今宿節也「お化け煙突二本の場所まで春の土手」(『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』)・・


  今宿節也句集『宝瓶宮(ほうへいきゅう)』(コールサック社)、解説は鈴木光影「星と芸術を愛する音楽家俳人が奏でる豊穣の天体図—-今宿節也句集『宝瓶宮』に寄せて」。それには、


 本書を繙くと、今宿節也氏を取り囲む豊かな星々がひしめく夜空を眺める思いがする。それは文字通りの天体の星だけでなく、多分の野芸術やそれを生み出す芸術家たち、言葉、文化、自然が奏で織りなす豊穣の天体図である。(中略)

  宝瓶(ほうへい)の水美酒(みずみき)ならむ魚ぞ酔ふ

 最後に、節也氏と私は祖父と孫ほどの歳の差があるにもかかわらず、このたび解説を務める機会をいただいたことに深く感謝申し上げたい。俳縁に加えて、生まれ月が同じ水瓶座という星縁のなせる業かもしれない。水瓶座の天文学上の名称・「宝瓶宮(ほうへいきゅう)」に込められた水の流れは、多彩な音色を奏でて、星と芸術を愛し平和を希求する多くの読者の元へと届いてゆくことだろう。


とあり、著者「あとがき」には、


 子供の頃から絵ばかり描いていたが、小学生時代中村立行先生に師事、氏は後に写真家として名を成した方である。なんでもいいから自由に描けと言われ、自由の難しさを知った。兄から小学四年の頃メロディを記譜する方法を伝授された。興味は音楽へと変わってゆく。一九三年にプラネタリウムで覚えた星がスバルで、野尻抱影先生の名解説を聴き、以来文通を始めた。ニ吋(インチ)半の望遠鏡を自作し、星団や星雲などを渉猟しその美しさに驚嘆。戦時中は宮沢賢治の思想に感銘し、敗戦で作曲への道に進むことを誓った。その翌年に抱影先生は山口誓子との共著『星戀』が話題となる。誓子の星の句は新鮮で、抱影の随筆も亦さすが天文学(てんぶんがく)と自称するだけあって絶品だった。

 その後私は池内友次郎(高浜虚子の次男)門下の貴島清彦先生に作曲を師事する。氏も亦賢治を敬愛し、私の周辺に賢治、音楽、俳句に相関する人が増えていった。(中略) 

 私の俳句は二〇二一年の春から始めたばかりだが、俳句の本は戦時から親しんでいたし、兄は中学時代に俳句をはじめて、後年岸田稚魚の流派に所属していた。私も川端茅舎や種田山頭火の句に作曲し、俳句には何かと縁があった。現在は俳人・俳論家の武良竜彦氏に学ぶことが多い。


 とあった。集名に因む句は、


  宝瓶宮(ほうへいきう)(かそ)けきひかり息づけり   節也


 であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  江戸弁の「かつう」も遠くなりにけり

    妻の幻視も楽しげに

  窓の魚今朝も来てると春うらら

    作曲家の兄みまかりぬ

  看取る人みな浄めけり四月尽

  出るか出ぬかで鴨となり鴫(しぎ)となり

  今生のすばる鮮やか九十路(ここのそじ)

    表現の不自由に

  坐ること拒否する椅子や去年(こぞ)今年

  兄弟の歳の和百九十御慶(ぎょけい)なり

  早乙女のうたふ回文「田植唄」

  うしろしか見せぬ小町の秋思かな

  鰯雲明日は行くとも行かぬとも

    敗戦の冬に平泉を訪ふ

  いくさ敗れ高館(たかだち)も荒れ枯尾花

  ハナハトもサイタサイタも遠霞

  夜桜のあと人魂とすれ違ふ

    沖縄慰霊の日

  骨混じる土で築けし基地の夏

  ハシビロコウ嚏(くさめ)の時は如何にせむ

  チェロの音(ね)の五体に沁みて冬銀河

    原発に普賢、文殊などと名づくべからず

  大それた菩薩名付けし秋かなし 

    戦時下肺の病に罹る

  非国民と呼ばれ黙せる寒き夜

    星の師・野尻抱影先生

  サラサーテの盤愛ほしき冥王忌


 今宿節也(いまじゅく・せつや) 1928年、東京生まれ。



       撮影・鈴木純一「細雪つぎの阪急に乗っていこ」↑

             2001317日新珠三千代没(1930)

コメント

このブログの人気の投稿

高篤三「Voa Voaと冬暖のメトロ出る河童」(『新興俳人 高篤三資料集』より)・・ 

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

渡辺信子「ランウェイのごとく歩けば春の土手」(第47回・切手×郵便切手「ことごと句会」)・・