橋閒石「風呂敷をひろげ過ぎたる秋の暮」(「俳壇」10月号より)・・


 

  「俳壇」10月号(本阿弥書店)、 特集は「『秋の暮』を詠む」。巻頭エッセイは仁平勝「『秋の暮』私論」。仁平勝には、加藤郁乎句集『秋の暮』を論じた『秋の暮』(1991年)論もあり、今回、表題にわざわざ「私論」とつけるあたりは謙虚だ。興味をもたれた方は、直接本書にあたられたい。その中に、


(前略)そうなると、山本の「もともと暮秋を意味したが、『秋の暮』の本意を『もののあわれ』とか『寂しさ』の極致として感じ取っているうちに、秋夕にも通じるようになった」という説は、少々おかしいことに気づく。もともと暮秋を意味した「秋の暮」には、「もののあわれ」とか「寂しさ」という本意があるわけではない。そうした本意は「秋の夕暮」から生まれたものだ。

 私なりの結論をいおう。「秋の暮」という季詞(季語)は、和歌の「秋の夕暮」の短縮形にほかならない。和歌の「秋の夕暮」は、一首の末尾にくる形が定着していた。その形を発句の下五に持ち込むと、早い話が二音多くなる。そこで「秋の夕暮」を縮めて、五音の「秋の暮」になったわけだ。(中略)

 ここで大事なのは、「秋の暮」という季詞(季語)は和歌の「秋の暮」とは別物であるということだ。(中略)

 ただし、もうひとつ大事なことがある。「秋の暮」の寂しさは、「秋の夕暮」の寂しさとは違う。

  枯枝に烏のとまりけり秋の暮      芭蕉

  みゝつくの獨笑ひや秋の暮       其角

  うき人をまた口説きみん秋の暮     去来

 三夕の歌と比べれば、その違いは一目瞭然だろう。(中略)

 山本は「両義を内包しながら、曖昧なままに用いられた」というが、暮秋か秋の夕暮かはもはや二次的な問題でしかない。俳諧はいわば絶対的な寂しさの象徴として、「秋の暮」を手に入れたのである。そして「秋の暮」には季節感というものがない。芭蕉の句は「枯枝」が季節感ともいえるが(もっとも枯枝なら冬だろう)、その芭蕉にしても、〈元日やおもへばさびし秋の暮〉という句があるくらいだから、やはり季節感など問題にしていない。(中略)

 歳時記には「秋の夕(べ)」という傍題があるが。「秋の暮」の代わりに「秋の夕」は使えない。いま引いた四句に当てはめてみればわかる。


 その四句とは(愚生注)、〈秋の暮溲罎泉のこゑをなす 石田波郷〉〈秋の暮大魚の骨を海が引く 西東三鬼〉〈あやまちはくりかへします秋の暮 三橋敏雄〉〈風呂敷をひろげ過ぎたる秋の暮 橋閒石〉である。ともあれ、「秋の暮」を詠む」からと、本誌同号より、いくつかの句を挙げておきたい。


  秋の暮疲れし脚は叩きおく       太田土男

  八方に山あるくらし秋の暮       山本一歩

  亡き人の部屋は灯らず秋の暮      西宮 舞

  ゐるやうにドアの開いて秋の暮     茅根知子

  かきながらゆく鉛筆のあきのくれ    鴇田智哉

  秋の暮母屋にひとの集まりぬ      明隅礼子

  つぎの波までの空劫秋の暮       大谷弘至

  きつねうどん秋の暮とは今のこと   西生ゆかり

  筆箱の中まで秋の暮として       小山玄紀

  鳥獣も虫も息して草いきれ       岩岡中正

  新涼の笊より水のちぎれ落つ      小川軽舟

  新豆腐詩的に息の弾みたる       鹿又英一

  死者はかの冷し瓜より永生き永生き  鳥居真里子

  耳打ちの大きすぎたる生身魂      能村研三

  鷹匠の指より山気発しけり       渡辺和弘

  水門が裸のやうに立ちふさぐ      大石雄鬼

  草もみぢ真昼激しき鯉の飢ゑ      成田一子

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