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高岡修「一匹の蟻が/夕暮れの広大な砂漠を/渡っていたという(略)」(『怖い詩』より)・・

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                                                          倉阪鬼一郎著『怖い詩』(アドレナライズ)、その「まえがき」に、   『怖い俳句』『怖い短歌』(いずれも幻冬舎新書)に続く三部作の完結篇『怖い詩』を電子オリジナル版でお届けします。  ライフワークの一つである〈怖い短詩型文学三部作〉がついに完成しました。  とあり、また「あとがき」には、   長い旅がいま終わりまいsた。  始動してから完成にいたるまで、五年もかかってしまいました。第一作の『怖い俳句』は二〇一二年の刊行、始動がニ〇一〇年ですから、第二作の『怖い短歌』を挟んで十五年を要しています。ライフワークに数えられる仕事はほかにもありますが、この三部作も間違いなくその一つです。  紙幅には限りがあります。最も若い詩人でも一九六九年生まれという線引きになったため、現在活躍中の詩人はごく少数しか採り上げられなかったことをおわびいたします。 (中略) また、本書は横並び形式のアンソロジーではなく、あくまでも『怖い詩』という「作品」につき、(前略)(中略)(後略)を多用した恣意的なテキストの引用になっていることもおわびいたします。末尾に表題作出展一覧と参考文献一覧を付してありますので、興味を抱かれた方はぜひ原テキストをお読みください。読者にとっての「怖い詩」がきっと追加されることでしょう。  とあった。ここでは、ごく一部になるが、『怖い俳句』『怖い詩』双方に収載された高岡修と俳人柴田千晶を以下に挙げておきたい。      鏡               高岡修 (たかおかおさむ) (一九四八ー) 51/黒いビニール袋に入れられて、    死んだ子どもたちはいつも、    どこかの駅のコインロッカーに捨てられる  /(中略)  『怖い俳句』と『怖い詩』、両方で採り上げた唯一の作者です。 『鏡』は一冊で長篇 詩一篇のみの構成。ハイライトは次の部分でしょう。 54/路傍の名もない死を...

羽村美和子「木葉木菟ずくずく君をそらんずる」(第174回「豈」東京句会)・・

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 5月30日(土)は、二ヶ月に一度の、第174回「豈」東京句会(於:ありすいきいきプラザ)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    歌え舞えひねもす暗黒カタツムリ         凌    草笛になって千年さやかなり        小湊こぎく    人を売り武器を売る国の薄暑かな       山本敏倖    著莪の花ぞろりと不審メール来る      羽村美和子    ラテン語で名を書かれたる熱帯魚      伊藤左知子    おばしまに日傘おかれて暮れにけり      川崎果連    紅薔薇やくちびるほどに罪深し        早瀬恵子   泣き愁い生きるいにしえ山さんご       大井恒行 ★閑話休題・・大江健三郎「純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する」(添田馨『ゆきつく果ての護憲』〈言視舎〉p178、より)・・  添田馨著『ゆきつく果ての護憲』(言視舎)、「 第1章   なぜ“ゆきつく果て“が護憲なのか 」の「 8結語にかえて 」に中に、  わが国の戦後憲法とその第9条とは描いてきた、戦後の日本人のメンタリティーの構造について、主に私は論じてきた。たしかに憲法第9条にあらわれた平和主義は、理念としても素晴らしく、また、同時にきわめて非現実的な規範であり続けている。 (中略)  そして、今私たちが最も問われているのは、これまでの憲法の形姿であるよりは、これから先の時代におけるその在り方のほうであるのは言うまでもない。その場合、第9条が死者たちだけのものではなく、世界普遍性の次元で人間一般に共有される規範として受容される日が、本当に訪れるのかどうか。 (中略)  わが国の憲法体現された平和主義が、こうした世界戦争の場から生み出された以上、その思想性においてこの憲法は、どうしても国内事情をこえたある種の普遍性を帯びざるを得なかった。たまたまそれが、世界戦争の全面的な敗戦国であるわが国に、恵沢としてもたらされたのは事実だとしても、世界戦争以後の地上にあってr、日本国憲法がその身に植えつけたような平和主義は、本当は戦争に関わったすべての国の大衆によって、心から待ち望まれたものではなかったのか。 (中略)  だから、その敗者側陣営の一角を占める日本に成立したこ憲法は、見方を変えれば、戦勝国と敗戦国とを問わず、戦後世界においてどうしても必要とされた究極の理想が...

