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三橋敏雄「たましひのまはりの山の蒼さかな」(『ピュシスへ』より)・・

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  有住洋子著『ピュシスへー俳句をめぐる五つの断章』(本阿弥書店)、帯の背には「 俳句の本質へ 」とあり、表の帯文には、   時空を十七文字で表現できる俳句。  この不思議な詩型に宿るアウラを求めて―ー。  五つの断章が語る俳句への施策の旅。  とあった。「ピュシス」の章には、  ロゴスとピュシスについては、音楽家の坂本龍一の言葉がわかり易い。「簡単に言うなら、ロゴスとは人間の考え方、言葉、論理」「ピュシスとは我々の存在を含めた自然そのもの」。 (中略)   人間が物理、生物、音楽、あるいは文学も美術もそうだが、思考を進め、それを深めるほど、ある一つのことが見えてくる。人間が考えること=ロゴスと、自然=ピュシスは、一致することがない。ピュシスを言葉に置き換えようとした途端に、ピュシスはロゴスとなる。  とあり、「浜辺の石」の章には、 (前略)  短夜を書きつづけ今どこにいる    鈴木六林男  六林男は一方の端を探し続けている。それは、短夜に象徴される光度や熱量を含んだ闇、この時期の長さを増す昼に比べて、その分短くなる夜との落差、その時間と空間。「夏は、夜。月のころは、さらなり。闇もなほ。 (中略) 雨など降るも、をかし」(『枕草子』)。そういう時空である。もう一方の端は六林男であある。「六林男にとって、俳句は〈書く〉もの」という記述が高橋修宏の『鈴木六林男の百句』にあるので、この「書く」は俳句のことだろうか。俳句を書きながら、意識は漂泊をしている。  とあった。著者「おわりに」には、  これは私の個人誌「白い部屋」に、二〇二一年一月号から二〇二五年五月号まで書き継いできた「浮寝鳥夜ごと時計の螺子を巻く」を加筆修正し、一冊にまとめたものである。  私は何に対しても、幅のあるゆるやかさ、それぞれのあいだのふくよかさ、やわらかさ、逸脱したときに見える深さに興味があるが、それは俳句についても同じである。この本では五年余りのあいだ、俳句の本質に向いたいと願いながら彷徨い、そのあいだに感じ、考え、出会った、さまざまな経験を記した。   ともあった。ともあれ、本書に抽かれたいくつかの句を以下に挙げておこう。    女身仏に春剥落のつづきをり       細見綾子    階段が無くて海鼠の日暮かな       橋 閒石    初夢のなかをどんなに走つたやら     飯島晴子   ...

加藤郁乎「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」(「俳句界」10月号より)・・

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   「俳句界」10月号(文學の森)、特集は「これからの俳句に新味を求めることは可能か?」。執筆陣は、井上泰至「巻頭論/これまでの俳句の『新味』」、大井恒行「これからの俳句に新味を求めることは可能か?」、山田耕司「宿命としての『新味』」、マブソン青眼「『新韻律』について」、佐藤文香「わたしが一番あたらしかったとき」、抜井諒一「新味と妙味」、赤野四羽「“new“     で“fresh“な俳句の未来」、小川楓子「若手俳人は今」、浅川芳直「文台引き卸せば即ち反故」である。以下、第二特集は「家族を詠む」、座談会「若手句集を読む⑤」等々。ここでは山田耕司の言を少し抽いておく。    夏の海水兵ひとり紛失す      渡邊白泉   何が、「水兵」を「紛失」したのか。どうして、「水兵」を「紛失」をしたのか。「兵」という 言葉が呼び水となって、「戦争」という大きなピースが招き入れられる。 (中略)  一句の表現が、読者の想像力を引き出す。「戦争」と書かないからこそ、読者がそこにピースをはめ込む。想像力が引出されてこそ、読者は「戦争」を読むだけでなく、「俳句」を読むことになる。読者の想像力が一句を仕上げる。その体験における新鮮味こそが、大切なのだ。 (中略)   俳句とは、読者という他者を自らの中に養う文芸である。内なる読者との葛藤によって自らの作品は磨かれることが宿命づけられている。その葛藤がもたらすものを「新味」と呼ぶならば、それは必要なものだ。一方で、時代の変化に応じた素材の「新味」に関しては、必要に応じてご随意に……、ということになるだろうか。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    栃木にいろいろ雨のたましいもいたり      阿部完市    姉にあねもね一行二句の毛はなりぬ       攝津幸彦    狐火の乗物めいてくることも          鴇田智哉    星がある 見てきた景色とは別に        佐藤文香    原発に土筆 あるんだ見に来なよ         飯本真矢    秋よ詩を読むこゑが思つたより若い       大塚 凱    再配達は1を、虹の追跡は2を        斎藤よひら    虫刺され汝のポーチの塗り薬          安部元気    天窓の月を愛でたる夜食かな        ...

