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攝津幸彦「南浦和のダリヤを仮のあはれとす」(『語りたい俳人 師を語る友を語る…24人の証言』より)・・

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  董振華(とうしんか)聞き手・編著『語りたい俳人 師を語る友を語る…24人の証言』上・下巻(コールサック社)。上巻(カッコ内は語られた俳人)は中原道夫(福永耕二)、仁平勝(攝津幸彦)、西村和子(清崎敏郎)、奥坂まや(飯島晴子)、岸本尚毅(田中裕明)、小澤實(藤田湘子)、保坂敏子(福田甲子雄)、長谷川櫂(川崎展宏)、安西篤(阿部完市)、筑紫磐井(加藤郁乎)、森澤程(和田悟朗)、下巻は津川絵理子(鷲谷菜七子)、仲村青彦(岡本眸)、井上康明(廣瀬直人)、仲寒蟬(大牧広)、西村我尼吾(有馬朗人)、山田貴世(倉橋羊村)、角谷昌子(鍵和田秞子)、三村純也(稲畑汀子)、中岡毅雄(友岡子郷)、井上弘美(大石悦子)、井口時男(齋藤愼爾)、片山由美子(鷹羽狩行)の以上。 ここでは、「仁平勝が語る 攝津幸彦」のみになるが、少しだが紹介したい。 (前略) 彼が神代辰巳と荒木経惟にひかれていたのは、そこに人間の通俗性を謳歌する表現があったからだと思います。そして攝津自身もしばしば下ネタの破礼句を好んで作った。今回選んだ二十句の中にも、その一つを入れておきました。    往生のついでに紙を貰ひうく    「往生」とは、つまりセックスのことです。攝津はこういう隠語を使うのが好きでしたが、その行為を露骨に詠んだのでは俳句にならない。ここでは、コトが済んで身体を紙で拭く場面を、「紙をお貰ひうく」と詠んでみせた。「つひでに」というところがなんとも可笑しい。  彼のような才能は、少し時代がずれれば、俳句という形式には関わらなかったかもしれません。逆にいえば、攝津幸彦という俳人の登場はじつに時代的な現象なのです。 (中略)    野を帰る父のひとりは化粧して  これは「父」と「化粧」の取合せです。「野を帰る」というのは仕事帰りの比喩ですが、「化粧」は別に比喩ではない。ゲイバーに勤める男でもいいし、チンドン屋でもいい。すなわち「父」は、一家を支えるために化粧もするということです。 (中略)  俳句を一物仕立てと取合せの二種類に分けたがる人や、取合せというのは二句一章の形だと思い込んでいる人は、やはりこれが取合せといっても納得しません、けれども俳諧の取合せは、取りはやしとセットであり、攝津もまた、取合せが一つの場面として成り立つように取りはやしている。今日では疎かにされている取りはやしを復権させてい...

