各務麗至「この夏や日本武尊に出会ふとは」(「詭激時代つうしん」7より)・・


 「詭激時代つうしん」7(詭激時代社・栞版)、その「近況から……」に、


 六月五日に、日本文藝家協会の総会があり、その懇親会に、長寿会員を招待するという催しに本年喜寿の私にも案内が届いた。(中略)

 しかし、先の事が分かっていたのだろうか……、絶対に行くように、と、昨年の春先からその話やその用意もしてくれていた最中の家内の永逝だった。(中略)

 今回の招待状は、若い頃と違って優柔不断になってしまった私に、何してんの……、と、ばかり彼の世から一種の発破でも投げかけてくれたのだろうか。

 先ず静岡の二男に相談して。

 多度津や広島の息子たちからは、―-楽しんできて、との言葉が返ってきたのだった。(中略)―-私にとっては二十数年ぶりの上京だった。

 家内が、わたしの事はもう安心して行って来いと言ってくれたようで、

 それに、息子たち、東京でのホテルは今とても大変らしいけれど、静岡からなら一時間ほどだから、と……、計画してくれたのでした。


 とあり、「覚書……」にも、


(前略)妻である、岡田佐代子という同志であり最愛の同行者を失ったことは決定的だった。(中略)

 私の今回の東京静岡行きは、妻が亡くなって、自分がいたら不可能な、と、思っていただろう、そんな機会を作ってくれたようなものだった。

 私も、心筋梗塞左心室三分の一壊死という持病があって、

 妻は、―-お父さん、も、きっと今、が、年齢的にも動ける限界、と、思ったかも知れない。


 とあった。ともあれ、本号の「ゆく春」「在らねば」「夏燦々」の句群から、いくつかの句を挙げておこう。


  戦前戦後勿忘草やをちこちに         麗至

  清流や男をあらふ夏はじめ

  魂の在らねばあらね涅槃かな

  青空のはるかはるかは星あまた

  居るとゐないで空気が違ふ秋のくれ

    *殊更に腎友会代表記帳二人並んだ夏が蘇る

  出雲大社参拝記念記帳夏真中

    *喜寿を祝され二十数年ぶりの上京

  八重洲口東京會館夏迷路

    *父の日に誕生日に喜寿にとの祝ひとか

  この夏や日本武尊に出会ふとは

  伊豆の踊子浄蓮の滝夏涼し

    *文藝家協会も感謝だつたが

  招待や妻ゐてこその夏なりけり

  金目鯛海老蟹盛夏温泉宿



     撮影・芽夢野うのき「魂飛ばす木槿の風にのせとばす」↑

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