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宮澤順子「大きくゆがんだしゃぼん玉の持続」(第77回「ことごと句会」)・・

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  3月31日(火)は、第77回「ことごとく句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「眠」。以下に一人一句を挙げておこう。    漁 (すなど) りの曾祖父海市にいるかしら     渡邉樹音    眠たい風船栓抜きが平たい            宮澤順子    水の三月呑み込めるだけ人をのむ        杉本青三郎    春の小川源流はトランペット           江良純雄    鐘ゆるくひょうたん池からはみだす日永      林ひとみ    福寿草ポッ、それは幕間の明かり         金田一剛    兄はどこ妹はどこだ蝌蚪の群れ          村上直樹    山眠る みんなもチャンと休もうね        武藤 幹    湯気香るシニア食堂春火鉢            杦森松一    傾眠 (うとうと) とサックス転調春の縁 (へり)  渡辺信子    忘れられてなほ水の上流し雛          春風亭昇吉    水の速さに男心の小ささよ            照井三余    息入れて座る折鶴寒の月             石原友夫    行間に神語はありし春あけぼの          大井恒行     撮影・鈴木純一「エイプリルフール過ぎたら雲にのろ」↑              4 月 2 日   石井桃子   没   (1907 ~ 2008)

上田玄「暮れまどふなみのあはひにぽちょむきん」(『上田玄全句集』より)・・

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 『上田玄全句集』編集員会編『上田玄全句集』(鬣の会/風の花冠文庫・限定400部・税込み2000円)、凡例には、   一、本集は、上田玄の既刊句集『鮟鱇口碑』『月光口碑』『暗夜口碑』及び『句控 ニ〇一九年以後』と、現時点において判明している全作品を収めた。 (中略)   三、未刊句については、一行作品を「未刊句篇Ⅰ」、多行作品を「未刊句篇Ⅱ」として、それぞれ原句のままに年次ごと・発表順に収めた。 (中略)  四、初出と句集掲載における異同については解題において示した。 (中略)   五、上田玄は初期から多くの評論を書いているが、ここでは、渡邊白泉論を中心に併録した。なお、「渡辺白泉」の表記は、上田玄の表記を尊重した。  とある。「『上田玄全句集』解題」と「後書きにかえて」は深代響。その「後書きにかえて」には、  (前略)当 初は一人で『上田玄全句集』を出そうと資料の蒐集を始めていたが、粗忽なわが身を省み仲間をさがした。ニ〇二四年六月二三日、上野で鬣同人堀込学と落合い、第一回『上田玄全句集』の打合せをした。その後、同同人九里順子、水野真由美が加わり、四人の『上田玄全句集』編集員会となった。上田玄の全貌を明らかにし、後世に残すためにはどのような全句集にしたらよいか議論を重ねた。 (中略)   昭和四〇年代半ば以降登場し固有の俳句世界を確立した俳人たちと同様、上田玄もまた俳句に関わるその初期から優れた評論を発表して、自らの俳句の世界を深化させた俳人であった。評論は「渡邊白泉論・その他」として以下の八篇を収録している。「『媚薬と星をー秘められた浪漫的資質』特集 三谷昭を読む」(「鬣TATEGAMI」第五七号)、「『秋風羽衣曲』を受けて」特集 俳句の吉岡実」(「鬣TATEGAMI」第四六ごう)、「『富澤赤黄男戦中俳句日記』中の多行表記」(「鬣TATEGAMI」第七九号)、「感傷の超克ー窓秋の『河』への評と戦火想望」(「鬣TATEGAMI」第七二号)、「晩年の渡邊白泉・その音韻論」(「鬣TATEGAMI」第七麓号)、「追悼中島敏之」(「鬣TATEGAMI」第五八号)、「白泉各句一・二」(鬣TATEGAMI」九三号~九六号)。ここに上田玄の強靭な持続する志と内的必然性による思考の経緯を見ることができるとともに、シュルレアリスムや演劇活動への傾倒、あるいは舞踏や映像制作の経...

