堀込学「「青木の實ひとつあからみひとつさみしも」(『かまくらゆり』)・・

 


 堀込学第2句集『かまくらゆり』(霧工房)、帯の惹句に、


  生死(しょうじ)のみちのべに変転する古今の足跡。

未知の記憶に誘われ「俳句詩形」の懐に身を預ける。

  いま、韻律の森の根茎を掘り起こす。

    月影に濡れる一本の鍬のやうに。 


とあり、また、「あとがき」には、


 (前略)所属誌「鬣 TATEGAMI」に、かつて「詩が俳句を包含しているのか、俳句が詩を包含しているのか定かではない」(第五四号・「本質の断片として」)と書いた。それは創刊同人であった中島敏之氏の「俳句という詩型の詩を創造する不思議さ」という言葉に照応したものであったが、今日まで句作を続ける中で心に留めている。(中略)

 拡散・硬直した現在の俳句状況のなかにあって「有季定型」が俳句作法の当然の約束のように語られて久しい。また「俳句は文学でありたい」と言いながらも、先人たちの挑んだ試みには敢えて触れようとせず、季語の有無や形式が評価の対象とされる。そのような喧騒の外で世界最短のこの詩形は「詩を創造」するための《器》として静かに身を横たえている。(中略)

 句集タイトルの「かまくらゆり」は、星野立子の「草中に鎌倉百合は真赤かな」に由来するものと記憶するが、実際にそのように呼応する花が存在するのかは知り得ない。ただ、語感と字面が気に入っている。


 とあった。集名に因む句は、


   もたらせしかまくらゆりの咲きをはる     学


 であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  憂国忌手套の下も手套なり

    ―その乞食のような老人が、道路のまんなかにうずくまって、

      はくぼくで地面に何かを書いているのです。(『妖怪博士』江戸川乱歩)

  片足のとほい軍楽とがりはじむ

  凪ぎてよりみゝらくの島あらはれむ

  蝶出でて澄めらみことにとまりけむ

    一月十七日小川双々子忌日ー囁々忌

  戦争と囁いてゐる綿虫ゐ

  けふはむかし鏡の上を鳥渡る

  ふたりゐる白さるすべりさるすべり

  みせばやの花のひとつの枯るゝまで

  骨牌絵に鬼立たしめる霜夜かな

  米こぼすわれをりなほも米こぼす


 堀込学(ほりごめ・まなぶ) 1966年、群馬県生まれ。

  


        撮影・中西ひろ美「仲間のみ残り秋冷愉しかり」↑

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