小西昭夫「小鳥来る少し大きな鳥も来る」(現代俳句文庫Ⅱー3『小西昭夫句集』より)・・

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  現代俳句文庫Ⅱー3『小西昭夫句集』(ふらんす堂)、著者「あとがき」の中に、  (前略 )旧制松山高等学校の流れをくむ「愛媛大学俳句会」は自由だった。その俳句観は「十七文字前後の詩」というものだった。早い話がメンバーは無季俳句、自由律俳句、口語俳句、有季文語定型とおのおのが書きたい俳句を書いた。 (中略) 自分がどんな俳句を書くかは自由だが、自分がよしとす物差しでしか他人の俳句を読もうとしない俳人が多いことに閉口している。俳句はもっと豊かである。  とある。エッセイに講演の「寅さんの俳句」、解説に内田美紗「句集『ペリカンと駱駝』のやさしい頑固さ―ー私の小西昭夫」と小西雅子「ライバル登場」。その小西雅子には、  私たちは夫婦だ。  ⓵誰にでもわかる句、②エロティシズムなど非日常の句、③写生句(写生も虚構だと認識して)、④滑稽な句、と進んできた夫、大学時代からずっと自分の俳句を点検し、熟考し、意識し、今もって文学青年である。   仏壇は要らぬさくらんぼがあれば   雪だるま毛は付けられておらぬなり  これらの句にはかなわない。 (中略)   「愛妻家なれど冷奴を愛す」「立春の妻を見ておりうしろから」など妻の句は多数。妻に引け目でもあるのだろうか。どんな男か顔を見たいと思った。なるほど。会って話すと彼の句の抒情性に納得する。  ということで私たちは夫婦ではない。船団誌上ではいつも隣に俳句が載るので夫婦だと勘違いされる。苗字も生年も同じ。今夏の旅は、昭夫夫婦「ヤクシマ」、雅子夫婦「フクシマ」。似てる。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    山国の蛇を投げあふ遊びかな            昭夫    ふるさとの坂ペリカンと出会うなり   バラよりもつばくろよりも酔っており   マラソンの最後の坂は歩きけり   草の花大人も小さくなればいい   青田又青田雨雨雨青田   太初から浮いているのかあめんぼう   言うなれば筋金入りの猫じゃらし   上流の水も下流の水も澄む   定年のあとの勤労感謝の日   天の川水を零してくださいな   薪みな縦に割るなり横に積む   西鶴忌恋に死ぬとは贅沢な   被災地の踏ん張っている雪だるま   かく群れてかく静かなり赤とんぼ   蝶飛んで時間の歪みはじめたり   一列に行く軍隊もお...