森賀まり「春の馬赤くも見えてかたまりぬ」(「静かな場所」No.33)・・

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 「静かな場所」No.33(発行人 対中いずみ)、特集は、「対中いずみ第4句集『蘆花』鑑賞」、執筆は、福田若之「まぼろしのちまたに――『蘆花』に寄せて」、森賀まり「ゆらめくもの」、満田春日「詩のひらくとき」、藤本夕衣「その眼」、他に、垂水文弥「シリーズ 私にとっての田中裕明(6)/ともに歩む」など。福田若之の玉文の結び近くから、   その人があたしのやうで墓を洗ふ  《ひとつきはしぐれの虹のやうにゐる》はもちろん、《魚目逝く月の兎をかたむけて》のほか《長老に青葉濃くなりまさりけり》など、『蘆花』にはひとを悼む句もすくなくない。掲句の「その人」は、一笑の墓碑を前に《塚も動け我泣聲 (わがなくこゑ) は秋の風》と嘆じた芭蕉そのひとではないだろうけれども、先に流れる情の濃さには近しいものがあるように思う。先に触れたとおり、この句集のあとがきは蘆花の赤みに詩情というもののありようを見ているが、書中には次の句もあった。   喪ごころのたとへば冬の蘆の花  もしかすると、句集の芯に通う情こそが、僕をして、句のかなたに古人を思うこの一文を書かしめたのかもしれない。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   つつがなし樒の花のさきがにも      森賀まり    温室の花みな忘れものめいて      対中いずみ    薄氷や瞬くときの風しみて        藤本夕衣    芥子蒔くも小鳥埋めるもこのシャベル   満田春日    ★閑話休題・・尾崎放哉「思ひがけもないとこに出た道の秋草」(第11回「自由律俳人 尾崎放哉との対峙/尾崎放哉の句から描く/12名による絵画・彫刻展」)・・   第11回「自由律俳人との対峙/12名による絵画・彫刻展」(於:ゆう画廊5F・6F)。会期は3月29日(日)まで。後援は「放哉『南郷庵』友の会」(小豆郡土庄町)。参加作家は、 山口実・小杉義武・山本秀樹・齋藤典久・小山厚史・伊勢裕人・佐藤真菜・森倫章・前田香織・鈴木修一・松澤五男・宮塚春美。  放哉の句の中から、毎年、共通の一句をモチーフに各作家が作品を提出するほかは、各人が自分の好みの句を題材にされているという。今年の共通の句は「思ひがけもないとこに出た道の秋草」であった。      撮影・中西ひろ美「ほんとうに待たれて芽吹く銀杏かな」↑

凌「前頭葉 はるのキャベツは 脱ぎたがる」(「第173回「豈」東京句会)・・

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  3月26日(土)、隔月に一度の第173回「豈」東京句会(於:ありすいきいきプラザ)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    閉め方のわからぬものを開け遅日     杉本青三郎    ホトケノザ戸惑っている発車ベル     小湊こぎく   またしても釈迦であろうとする 虻よ     凌    鶯鳴く議論舌打ちされている       羽村美和子    桜抱くわたしの骨も光りだす        早瀬恵子    うたてしや蛇穴を出てハグしたる      川崎果連    いのちある光しぐれて草の静けさ      大井恒行 次回は、5月30日(土)。 ★閑話休題・・石田波郷「遠く病めば銀河は長し清瀬村」(「図書新聞」第3730号2026年4月4日・終刊号より)・・ 「図書新聞」終刊号「 書評紙の精神は死なない 」は、「 本紙終刊にあたり、現在在籍しているスタッフで座談会を行った。司会進行は本紙で連載『シネマの吐息』を長年持っていた睡蓮みどり氏にお願いした。(収録日・3月11日)」 とあった。その中に、   米田 図書新聞は社会的な文化財だという話がありましたが、一九四九年の創刊後、本紙は対抗文化のなかで育ち、異議申し立ての場として継続してきています 。(中略)  須藤  メディアは反権威、反権力、反戦、反差別である――こんなことは言うも愚かな当たり前のこと(なはず)ですが、しかしわざわざ言わないといけないような状況がありますy。いまは一人一人が一つずつ(あるいはそれ以上)、ポケットのなかにメディアを持っているような時代ですから、確かに新聞などのオールドメディアだけがメディアではないということはもちろんわかります。 (中略)   アジールとしての図書新聞は、かつて井出さんが経営者として矢面に立ってくれていたから成り立っていました。だから編集は自由にできた、これに尽きると思います。 (中略)  加藤 最後に私個人が「今年の年賀状」に書いた文章で編集部の皆さんに対する謝辞と致します。 「残念ながら創刊77年の図書新聞は終刊となります。ゼロメガグループ(武久出版)が関わったのはわずかな年数でした。ほとんどの活字媒体が苦戦する中、日本の出版界に書評という分野を確立した田所太郎、井出彰の意思を受け継ぎ、これまで上質な書評新聞を週刊で発行し続けた編集部スタッフに敬意と感謝を申し上げま...

渡邉弘子「テネシーワルツかのアメリカは春愁ふ」(第195回「吾亦紅句会」)・・

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  3月27日(金)は、第195回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「春塵」。以下に一人一句を挙げておこう。    遠近 (おちこち) のドローンミサイル春の塵     松谷栄喜    街角やバーガーほうばる春セーター        折原ミチ子    セクハラよささやき合ひて犬ふぐり         田村明通    ユーミンのAI共生春日和              関根幸子    うしろ手に裏戸を閉める春の月           齋木和俊    抱かれし風の電話や涅槃西風            村上さら    木洩れ日にかたかごの花風紡ぐ          堀江ひで子    トランプの大義やかくや万愚節           須崎武尚    労農や野良着たたけば春埃             奥村和子    小米花枝もたわわに雪模様             高橋 昭    春の塵机上の主は留学中              渡邉弘子    久々にふるさとの嶺々 (ねね) 春の彩        武田道代    さくら咲く園児の歌と踊りなり          佐々木賢二   散りぎはのさらりと桜我もまた          吉村自然坊    返納をあれこれ思い終わる春           三枝美枝子     荒涼とふぶける桜わが祖国               大井恒行 ★閑話休題・・佐藤幸子「吟行の友に手渡す懐炉かな」(現代俳句協会主催・図書館俳句ポスト12月より)・・  現代俳句協会主催「図書館俳句ポスト・12月選句結果」。兼題は「枯草」または「自由題」。選者は太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄。立川市には、他にも愚生の句会の方がいつも熱心に投句しておられる。佳作・入選した句を以下に紹介しておこう。   メメント・モリ白い表紙の日記買う    西村文子   枯草の海かきわける黄の帽子       井澤勝代     撮影・芽夢野うのき「そこには花 静かなる場所にて咲く」↑