池田澄子「では又の又こそ佳けれ春の宵」(「くらら」第三号)・・

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 「くらら」第三号(編集発行人 梶浦道成)、梶浦道成「あとがき」に、  くらら第二号の「澄子さんの宝物」で紹介した三橋敏雄氏の葉書は、その真摯な内容にとても多くの反響をいただいた。今回は澄子さんが三橋氏と出会うきっかけとなった「俳句研究」三橋敏雄特集と三橋敏雄論特集を紹介することができた。さらにそのうちの一冊には、奇しくも池田澄子が初めて世に披露した八句が掲載されていた。なんという偶然、なんという巡り合わせ。三橋氏の押しかけ弟子になる前のレアな澄子俳句を味わっていただきたい。  とあった。ともぁれ、本誌より、いくつかの句を挙げておきたい。    夕風や嚙む蛍烏賊目玉が邪魔         安達原葉子   なにひとつ過去じゃない三月の海       荒木とうこ    八十年間NO MORE立派原爆忌         梶浦道成    他の人は賛成なのか闇汁に         加東ネムイチ    子の帽子編んではほどき編んで冬       神谷べティ   ボリュームを上げ初場所の大一番      紺乃ひつじ    あの子もこの子も襟足青く卒業す        佐藤昭子    凍雲を寄せ太陽の塔の鼻            丹下京子    いつだってBGMね夏鶯             中村我人    伸びよ伸びよカサブランカよ伸びよ咲けよ    畑上麻保    ミサイル搬入「帰れ」のデモや冬銀河     馬場ともこ    流し雛はやかげりゆく水の色          山本恵子 ★閑話休題・・田村明通「けん玉の日本一周みどりの日」(たかまつり・5月29日~31日〈日〉午後4時まで・「第44回髙松学習館文化祭・吾亦紅俳句会」より)・・  たかまつり・第44回高松学習館文化祭(於:立川市高松学習館)~5月31日(日」午後4時まで、作品展のテーマは「色」。切り絵とのコラボ展示だそうです。ともあれ、短冊展の中から、    落柿舎のにぎわいよそに白式部        武田道代    片方の赤い手袋捨てられず          関根幸子    胸厚きランナー過ぐ緑のトンネル      折原ミチ子    退職し好みの色に更衣            高橋 昭    リメイクの日傘形見の白紬          渡邉弘子    還り船舳先に赤きカーネーション       齋木和俊    ...

岡井隆「定型の格子が騒ぎ止まぬ故むなしく意味をひき寄せにけり」(「ふらんす堂通信」188より)・・

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 「ふらんす堂通信」188(ふらんす堂)、特集は藤原龍一郎・大辻隆弘・林和清「イベントレポート・特別鼎談…塚本邦雄・岡井隆・寺山修司の前衛短歌運動を語る――梅田篇(全編)」。鼎談の中から、 (前略) 藤原:この塚本・岡井・寺山というのは、それぞれ前衛短歌運動の中で様々な役割を果したのですが、その三人がどういうような関係だったかというのは実際ちょっとよく分かりにくい部分がある。そこを林和清さんに少しご説明いただければと思います。 林: 今と違って当時は連絡する手段というのが郵便だけなんですよ。 (中略) だから三人とも最初は手紙を出し合った、というところから始まった。岡井隆と塚本邦雄の出会いの方が寺山修司よりも先なんですね。昭和三〇年(一九五五年)、岡井隆に塚本邦雄が先に手紙を出したんです。そのきっかけは、岡井隆が塚本邦雄の事を書いたんですかね? 大辻: 昭和三〇年八月号の「短歌研究」に「レパプリカ」っていう当時新人が編集するような三ページか四ページくらいの特集がありました。その中で岡井がモダニズム短歌を論じているんです。岡井さんはそこで、今のモダニズム短歌は全然面白くないって全否定する。が、一番最後に関西の塚本邦雄の歌を、もっと歌壇は注目すべきだ、たった一言書いたんですよ。 藤原: もうすでにその時点で歌集は出ていたんですよね、『水葬物語』は。 大辻: 出ていました。 林:この『塚本邦雄百首』にも書いたんですけれども、最初に出した『水葬物語』、一ニ〇部しか出していないんです。誰にも読んでもらうつもりはなくて、自分の盟友、杉原一司が亡くなったのでそれに献じるためだけに出した。あんまり謹呈もしていないんです。だから、あんまり知られてなかったていう。その塚本邦雄について言及してくれた岡井隆という人に、「ありがとう」って手紙ですよね。 大辻: そうです、それが最初の塚本からの手紙ですよね。 林: ところが、岡井隆からの手紙の返事が来るのがすごく遅いんです。一ヶ月以上経ってから。 (中略) 手紙のやり取りがあって、一ニ月一七日に岡井隆と塚本邦雄が初めて大阪で会うんです。天王寺美術館で「メキシコ美術展」というのをやっていて、その当時の「メキシコ 美術展」は、プロレタリアート芸術でした。だから岡井隆の好みだったと思うんです。塚本邦雄はあんまり好みじゃなかったと思うんですけ...