安西篤「梅咲いて卑弥呼くすりと笑みこぼす」(「現代俳句」3月号より)・・

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  「現代俳句」3月号(現代俳句協会)、このところ話題のぼることの多いユネスコ無形文化遺産登録推進協議会について、筑紫磐井が「有馬朗人の言いたかったこと」と題して以下のように述べている。十分とはいかないが、少しばかり引用紹介しておこう。 (前略) これらの論の中で有馬朗人氏の発言がしばしば引用されている。しかし、有馬氏の発言がどのようなものであったかは少し吟味が必要である。  大分古いこととなるが、愛媛県で開かれた「国際俳句コンベンション」(一九九九年九月)で有馬氏は、「俳句よりハイクへ」という基調講演を行っている。 (中略)   有馬氏はここで、俳句には季語を持ち折るものと季語を用いないものがあると明確に述べている。 (中略) 二〇〇〇年には追補として「松山メッセージ」を公表し、この中で、「季語が俳句を生むのではない。」という野心的なメッセージを述べている(このメッセージの起草には私も参加している)。 (中略)  有馬氏が、ユネスコ登録によって無季俳句を排除しようとしたとする論述は、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の発足に当たり、毎日新聞のインタビュー(二〇一七年四月二十四日)で有馬氏が発言したとされる内容によるらしい。 (中略)  俳句から無季を除外しよとする論理的な発言はないようである。しかししれでも国際俳句賞の有馬氏の講演と大分違う。 (中略) 有馬氏が発起人会で現実に言った発言を当日のビデオから聞き取ってみたのが以下だ。新聞インタビューでは微妙なニュアンスが変えられているようだ。 (中略)  有馬氏が繰り返し言っているのは、俳句とは「五七五の定型と季題季語+その周辺」であるということである。この続きでは、「少し広く」する理由は、中国の漢俳、米国ヨーロッパの三行詩をながめそこまで広げてゆく可能性があるからだと述べている。 (中略)  言っておくが、「例外」と「周辺」は大きく違う。 (中略)  だからユネスコ登録に当たり俳句に無季が入らないと言い出したのは有馬氏以降のことであるようだ。例えば、有馬協議会会長の後任となった能村会長が令和六年の年頭挨拶で「俳句は、五七五という短い韻文に「季語」をいれるという最低限のルールをもとに、誰でも自由に作ることができます」と発言している(俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会ニュースレター令和六年六月六日号)。...

尾形龜之助「春雷や雲たひらかに湖(みづ)の上」(『尾形龜之助全集 増補改訂版』より)・・

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  復刻版『障子の在る家』↑        下段冊子は「歩6/100号」(編集:熊谷麻那)↑  『尾形龜之助全集 増補改訂版』(思潮社)、ブログタイトルにした「 春雷や雲たひらかに湖 (みづ) の上 」の句は、全集中の「短歌、俳句」の部分で、句は「枇杷の果」と題した10句(「蕉舎句帳」昭和10年2月ー11年8月より)からのもの。ただ、愚生がここで紹介したいのは、尾形龜之助『障子のある家』(再販本を底本とした復刻版・1500円)である。発行は2024年9月5日、発行人は小熊昭広(詩誌『回生』)、印刷・製本は毛萱街道活版印刷製本所のものである。  復刻版の詳しい制作過程は、図録『 タイポグラフィック をがたかめのすけ/~金属活字による尾形龜之助『障子のある家』再現展~ 』(於:曲線:仙台市青葉区/主催 詩誌『回生』×曲線×毛萱街道活版印刷製本所)・2024年7月22日~7月29日・が詳細を極めている。その図録の「端緒」に、小熊昭広は、   尾形龜之助の詩集『障子のある家』を活版印刷でできるだけ昭和二十三年に発行された再販本の文字組みで作ろうと思い立ったのは、単に『障子のある家』の言葉の身体を使ってひと文字ひと文字拾い上げ、並べてゆき、印刷することで、その詩の言葉を味わいたいと思ったからでした。 (中略)   文学作品は文章が第一です。詩集は、詩語の行間に生まれる詩なるものを味わうものだと思います。しのことに異議を唱えるつもりはありません。そのうえで、尾形龜之助が自ら装幀した詩集の姿形 (すがたかたち) で、いたずらのように彼が仕組んだことを見てみるのも一度くらいはあってもいいのではないか思いました。  と記している。ここでは、詩集のなかの「三月の日」を紹介し、かつ全集より短歌・俳句を数首、句を挙げておこう。      三月の日  晝頃寝床を出ると、空のいつものところに太陽が出てゐた。何んといふわけもなく氣やすい氣持ちになつて、私は顔を洗らはずにしまつた。  陽あたりのわるい庭の隅の椿が二三日前から咲いてゐる  机のひき出しには白銅が一枚残つてゐる  障子に日ざしが斜になる頃は、家では便所が一番に明るい。  かくて後暮れはてるべき夜はあけて花散る朝を鳥は歌へり  監房の夜明けを雨の過ぎゆけば湿り蒸れたるにほひを吸ひたり  反 (そむ) きたる若き命のさ迷いに十字の...

