和田美代「原爆ドームこの肋骨とひびきあう」(『原罪のような夕日』)・・
和田美代句集『原罪のような夕日』(ジャプラン)、帯の惹句に、
原罪のような夕日が胸にある
不思議な模様の、昆虫網をもって、遠い地平線へ、
夕日をつかまえにいこうとする、俳人が、一人いる。
背には、「新しい俳句の視水線」とある。著者「あとがき」には、
令和七年七月七日で九十四才になります。四十七才で早逝の母へ「産んでくれてありがとう。お母さんの倍生きるからね」と心に誓った満願の日を迎えます。
夏になると幼い私を連れて湯治に行った指宿の海
―-豊饒の湾母は銀河を耕して―ー
やりたいと思うことは後のばしにしまいで、その時に実行すること。この年令になってみないとわからない事が次々現れ、後もどり出来ないことを痛感しています。
とあった。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。
凍みる日はからだの中に駅をもつ 美代
身の内の砂漠ほつほつと獣あるく
音楽流れみんな溺死の影をもつ
灯台はとてもおおきな風の耳
春二番 序列はとうに乱れている
地球儀をぐるりと廻して爆忌くる
いちばん先に夕焼けになりた放れ雲
先の見えない風へ身を投げにいく
生まれて来たことの積木くずしにあう
どの石とも違うこの石の心音
銀河から落ちて蛍になっている
私はもっているか虹のように消える人権
一滴の空の影として佇つよ
和田美代(わだ・みよ) 1931年、宮崎県生まれ。
★閑話休題・・山内将史「種痘なき人類に土用波」(「山猫便り/2025年7月1日」)・・
「山猫便り/7月1日」は山内将史の葉書通信。その中に、
(前略) 夕すすき太郎と次郎来る如し 高山れおな『百題稽古』
太郎と次郎は来ない。まだ一度も来ず、永遠に来ないかもしれない。でも夕すすきの道を見ると二人が来そうな予感がする。そんな感傷。(中略)
「八十歳過ぎても幼稚やったらエライでえ」と永田耕衣に言われたっけ。
とあった。
撮影・芽夢野うのき「迷路の秩序トマトの花の黄の点々」↑
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