佐藤りえ「発火して生まれ直してゐるところ」(『兎森縁起』)・・
佐藤りえ第二句集『兎森縁起』(青磁社)、その帯に、
ぺダンティックかと思えば世俗的/有季定型も言葉遊びもごちゃ混ぜの
幻想と写生が互いに隣り合う/白ウサギを追って穴に転がり込むように
読者を大人の骨休メの森に誘う一冊
とある。著者「あとがき」には、
武蔵野に移り住んで十余年が過ぎた。今住んでいる昭和の後半にひらかれたという宅地は、周辺に雑木林が点在するのどかな土地である。ムクドリやジョウビタキ、ヤマガラ、メジロなどの野鳥が日々頭上を飛び交っている。散歩の途中で雉に出会すこともある。
いつまでも続くかと思われたこうした光景は、少しずつ失われつつある。(中略)我が家にほど近いもっとも大きな繫りにも伐採の手が入り、木立の一部が向う側が透けてまいそうな程度にすかすかになってしまった。これでは兎一匹潜むのも難しいのではないか。変貌ぶりに狼狽しつつ、残った木々に鳥が集まるのを、二階のちいさな窓から眺めている。
とあった。目次のタイトルが面白い。「春休み」「昼休み」「夏休み」「ずる休み」「食休ミ」「秋休み」「ひとやすみ」「羽休メ」「冬休み」である。
ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。
夢殿に囂(かまびす)しくも浅き春 りえ
花屑に溺るゝさまの鏡石
金曜のまへの銀曜ある四月
良い娘は天国に行ける。悪い娘はどこへでも行ける。
どこかへ行かむ風船を乗り継いで
審判も汗拭いてゐる草野球
猫もはや昼寝の供に飽きてゐる
星鬻ぐ店もありけり草の市
永遠に鯨でゐるつてどんなふう
クランベリージュースかぶつて血の騒ぎ
「雪だるまゆうパック」なるものがあるといふ
冷凍の雪達磨くる此の世かな
麺または人撲つ音や二階より
悼 鬼海弘雄
王たちの肖像画揺るる野分中
健康と紙に書かれて文化の日
コペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地
秋深みピアノの蓋に置いたパン
座頭市開始二分で燭を切り
キングボンビーかしこみ申す去年今年
はなびらにされてまことに良いにんじん
わだつみに春待つ不死の心臓は
佐藤りえ(さとう・りえ) 1973年、宮城県仙台市生まれ。
撮影・中西ひろ美「山百合となるまではただ緑濃し」↑
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