島田栄子「だんご虫ポッケにむぎゅむぎゅ春の園」(第7回「立川市シルバー大学 俳句講座」)・・

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  3月5日(水)は、第7回・立川市シルバー大学俳句講座だった。兼題というか宿題は、「オノマトペを使って俳句を作る」で2句持参だった。面白い、オノマトペがいくつかあって、なかなか興味深い時間を過ごした。ともあれ、以下に1人一句を挙げて行こう。    ひらひらと黄蝶の逢瀬青い空         古明地昭雄    しみじみと卒寿の友と春の宵          手島博美    春みぞれギィギィと鳴く鳥藪深く       赤羽富久子     口角をハニハニ上げて梅ふふむ        小川由美子    軒端打つ芽起しの雨パタパタと        白鳥美智子    水温むポカポカ日差しネコあくび        中村宜由    ふあんふわん今や馳走の白ご飯         中尾淑子   青き空ふふふの蕾 春の色          堀江ひで子    ちりぢりに鬼退散で春来たる          河本和子   ぶぁっとくる瞼は開かず春一番         山下光子    くくくくと啓蟄の朝揺るぎ初む         林 良子      暁光にキラキラ光る薄氷           村上たまみ    薄氷にじっと沈むや鯉の群           大西信子    この世をばひらりひらりたぁべらぼうめ     原 訓子    長閑 (のどけ) しやほぐしにほぐすほぐされし  島田栄子    春銀河はらりはらりと君の眼に           大井恒行  次回は4月2日(水)は、近くの高砂公園付近を散策して、吟行句会となります。 嘱目吟です。雨天決行。 ★閑話休題・・大井恒行「木の影に 影の風あり 影の木も」(「日刊 県民福井」2月24日(月)」より)・・  「日刊 県民福井」2025年2月24日(月)のコラム「ふたりごころ」に、愚生の『水月伝』を秋山孤哮氏に評していただいた。そのなかに、 (前略) 匹如身のすめらの民や雪月花  するすみ、とは無財、無一文ということ。すめらの民とは、天皇の民のこと。お国のためと戦った民も、今では何も報われることはない。ただ自然だけが心をなぐさめる。 (中略)     死神に精度はあらず冬の旅   難解だが、さまざまな作句技術を学べ、また熱が伝わってくる一冊だ。   とあった。     撮影・芽夢野うのき「陽炎のなかでじゃんけんして決着」↑

宮﨑裕「断捨離の筈が読書じゃゲゲゲの忌」(「花林花 2025」vol.19より)・・

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  「花林花 2025」vol.19(花林花俳句会)、「花林花の作家 その13」は、宮﨑裕(1950年、東京都港区生まれ)。内容は宮﨑裕自選100句と各同人の一句鑑賞、作家論として髙澤晶子「鶏に葱」。俳人研究は「与謝蕪村」。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。    空を抱く歓喜は秋の陽射しより        高澤晶子   ガスの火のつつがなき色文化の日       廣澤田を   鬱々と『1984』夏の夜          榎並潤子    夏みかんぶらさげられている孤独       石田歩乱    後ろから目隠しされたりする四月       金井銀井    戦雲 (いくさぐも) 垂れ込めて憂し沖縄忌   島袋時子    空 (くう) に空重ねて芒そよぎけり      鈴木光影    ひとりゐて人とゐるかに冬すみれ       福田淑子    沈丁花ポスト空っぽ日曜日          宮﨑 裕    貼紙に火気厳禁の氷室かな          杉山一陽    秋高しムーンストーンの犬がいる       石井恭平    片蔭に薄幸のふりして潜む          米山恵子    片脚の鳩がついばむヒロシマ忌        内藤都望 ★閑話休題・・山内将史「弟の肩に兄の掌春の星」(「山猫便り/二〇二五年二月二十日」)・・ 「山猫便り」は、山内将史の葉書通信。それには、    蜘蛛動くあしがピアノを弾くごとく  松葉久美子『屋根を飛ぶ恋人』 「観念的な言い方をすれば、切り込みが深いね松葉は。ぼくは大いに買ってます」と星野石雀に言わしめた果断さは健在。放射状の蜘蛛の巣の縦糸は粘らない。ピアニストの指のように慎重に野蛮に動く。  とあった。      撮影・中西ひろ美「実よりも虚が生き生きと春の雪」↑

