各務麗至「ナウマンゾウ化石に被爆煉瓦かな」(「詭激時代つうしん」21 より)・・


 「詭激時代つうしん」21(詭激時代社)、各務麗至「観音寺にて」に、


 銀箔の上に表装された墨蹟句を眺めていて、思い出してしまった。

 純銀だからか、薄汚く少し黒ずんできて、別額装に仕立て直そうかと書を嗜む知人に相談したところ、それが純銀箔の味のあるところと笑われた。

 扨、かの日の「敷島館」宿泊について、少し識しておきたいことがあった。

 敷島館には、頼山陽の逗留を記した石碑が、玄関を上がった広い空間のその正面向こうの吹き抜けの内庭に見えて、三百年は垂んとする大時代的建物の雅趣な外観も、金毘羅の古き懐かしき時代そのままの風情があった。

 三橋先生は、宿泊を――観音寺で、と、おっしゃったけれど、

 「一夜庵」もそうだったように是非とも宿泊していただきたきたかったところで、先生にも敷島館にも、前もっての興昌寺と同じ身の程知らずが奔走して……、であった。(中略)

 紅白の梅侍へり一夜庵

 松風は海からのかぜ干鰈

  平成八年三月三日

  於 興昌寺   三橋敏雄

山門の両脇に紅白の梅が咲いていた。その興昌寺だが、俳諧の祖といわれる山崎宗鑑が、晩年の永逝まで長く身を寄せた寺だった。(中略)

 ——良い具合に鄙びた、いかにも山寺の風情だなぁ、と興昌寺の梅の山門に立ち、石段を登って境内を訪れた。参詣は、先生と孝子夫人に、池田澄子龍雄夫妻、遠山陽子氏に、愚息であった。(中略)

 住職夫妻が仏間に案内してくれたのだった。宗鑑像はよく見えなかったが、歓迎してくれていたのか庫裏の闇の中で目が光っていた。誰もが顔を近づけて拝んだ後、茶菓がもてなされ、

「先生:今日を記念の句を残してください」

 硯と短冊と、試し書きようの半紙が用意された……かくして、

 銀箔の上に表装された墨蹟句を眺めていて、思い出した。思えばその五年後に長逝して早くも十七回忌がくる。


 とあった。 ともあれ、本冊子より、いくつかの句を挙げておこう。


    *やさしさに泣けて泣けて

  寒椿たましひ青く青く消ゆ           麗至

  つひに一人かの世に落ちてふぶくかな

    *戦後八十年展

  被爆煉瓦寄せ書き日の丸遺書の夏

    *三橋敏雄に「海山に線香そびえ夏の盛り」 

  綺麗な字で「では征きます」夏特攻

  此の上ない死處に恵まれ感謝で征きます

  「神州男兒ニ死無ク生無シ」夏や遺書

  

        撮影・中西ひろ美「星に似た花と祈りに似た願い」↑

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