山本敏倖「沸点の蔦紅葉から舌が出る」(第170回「豈東京句会」)・・

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   9月27日(土)は、二ヶ月に一度の開催、第170回「豈東京句会」(於:ありすいきいきプラザ)だった。以下に、一人一句を挙げtげおこう。    穴惑い己がまごつく一行詩          小湊こぎく    破れ傘第六感を研ぎに出す          羽村美和子    積み上げたものががらくた良夜なり      杉本青三郎    ぎんなんを馬具武具・バグブグ いそぐ影     凌    律 (りち) の調べ潮騒ひとつ絃を張る      早瀬恵子    おんぼろの船は満員流れ星           川崎果連    孤独の隣コツンと木の実落つ          山本敏倖    嬉しがる草の始めの薫りの童 (こ) たち     大井恒行  今年も早くも11月29日(土)は、恒例の「豈」忘年句会となる。場所は、初めてのところで、JR十条駅近くの「ミュージカンテ周(あまね)」で、2句持ち寄り句会+懇親会となる。追って詳細の通知を差し上げる。 ★閑話休題・・山内将史「人類絶えて音楽噴水鳴り止まず」(「山猫便り/2025年9月22日)・・  「山猫便り」は山内将史の個人葉書通信。それには、     蚯蚓鳴く地下にアリスは絶好調   松葉久美子『雨より遠い燕たち』  不思議な高揚感のある句集を一気に読んだ。気恥ずかしいけれど「生を燃焼させている」という意味で、冒険も失敗も日常も絶好調だ。    冥婚の雨はオルガン地方より    九堂夜想『アラベスク』  精子の通り雨を降らせ死後の妻を濡らしに来る。古い怪奇映画の伴奏音楽が聞こえる。オルガンには男根という意味もあるらしい。   とあった。     撮影・芽夢野うのき「藤の実の本気度たれてきて辛い」↑

佐藤幸子「球場を飛び越すボール獺祭忌」(第189回「吾亦紅句会」)・・

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  9月26日(金)は、第189回「吾亦紅句会」(於:立川女性総合センター アイム)だった。兼題は「夜長」。以下に一人一句を挙げておこう。    キッチンカーに手話のカップル天高し      折原ミチ子    ガザ廃墟六万五千の赤とんぼ           須崎武尚    稲穂波村に芝居の幟立つ             松谷栄喜    浮世絵や摺師技あり秋の夕            関根幸子   秋愁ひ霊気の山に預けたる            田村明通    葡萄蔓ラセンにからむ生きる意地         笠井節子    長き夜を満たして明けるおわら節         齋木和俊    「あと幾年 (いくつ) 」秋の夜長の独り言     吉村自然坊    色どりにパプリカの赤買い足して        堀江ひで子    夜が更けてひとり見る月母の顔         三枝美枝子    小説のしおりの続き読む夜長           奥村和子    北欧のミステリー読む夜長かな          渡邉弘子    ホームズの頭かかえる夜長かな          佐藤幸子    世阿弥本佐渡の山々長き夜            村上さら    子の手術待つ間の二時間長き夜          武田道代    彼岸花群れにはなれてひとつ咲く         西村文子    長き夜の聞き耳頭巾かもしれぬ          大井恒行         撮影・中西ひろ美「彼岸花その正しさに閉口す」↑