澤好摩「甕抱きし双掌を解けば翼かな」(「周」第10号より)・・

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  「周」(しゅう)第10号(周句会(あまねくかい)/邪馬猫亭)、横山康夫「折々の散歩道/『て』の思ひ出」の中に、  (前略) 配られた紙には「朝日俳壇」の選者・高山れおな氏の次の選句と句評が載っている。    積みあがる駄句の山見て山笑う   豪快で面白いが、この「見て」のような言葉遣いをしなければ駄句は減るでしょう。                     (「朝日新聞」二〇二六年四月五日付紙面)   高山れおな氏は句の内容の豪快さを面白いとしつつも「見て」に注文をつけてゐる。面白い句評で思はずニンマリとしてしまつたが、後藤秀治氏はこの「〈見て〉のような言葉遣いをしない」ことといふ部分に注目して、どう思ふかとみんなに問うたのだった。みんな少し沈黙していたが、その間私は昔のことを思ひ出してゐたのだつた。このことは澤好摩がよく言つてゐた。「何が何して何とやら」になつちやうよといふ話である。「見て」の「て」は接続助詞で、前段と後段をつなぐ役割をするが、どうしても説明的になつてしまふ。俳句は説明してしまつてはダメだよとよく言はれる。この句もそこが問題の話でせうよといふことになつた。 (中略)   その点について澤好摩が懇切に説明したことがある。それは「円錐」六三号の「戦後俳句作品鑑賞」における森澄雄の次の作品鑑賞においてであつた。    雪嶺のひとたび暮れて顕るる  この句の「て」は少ない成功例の一つだと言ひ、暮れて一旦見えなくなつた雪嶺が夜目に再びその姿を顕す、その時間的経過が表現されてゐるといふのだ。「見えなくなつたものが再び見えるやうになる不思議さを引き受けている」と述べてゐる。言葉を安易に繋いでしまはないことが大切なのだ。「て」は説明的になつて飛躍に乏しい。俳句は短い形式だから飛躍は生命線である。助詞の用ゐ方、一考すべきことだらう。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    月今宵ヒーローは皆空を飛ぶ         三丸祥子    盂蘭盆会空ㇻになりたる母の部屋       寺坂公広    再読の「父の詫び状」春兆す        昼間くみえ    白鷺の群れて真白を研き合ふ        渡辺ひろ子    風に乗りたい人のあふるる春の丘       横山康夫    野を渡り古墳を渡り風薫る          熊谷明美    鐘の...

宮本佳世乃「ただ紙をめくるあかるくてさみしい」(「What’s」Vol.10)・・

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 「What’s」Vol.10(編集発行人 広瀬ちえみ)、編集後記とも思える巻尾の「ツリーハウス」に、  ◆今号の「招待作家」は俳人の宮本佳世乃さんです。「第3回ブレンド句会」の選者を、そして「樋口由紀子追悼句会」の大変な作業をしていただきました。佳世乃さんの第二句集『三〇一号室』(港の人 ニ〇一九年)の句集評を「晴5号」に書いてからのご縁です。 〈一滴となり夕焼が口のなか〉〈水澄んであとはバドミントンでいい〉〈二階建てバスの二階にゐるおはやう〉/由紀子さんのご葬儀の翌日、佳世乃さんとの須磨の旅ではカーレーターに初めて乗り、佳世乃さんの悲鳴を聞き、須磨寺では敦盛の青葉の笛に再会できました。明石海峡大橋と淡路島を眺め、海と桜を満喫し、由紀子さんからのプレゼントのような時間を過ごしました。  とあった。その他、盛沢山の目次には、柳本々々「 柳本々々の詩 よっつ 」、月波与生「 英語で川柳を書くーSenryuの骨格」 、鈴木茂雄「詩形の核心:現代俳句の創造と批評」、暮田真名「 『宇宙人のためのせんりゅう入門』番外編/『ゆきどけ産声翻訳機』のつくりかた」 、妹尾凛「 句集『めるくまーる』のこと」 、第3回ブレンド句会「 対談 西原天気&飯島章友 」等々。ともあれ、本誌本号より、いくつかの作品を以下に挙げておこう。      悼・由紀子さん    ご招待断る勇気なんて あるよ!!       松永千秋    カッターで少しずつ切る東京タワー       月波与生    あいうえおうけこにかけこかきくけこ      鈴木節子    木を抱いて思い出せない木のなまえ      佐藤みさ子    どんぐりこんくりせんちめんたると       妹尾 凛    金箔をたくさん使う本願寺           水本石華    じじこくこくとかわるあなたもわたくしも    浮 千草    ローセキで由紀子と描いてケンケンパ       叶 裕    冬からの卒業式のふきのとう         佐藤真紀子    草笛によき草もらふ神の園           川村研治    別人だけが並ぶ証明写真            竹井紫乙    マイナーカードの顔写真は他人のにする     中内火星    水をあける水をとじるねむい          加藤久子    たとえばを反故にするほんの不可...

