井口時男「天皇(すめろぎ)老いし日や襯衣(シャツ)の襟垢染みぬ」(『近代俳句の初志』より)・・

  


 井口時男評論集『近代の初志/子規から新興俳句・震災俳句・沖縄俳句まで)』(コールサック社)、その「あとがき」の中に、


 俳句の道に足を踏み入れて十数年。『金子兜太 俳句を生きた表現者』につづく俳句評論集の二冊目である。子規から今日にまで至る近代俳句表現史の素描だ。

 俳句にひどく遅参した身だからあちこち知識の「穴」が開いているだろう。だが、木の本数のみ数える「内側」の目には見えない森や山の形態―—危ない岐道や稜線や谷の位置、難所や崩れの所在等々―-はかなり明瞭に見えているだろう、とも思う。

 本書での私の主張をキャッチフレーズ風にまとめておけば以下の通りだ。

 虚子も碧梧桐もまちがった。「非空非実の大文学」という子規の「初志」を継承したのは昭和の新興俳句だった。

 俳句は「雑(ザツ)の詩」である。ゆえに、対象やテーマを狭く限定してはんさらない。森羅万象、人事百般、思想観念、喜怒哀楽の一切が俳句の対象。「花鳥」も「社会性」も言葉遊びも述志も、みんな雑の一つにすぎない。これこそ「俳諧自由」の精神である。


 とあった。興味を持たれた方は、、是非、触接、本書を手に取って頂きたい。「Ⅱ近代俳句史の陥穽--写生説ををめぐって 子規・碧梧桐・虚子」の章の「〇子規はただの『写生』ではなかった」の部分を抽いておこう。


(前略)「写生」の究極が実景の精細な再現描写だとすれば、むしろ俳句ほど「写生」に向かない詩形はないのである。だから、短すぎる俳句は、多様な風景の中から対象を限定し、他の一切は捨ててそれだけを抽出し、抽出したものを小さい定型の枠の中で組み合わせる、というやり方をとるしかない。つまり事実そのままを離れて、言語秩序としての作品世界を「虚構」し「構成」するしかない。それが、事実(現実)と異なる位相に作り出される「詩的現実」というものだ。

 そもそも、子規が「写生」を主張したのは、あくまで、和歌俳諧の手垢の染みた出来合いの自然イメ―ジを打破して、新たな発見をするための手段としてだった。現実べったりの「写生」が彼の目的(理想)だったわけではない。

 現に、奈良を巡って帰京した子規は本格的な俳句近代化論『俳諧大要』を書き出すのだが、そこでは俳句学習を三段階に分けて、最終三段階目にこう書いている。

「空想と写実を合同して一種非空非実の大文学を製出せざるべからず。空想に偏僻(へんぺき)し写実に拘泥するものは固(もと)よりその至る者に非(あらざ)るなり。」

 ここではまだ「写実」という言葉を用いているが、「非空非実の大文学」、すなわち、ただの空想でもただの写実でもなく、両者の総合・止揚としての言語世界を作りだすこと、それこそが「至る者」(俳句を極めた者)の表現の理想だ、と言っているのである。


 と。ともあれ、本書中に、(ご愛敬)で記された井口時男の句をいくつか挙げておこう。


  Jアラートさわぎ青瓢箪ぶらり           時男

  をんな病むとか椿の家は小暗くて

  椿落ち地中に濡れた眸(め)がひらく

    石原吉郎に

  春風やクラリモンドは自転車で  

  冬木立注釈無用で生きてみろ

  板金叩き葉牡丹育て無口なる

  花大根雪駄の似合ふ男ぶり

  刑務官ら破顔(わら)へり若き父親(ちち)なれば

  はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」  

  日常は突つ立ち並ぶ葱坊主

  世界やはらげよ雨の花あやめ

  セシウムをめくれば闇の逆紅葉(さかもみじ)

  「原子の火」こぼれてセイタカアワダチソウ

  その前夜(いまも前夜か)雪しきる


 井口時男(いぐち・ときお) 1953年、新潟県魚沼市生まれ。



      撮影・芽夢野うのき「指先に紙だけのこし花火の夜」↑

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