池田瑠那「爽秋や釿(ちょうな)目しるく心柱」(『心柱』)・・

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 池田瑠那第二句集『心柱』(文學の森)、著者「林中の塔―-あとがきにかえて」には、  (前略) 第一句集『金輪際』のあとがきに、伴侶を交通事故で喪ったこと、その後句会を行っている夢を見て「俳句は私に、生きよと言っている」と感じたことを書いた。翌年の山形への二度の旅は、図らずも「では、その俳句とはどういう文芸なのか」を問い直すものとなった。(中略)草木塔を前にして、しばし人間中心、人間本意の思想を脱し得た。五重塔の心柱を拝観し、常に何かに急き立てられるような時間観から解放された。おそらく、句を詠もう、素直な気持ちで対象に向き合おうとする姿勢が私にそれを可能にしたのだ―ー。 (中略)   これからも悲嘆に暮れる日、何かに躓き、思い悩む日もあるだろう。だが、林中に立つ草木塔の面影が、そして俳句が、きっと私に力を分け与えてくれる。  とあった。    同時刊行の評論集『境目に立つ、異界に坐す―ー犀星・楸邨・泰の世界―-』(文學の森)の方は、ここでは、紹介しきれないので、直接、手にとってご覧いただきたい。目次を以下に挙げておくと、「Ⅰ 犀星の章」「Ⅱ 楸邨の章」「Ⅲ 泰の章」「Ⅳ 秀句逍遥の章」となっている。令和3年に「虫愛ずるひと、犀星」で、第8回俳人協会新鋭評論賞正賞受賞、「闇を視る、端に居る―ー上野泰が詠む閾と縁側―ー」で第24回山本健吉評論賞を受賞している。  ともあれ、句集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    「行ってきます」君が遺愛のマフラ巻き      瑠那    蟬しぐれ真昼の月は髑髏めき   被爆図の緋よ漆黒よ秋の風   鳥ごゑのちゆるるちゆるると桜ちる   梅雨茸つつかば侏儒にされてしまふ   退学事由「感染不安」柿落葉   つちふるや茶筒に飼うて管狐    欅散る関東平野かつて海   うららかや辞書の小口のあかさたな   オルガンに和す子守娘よ冬青草   天心の青に呑まるる雲雀かな   那由多不可思議無量大数木犀降る     池田瑠那(いけだ・るな) 1976年生まれ。 ★閑話休題‥山川桂子「月蝕の赤銅の光ガザをつつみけり」(第45回「きすげ句会」)・・   9月25日(木)は、第45回「きすげ句会」(於:府中市生涯学センター)だった。兼題は「新蕎麦」。以下に一人一句を挙げておこう。    身土不二胡桃...

なつはづき「空耳は泣く声ばかり著莪の花」(現代俳句協会 第二回記者会見より)・・

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      左から、各受賞者の元木幸一・なつはづき・水口圭子各氏↑   9月24日(水)午後1時から、現代俳句協会第二回記者会見が現代俳句協会内図書室で行われた。愚生は、第一回に都合で出席できなかった。したがって、今回の第45回評論賞受賞者・元木幸一「俳句になったデューラー ー中村草田男作『騎士』の新解釈ー」、第26回現代俳句年度作品賞受賞者・なつはづき「朱夏」、水口圭子「消えるため」、そして、第80回現代俳句賞受賞・大井恒行『水月伝」が対象に行われた。   因みに、受賞作品から各2句ずつを以下に紹介しよう。    水を打つふいに寂しきピアス穴         なつはづき    ぶよぶよの紙ストローで吸う晩夏          〃    消えるため人の世に来る雪蛍           水口圭子    兎飼う心が尖らないように             〃    東京空襲アフガン  廃墟ニューヨーク        大井恒行    戦争に注意 白線の内側へ             〃   その他、11月3日の現代俳句全国俳句大会(於:東天紅)と11月2日の前日祭(於:東京タワー)への協力願い。また『昭和俳句作品年表』(戦後編Ⅱ 昭和45年~64年)・10月26日刊行予定の案内。連絡事項に、11月24日(月・祝)第50回現代俳句講座「昭和百年 俳句はどこへ向かうのか」(於:ゆいの森あらかわ)のシンポジウムーパネリストは柳生正名・神野紗希・筑紫磐井の案内などがあった。総合俳誌の「俳句」「俳句界」「俳句四季」「俳壇」の各社編集部の方々も、各受賞作について、熱心に質問をされていた。       撮影・芽夢野うのき「武蔵野は雨か鳥に問う枯葉一枚」↑  