久保純夫「蛇穴を出で暗國の拡がりぬ」(「儒艮」vol.55 より)・・

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  「儒艮」vol. 55(儒艮の会)、特集は「久保純夫第16句集『識閾』。内容は久保純夫「『識閾』抄」、田中信克「『俳』の世界の不思議さと豊かさ――第16句集『識閾』評」、岡田耕治「句集『識閾』の自在」、金山桜子「一句随想」、曾根毅「『識閾』選」、渡邉美保「『識閾』より」、妹尾健「『識閾』覚え書」。他に、津髙里永子「村越化石の百句(23)」、久保純夫「平尾台経験——パロディのことなど」、押木文孝OSSIEコラム50「電気投票記録器」等。  ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。    青龍のみどり澄みきる虚空かな      久保純夫    穏やかに焔を吐きぬ麒麟かな        〃    人参の極まってゆく妹尾健         〃    静止して見える時間や雲の峰       曾根 毅     ふらここやさざなみの立つにはたづみ   岸本由香   花づかれみな棄てたまま追えぬまま    田中信克    春の夢見んと障子に指の穴        志村宣子    風船を持つてゐるので持てません     亘 航希    身中に梅の香満ちる観世音        上森敦代    母親の降参早し雪あそび         原 知子 ★閑話休題・・坂口昌弘「書魂より出づる光は見る人のこころの深き祈りとなれり」(『書魂の祈り』)・・  坂口昌弘『書魂の祈り』(私家版)、「はじめに」に、   手島泰六氏の書について語りたい。/泰六氏は書人(書家)であると同時に、神の人でもあるので、書人を語る上において、神人であることが深く関係している時には、氏の思想に触れたい。/私は書に関しては門外漢なので、専門外の者が感じた印象であることを断っておきたい。  とあり、また「あとがき」には、 (前略) 手島氏は宗教家と書家の二面性を持っているが、氏はそれを二刀流といい、「左に崇教、右に芸術」と述べている。 (中略)   書を見ることを通じて、書に書かれた漢字の意味を深く知り、その意味と書体の形の関係を知り、漢字の意味と書体の形が一如であることを知り、書の一字が象徴するところは詩歌文学と異ならないことを深く知ることができた。   環境破壊や世界中での戦争という殺し合いの時代において、詩歌俳句や書を通じて、祈ることの大切さを知ることができたことに感謝したい。    とあった。  手島...

西池万葉「全能の地球よやがて日脚伸ぶ」(『雄鶏のパヴァロッティ』)・・

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  西池万葉第一句集『雄鶏のパヴァロッティ』(ふらんす堂)、序文は、西池みどり。その中に、 (前略) 西池万葉は学生時代からもう三十年程俳句を作り続けている。この句集には外国での作品が多い。何年もあちらこちらと外国で暮らしたから、そうなるのも自然だろう。 (中略)   さて、国から国への移動も十年近くに及び、いよいよ帰国の日になった。   冬あけぼの欧州大陸蹴って発つ  いろいろな楽しみや苦労、人的つながりや馴染んだ生活とも別れ故国へ帰る日が来た。深い心情を句にした。 (中略)  その他の句も足の地に着いた句で、しっかりと自然や動植物を見ている。それも、東京支部の人たちと句座を心から楽しんでいるからだ。「俳句は所詮人と人の輪である」と言った万葉の祖父、高井北杜の言葉が生きている。 とあり、著者「あとがき」には、  俳句にまつわる最初の思い出は、鮮烈だ。小学校四年生のころだったと思う。両親に連れられて、小金井公園で行われた句会の花見に行った時のこと、虫歯がどうにも痛くなり、やむなく一人で家に帰る途中、酔客が大喧嘩して自転車を振りかざして殴り合うところに出くわしてしまったのだ。その後もかなり長い間、桜といえば、満開の花の下で頭から血だらけになった男性という恐ろしい光景と、痛くて食べられずに残したいなり寿司を思い出したmののだ。 (中略)  句集のタイトル「雄鶏の パヴァロッティ」は、イタリア・トスカーナの農家で出会った美声の雄鶏からもらった。食べられていなければ、今も大きな声で時を告げているかも。 とあった。集名に因なむ句は、    雄鶏のパヴァロッティが春歌う       万葉  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    点となる一羽帰らず雲の峰               文楽「曽根崎心中」ローマ公演   死ににゆくお初わななく銀河の夜     ヴェネツィア    北風にシーツはためく旧ゲットー   鬼灯や血の色朱き聖人図   鐘の音の天からそそぐ復活祭     ブルガリア    朝露もともに摘みたり薔薇祭   沈香の煙の黒し終戦日      硫黄島   冬日受け篩に白き兵の骨   小鳥屋にふくろうもいて冬銀河   殺すなとデモ隊叫ぶ春の闇   スカイツリー今宵は青に猫の恋       サロマ湖   夏鹿の皆逃げ皆が白き尻...

