キム・チャンヒ「風船を持つと自由でなくなるよ」(『子規新報』第2巻第105号より)・・


 「子規新報」第2巻 第105号(子規新報編集部)、特集は、「キム・チャンヒの俳句」。その中の寺村通信・小西昭夫の「キム・チャンヒとは」の中に、


小西 そうですね。学校回りなどで、キムさんと一緒に俳句ライブをやっていた夏井いつきさんは、文語表現、歴史的仮名遣いで俳句を作られていますので、「口語、現代仮名遣いのみ」と決められたのは、キムさんの強い意志を感じます。(中略)

 というより、「100年俳句計画」の多様な紙面づくりを拝見しますと、俳句をもっと自由なものと考えられていたのかなとも思います。口語、現代語表記の選択は、文語、歴史的仮名遣い優先の俳句世界へのアンチテーゼだったのかとも思います。

 加えて、現代の言葉で書かなければ、現代という時代の手触りを感じられないと考えたのかもしれません。

 ブーツだらりと元恋人のおいたまま

 愛の日のリボンみたいな嘘をつく

 真っ先に伝えたことは金魚の死   (中略)

 キムさんの句は世界との齟齬を明らかにします。大袈裟に言えば、キムさんが俳句に求めているのはこの世界の真実なのです。それを分かりやすく言えば、「詩」と呼んでいいでしょう。キムさんが求めている俳句は山本健吉の定義に「詩」を加えなければいけません。(中略)

 それにしても、口語で現代仮名遣いで俳句を作るのは困難な道です。多くの人が文語、旧仮名遣いで俳句を作るのはそのためです。キムさんの素晴らしい所は、いつも「俳句とは何か」を問い続けているところです。その答えが口語の現代仮名遣いの俳句というところに期待したいのです。


 とあった。ともあれ、以下に本号より、いくつかの句を挙げておきたい。


  風船のアーチを潜り戦場へ        キム・チャンヒ

  街中の紙切れが蝶になる兆し         

  花は水を欲しがる春の闇           〃

  学校も夏も逃げたらすぐ終わる        〃

  お喋りな人形だ壊れても喋る         


  磯巾着ひらく弱みをみせながら        川島由紀子

  街の灯のゆらいで初雪と気づく         鈴木総史

  土筆摘む音やしばらく耳澄んで         石田郷子

  立春大吉これくらいならまあまあと       堀本 吟

  蝉の声きみ沁み給ふことなかれ         佐山哲郎

  しゅるると新春響く耳の奥               衛藤夏子

  絵日記をはみ出している雪だるま        小西昭夫

  三寒四温叩いて伸ばすピザの生地        杉山久子

  白菜を裂く音女体に染みてゆく         東 英幸

  柊の匂うがごとく言おうかな         武馬久仁裕

  杳として行方知れずや宝船           星野早苗

  もっともっと美しくなれる冬の水       松永みよこ


★閑話休題・・羽村美和子「言語野に忘れた翼つばめ来る」(第167回「豈」東京句会)・・


         現代俳句協会総会懇親会で挨拶する池田澄子↑


 昨日、3月22日(土)は、第167回「豈」東京句会(於:ありすいきいきプラザ)だった。現代俳句協会の総会と重なり、参加者は少なかったが、愚生は、句会の後、上野東天紅で行われる総会後の懇親会には出席した。ここでは、グログに句は勘弁してほしいという仲村初穂の句を除いて一人一句を挙げておきたい。また、現俳懇親会での池田澄子の乾杯の挨拶の写真を挙げておこう。


  芽どきの伐採やすらぎか思想死か      川名つぎお

  歌仙の付句シナプスのようひなあられ     早瀬恵子

  センターは歯科院の子花ミモザ       伊藤左知子

  シーラカンス春の化石という自由      羽村美和子

  星釦とんで飛んでおおいぬふぐり       大井恒行



       撮影・中西ひろ美「早咲きの桜のなかに見失う」↑

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