福島泰樹「蓋をされ暗渠の底を流れゆく此処より山谷泪橋なる」(「里」3月号・第210号より)・・


 「里」3月号・第210号(里俳句会)の特別企画は「龍太さんの爽波感」、解題は島田牙城。その中に、


 (前略)そして最終章「Ⅵ」は総論で、赤城さかえさんが「現代俳句に骨がらみに絡みついた『写生』をどう活かし、どう絶滅させるかにかかっている」と述べてゐる。この課題は刊行後六十五年経った今も拭はれることなく絡みついたままだ。(中略)

 ところで、『飯田龍太全集』第六巻に収める「秀作について」は龍太さんが生涯心血を注いで「雲母」に連載した最高級の贈り物だが、爽波さんはそこで三度取り上げられてゐる。今回の文とを合はせ読み、爽波さんが抱いてゐた出自「ホトトギス」といふ苦悩(・・)と虚子といふ矜持(・・)の綯交ぜを、龍太さんが当時から深く観じてをられたことが知れ、有難く思ふ。


 とあった。愚生が、初めて俳句総合誌「俳句とエッセイ」(牧羊社)に執筆したのは飯田龍太論であった(ほとんど忘却のかなただが、現在だったら、愚生も遠慮していただろう内容で、牙城はクビを覚悟したと聞いたような・・)。その原稿を依頼したのは、当時、編集部にいた島田壽郎(牙城)だった。40年?ほど以前のことになろうか。

 そして、毎号興味深く読んでいるのは、叶裕連載「無頼の旅」。第15回は「蕾の居場所/写真家南條直子の場合」だ。その中に、


 (前略)「やられたらやりかえせ」という扇情的なフレーズを掲げ、社会運動家山岡強一をリーダーとして暴力団らと度々衝突を繰り返す山谷争議団の中にひとりの女性カメラマンが居た。南條直子。(中略)

 「写真とは撮る者の魂をも奪うものだ。だからこそ身命を賭して撮らなければならない」とはユージン・スミスの至言だが、南條はこの時たしかに身を削るようにしてシャッターを切っていた事が画に表れている。しかし、写真家はあくまで傍観者でありつづけねばならない。南條は山谷で生活する間、次第に傍観者である事に苦痛と違和感を覚えはじめ、同棲していた労働者との関係悪化も手伝い、山谷を撮ることが出来なくなってしまうのだ。(中略) 

 南條は部隊の中で「ゴルゴタイ」(パシュトゥー語で「花の蕾」の意)と呼ばれ可愛がられたようだ。(中略)

 以後数回の渡航の間にどんどんムジャヒディンに傾倒していった彼女は、自らの弱さを戦場で初めて認めることが出来て、はじめて生きているという実感を持てたのではないだろうか。しかし、その歓びも束の間、彼女はソ連の設置した地雷を踏んでしまい、志半ばで命を落としてしまう。


 とあり、その南条(本書では南条)の『戦士たちの貌/アフガニスタン断章』(径書房・1988年10月30日刊)には、山谷つながりともいうべき、最終章に「山谷 共振する意志*日本」が収められている。そして、本書の「あとがき」の「ーあらたなアフガン取材のために日本を立つ日に前夜にー」を1988年8月25日付けで書き上げ、「十月一日午前十時半―、この本が校了となる寸前、直子は地雷に飛んだ」(「著者爆死の報を受けて」原田奈翁雄)と記されている。



南条直子(なんじょう・なおこ)1955年、岡山県生まれ。享年33。↑

 そして、叶裕は、こう結んでいる。


 彼女の人生を非業といえばその通りだろう。しかし、故郷に馴染めず、山谷にもついに馴染めず、自分探しの長い旅路の末に見つけた居場所、地の果てアフガンニスタンの土漠に散った蕾はきっと満足だったのではないだろうか。


 ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。


   老人の足音を聞く犬ふぐり      井谷泰理

   宮中の汁は鶴肉お元日        谷口智行

   雁風呂や人間時に砂を吐く     津田このみ

   美容師の舌よく滑るシクラメン    水口佳子 

   初午や千本鳥居通過中        柳堀悦子

   六道の提灯綻びつくづくし      雨宮慶子

   はだいろを人形に塗る雪の果     上田信治

   点鼻薬しばらく効いて『カムイ伝』  上野遊馬

   春雨の路地の暗さや佃島       歌代美遥

   赤線の線を跨いで猫の恋        叶 裕

   菜の花に膝まで隠る地蔵尊     川嶋ぱんだ

   黒滝といふは棚より落ちる水     黄土眠兎

   焼け残る畦草吹かれやまざりき    島田牙城

   すかんぽやパワハラセクハラ十人十色 瀬戸正洋

 タコ焼に蛸みあたらず不覚にもなみだぐみたる四月暮れ方(がた) 仙波龍英

   


    撮影・中西ひろ美「ポプラ芽吹き雲の集まりやすい時」↑

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