高橋睦郎「誕生木(たんじやうぼく)といふありにけり十二月十五日生れわが木無花果樹(いちじく)」(『夜明といふ駅』)・・


 高橋睦郎『夜明といふ駅/短歌日記2025』(ふらんす堂)、その「あとがき」に、


 ニ〇ニ四年の秋も終わり頃だったろうか、ふらんす堂短歌日記を僕にやらせてくださいませんか、と申し出た。(中略)

 もともと申し出た理由は、こんな荒行ができるのも体力が許すうちだと思っていたからだ。(中略)

 申し出た理由はもう一つあった。 短歌の世界でこのところ流行らなくなった叙景を歌日記の進行の中で、どれだけ出来るか試みたい、と思ったのだ。いまなぜ叙景歌かという根には、昨今の短歌の際限もない口語化、ライトヴァース化がある。このままではいつか短歌は短歌でなくなる。危惧する中で浮かびあがったのが、若い日に読んだ釈迢空折口信夫の叙景鎮魂説の記憶だった。(中略)

 現代の私たちは仮に定住しているにしても、旅人の落ちつかない状態にある。その落ちつかない状態が歌の際限もない口語化、ライトヴァース化を産んでいる。とすれば、叙景歌を試みることは短歌の解体、溶解の歯止めになるのではないか。そのことの実験の機会になればと思ったのだが、実作してみると十首に一首もできない。つくづく叙景のむつかしい時代にあるのだ、と実感させられた次第だ。(中略)

 そのぎりぎりの結節点が十二月三十一日の止めの一首。そこにいう「この生の晩に」私がいることは確かだが、その晩は後十年つづくか、その余もつづくかわからない。つづく限り歌を求め叙景を究めていきたいという思いから、題名を「夜明といふ駅」とした。歌を求めつづける私にとって、晩年の現在も夜明という通過駅なのだ。


 とあった。ブログタイトルにした歌の部分を以下に挙げておこう(十二月十五日は愚生の誕生日でもある。これも何かの縁と思いたい)。


十二月十五日(月)

誕生木(たんじやうぼく)といふありにけり十二月十五日生れわが木無花果樹(いちじく)


誕生木というのがあると聞き調べた結果、十二月十五日のそれはイチジクだとわかった。もともと、その果実も樹形も好みのうちだ。二十一歳で当時まだ不治の病いといわれた肺結核に罹った私も、ついに八十八歳。


 そして、


五月二十二日(木)

わが友は義を挙げわれは美を選む義と美互みに部首は羊を


思想家としての新保祐司の立場は義だが、詩に関わる私の立場は当然のことに美。美と義と、どちらの字も部首は羊。


十月二十二日(水) 

逃れむ!彼処(かしこ)に逃れむ!歌も無く言葉も在らぬ彼方虚青(むなあを)


マラルメの素白(ブラン)の彼方にあるのは無の深青(ブリュ)か。


 以下には、歌のみになるがいくつかの歌を挙げておこう。


 よき衣(きぬ)を着なし庶民を見下(くだ)して書かず戦後を長く生きたり

 文字が関なれば前なる狭(せ)き海も硯(すずり)の海と呼び親しみき

 「義無き美は浅し」君言ふ答ふるに「美を欠ける義は怖ろし」とわれ

 鬱の月五月過ぎゆき美しき六月に入る雨の六月

 代代(よよ)の父母(ぶも)ひとりひとりに一生(ひとよ)あり一生さびしくむなしかりけむ

 日和見とはよくぞ言ひたるさみだれのこの国ぬちの保守も進取も

 敗戦の感慨や何(な)ぞ際限もなき飢ゑ際限もなき大自由

 闇も無く無も無くなりしそののちを――そののちといふ時も無からむ

 心の乳(ち)・言(こと)のちちふさわが吻(くち)に含ませましし恩(めぐ)み深しも

 三島その一生(ひとよ)思へば滅びへとひた馳(は)せ急ぐ生(よ)なりしあはれ

 一丁目ならば地獄よその先の二丁目ならばけだし煉獄

 九大線(きうだいせん)夜明といへる駅灯るわが生(よ)の晩(くれ)に思ふしばしば 


 高橋睦郎(たかはし・むつお) 1937(昭和)12年、北九州八幡生まれ。



     撮影・中西ひろ美「闇を作りぼたんの蕊を包みこむ」↑

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