宮崎斗士「原爆ドーム一は何乗しても一」(「俳句界」8月号より)・・

 

「俳句界」8月号(文學の森)、特集は「戦後80年/俳句の力、文章の力」。執筆陣は名取里美「戦争俳句30句を読む/戦争と俳句と不戦」、上野啓祐「著書を語る/『いまぞ熾(さかりつ)りつ 被曝と反核の俳人松尾あつゆき』」、「著書を語る/永田浩三『原爆と俳句』」、今泉康弘「読書感想/日本が戦った『最後の』戦争を繙く『日ソ戦争』麻田雅文著」、篠崎央子「未来への希望で溢れていた少女たちの、戦争の物語『女の子たち風船爆弾をつくる』小林エリカ著」、坂本宮尾「私にとっての戦争/旧満州からの戦後の引揚」、宮崎斗士「何乗しても」、柳元佑太「『物語』から『痕跡』へ」。もう一つの特集は「序文~言祝ぎの言葉」、総論は筑紫磐井「進むべき俳句の道―-虚子は序文にどう臨んだか」など。その中で、永田浩三は、


(前略)今回『原爆と俳句』を著すにあたって、明らかにしたいことがありました。それは戦争時代の「前衛俳句」との連続性です。渡邊白泉、西東三鬼といった稀代の才能が、治安維持法などによって、一時は沈黙を強いられます。そして戦後、桑原武夫は「第二芸術論」のなかで、俳句はもはや現代社会を描く詩の器ではないと酷評しました。俳句に原爆など詠めるわけはないとも言いました。

 いや、そんなことはない。かつて弾圧の対象となった「京大俳句」に参加した俳人たちは、『句集広島』『句集長崎』の中でリベンジを果たします。

   広島や卵食ふとき口ひらく       西東三鬼

   ひろしや死の影見よとマッチ擦る   仁科海之介

 戦争の時代に、戦争の悲惨に向き合おうとした精神は、原爆を相手にするその時その真価が発揮されました。研ぎ澄まされた目で見つめ、言葉をつむぐ、その崇高な営為に頭を垂れ、涙が流れます。


 と記している。また、筑紫磐井は、その結びに、


 (前略)序文とは、単に人や作品を紹介するものではなく、進むべき俳句の道―-俳句の理想を語るものであるべきなのだ。


 とあった。ともあれ、本誌本号から、いくつかの句を挙げておこう。


  島流しめいて沖まで施餓鬼舟           三村純也

  春昼の地下鉄パリに行きさうな         すずき巴里

  なにもかもなくした手に四まいの爆死証明   松尾あつゆき

  バス停にバスの停まらぬ星祭           矢野玲奈

  また眠る 朴の咲くのが聞こえたら        原麻理子

  あそばれてやがてリズムの秋のやかん       高瀬早紀

  波の穂のおぼろおぼろをたたみ航く        橋田憲明

  


          撮影・鈴木純一「永久と不滅を述べる長嶋は」↑

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