樋口由紀子「空箱はすぐに燃えるしすぐに泣く」(「俳句新空間」No.22より)・・

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 「俳句新空間」No.22(発行人 筑紫磐井・佐藤りえ)、巻頭は、筑紫磐井「■現代俳句協会の為の『未来俳句宣言』について――俳句が芸術になるために」。その小見出し「(2)未来俳句の方向性」には、   「伝統」とは、ルールではなく、作品ー過去の名作(無季・自由律を含む)という文学的遺産である。そして過去の俳句で掬いきれなかったものこそ未来「新しい自由な俳句)がある。既存の俳句——それがどんな名作であっても、それを操作するだけでは決して「新しい自由な俳句」生まれない。 我々は、過去に見たことがない風景を見たいのだ。 (中略) C、【参考】筑紫磐井の宣言〈設計〉  詩、とりわけ俳句はー ⓵一行があまりにも長い。四文字ないし三文字で十分だ。  文法は要らぬ。名詞・動詞だけで辛うじて伝達できる。/文語・詩語、誤字・脱字・誤用の駆使も一行を更に短くする。 ②一行の中でたやすく(部分的)類想が発生する。だから全体の模倣も否定せよ。 ③隣る二行は連想を結合する。  行の谷間を極大にせよ、隣人は背くべきである。 ④一行ですべてを述べ、全体の構想を断ち切ろう。偶然がいつか全体を語るはずだ。  〈総括〉/律(形式)を自由に。/〈作品〉   皇 (すべ) る手               磐井   激(たぎ)つ水門 (みなと)    吾 (あ) と無   屍に美  とあった。ともあれ、本誌本号より、樋口由紀子追悼句(豈同人作品)を挙げておきたい。    あの人の居ない姫路の花便り        池田澄子   溌溂よ天守閣から下りてきて        岡村知昭    房重き宇宙の葡萄堪えるや         北村虻曵    晴女いつもとなりで笑つてた        堺谷真人    春泥に汚さぬ下駄のひとそろひ       筑紫磐井    陽炎のあなたの君も明からむ        橋本 直    早すぎないか式服干すのが         藤田踏青    木の根走るところは晴れて          振り子    死にますか山のかなたに服を干し      堀本 吟      貴女なら数多のこたへ竜の玉        村山恭子    ゆうるりと逝かず急ぎし紀元節       大井恒行    ラメ入りのめるくまーるがよく似合ふ    佐藤りえ  その他の同人作品からいくつか・・・    赤子ギ...