種田山頭火「投げ与へられた一銭の光だ」(『貧乏讀本』より)・・

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 鹿美社編集部編『貧乏讀本』(鹿美社[ろくびしゃ])、編集後記に、   お読みになってわかる通り、当アンソロジーでは個人の身勝手が招いた貧しさと社会的な貧困とを同列に並べて「貧乏」と一括りにし、そこは区別を付けませんでした。この点につきましては、今回は思考を促すためにより広い解釈を適用したことをご理解いただければと思います。ただ明確に戦争がきっかけの貧困については『貧乏讀本』という枠にはどうしても収まりきらないと判断し除外しました。 (中略)  もちろん安易な貧乏の礼賛はナンセンスです。社会的な貧困は可能な限り無くしていかsなければなりません。  とあった。収録された作品は、種田山頭火「俳句十五選」、林芙美子「放浪記以前」、横山源之助「日本の下層社会(抄)、太宰治「清貧譚」、ランボオ作/中原中也訳「教会にに来る貧乏人」、小林多喜二「失業列車」、三好達治「貧生涯」、芥川龍之介「十円札」、萩原朔太郎「大井町」、樋口一葉「日記より」、石川啄木「『一握の砂』より」、辻潤「瘋癲病院の一隅より」幸田露伴「貧乏の説 抄」、八木重吉「神の道」、森茉莉「贅沢貧乏」など22作品。ともあれ、以下に少し引用紹介しておこう。    こほろぎがわたしのたべるものをたべた     種田山頭火       はたらけど   はたらけど猶わが生活 (くらし) 楽にならざり   ぢつと手を見る                石川啄木    (前略) この病院は今までの中で一番気持ちがいい。もっとも場所が武蔵野のまん中で四方は田畑で、微かに電車の音がたまたまきこえてくる位で至極閑静でいい。(中略)晴れた日には秩父の連山が見える。夜は虫の声がする。これで夕方一杯にありつければはなはだ理想的だが、そこが病院のありがたいところで一杯の代りに南無妙法蓮華経を一時間、朝夕読誦することになっている。男女合わせて数百名の患者が一堂に会して法華経を読誦するところはなかなか珍観でもあり妙観でもある。僕も初めは一向気乗りがしなかったがやはり信仰の力というものは恐ろしいもので近頃では至極それが壮快で合唱のつもりでどなっているが後で頗る気持ちがいい。時々患者が奇声を発するのもなかなか愛嬌があっていい。我田引水的ではないが狂人が常識人より概して第六感?が発達しているから、宗教の奥義?ともいうべきものを直覚する力が遥かに常人...

各務麗至「ナウマンゾウ化石に被爆煉瓦かな」(「詭激時代つうしん」21 より)・・

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 「詭激時代つうしん」21(詭激時代社)、各務麗至「観音寺にて」に、  銀 箔の上に表装された墨蹟句を眺めていて、思い出してしまった。  純銀だからか、薄汚く少し黒ずんできて、別額装に仕立て直そうかと書を嗜む知人に相談したところ、それが純銀箔の味のあるところと笑われた。  扨、かの日の「敷島館」宿泊について、少し識しておきたいことがあった。  敷島館には、頼山陽の逗留を記した石碑が、玄関を上がった広い空間のその正面向こうの吹き抜けの内庭に見えて、三百年は垂んとする大時代的建物の雅趣な外観も、金毘羅の古き懐かしき時代そのままの風情があった。  三橋先生は、宿泊を――観音寺で、と、おっしゃったけれど、  「一夜庵」もそうだったように是非とも宿泊していただきたきたかったところで、先生にも敷島館にも、前もっての興昌寺と同じ身の程知らずが奔走して……、であった。(中略)  紅白の梅侍へり一夜庵  松風は海からのかぜ干鰈   平成八年三月三日   於 興昌寺   三橋敏雄 山門の両脇に紅白の梅が咲いていた。その興昌寺だが、俳諧の祖といわれる山崎宗鑑が、晩年の永逝まで長く身を寄せた寺だった。 (中略)  ——良い具合に鄙びた、いかにも山寺の風情だなぁ、と興昌寺の梅の山門に立ち、石段を登って境内を訪れた。参詣は、先生と孝子夫人に、池田澄子龍雄夫妻、遠山陽子氏に、愚息であった。 (中略)  住職夫妻が仏間に案内してくれたのだった。宗鑑像はよく見えなかったが、歓迎してくれていたのか庫裏の闇の中で目が光っていた。誰もが顔を近づけて拝んだ後、茶菓がもてなされ、 「先生:今日を記念の句を残してください」  硯と短冊と、試し書きようの半紙が用意された……かくして、  銀箔の上に表装された墨蹟句を眺めていて、思い出した。思えばその五年後に長逝して早くも十七回忌がくる。   とあった。   ともあれ、本冊子より、いくつかの句を挙げておこう。     *やさしさに泣けて泣けて    寒椿たましひ青く青く消ゆ            麗至    つひに一人かの世に落ちてふぶくかな      *戦後八十年展   被爆煉瓦寄せ書き日の丸遺書の夏      *三橋敏雄に「海山に線香そびえ夏の盛り」    綺麗な字で「では征きます」夏特攻   此の上ない死處に恵まれ感謝で征きます   「神州男兒ニ死無ク...

