古田嘉彦「風を全体として鳥籠化し無傷」(「飢餓陣営」57 2023夏号)・・


 「飢餓陣営」57 2023夏号(編集工房飢餓陣営/編集発行人 佐藤幹夫)、特集と思われる「追悼1 大江健三郎」と「追悼2 小浜逸郎」、「追悼3 福間健二」。小特集に「『津久井やまゆり園事件』とその後の問題」、その他連載論考などの大部の雑誌。 ここでは、古田嘉彦と大昔「路上」誌に寄稿させていただいた縁で佐藤道雅の短歌を挙げておきたい。


   私を取巻く葉の形の多様性、幹の立ち方の多様性に私の生は護られ、保存されている。私の体の多様な不満ひちつひとつに相対する樹が存在すると思う。

 くすのきの完全変態雨で羽化              嘉彦

 

           大江健三郎逝く

 壇上に現れし大江健三郎イモムシのやうにもごもご語る       通雅

          岩手県安家(あっか』小学校、廃校

 安家小さいごの生徒三人は腕(かひな)を上げて証書受け取る


 そして、その古田嘉彦を丹念に論じた江田浩司「語り得ないものを語る俳句—古田嘉彦小論」から、ごく部分的であるが、少し引用紹介しておこう。


 (前略)どうしても五月雨に似てくる捕食

     霙→「本当に雛人形を試したか」

     水面下のピアノ=そこらじゆう釧路空港

     —記憶—がトンボなら判断力はー夏ー

     菫見る少年埋め込んだ壁の部屋   (中略)

選出した五句には、意味としての理解に到るものは一句もない。が、表現の背景や、詩句からの連想により、付帯的に思い浮かぶことはある。例えば、「菫見る少年埋め込んだ壁の部屋」を、吉岡実の詩「サフラン摘み」や、山中智恵子の歌、「サフランの花摘みて青き少年は遥かたり石の壁に入りゆく」を連想して、私は読んでいる。古田の俳句世界を、自分好みの表現世界に引き付けて楽しんでいるのである。それは、私の古田俳句への恣意的な読みの自由であるし、読みの限界でもあるだろう。(中略)

 私には古田の俳句観と実作との距離を図ることは不可能だが、少なくとも、古田の詩論(俳句観)に共感し、実作に刺激を受けることはできる。逆に言えば、それしかできない中で、古田の俳句に魅力を感じているということである。俳句詩型によって、語り得ないことを語ろうとする古田の俳句は、その表現に触発され、読む者が、自らの内奥に未知なる世界を拓くものなのだ。(中略)

  雨が駆けてきて一望する

  透明と競争しても油蝉

  海で薄められた教室何の通り道

 いったいどうしたら、このような句を創ることができるのだろうか。古田の詩論(俳句観)と、俳句を読み比べながら、俳句表現の深淵を覗き見る思いがする。『展翅板』と『移動式の平野』で展開される、俳句と詞書と詩論の三位一体の創造は、俳句表現の革新であると、私は改めて実感したのである。

 


 と記されている。そして「いわゆるふつうの『編集後記』」には、


●終刊予定の六〇号まで残り三号。今号は多くの方のご厚志に支えられ、無事刊行することができました。ほんとうに感謝です。毎号繰り返してのお願いになりますが、購読、あるいはカンパを、心よりお願いもうしあげます。次号は一二月の刊行をめざします。


 とあった。


       撮影・中西ひろ美「屈伸のこんな着地も秋の昼」↑

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