佐藤友美パロミタ「救いようのない/私という/救いを/発見した/今日」(『はらみつ録2018詩画集五行歌/光のほうへ』)・・

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   佐藤友美・はらみつ録2018詩画集五行歌『ひかりのほうへ』。その冒頭に、   画に再び取り組むようになってから四年目、五行歌を習慣とするようにんさってからは二年が経過しました。画の方はようやく、十代の頃の手に追いついて来たように感じています。 (中略)   今回も五行歌は推敲選歌ということはしていません。切り揃えられてすらいすされた刺身のように、ごろんと並べてあります。 (中略)   この間に起こった一大事はなんと言ってもパウルの師匠の来日公演ツアーの制作で、年末のインド修行を挟み、今年の6月にそれを終えてからは8年ぶりにオーストラリアへの里帰りも果たしドリーミングについて学んだり、改めて自分のルーツや、インドに導かれた意味を考えたりなど途中で参加し鶴岡真弓先生の講座には画を描く上で大きな転機となるインスピレーションをいただきました。  とあった。以下に五行歌のいくつかを挙げておこう。    疲れちゃった   弱いことは罪ではない   といっても   辛いことだ   人であることは     (以下は改行は/で表記)   モラハラは/男の性か/つまり正しさを/信じられる人種/自覚もなく  狂って/しまったら/その形の方が/生き物の本来の形かも  うらむなら/天をうらんで/人をうらむな/それしきで天は/身放さない(はず)  寂しがりやの/心よ/一体なぜ抱擁に/気づかないのか/傷ばかり負って  他人の声を/通して天は/私にエールを/送れども/私の肌は硬いまま  苦しみを丸め/天に放って/撃ってみたら/けして/返って来なかった  この沈黙よりも/耳よい歌など無いのに/歌うのは/よりよい沈黙を/歌うため  呼吸の中に/立ち上がる/経験だけは/存在の意義を/否定しない   足下の/鈴から響く/天上の音が/ひと足/ひと足  佐藤友美パロミタは、自身の来歴について、『パロミタ随筆集』(私家版・2022年12月刊)で、  四歳から七歳までをオーストラリアのシドニーで(このときは現地校)、七歳から 一〇歳までをシンガポールで(このときは日本人学校)過ごしてから、十代のほとんどを埼玉県で過ごしました。大学でまたオーストラリア国立大学というところで優等学位(Honours)までやって卒業しました。アジア研究学部で、サンスクリット語と日本語を学びました。  とあった。 近年は翻...

永田耕衣「風折れの黄カンナや我関わらむー小庭眼前ー」(「風琴」第4号より)・・

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  「風琴」第4号(風琴の会)、ブログタイトルにした耕衣「 風折れの黄カンナや我関わらむ ー小庭眼前ー」の句は、皆川燈による「耕衣から径子へのハガキ②」からのもの。その「3 昭和五四年八月三日」のハガキには、  おカゼまだご不調如く江川さんからのハガキで拝察いたしましたが如何ですか。夏風邪はめんどうですが、ソレを夏風に替えて下さい。 (以下略)  とあった。江川さんからというのは、「琴座」同人だった江川一枝さんのことだと思うが、今は、愚生の近くにお住まいで、二年程前にご主人の大前博さんを亡くされ、ご本人も体調を崩され、3週間ほどまえに入院をされたと聞いた(ご快癒を祈念!!)。  他の記事で、いつも愚生が気にかけているのは、五十嵐進の連載「フクシマから見えるもの④汚染地に住み続けさせる」である。その中に、 (前略) 「被曝を軽減してきた古典的放射線防護」というのは「チェルノブイリ法」のことである。放射線源から、まず遠く離れること、これが被曝を免れる基本のキである。  「汚染された地域に住み続け」ないで遠く逃げることである。 「チェルノブイリ法」は放射線汚染度合いを4段階に分けて避難(逃げる!)を喚起しているのはよく知られている(だろうか)。幼児や妊婦は0,5ミリSv/年で逃げろと言っているのである。/年ではわかりにくい。時間であいえば0,5マイクロSv/hである。 (中略)   チェルノブイリ法からすると、日本の多くの地で幼児、妊婦は現在でも避難すべきレベルなのである。チェルノブイリ法ではさらに土壌汚染の内部被ばくも留意されている。日本より厳格な向かい方をしている 。 だが、IAEAはその厳格さが邪魔なのである。被曝した国民の人権を第一に考えたこの法律が邪魔なのだ。避難させれば、住まい、仕事、学校、医療、生活費さらに放射能の体内での低減化を目指す「保養」も加わる。とにかく莫大な金がかかる。 (中略) 1996年のこのIAEAの認識と覚悟のもとにICRP(国際放射線防護委員会)は勧告を出す。 「2007年勧告」である。東電福島第一原子力発電所爆発は2011年3月。「勧告」の4年後の事件であった。この勧告を適用する最初の、格好の出来事であった。  チェルノブイリ法は作らせない、と。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    花散るや無縁...

