坪内稔典「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」(「俳句界」4月号より)・・


 「俳句界」4月号(文學の森・3月25日発売予定)、メインの特集は「俳句の革新者たち」、愚生も寄稿したが、現存されている俳人を挙げのは愚生一人だった。執筆陣は、編集部からの「革新者」指定の依頼と思える復本一郎「松尾芭蕉の『革新』とは何か」、子規の井上泰至「新題詠という『革新』」、虚子の岸本尚毅「茅舎が見た虚子」。そして、それぞれの「私にとっての俳句革新者」に、今瀬剛一「能村登四郎/伝統の中に新しさを求めた人」、坂本宮尾「長谷川かな女/俳句に生きて死んでゆく覚悟」、大井恒行「坪内稔典/それは『過渡の詩』」、奥坂まや「藤田湘子/作句方法の革新」、田中亜美「持田紫水・村越化石/新しい光」、田島健一「俳句のために」。ここでは、田島健一「俳句のために」の結びの部分を紹介しておきたい。


 (前略)「俳句革新者の多様性」とは、俳句における「変数X]を埋めることができる「誰か」を歴代の(あるいは現代の)「俳人カタログ」から自由に選択できる、ということではありません。「俳句革新者」という空間が、常にそれを埋めることが不可能な、かけがえのないものとして大切に守られている、ということ――それが私にとっての「俳句」の姿で、俳句を書くことの楽しみのすべてだと言っても、言い過ぎではないような気がしています。


 この言は「過渡の詩」、いまだ姿を現していない何か?に通底していよう。本誌の他の主要記事は、第24回山本健吉評論賞発表(選考委員 角谷昌子・坂口昌弘)で、池田瑠那「閾(しきい)を視る、端(はし)に居るー上野泰が詠む閾と縁側ー」。ともあれ、以下に、北斗賞受賞作家など、若手と思われれる方々のいくつかの句を挙げておきたい。


  別々に生き別々の日焼かな        佐々木紺

  鳥帰るロング・トーンのまだ続く     川越歌澄

  遠足の列に伝はりゆく笑ひ        堀本裕樹

  如月やゼロカロリーの少女たち      髙勢祥子

  蘆の角戦火映りし水面にも        涼野海音

  我が影に親しく屈む枯野かな      藤井あかり

  今日からは六年通ふ花の道        抜井諒一

  カーテンのよく揺るる日や桜餅      西村麒麟

  朳発つ海より来る鳶一羽         堀切克洋

  読み了へて棚に戻さず春月夜       須佐英莉

  春の雨鬼を濡らしてゆきにけり      藤原暢子

  練習のあと本番の福笑          西川火尖

  泣初の頬にくれなゐ兆しけり       伊藤幹哲

  「こわいよ」のとなりで鶴をながめている 田中 耀

  三月十一日背なは見えねどある      桐野 晃

      心臓は外へ出たがる木の芽時       佐藤 海 



        撮影・中西ひろ美「さくら咲く足音聞こえ始める」↑

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