真野少「デモに行く者らはいずれ穏健な思想もつゆえわれは与せず」(『山葵の花』)・・

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 真野少第二歌集『山葵の花』(不識書院)、扉には、以下の献辞がある。    ヒヤシンスしあわせがどうしても要る     福田若之  著者「あとがき」には、   『unknown』を出して六年経ったころ、福岡からTが来た。蕎麦を啜りながら少し呑んだが、帰るそぶりがないので、家に誘った。何を話したわけでもない、その虚を埋めようとして、帰りしなに『unknown』を渡した。二週間ほどして、Tから礼状が届いた。その手紙はどこかへやってしまったが。が、『 unknown 』から何首か引き、どの一首にも真野さんの顔が見える、そんなことが書かれていた。ぼくは〈ぼく〉の自己同一性を憎む。木村敏を借りれば、この「あとがき」を書はじ めた少し前の〈ぼく〉、Tと喋った記憶のなかの〈ぼく〉、無数の〈ぼく〉をこのぼくだと思う自己回帰にはいかなる根拠もない。一首の背後で分裂する〈ぼく〉を一人の〈ぼく〉だと保証しているのは、歌集を編んだぼくなのだ。 (中略) 『山葵の花』を編集しながら、しきりとそのことが頭をよぎった。歌集に現れる〈ぼく〉は一人ではない。 (中略) 一首の背後には、異なる顔をした〈ぼく〉がいる。だが、ぼくはそこに〈ぼく〉の自己同一性を措くことなしには歌集を編むことができない。それでいい、たった一人、この歌集を読んだ一人が元気になってくれれば、——。(中略)  この歌集には、ニ〇一一年から二五年までの作を収めた。この間、仕事を変え、東京から京都に居を移した。それに伴う作は時をおかずに三冊目を歌集にまとめたいと思っているが、どんな歌が並ぶかはもう見えてしまっている。どうしても、四冊めか五冊めを出さなければならない、と今はそんな気分でいる。  とあった。集名に因む歌は、   ひと束の山葵の花をみちのくの今朝の市場に買う手のあらむ    少  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの歌を挙げておこう。   掛けはずしては掛けはずす眼鏡 (がんきょう) を蛇口に灌ぎまた掛けはずす   打ち返し打ち返さるるメールかな 打ち勝てるらし夜半を過ぎて  stuckという語を今日は三度聞く〈はまりこむ〉ああ〈動けなくなる〉  当麻寺にルビを振りしがそのルビを消せる痕ありふたたび振らず  「解体 日当一万」の貼紙の前に老いびとながく佇む  ワンカップ大関は空(から) たばこ...

田村道子「風の実が落ちて梅雨入りとなりにけり」(『狼が啼いた夜(よ)』)・・

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  田村道子第一句集『狼が啼いた夜(よ)』(砂子屋書房)、序文は宮坂静生、その中に、   田村道子のデビューは衝撃的だった。大らかな土の匂いが立つ言葉で読み手の言葉の貯蔵庫を叩いたばかりではない。読み手は心が揺すられた。「岳」入会は二〇一五(平成二十七)年、四か月後には巻頭。 (中略)    ことば探しは「餓鬼を見せたり、菩薩を見せたり」「修羅」の場に身を曝すことだという。作者が「岳」ケルン賞を受賞した折の言葉をここに記して置きたい。   春の蜘蛛なり全身の好奇心   壺焼食む人間力のまだ足りぬ   きつねだな彼の世へつなぐ海のうへ  「全身の好奇心」とは作者自身の言やよし。その意欲を讃えたい。しかし、好奇心旺盛という一途な探求心だけでは言葉の魔界の鬼神を動かすことはできない。栄螺の壺焼を食べながら、「人間力」と呟く。辛抱である。忍耐である。長い修練の果てに偶然の僥倖を招く言葉の力が人間力ではないか。「きつねだな」(蜃気楼)をも動かし生者と使者とを繋ぐ靱帯も「人間力の賜物であろう。作者にはそれが期待できる底力がある。  とある。また、著者「あと書きに、代えて(男鹿からの帰り)」には、   ニ〇ニ四年六月、男鹿半島。菅江真澄遊覧記「男鹿五風」の一端を歩く。旅も終盤になって、この半島にも多くの歌碑が残されていることに気付き驚く。山道を、ひょいと入ったような目立たない場所が多い。おそらく真澄はここでも、人々からあたたかく迎え入れられていたのだろう。男鹿の地震(一八一一年)もあり、緊迫した描写もあるにもかかわらず、である。青森の深浦や秋田の柳田など先々で、出立を引き止められる。旅の安全を祈り手を振ちつづけてくれる人々もいて、真澄はそっと涙ぐんでいる。 (中略) 晩年は秋田ですごした。享年七十六歳。訪ねた先々に歌碑が残されているところに注目したい。 (中略)   昨秋、思いがけない病がみつかり、目下療養中の身となりましたが、俳句は生きるための大切な軸のひとつです。俳句を通して知り合えた多くの句友の皆さまには感謝を。すっかり馴染んでしまった貌の皺を伸ばすような時間が過ぎていますが、きらきらとことばが降りてきてくれるのを待つ幸福な時間でもあります。澄むことよりも大いに濁って太ぶととした句を詠みたい。  とあった。集名に因む句は、巻尾の、    狼が啼く夜星ふるべゆらゆらと...