坪内稔典「三月の甘納豆のうふふふふ」(現代俳句協会令和8年度定時総会・表彰式・第26回現代俳句大賞)・・

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                  坪内稔典氏↑   3月21日(土)は、現代俳句協会令和8年度定時社員総会・表彰式(於:東京・東天紅上野店)だった。第26回現代俳句大賞に坪内稔典、第43回兜太現代俳句新人賞に内野義悠「雨滴の雨」、髙田祥聖「ゐしころ」の授賞表彰式が行われた。  愚生は、総会議案について、議案書の14「②俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協鵜議会への支援」について、動議「 今後も推進活動を継続していくのか、あるいは継続しないのかの賛否をを問う全会員(社員)の投票を実施していただきたい 」を出し、「 その上で、賛成が多ければ、これまで通り、運動を継続し、もし、反対が上まわれば、推進活動から、すみやかに離脱する」 を主張するも、動議の提案の議場採決は行われないまま(動議に対してのルールに反していると思うが)、予定されていた議事の時間もずれ込み、懇親会の皆さんをこれ以上待たせるのも忍びなく、議長の「それは実施しない」の一言をもって議事を終了。現在、推進運動は、遺産登録に際して「俳句は有季無季を含むという三協会の合意は成立」しているが、その先の問題をどう展望するのかという、実質的な問題を論議するべき段階に入っているのだと言っておきたい。推進運動側は、それらを提示する義務がある(基金の分配先、真に遺産への投資になりうるのか)。まさに「豈」38号で干場達矢が「価値について」で指摘したように、     俳句の危機があるとしたら、俳人が俳句を書く以外のことに気が散ってしまうことだろう。これはナイーブなことを言っているのではない。文化象徴の機序とは常にそういうものである。 のだろう。                左側、内野義悠・髙田祥聖↑  ともあれ、現代俳句大賞、兜太新人賞、おめでとうございます。  鬼百合がしんしんとゆく明日の空       坪内稔典(つぼうち・ねんてん)                         1944年、愛媛県生まれ。   ホットミルク雨滴の窓を浅眠り        内野義悠(うちの・ぎゆう)                         1988年、埼玉県生まれ。  髪洗ふみづはいつ眠るのだらう        髙田祥聖(たかだ・しょうせい)                         1987年、神奈川県生まれ。       撮...

蕪村「凧(いかのぼり)昨日(きのう)の空(そら)の在所(ありどころ)」(「図書新聞」3729号・終刊?!より)・・

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 「図書新聞」3739号・2026年3月28日(土)(武久出版)、増頁号・特集は「図書新聞と私」。執筆人は、吉増剛造、粉川哲夫、小池昌代、鵜飼哲、佐藤泉、四方田犬彦、中村隆之、巽孝之、澤田直、塚原史、西谷修、川崎賢子、中村邦生、長岡真吾、守中高明、栗原康、ブレディみかこ、石原俊、高橋順一、大澤聡、新城郁夫、足立正夫。連載の岡和田晃「〈世界内線〉下の文芸時評」第133回も最終回。   吉増剛造「 荒天の昨 (きぞ)、 …… 」には、 (前略) 凧 (いかのぼり) 昨日 (きのう) の空 (そら) の在所 (ありどころ)/(蕪村)   この“空“は、深海の火のような命のことでもあるのであって、灰色と青とが、雑 (まじ) って、濁 (にご) っているのだ、土気色 (つちけいろ) に。海底の荒天なのでも、あるのであって、“とうとうとう“これが魚 (おさかな) が怒って、吐く息でもあるのだ。このような“荒天の昨 (きぞ) 、……“は、日刊紙にはない。  もしも、とうとう、……言葉 (ことば) から“棒のようにして“母音 (ぼいん) が、曳 (ひ) かれたら、……。   もしも、とうとう、……時間 (じかん) から“棒のようにして“、昨 (きぞ) と明日 (あした) が、曳 (ひ) かれたら、……・  彗星棍棒 (すいせいこんぼう) の傷口が輝いて残る、……・わたくしたちは、この“残るものに“賭けるもの“だ。 (以下略) 「図書新聞」前号・3728号・2026年3月21日(土)「の共和国」の広告には、 今の与党やその取巻き有象無象馬鹿野郎たちを拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。(……)日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。なさけない事だ。/夏目漱石『吾輩は猫である』よりほぼ原文のママ  とあった。愚生はと言えば、社長だった頃の井出彰には随分世話になった。『本屋戦国記』の折のインタビュー記事、書店についてのコラムや、時評欄「俳句クロニクル」を2年間担当させていただいた。その間の編集担当の方々にもお世話なった。深謝!!               挨拶をする水野星闇氏↑ ★閑話休題・・大森敦夫「やはらかき里の会...

