大塚欽一「老妻は生涯清楚秋澄めり」(「三千句集『胴吹き(1)』 付 全方位性俳句の試み」)・・
大塚欽一三千句集『胴吹き(1) 付 全方位性俳句の試み』(泊船堂)、その「後書」に、
この度第三句集『大塚欽一三千句集・胴吹き(1)』を上梓した。還暦をすぎて句作を始めたことと、それまで詩を書いてきた経緯もあり、俳句は最小形式の詩であるという観念から抜け出せずに来た。(中略)しかし最近詩的とはちがった部分が大きく立ちはだかっていることに気が付いた。双峰の山すなわち詩的峰と戯的峰が見えてきたのである。それを遠くから眺めてみると俳句の世界がこの二峰を中心にしていわば巨大な連峰のように長く連なって幻視(み)える。(中略)
先達の句や杖を頼りにやっとここまで来て、今その一つの麓に立って途方に暮れているのが現状である。願わくば先輩諸氏の叱咤・激励を賜りたいと思っている次第である。
野の百合の匂ふ山路をきて日暮る
風に揺れる胴吹きの花水温む
とあり、「1部 全方位俳句の試み」の論中に、
(前略)当然のことながら、俳句はイメージ性の濃厚な文学である。多くの俳句は季語という強烈な実相的イメージを持っているゆえに、必ずやまず視覚的イメージという箍がついている。すなわちそもそも基本的形態として写実(写生)である。俳句はつねにこの写生・叙景を一義的に大具しているゆえに、個々の俳句はこの写生・写実という基本的形態に重層するように、他の形態を有するということになる。この重層性の深浅によって、それぞれにカテゴライズされた場所に収まることになる。(中略)
しかしここに来て、俳句の膨大な広がりのなかで、遊戯性や感覚性の進出とともに、観念性あるいは虚相的イメージが実相を帯びて俳句の世界に侵入し無視できない状況になっている。一方で諧謔性・遊戯性の強い俳句も大きな潮流となっている。いわば俳句のカオス状態—実相面と虚相面(光と影)―である。そこでこれらをも取り込んだ新しい俳句の三次元的宇宙構造として次のようなモデルが必要となる。(図1)↓
(中略)パランプセストをひろげるように現代俳句を取り巻く世界を鳥瞰図的にみれば、現代俳句には詩的俳句と戯的俳句が混交しながら二つの領域を広げていて、戯的俳句の隣には川柳の世界さらには遊戯(句)が広がり、その一方で詩的俳句は写実句から次第に観念・哲学的俳句へと尾根を伸ばし、その先に格言(句)が広がっていると見える。俳句の多様性を論ずる時は、おそらくその全体を視野に入れておく必要があるのではないだろうか。これからAI(人工知能)を駆使した俳句が参入してくると、俳句はさらに様変わりしていくだろう。その時はそう遠くはない。
とあった。さらに「Ⅱ部 俳句」では、「1水平性志向句」「Ⅱ垂直性志向句」、さまざまの自身の句を腑分けし、展覧しているが、その中から、恣意的に、いくつかの句を挙げておこう。
きつねのかみそり露一粒の浮きてをり 欽一
水澄むや月下の魚として泳ぐ
秋悲し傷兵の弾く「天然の美」
AI兵器てふ人及ばぬ道具そぞろ寒
夾竹桃は原爆の色炎(ひ)と燃える
オラショ聞く西果ての島曼殊沙華
冬蝶と見れば風花見失ふ
ふいに声する一切はそこ金雲雀
万物の根として生きて水中花
狗尾草(えのころぐさ)人形の眼の底光り
方寸の戦場狭し海贏(ばい)廻し
落ちそうで落ちないものを秋気澄む
それぞれに即心是仏秋の虫
エロイーズの低き囁き秋の夜(アラベール)
大塚欽一(おおつか・きんいち) 1943年、水戸市生まれ。
芽夢野うのき「世の隙間ひかりと風に青き柿」↑
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