堀江ひで子「青嵐水の地球は光りをり」(第197回「吾亦紅俳句会」)・・

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  5月22日(金)は、第197回「吾亦紅俳句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「風薫る」。以下に一人一句を挙げておこう。    バードウォッチング集合時間や風薫る     折原ミチ子    大楠の樹齢千年夏落葉            堀江ひで子    へパーデン結節痛む梅雨じめり         渡邉弘子    「明るいほうへ」みすずの祈り風薫る      齋木和俊    古本のマージナリアや初夏の風         村上さら     いいじゃない好きな色でさカーネーション    関根幸子    小満やゲームを止めて野に出よう        田村明通    水田に逆さ蔵王や田植どき           高橋 昭    緑陰や夢を綴りし作文題            松谷栄喜    雲の峰掘削現場のゴジラかな          須崎武尚       赤が好き君が好きだよ薔薇香る        吉村自然坊    今生の命の水脈や五月雨            武田道代    風薫る休業無期の風呂屋かな          奥村和子      雨滴滴 (あめてきてき) 見せ消ちにして雪の下  大井恒行  次回は、6月26日(金)、兼題は「夏至」。 ☆たかまつり/第44回高松学習館文化祭 令和8年5月29日(金)~31日(日)午前10時~午後4時半。 ・主催:高松学習館・高松学習館運営協議会(立川市) ★閑話休題・・宮澤順子「ふきのとう産んだ記憶に痛みなし」(現代俳句協会主催/図書館俳句ポスト2月選句結果・さいたま市立図書館 特選)・・ 選者は、岡田由季・佐川盟子・大石雄鬼。以下の入選・佳作も挙げておこう。      今はもう他人の庭の蕗の薹      妙 華(入間市立図書館西武分館)    頭から歩き出す児や蕗の薹      十河正雄(江戸川区立中央図書館)    蕗の薹歩けば増える独り言    シマトネリ子(立川市錦図書館)    野仏のかすかな欠伸蕗の薹      井澤勝代(  〃   )    春の月鬼の逃げ足早かりし     坂内タミ子(立川市西砂図書館)              撮影・鈴木純一「天の原ふりむかないで夏の月」↑ 5 月 18 日     伊藤ユミ(ザ・ピーナッツの妹の方) 伊藤 月子 没( 1941 ~ 2016 )

濱筆治「植物園へうへうと行く五月雨を」(第53回「きすげ句会」)・・

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 5月21日(木)は、年に一度、恒例となった、第53回「きすげ句会」の深大寺・神代植物公園の吟行会だった。雨中の吟行となったが、夕刻には雨も止んで、昨日までの暑さがなく、新緑も美しい、過ごしやすい日中となった。   まず、午前11時に深大寺そば「きよし」で待ち合わせ、昼餉。その後、午後2時出句 までに神代植物公園のバラ祭を含め散策。植物会館集会室で句会をおこなった。  以下に一人一句を挙げておこう。    小流れや画美鳥ヒソと水浴びす        山川桂子    さきがけて重き雨かなあやめ枯る       寺地千穂    雨土へ薔薇のひとひら還りけり        新宅秀則    深大寺バラ天国に雨香る          久保田和代    薔薇ひらく雨に猫らの碑を眺む        高野芳一    紅ばらや鐘も響きて池に波          濱 筆治    深大寺釈迦如来像無患子に          井上芳子   今日の風今日の花愛づ深大寺         清水正之    バラ散るや滴り共に香り消え         杦森松一   神代の花衰 (かすい) の薔薇や乱れ咲く    大井恒行 次回は、6月18日(木)、兼題は「花菖蒲」。    撮影・芽夢野うのき「カリヨンのふくらみほどをこころにも」↑