濱筆治「駱駝射る日差しミサイル涅槃西風」(第51回「きすげ句会」)・・

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   3月19日(木)は、第51回「きすげ句会」(於:ルミエール府中)だった。兼題は「松」。以下に一人一句を挙げておこう。    大地焦げ阿蘇の野焼きの空の青       濱 筆治    半熟の卵くずさず春の息          高野芳一    一面のホトケノザ千の小仏座らせて     山川桂子    合コンの無言のツアーいちご狩り      杉森松一    大國魂まつ (・・) は要らぬと笹飾り    清水正之    今年また背筋正すや古雛 (ふるひいな)  新宅秀則     松竹梅の松たのしみて春御膳       久保田和代    桃の花手話で髪留めほめのけり       寺地千穂    門松に子らの成長セピア色        大場久美子    三・一一あの日たしかに母はいた      井上芳子   瞑想の春の象 (かたち) は消えゆく愛    大井恒行 次回は、4月16日(木)、兼題は「風」。 ★閑話休題・・米田鉄也「捨舟に二日の雪のつもりけり」(月刊「ひかり」3月号・「西山俳壇」より)・・  月刊「ひかり」3月号・「西山俳壇/城貴代美選」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)。その他の特選、入選した句のいくつかを挙げておこう。    冬夕焼じやんけんぽんの兄妹      大分市  角谷紀子    落胆のため息にして息白し       東海市 大村すみ代    鳥総松一枝折り挿し清し朝       糸島市  湯川蕉子    玉椿星散りばめてネイルの娘      京都市  黒田十和    元朝の駅で洗いし旅の貌        摂津市  山上鬼猿       餅花の揺れて昭和のアーケード     芦屋市  門脇重子    グローブでぬぐう涙やすみれ草          城貴代美(選者吟)        撮影・中西ひろ美「水色の背中めがけて春の鳥」↑

今宿節也「お化け煙突二本の場所まで春の土手」(『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』)・・

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  今宿節也句集『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』(コールサック社)、解説は鈴木光影「星と芸術を愛する音楽家俳人が奏でる豊穣の天体図—-今宿節也句集『宝瓶宮』に寄せて」。それには、   本書を繙くと、今宿節也氏を取り囲む豊かな星々がひしめく夜空を眺める思いがする。それは文字通りの天体の星だけでなく、多分の野芸術やそれを生み出す芸術家たち、言葉、文化、自然が奏で織りなす豊穣の天体図である。 (中略)    宝瓶 (ほうへい) の水美酒 (みずみき) ならむ魚ぞ酔ふ  最後に、節也氏と私は祖父と孫ほどの歳の差があるにもかかわらず、このたび解説を務める機会をいただいたことに深く感謝申し上げたい。俳縁に加えて、生まれ月が同じ水瓶座という星縁のなせる業かもしれない。水瓶座の天文学上の名称・「宝瓶宮(ほうへいきゅう)」に込められた水の流れは、多彩な音色を奏でて、星と芸術を愛し平和を希求する多くの読者の元へと届いてゆくことだろう。 とあり、著者「あとがき」には、   子供の頃から絵ばかり描いていたが、小学生時代中村立行先生に師事、氏は後に写真家として名を成した方である。なんでもいいから自由に描けと言われ、自由の難しさを知った。兄から小学四年の頃メロディを記譜する方法を伝授された。興味は音楽へと変わってゆく。一九三年にプラネタリウムで覚えた星がスバルで、野尻抱影先生の名解説を聴き、以来文通を始めた。ニ吋 (インチ) 半の望遠鏡を自作し、星団や星雲などを渉猟しその美しさに驚嘆。戦時中は宮沢賢治の思想に感銘し、敗戦で作曲への道に進むことを誓った。その翌年に抱影先生は山口誓子との共著『星戀』が話題となる。誓子の星の句は新鮮で、抱影の随筆も亦さすが天文学 (てんぶんがく) と自称するだけあって絶品だった。  その後私は池内友次郎(高浜虚子の次男)門下の貴島清彦先生に作曲を師事する。氏も亦賢治を敬愛し、私の周辺に賢治、音楽、俳句に相関する人が増えていった。 (中略)    私の俳句は二〇二一年の春から始めたばかりだが、俳句の本は戦時から親しんでいたし、兄は中学時代に俳句をはじめて、後年岸田稚魚の流派に所属していた。私も川端茅舎や種田山頭火の句に作曲し、俳句には何かと縁があった。現在は俳人・俳論家の武良竜彦氏に学ぶことが多い。  とあった。集名に因む句は、    宝瓶宮 (ほうへいきう) 幽 (かそ...