高山れおな「駅前の蚯蚓鳴くこと市史にあり」(『新しい俳壇をめざして』より)・・

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  筑紫磐井著『新しい俳壇をめざして/新世紀俳句時評』(東京四季出版)、帯の惹句には、  「新しい俳句が生まれなくては、俳句は滅ぶ。」  無風の俳壇に、新しい風、新しい論を。   とある。「まえがき」には、   「俳句四季」で、平成十五年(二〇〇三年)一月から現在まで、約二十年間にわたり、「俳壇観測」と題して俳句時評を連載している。 (中略)   話題は句集・評論集の紹介にとどまらず、多くの俳壇内外の動静を取り上げた。二十年にもわたる時評集成は珍しいことだろうが、長い時間にわたる時評で初めて見えてくるものあると思う。一方で、『21世紀俳句時評』と異なり、震災への対応、令和への改元、コロナの発生など、俳句を超えた多くの社会的事件との関係にも触れたため、時評というよりは随想のようなものになってしまったのは遺憾とするとこりである。寛恕頂きたい。  とあり、「あとがき」には、 (前略) もう一つは令和五年になってから、現代の俳句史を二十年ぶりに見直す史観の対立が生まれたことである。『昭和俳句史―前衛俳句の~昭和の終焉』(川名大・角川書店)と『戦後俳句史nouveau 1945-2023--三協会統合論』(筑紫磐井・ウエップ)である。前者が戦前の新興俳句を踏まえつつ前衛俳句の記述から昭和末年の記述までで終わっているのに対し、後者が戦後の断絶を踏まえ全戦後史を既述した意味で対蹠的であるが、この時期に、通史的な俳句史は、未来の俳句を考えるためにどうしても必要であると思われる。『昭和俳句史』は平成・令和の俳句史に言及せず、『戦後俳句史』は平成・令和を俳壇史として捉えるという態度をとっている。その意味では、今後の俳句を考える意味で、とりわけ平成・令和の俳句を期間限定的に捉える時評が求められている。その一例として、「昭和九十九年。令和までの俳句史をたどる。」(「俳句四季」連載253「昭和99年の視点で見た歴史」を加えて、本書の締めとしたものである。  とあった。それら光景は、目次のそれぞれの項目を眺めるだけでも興味深い。いちいちを本ブログでは紹介しきれないので、是非、興味をもたれた方は、直接、本書に当たられたい。ここでは、「星野高士が、戦後生まれ俳人の先頭に躍り出た。……[H26・8]」を少し紹介する。 『残響』(深夜叢書社、二〇一四年)は星野高士の第五句集である。 ...