攝津幸彦「南浦和のダリヤを仮りのあはれとす」(「俳句四季」10月号より)・・

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 「俳句四季」10月号(「東京四季出版)、「LEGEND/私の源流」に佐藤りえが攝津幸彦(第1回)を書いている。その中に、  (前略)  幾千代も散るは美し明日は三越      南国に死して御恩のみなみかぜ   引用される折、「幾千代も~」の句は三越百貨店の宣伝のパロディと片付けられてしまいがちだが、二句のあいだにあるのは「皇国(みくに)花火の夜も英霊前をむき」「春霞軍神といふ檜かな」であって、「散る」はあくまで玉砕のイメージを引いている。 (中略)    私は、「豈」を通じ、いかなる工夫で俳句を書き続けていくのか、あるいは俳句を断念するのか、その有様をじっくりと見てみたいのである。いずれにしろ、「豈」が近い将来、終刊を宣言する頃に、我々の胸に、はっきりとした決意が表れているはずである。                             (「豈」創刊号編集後記)  平均年齢三十歳強の十六人が集い、同人誌「豈」が創刊されたのは昭和五十五年六月。表紙には「FORST OR LAST」の文字があった。彼らが築いたのは安住の地ではなく、「本当に書きたいことを書く」のるかそるかの土壇場である。梁山泊などと嘯きつつ、ついに自らの手で書く「場」を切り開いたのは、幸彦三十三歳の初夏のこだった。  とあった。たぶん、近年にない筆致で、攝津幸彦を描きだすのではないかと思われる。あと2回の連載。楽しみ楽しみ・・・・。他に、筑紫磐井の「俳壇観測」連載273の「 平成の考古学ー俳句四協会の立場を超えて 」もある。また、「座談会 最近の名句集を探る」98回では、「豈」同人・ 高山れおなの句集『百題稽古 』が俎上に上っている。  ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    空蝉も張り子の虎も口を開け          今瀬剛一    十三夜声の記憶の辻にあり           和田華凛    せせらぎに似てしすすきらのささやきは     野口る理    妻迎ふ舟か静に瞬ける            すずき巴里    鉦叩その音も鳴くといふならむ        片山由美子   刃を渡るごとく死がくる棉吹けば       鳥居真里子    黒ビール桂郎が来て三鬼来て          杉 美春    消さるるも句のほまれなり芋に露        山田耕司    年...