堤きこ「その時のいつか来るらし花卯木」(『魔法のことば』)・・

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  堤きこ第一句集『魔法のことば』(俳句アトラス)、序文は林誠司、その中に、  (前略) きこさんの本名は紀子 (のりこ) 。俳句を始め、いくつかの句会に参加した時、「のりこ」という同名の人がかなりの確率でいたので「きこ」とした、と聞いた。奇しくも秋篠宮妃と同名であるが、そこに深い意味はないと思う(笑)。 (中略)  次に「等身大」について。個人的経験だが、私は俳句を始め「河」に入会し、角川春樹先生の指導を受けたのだが、春樹先生から「お前の俳句はどれも等身大なのがいい」と誉めていただいたことがある。等身大とは「ありのまま」ということ。自分の暮らしや想いを背伸びせずに率直に詠っている、ということだろう。以来、私は「等身大の表現」を強く意識して作句してきた。なので、等身大は私にとっても重要で、きこさんの俳句に憧憬さえ感じる (中略)   句会で点数を取りたい、人から高い評価を得たい、という思いから、われわれは過度な装飾や背伸びを俳句でしてしまうことが多い。自分の心を過度に装飾することは「等身大」から離れてゆく行為。きこさんの句を高く評価するのは、そういった他人の評価から超然とし、自分の心や俳句に嘘をつかず、過度な装飾表現を加えないことである。言うのはたやすいことだがなかなか出来ることではない。  とあり、著者「あとがき」には、  俳句にはかねがね興味を持っていたが、結婚後は主婦業に専念し、なかなか機会を得られなかった。  ようやく心にも生活にも余裕が出来、子供たちも自立して、十五年前の七十歳の古稀の時、杉並区の角川庭園にて「はじめての俳句」講座を受講した。 (中略)  俳句は十七文字と季語で成立し、心のおもむくままに表現せず、季語との取り合わせで表現することに魅力を感じている。その後、日常の生活から詩を見出していく楽しさも知った。 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。   雲の峰心配ごとはつくられる       きこ    風花や母は楽しく徘徊す   交番に宅配ピザや冬隣   老一人子雀一羽梅一輪   エレベータースーツ二人の秋思かな   きりぎりす「まあそう言わず生きてろよ」   秋深しチラシの裏の五七五   母の手を離さぬやうに冬に入る   献杯のことば途切れし蟬時雨   父も母も友も生きてる昼寝覚   初恋はアルバム...

星野佐紀「涅槃図の中天白き月か日か」(『不東』)・・

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 星野佐紀第一句集『不東』(朔出版)、序は中西夕紀。その中に、   佐紀さんの佐紀は奈良の佐保路、佐保路の佐紀から採られた俳号である。私が「都市」を立ち上げてまもなく、都市の仲間と吟行を計画したとき、佐紀さんから「奈良に昔住んでいた家があるから泊まりませんか」と誘って頂いたのが、コロナが起こるまで十年以上続いた年に一度の奈良吟行の始まりだった。 (中略)    奥つ城の冴ゆる柳生家八十基   朔風や高き窓より廬舎那仏  佐紀さんはまっすぐ対象と向き合って、朗々と詠い上げる。だから成功すると、姿の良い風格のあるものが出来上がる。ここで掲げた句も切字が効果的に使われ堂々としている。 とあり、著者「あとがき」に、   夫の海外駐在に伴い、タイのバンコクで長女を、旧西ドイツのハンブルグで長男を出産し、十数年に及ぶ海外生活を終えて昭和五十七年、奈良県生駒市に居を構えた。帰国子女だった子供達も何とか日本の生活に慣れ、家族全体が落ち着きを取り戻した頃、「紙と鉛筆があれば、あなたも作れます」というキャッチフレーズに惹かれ、近所のカルチャー教室で俳句を始めた。文芸とは凡そ縁のなかった私が、なぜか俳句を詠んでみようと思い立ったのだった。  その後、夫は義父が開発した天然酵母パン種の事業を手伝うため退職し、家族で東京・町田市に居を移した。平成二十三年に夫は他界したが、生涯現役を貫きたいと、私は今も夫が義父から受け継いだ仕事に細々と関わっている。 とあった。集名に因む句は、    玄奘の不東思へば指冴ゆる       佐紀  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    耳成山 (みみなし) も畝傍山 (うねび) も浮きて初霞   春寒し壁に影置く伎芸天   灯涼し南燭 (しゃしゃんぼ) の咲く佐紀神社   自問自答して料峭の波音に   新涼や机上に重ねたる白紙   碧き海青き空のみ昼寝覚   麗かや舗道の線は国境   角伐りや白き枕の地に置かれ   春寒や今朝の生駒山 (いこま) の深縹 (こきはなだ)    水草生ふ水面をきざむ白き月   履きしまま長靴洗ふ春の川   業平忌浮葉は銀の玉を乗せ   大役を果たしひとりの柚湯かな   紅茸や八十路にもある恋心     星野佐紀(ほしの・さき) 昭和16年 東京都生まれ。      撮影・中西ひろ...