上田玄「撃チテシ止マム/父ヲ//父ハ」(「鬣 TATEGAMI」第94号より)・・

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 「鬣 TATEGAMI」第94号(鬣の会)、その編集後記(外山一機記)に、  (前略) 前号特集「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進の現在」をとりあげた。前号では林桂の提言をもとに大井恒行氏、堀田季何氏より御寄稿をいただいた。福田氏はまず提言に事実誤認が見られることをふまえ、前号の議論が不首尾に終わったと指摘している。同時に大井氏のいう「離脱せよ」との主張にも異議を唱える。さらには誤解を解こうとするばかりの堀田氏が肝心の林の問いに答えていないとも述べる。三者の嚙み合わない要因が浮き彫りになったかたちだ。一方の堀込学は林・大井両氏に共通する懸念を、すなわち今回の推進運動に現俳が参加することにより「伝統俳句」的価値観が膨張することへの危惧があるとする。堀田氏については現俳の組織体制への批判がある一方で、提議にある論点に対峙していないこと、くわえて、数年前の主張からの奇妙な変節について指摘している。前号批評のなかで深代響、西躰かずよしが、エッセイで林がこの前号特集についてそれぞれの見解を示している。こちらも併せてお読みいただきたい。それにしても、本誌以外にこの問題に触れる俳誌をあまり見かけないのは不可解である。  とあった。本ブログでは、紹介しきれない分量なので、本特集「『俳句ユネスコ無形文化遺産登録』推進の現在を読んで」の福田若之「 不首尾の理由、その他 」、堀込学「 前号特集【俳句ユネスコ無形文化遺産登録】推進の現在』についての所感 」、林桂「 提議しなおします 」と深代響、西躰かずよしを「併せてお読みいただきたい」と記されているように、興味を持たれた方は、是非、本誌に直接あたられたい。他の特集には、「アンソロジー俳句史」。連載に「上田玄の遺稿『白泉各句一・二」など。因みに、第23回「鬣 TATEGAMI賞」発表で、愚生の『水月伝』を選んでいただき深謝です!!(内心では、もっともいただきたい賞でしたので・・・)。  ともあれ、以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    いつかなんて何時 (いつ) だよくれなゐ       堀込 学     クリスマス琉球は今雨らしき            堀越胡流    冬菊や通行止めに立つ仕事            齋木ゆきこ    T字路の「止まれ」塗り立て風花す          佐藤裕子    白息のキリエ梢は...

満田光生「大天井岳(おてんしょ)へ冬暾(ふゆひ)バッハの変奏曲(バリエーション)」(東京多地区現代俳句協会令和7年度陽春句会)・・

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               挨拶する水野星闇会長↑  3月1日(土)は、東京多摩地区現代俳句協会令和7年度定時総会・陽春句会(於:東村山サンパルネ・コンベンションホール)だった。以下に大会賞(愚生が記録できた句)と愚生の選んだ7句(内特選一句)を挙げておこう。    はき馴れし靴に貌あり春日向          宮腰秀子    言訳も愚痴も受け入れ蜜柑むく         鈴木浮葉   別姓で呼びあふ夫婦花の下           蓮見徳郎   気がつけば本屋のない町五郎助ほう      石橋いろり    新聞の引用長き初日記             小山健介    AIに汚染されずに辛夷咲く          森本由美子    探梅やしづくのやうに人が来る         大石雄鬼    バロックの五臓に沁みて春隣          櫻さとみ    B面に多摩湖小唄や春日美し          大森敦夫    梅咲いて卑弥呼くすりと笑みこぼす       安西 篤    裸木のかすかな息吹日脚伸ぶ          尾崎太郎    冬青草はじめの一歩よろよろし         前田光枝 ★閑話休題・・中嶋憲武「睡るたび恋深くなる恋の猫」(第2回「シントン猫展~3月2日まで」より)・・ 中嶋憲武「睡るたび恋深くなる恋の猫」↑          山岸由佳「立春をほろりと落ちる猫抱いて」↑  現俳の多摩地区総会が東村山であったので、思い立って帰路、西武国分寺線鷹の台で途中下車して、カフェ・シントンで開催中の「第2回猫展」に寄った。写真・絵画・俳句・その他小物などが置かれてあったが、他のお客様もおられたので、全部はゆっくり見られなかった。愚生はちょっと変わったトーストに紅茶のセットをたのんで30分ほど居た。    撮影・中西ひろ美「午後の陽におそらく二羽で笹鳴きす」↑