時代なのに、立派な近代俳句になっています。
●愁ひ来て丘にのぼれば名も知らぬ鳥啄めり茨の実 (石川啄木) (中略)
●万歳の手を大陸に置いてくる (鶴彬/反戦の川柳人)
・・・がちがちの保守風土の石川県生まれなのに、根っから陽気な性格。勉強ができたのに家が貧しく、進学もできず大阪で職工に。(中略)反戦行動が『治安維持法違反』になり、ベッドに手錠で繋がれたまま留置所で獄中死(多分暗殺)しました。二十九歳。(中略)
●霧去りて万歳の手の不明かな (攝津幸彦)
…批判的視点の直截さ(いいきる)が川柳の持味で、批判や揶揄の毒を消し、お上品に?抒情や叙景を詠うのが俳句と教わってきましたが、その伝統規範を逸脱・越境する川柳や俳句に、現代の作者たち(の一部!)はトライしているのです。
本誌には、他に「わが心の俳人」という連載企画もあり、今号には、武馬久仁裕「鈴木しづ子ーしづ子に近づく」があった。叶裕連載「無頼の旅」第14回「旅する遺伝子/カヌーイスト、ジョージ・ダイソンの場合」も毎号読ませる。
★閑話休題・・鈴木しづ子「ゆかた着てならびゆく背の母をこゆ」(「なごや出版情報」第7号より)・・
鈴木しづ子繋がりで「なごや出版情報」第7号(東海の出版社12社によるフリーペーパー)。黎明書房からは社長である武馬久仁裕が「鈴木しづ子拾遺④」を連載している。それには、
鈴木しづ子の二十四歳の時の俳句です。
母と娘が浴衣を着て、並んで歩いて行きます。日ごろは並ぶなどということはない、二人です。それが同じ浴衣を着て並んで歩くことで、成長した自分と母の老いを発見したのです。ただそれだけの句です。しかもとても味わい深い句です。
とあった。
芽夢野うのき「たんぽぽの綿毛かしら冬の白い花」↑
コメント
コメントを投稿