吉行和子「語ること多く残して寒椿」(『奥の細道迷い道』より)・・

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 『吉行和子・冨士眞奈美 おんなふたり 奥の細道迷い道』(集英社)、本書はお二人の対談で進む奥の細道談義になる。   ふたりの俳号の由来と趣味の世界 冨士  あなた、最初に作った俳句を披露なさいよ。 吉行  いいわよ。《インドでは瞑想ガラ空を飛ぶ 窓烏》。それでも季語がないって言われたから「インドには季節がないんです!」って(笑)。  冨士  俳号「窓烏」の由来は? 吉行  それはね、岸田今日子さんとインドに行ったんですよ。あの人は俳号が「眠女 (みんじょ) 」言うんですね。で、眠女さん、ほんとにいつになったら起きてくるかわからないので、早く起きて喫茶店で珈琲飲んでて、何もやることないから窓から外を見てたら、カラスがじ~っとしてるんですよ。インドの人はみんな瞑想して、そのうち体がふわ~っと浮くんだって聞いてたから、カラスも瞑想してるのかな、あまりにもじ~っとしてるのが長いから。そのうちす~と飛んでいったから「ああ、カラスも瞑想して飛んでいくんだな」って、ふと思ったの。その時のこと思い出して「俳号を何か考えろ」って言われたと時に、窓から見たカラス……ってことで「窓烏」と付けたんです。で、一句詠んだのよね。 (中略) 吉行  あなたは三十前から始めてたのよね。 冨士  そうね。二十代半ばから。私の俳号「衾去 (きんきょ) 」は古いのよ。三十前になって、ああ、三十になったら「お褥 (しとね) さがり」だなって付けただけなの。大奥の時代には、三十歳過ぎるとこう呼ばれたそうで、その頃の俳句が《肩に触るる指やはらく青き踏む 衾去》だった。 吉行  その句が中村汀女さんに褒められたの? 冨士  うん。何か三句くらい作ったの。 ともあれ、本書より、いくつかの句を挙げておこう。   白足袋の指のかたちに汚れけり        眞奈美(衾去)    一茶忌やまぢめになっちゃおしめえよ   若菜摘む棲み果つるまでわが地球   桜餅泣くな和ちゃんおれがゐる   母を拭きし盥 (たらい) の水を打ちにけり      凍蝶の固まって木に家族かな          和子(窓烏)    黒い雨また降らす気か案山子哭   ややこしき作法のありて新茶のむ (台湾)    福寿草四人姉妹の目が笑う   八月やわが家幽霊ばかりなり     吉行和子(よしゆき・かずこ) 1935年8月9日~2025...

新元みつよ「するっていと何かい柿は笑うのかい」(『余談だが』)・・

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   新元みつよ句集『余談だが』(象の森書房)。帯文は坪内稔典、それには、  新元みつよさんの俳句は日常のさりげない言葉でできている。  そしてそれはちょっとした物語の種だ。   あれはあれあれはそうだわ春のあれ(春)   君はもう弾んだトマトだから好き(夏)   余談だが隣家の柿の熟す頃(秋)   そうか君ぴょんと兎になったのか(冬)  以上の四季の句をボクがことに好きな物語の種である。  これらを口ずさむと、なんだか童話のような世界がボクに開ける。(坪内稔典)   とある。また、著者「あとがき」には、   (前略) 2024年[窓の会]のブログに、私の常連の句が載り母が、頑張っているね、良かったね。と喜んでくれた。  翌朝、92歳の母は痛みもなくスーと旅立った。  俳句頑張っているね。母との最後の会話になった。そんな時100句の句集シリーズの案内があり思わず参加の手を挙げた私。何をしても長続きしない私を母が、応援してくれているようなそんな気がしている。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。   昆陽池の亀が鳴くとか笑うとか        みつよ    春の闇僕には僕の穴がある   夏の雨ざんざざんざと経を読む   はじまりはベッドの中の蟻一匹   待ち合わせいつも言い訳星月夜   いい話しなのにね柿はまだ渋い   日常を鞄に詰めて花野まで   付箋紙をピピっと秋に貼り付けた  ★閑話休題・・新元みつよ「青田風フレイル講座わちゃわちゃと」(「窓」2025年9月秋号より)・・  新元みつよ(にいもと・みつよ) は1955年、岡山市生まれ。「窓の会」の常連。その「窓」の巻末あたりの「ブログ班:新しい場を拓く」によると、 (前略) 今年六月、ねんてんさんは二年の任期を終えて主宰を辞任しました。「窓の会」は主宰を置かない俳句結社に転じたのですが、そのことによって、このブログもおのずと変化しました。 (中略)  去る五月の全員集会で、主宰を辞める理由に触れてねんてんさんは、「窓の会」を持続する組織にする(これは発足時からの課題)こと、新しい活動了領域を開くこと、などを挙げました。現在は「晩節の言葉を磨く場」を標榜しており、「窓の会」は老人中心だが、その老人たちが若者を呼び寄せ、若い世代の活動の場が開かれてもよい、ともねんて...