高橋睦郎「誕生木(たんじやうぼく)といふありにけり十二月十五日生れわが木無花果樹(いちじく)」(『夜明といふ駅』)・・

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 高橋睦郎『夜明といふ駅/短歌日記2025』(ふらんす堂)、その「あとがき」に、   ニ〇ニ四年の秋も終わり頃だったろうか、ふらんす堂短歌日記を僕にやらせてくださいませんか、と申し出た。 (中略)   もともと申し出た理由は、こんな荒行ができるのも体力が許すうちだと思っていたからだ。 (中略)   申し出た理由はもう一つあった。 短歌の世界でこのところ流行らなくなった叙景を歌日記の進行の中で、どれだけ出来るか試みたい、と思ったのだ。いまなぜ叙景歌かという根には、昨今の短歌の際限もない口語化、ライトヴァース化がある。このままではいつか短歌は短歌でなくなる。危惧する中で浮かびあがったのが、若い日に読んだ釈迢空折口信夫の叙景鎮魂説の記憶だった。 (中略)  現代の私たちは仮に定住しているにしても、旅人の落ちつかない状態にある。その落ちつかない状態が歌の際限もない口語化、ライトヴァース化を産んでいる。とすれば、叙景歌を試みることは短歌の解体、溶解の歯止めになるのではないか。そのことの実験の機会になればと思ったのだが、実作してみると十首に一首もできない。つくづく叙景のむつかしい時代にあるのだ、と実感させられた次第だ。 (中略)  そのぎりぎりの結節点が十二月三十一日の止めの一首。そこにいう「この生の晩 に」私がいることは確かだが、その晩は後十年つづくか、その余もつづくかわからない。つづく限り歌を求め叙景を究めていきたいという思いから、題名を「夜明といふ駅」とした。歌を求めつづける私にとって、晩年の現在も夜明という通過駅なのだ。  とあった。ブログタイトルにした歌の部分を以下に挙げておこう(十二月十五日は愚生の誕生日でもある。これも何かの縁と思いたい)。 十二月十五日(月) 誕生木 (たんじやうぼく) といふありにけり十二月十五日生れわが木無花果樹 (いちじく) 誕生木というのがあると聞き調べた結果、十二月十五日のそれはイチジクだとわかった。もともと、その果実も樹形も好みのうちだ。二十一歳で当時まだ不治の病いといわれた肺結核に罹った私も、ついに八十八歳。  そして、 五月二十二日(木) わが友は義を挙げわれは美を選む義と美互みに部首は羊を 思想家としての新保祐司の立場は義だが、詩に関わる私の立場は当然のことに美。美と義と、どちらの字も部首は羊。 十月二十二日(水)  逃れむ!彼...

三宅やよい「盆栽の林へ人の影落ちる」(「NEKOMACHI・猫町」No,13)・・

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 「NEKOMACHI/猫町」No.13(発行人 三宅やよい/編集人 赤石忍)、表紙裏に、献辞がある。  何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。  一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。  だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。                 中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」より  以下に一人一句うぃお挙げておきたい。   君の母性金木犀の揮発性           杉山魯壜   なんとなく昵懇であるハルジオン       坪内稔典   去年今年棒は伸びたり縮んだり        赤石 忍   ねこねここねここのこははるのこねこ     今泉秀隆   雪女郎今日も命をいただきます        近江文代   いわばまぁ薬物依存症去年今年         沈 脱   言い回し大凡庸な雪女           ねじめ正一   旅客機のひっきりなしに梅雨曇        藤田 俊   神の座に鎮座まします春キャベツ    おおさわほてる   かばんより花野ひろげるセールスマン    三宅やよい      ものの芽の変装仮装なににする        諸星千綾   名古屋ウィメンズマラソンひねもすからり小便器                         山﨑 垂   うりずんのチンアナゴとかちんすこう   芳野ヒロユキ   春一番バンバンバババンババババン      きゅうこ   葉緑素に先立たれての紅葉晴         静 誠司 ★閑話休題・・有賀眞澄「夜は反復朝はあまがみする反射」(「池袋モンパルナス回遊美術館・江戸川乱歩オマージュ絵画展/幻影城Ⅱ」~5月20日まで/於:東武百貨店池袋店6F)・・                    有賀眞澄↑   出品は、 赤錦 「幻燈の淡夢」 ・有賀眞澄 「くぇ態」 ・榎俊幸 「Leopard」 ・北見隆 「真夜中の学園」 ・恋月姫 「夢の渚」 ・清水真理 「レビュウ・ガアル」 ・須川まきこ 「黄金仮面」 ・髙田美苗 「人魚洗礼」 ・建石修志 「日誌ー春の泉」 ・田口淳子 「恋する捕食者」 ・土屋恭子 「かけらのかたちー蟲」 ・鳥飼規世 「ニャンプテイ氏殺人未遂事件」 ・永野一...

