大杉栄「春三月縊り残され花に舞ふ」(『ザ・大杉栄全一冊』第三書館より)・・

 


 本日、9月24日(日)、若い友人の俳人Iからの誘いもあり、「伊藤野枝・大杉栄ら没後100周年記念シンポジウム『自由な道を歩いていこう』」(於:明治大学駿河台キャンパスリバティータワー)に参加することになっていたのだが、愚生が申し込んだときには、すでに満席になっていた。共に出かける約束をしていた高齢者組の4名は、急遽、同窓会ならぬ飲み会に変更して、友誼を深めた。それにしても、昔の感覚そのままで、何とか入れるだろうと思っていたが結構な人気なのには、少し驚いた。

 そして、その飲み会に集まった者のうち、愚生以外の三人は、別々のところで、それぞれが働いていた現場や、ピケットストの現場で20歳代に黒色戦線社の大島英三郎(1905~1998)に会っていたことが分かった。よれよれの服で、まるで復員兵のようで、ガリ版刷りの本や、黒色戦線社の本を買ってもらうため、ピケの現場に、この本を読んでほしいと訪れていたこと、など、お爺さんだったなあ・・と話していた。今日集まったうちの一人は、今でもその黒色戦線社の本はすべて揃って本棚にあり、そのまた隅に、愚生の『本屋戦国記』(北宋社)があると言っていた。まあ、今さらシンポジウムもと思っていたらしい、その一人は、満席で入れなかったお陰で、飲み会になって良かったよ・・などと言って、懐かしく。会い別れたのだった。



 そのシンポジウムの講演者が、森まゆみと鎌田慧、コメンテーターが加藤陽子・岡野幸江・梅森直之。ここでは、森まゆみ編『伊藤野枝集』(岩波文庫)の森まゆみの解説「嵐の中で夢を見た人―伊藤野枝小伝」から一部を紹介しておきたい。


  (前略)男と女、その愛は不変ではない。「結婚」という制度に再び入ろうとは思わない。「独占」ということにもすでに魅力を感じない。恋愛、家、嫁姑、結婚、破綻、子ども、因習、世間、女の人生をめぐる一つ一つの要素を野枝は検証していく。修羅場をくぐることによって、自らの思想を鍛えた。思想とか哲学が、よりよく生きることの模索ならば、野枝はその意味で、じつに正直な実践者であり、思想家であったといえる。かわいいさかりの一(まこと)を辻家に残し、流二は御宿の漁師に里子に出した。そしてそのままになった。

「わたしは預けた子供よりも、残して来た子供を思い出すたびに気が狂いそうです」

自分のため、恋のために子どもを捨てた。そのことに苦しみもした。(中略)

 本書は全体に、伊藤野枝の代表的評論を選ぶというよりは、野枝の人間的な魅力、生々しい実感、一生懸命な生き方を伝えるものを選んだ。女性の慈善活動、婦人参政権、女性労働と家事、生理、妊娠、出産、そして下媲、売春婦の問題まで、あらゆる女性の生に野枝の考察は及んだ。(中略)

 野枝を未熟な思想家というには当たらない。彼女よりはるかに長く生きた私も、本当にここまで孤独とむきあい、ここまで自立に到達できたかというと心もとない。野枝がよく用いる言葉だが、、彼女は「ずんずん」「どしどし」進んでいった。野枝がもっと長く生きたなら、どんな遠い所まで行けたか。伊藤野枝は大杉栄とともに、長生きさせたかった日本人である。

 一九二三年九月十六日、八月に男子ネストルを産んだばかりの伊藤野枝は、伴侶である大杉栄、甥の橘宗(むね)一とともに、憲兵大尉、甘粕(あまかす)正彦らに拘引され、その夜麹町の憲兵分隊において、虐殺された。

 二十八年の短い生涯、まさに嵐のようであった。夢見たものは自らの安寧、逸楽ではない。「幸福はたしかに人間を馬鹿にしてしまいます」。野枝が願ったものは、人びとに幸福を許さない社会との徹底的な闘争、そこに生れる人間の愛情と成長であった。


 とある。実は愚生に「本郷菊坂菊富士ホテル」(『現代俳句の精鋭Ⅰ』牧羊社・1986年刊)と題した書き下ろし俳句の連作がある。その中から、栄と野枝に関する句のみになるが、再録しておきたい。


  辻潤の去る微笑(ほほえ)みや阿保踊り      恒行 

  晩年まで情死を思うホテルかな 

  頬に髪と花びらふれぬ塔の部屋

  自叙伝の闇あつめられ御下宿は

  暗きに遊ぶ少女の記憶眼の男

  震災後行方不明の名のみある

  年頃は米一俵で売られけり

  月華汽車賃を借り日蔭茶屋

  苗売りの声にはあらず調査節

  米騒動富強の国家文化鍋

  石筆も書くあたわずよ獄の壁

  輝きの七月まぢか脱獄す

  亡国に日の丸を掲げ住めるかな

  大正も昭和も花にまみれ消ゆ

  夢とまぼろし合せてなおも足らぬ愛


 伊藤野枝(いとう・のえ) 1895年1月21日~1923年9月16日、福岡県生まれ。

 大杉栄(おおすぎ・さかえ)1885年1月17日~1923年9月16日、香川県生まれ。

 森まゆみ(もり・まゆみ)1954年、東京都生まれ。



    撮影・中西ひろ美「ヒト科ヒト過去しか見えぬ目を持ちて」↑

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