赤野四羽「燕の巣があります真摯へ帰る」(「noi 」vol.11より)・・

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 「noi」vol.11(俳句雑誌noi)、特集は「口語俳句の沃野 その多様性と可能性」。その特集の扉には、  noiには「野風抄」という、一年を通じて同じテーマで作品を寄せる「年間テーマ作品」欄があります。2025年、記念すべき初年のテーマは「口語」でした。口語と何か、俳句とは何か……。誌面を通して互いに試行錯誤しながら重ねてきた道程を振り返る。総まとめの企画です。  とあり、論考に赤野四羽「口語俳句とNew Sincerity」、柳元佑太「分け持たれ得ないわたしによる分け持たれたわたしの分け持ち」、山口優夢「構成主体と作中主体 肉声を絞り出すための口語俳句論」、加えて「野風抄 2025 誌友一句鑑賞 記憶に残る一句」である。全部、紹介したいが、無理なので、興味のある方は、直接、本誌にあたられたい。ここでは、赤野四羽の一部を以下に引用しておきたい。  (前略) さて、一口に『口語俳句』といっても、実態としては大きく二つのタイプに分かれています。それは『会話体俳句』と、『非文語俳句』。『会話体俳句』とは典型的には、   「春雨じゃ濡れて行こ」とはよう云わん     武子     「小惑星来るんだってよ」「わあ桜」     陰山 惠   でも先に熊が住んでいたんでしょ     増原まみ のように、口語会話のセリフの引用の形をとる、あるいはそのままセリフになり得る形で一句を成立させる方法です。 (中略)  冒頭で述べたように、口語俳句というのはこれまで俳壇の大勢が避けていた、新たな『感性の配置』と考えることができます。虚子以降の多くの俳人がスローガンとしていた『客観写生』『花鳥諷詠』からは、口語俳句の流れは生まれてきませんでした。つまりそこには虚子を超えるなにかがある、ということになります。  結論からいうと、口語俳句の実践は、俳句という文学の『新誠実性』『不透明性』『音韻性』を高めると考えています。 (中略)   では、口語俳句はどのように『新誠実』に接続するのでしようか。   ねえはるかぜ分断の起点はどこ      福田春乃   選挙に汗わすれられとるんかな能登    本城 清   みんなにはみんなの鬱と乳酸菌      嶋村らび    (中略)  では次の『不透明性』はどうでしょうか。   ごはんつくりたくない夜のさくらもち   東田早宵   ぶ...

三宅深夜子「大西瓜叩けば返事ありにけり」(「天晴」21号)・・

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 「天晴」21号(発行人・津久井紀代/編集人・杉美春)、主要記事は「第二回天晴賞発表」。選者は筑紫磐井・角谷昌子・津久井紀代。正賞は三宅深夜子「関西真夏」、準賞は中嶋秀二「ハザードマップ」、佳作に田中進一「忌日」、松浦泰子「熊野三山」、森巴天「カエサル忌」、堀場美知子「函館~道南」、川崎果連「秋思」、村上麦處「メメント・モリ」、杉美春「春雨の匂ひ」、木村内子「老いの春」、井口如心「あしおと」。以下に、それぞれ句を挙げておこう。    アッパッパ通天閣を降りて来し      三宅深夜子   春寒し三食ジャンクフードの日       中嶋秀二    河童忌やインクのにじむ一筆箋       田中進一    交番の巣をそのままに燕去ぬ        松浦泰子    端居すやいつもの嘘を聞きながら      森 巴天    夏惜しむ山ふところへ長き貨車      堀場美知子    老木をなぶる木枯あきつしま        川崎果連    目指すのは補陀落とかや冬の波       村上麦處    甘噛みの小さき牙や冬の月         杉 美春    「いせ辰」にぽち袋あり年用意        木村内子    二度読みの二度目の涙冬日向        井口如心      撮影・芽夢野うのき「駆け抜ける葉牡丹の花咲くみぎり」↑

大澤千里「廃屋に音なく今朝のみぞれ降る」(「立川こぶし俳句会」)・・

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  3月13日(金)は、立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に、一人一句を挙げておこう。    豪雪のかくも重たき白さかな        井澤勝代    初音へと鳴き返しつつ歩みけり       三橋米子    鴨の足春の湖水にせわしなき        大澤千里    やわらかな光となりて雪柳         山蔭典子    五合庵良寛らしき白梅花          和田信行   スケッチの山茱萸の花天をつく       高橋桂子    夢おぼろ喋々結びに四苦八苦        川村恵子    風まかせあてなき旅や柳絮とぶ       伊藤康次    ひと日生きてひと夜迎える老いの春     大井恒行     ★閑話休題・・野谷真治「店の秋ほのかほどけるほどの茶碗」(「自由律俳句協会ニュースレター」No35より)・・  「自由律俳句協会ニュースレター」35号(自由律俳句協会)の投句欄「自由律の泉」㉙の「泉㉘より一句鑑賞」のコーナーがある。その最初に、    店の秋ほのかほどけるほどの茶碗      野谷真治  ▼立ち寄ったお店、茶碗といったささやかなものから詩を起こす。音やリズムjを重視する。この句も「ほ」の音のくり返しで、しみじみとした声調になっている。日常を詩化する人。あなたの早すぎる死が悲しい。(金澤ひろあき)  とあった。野谷真治(のたに・しんじ)は、昨年11月14日に急逝。享年64だった。惜しまれる。       撮影・中西ひろ美「風化して鳩となる日の黄色かな」↑