橋本多佳子「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」(「麟」第84号より)・・

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  「麟」第84号(麟俳句会)、「【女性俳句研究Ⅱ】橋本多佳子研究(第三十六回)」山下知津子「わが命終に」(十九——最終回)の中に、  (前略) 雪はげし書き遺すこと何ぞ多き  多佳子没後二年を経て刊行された『命終』には、己の人生を省み、また他者の生を洞察する奥深く透徹した世界が展開される。それは多佳子の屹立した精神の凛然たる高さ勁さと、経てきた体験を糧にした人間や命、社会への冷厳な見識によって支えられている。若き日に多佳子は樺太や上海などを旅して見聞を広め、夫亡き後四人の娘を育て上げた。その間「新しい女」尾竹紅吉を識り、秋元松代と深い交友関係を結んだ。 (中略)   駒木根淳子は「俳誌『女性俳句』研究(四)」(「麟」77号)で、多佳子が「女性俳句」創刊に積極的に関わりながら、第二号からは不参加となった事実を明らかにしている。現在のジェンダー問題につながるような、女性へのなんらかの抑えつけを、多佳子は明確に意識せざるをえなかったのではないか。多佳子は従来言われてきた『紅絲』にみられる女の激しい情念の作家ちおしてよりも、女性性を突き詰めた先の、男女を超えて『命終』で展開される命や社会への慧眼と情想を具えた俳句作家として評価されるべきではないだろうか。  遺句となった〈雪はげし〉の句における〈書き遺すこと〉の包含する、無念さも含めた多様さ奥深さに、私たちは今あらためて思いを致したい。  とあった。他の連載に、高村幸治「一期一会 本づくりの中の出会い(35)/ドラマで描かれなかった小泉八雲」、中嶋鬼谷「楸邨俳句探訪(4)/楸邨と蟻」、野口明子「おいしいスケッチ80/鯰」、小村隆「西班牙雑観66/ガウディの遺産」、飯野きよ子「俳句貯金箱/野沢節子と火」、駒木根淳子「資料編 季刊『女性俳句』研究(十)」、野口あき子「俳人染谷佳之子をたどる旅④/三月」など。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    落椿天仰ぎつつ錆びゆけり        山下知津子    三月や蟬のから衣あづかる樹       飯野きよ子    虹色に地渋のひかり冬田面        駒木根淳子    初花や薄墨色の蘂の影           野口明子    いくつもの迷信を呑み大鯰        渡辺誠一郎    東京大空襲の日も沈丁花         染谷佳之子  ★閑話休題・・か...

林ひとみ「まくなぎと時間つぶしてゐたりけり」(第79回「ことごと句会」)・・

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 5月16日(土)は第79回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「足」。以下に一人一句を挙げておこう。    餓死未だ死語に非ずや春惜しむ       石原友夫    葉桜すでに足音になっている       杉本青三郎    籐椅子に祖父の凹み父の凹み        村上直樹     青時雨きょうのでじたるでどっくす     渡邉樹音   ⑤のボタンジャスミン香る赤い爪      杦森松一    海老の透く生春巻きの薄暑かな      春風亭昇吉    知りすぎてしまつた噴水の悲鳴       林ひとみ    陽炎のシンコペーションなる踊り      江良純雄    葱坊主揺れて見送る霊柩車         武藤 幹    すれきれし春光に晒す俺の足        照井三余   汝来るも汝去る時も絹ごころ        渡辺信子      卯月とは数多草木のいのちなり       金田一剛    継ぎ足しのたれは腐らず麦の秋       宮澤順子    象が飛び込む古池水音だれも聞いていまい  大井恒行  ★閑話休題・・各務麗至「此の世なぜ此処に私は日向ぼこ」(「詭激時代つうしん」24より)・・   「詭激時代つうしん」24(詭激時代社)、中に、句篇と合わせて「秋桜」という掌編が収められている。そして各務麗至「覚書にかえて……」には、 (前略) 扨——「秋桜」は、平成二十六年の作品で、息子の同級生が亡くなって、見返しに、  和宏くんへ  ありがとう 天国から愛をこめて  無論自筆署名入りで、双子のもう一人の「岳志くんへ」もその遺作集が届いて、  母が亡くなったり、知己麻生知子もすでに亡くなっていて、突然そんな衝撃的な言葉を見せられて、何が何でもその子らしい女の子が書きたくなったのだった。  白血病で、嘘のように早く逝ってしまったのだけは聞かされて知っていた。闘病生活の日常は妻佐代子を見ていたし、白血病との少しの知識は安土忠久(吹き硝子工芸作家 麻生知子の夫)さんからの無菌室から電話があったり、 (中略) 当時——「年老いた母親の話かと思ったら…‥、読後何か違和感がないではなかった:と、近隣のからそんな葉書が届いた。   そうもあるが、それでもその後、純文学誌『季刊文科』に掲載されて……、今回、老母の部分を妻佐代子にして新しく書き直し...