永井陽子「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり」(『永井陽子歌集#(シャープ)』)・・


 石川美南編『永井陽子歌集 #(シャープ)』(短歌研究文庫)、石川美南「編集ノート #」の中に、


 歌人・永井陽子初めての文庫として,『永井陽子歌集 #(シャープ)』と『永井陽子歌集 ♭(ふらっと)』を二冊同時にお届けする。 

 「♯」には、歌集『モーツアルトの電話帳』(一九九三)を完本収録したほか、歌集『なよたけ拾遺』(一九七八)、歌集『樟の木のうた』(一九八三)、歌集『ふしぎな楽器』(一九八六)を抄録した。「♭」には、歌集『てまり唄』(一九九五)を完本収録したほか、遺歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』(二〇〇〇)。句歌集『葦牙』(一九七三)を抄録し、略年譜を付した。(中略)

  なお、

   たれを想ひそむるにあらず落陽をこばみ一瞬まばゆき稲穂

 については、元の歌集・全歌集では「落陽」が「落葉」となっていたが、校了間近のタイミングで、加藤隆枝さんより重要なご指摘をいただいた。なんと加藤さんの手元には永井陽子自身が鉛筆で書き込みを入れた『なよたけ拾遺』があり、そこでは「葉」が「陽」に訂正されていたのである。私は、上から散りかかってくる落葉に対抗する稲穂の歌かと思っていたが、改めて読むと、陽が落ちるのを拒んで光を放つと取ったほうがしっくりくる。本書では「陽」を採用することとした。(中略)

 あとがきに、「三十一音の短歌形式は、実にふしぎな楽器である。(中略)できることなら、この楽器の持ついちばん自然で美しい音を奏でてみたいと思う」とある。ごく初期から知雨いう傾向はあったが、『ふしぎな楽器』では、音楽との親和性がより高められている。(中略)

 本書から読み始めた方は、ぜひ「♭」も手に取っていただきたい。そして、永井陽子の歌業の全貌を知りたくなったら『永井陽子全歌集』(青幻舎)を読んでいただきたいと思う。


 とあった。ともあれ、以下に、本集より、いくつかの歌を挙げておこう。


 あまでうすあまでうしとぞ打ち鳴らす豊後(ぶんご)の秋はおほ瑠璃(るり)の鐘

 新しい赤い更紗(さらさ)のスカートをひるがへす風ども無作法

 宇宙へと口のみ開けてたれさがりてんでだらしのないこひのぼり

 十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり

 つばさ持つものかもしれぬに馬はみな〈馬〉の活字に閉ぢ込められて

 をとこよもぎ男葡萄に男郎花(をとこへし)めめしきものに男の名をば付し

 人ひとり恋ふるかなしみならずとも夜ごとかそかにそよぐなよたけ

 たましひのほのあかりなす天までを音なくあゆむ父の素足が

 まぼろしはそらよりきたる身にうすきいのちのやうな言語をまとひ

 武具を持たずただ手ぢからとやさしみと光る骨格を山彦と呼ぶ

 べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊

 ふりかへりまたふりかへりひとすぢのかなしみのなかへおりてゆく夜

 頭蓋骨ほどのさいころ打ち振れば曇日の天「ふりだしにもどれ」

 この世なるふしぎな楽器月光に鳴り出づるよ人の器官のすべてが

 「斜め雨だれ」「二つ雨だれ」「斜め二つ雨だれ」並べ 並べて今日は

 日曜日いくつ過ごしてわたくしは死ぬのだらうか ただただに雨


 永井陽子(ながい・ようこ) 1951年4月11日~2000年1月26日、愛知県瀬戸市生まれ。

 石川美南(いしかわ・みな) 1980年、神奈川県横浜市生まれ。



  撮影・中西ひろ美「蜘蛛の囲の蜘蛛をぼかしてしまいけり」↑

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