攝津幸彦「太刀魚のとれとれを抱き殉死せり」(「俳壇」9月号より)・・

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 「俳壇」9月号(本阿弥書店)、「俳壇時評」に鴇田智哉は「 ユネスコ登録のこと 」と題して、次のように記している。 (前略) もちろん、「教育」には簡略化や方便も必要だ。しかし教育自体が目的化すると、たとえば、義務教育で扱う俳句の定義を有季定型に限ると口出ししようとするとか、歳時記の例句から、季語の或る種の誤りとされる言い回し(「夏痩せて」など)の句を外すとか、私から見れば、俳句教育モンスターによる偏った原理主義的傾向としか思えない、恐ろしい動向も既に国内で目にしている。 (中略)   二つめの問題点。協議会のHPには「ユネスコ登録する意義」として、次のような図式が示されている。「俳句を詠む」➡「自然を愛する」➡「環境問題を考える」➡「お互いの多様性を認め合う」➡「世界の交流が深まる」➡「人間存在の争いが減り世界平和につながる」➡「日本から世界へ平和メッセージの発信」➡  皆さんはどう思われるだろうか。私見を述べれば、胡散臭いと思う。 (中略) このように一つの価値観として俳句を定義してしまうのは無理だし危険である。さらに、人種間の争いが減り世界平和につながるなど、読んでいて思わず赤面してしまう。 (中略)   もとより「運動」とおうものは、それを成功させることが目標だから、協議会においてこの「理念」をさらに強固に固定化することは、時間をへるにつれ必然となってくるだろう。既に流れは止められないのかもしれないが、俳句のユネスコ登録運動に、私は反対である。  と真っ当に述べている。その他、本誌に連載されている仁平勝「俳諧文法への招待―-山田孝雄『俳諧文法概論』を読む(第三回)」は、愚生のような文法音痴にもよく分かるように書かれている(ぜひ、直接、本誌に当られたい)。  ともあれ、以下に、本誌本号から、いくつかの句を挙げておこう。   しばらくは水でいたいが霞もうか        矢島渚男   秋に生れ秋に召されし一期なり        二ノ宮一雄    むらさきの高嶺の花ぞ松虫草          戸恒東人    水くらげ月の引力かすかなる          花谷 清    啼鳥の縷々夢うつつ明易し           西村和子    炎天を来て木の影の魔物めく          藤田直子    虫入りてより虫籠の濡れてきし         和田華凛    なび...

対馬康子「かなかなや夢にからだを置き忘れ」(『百人』)・・

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  対馬康子第5句集『百人』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、   (前略) 句集名は、「麦」の仲間を始め、支えて下さっている多くの方に厚く感謝の意味を込め「百人」としました。白川静先生の『字統』によれば「百」は偉大な指導者や強敵のどくろの色とされる白色に一線を加え、「全体」を表すことばであると記されています。   俳句は「内面の具象」。俳句により己のこころを表すには、素材だけでなく意識・内容において常に「俳諧自由」でありたい。そして百世、百慮の一人一人の俳句人生とつながりあいたいと考えています。  コロナ禍の令和二年に有馬朗人先生が旅立たれました。有馬先生のお名前にも「人」の字があります。先生の深いご恩に感謝申し上げる日々が続いています。  とあった。また、集名に因むに、     百人は死は百通り薔薇の香水        康子  の句も挙げられるのではないだろうか。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    西陲へ夢の中より枯れすすむ   苗売りの五風十雨を選びけり   柿の実や言葉すべてに被曝して   雪が降る母の名の音子の名の音   妻でなく母でなく午後のアネモネ   大草原どこも道なき星奔る   生き残るとは息のこること初桜   国の忌をいくつ 増やして百日紅   跳びすぎて貌を失くしてゆく兎   死と生と詩と性とあり寒晴に   デッサンの初め十字を切る朧   今は亡き西夏を呼ぶは夕雲雀      ゆいの森あらかわ・現代俳句センター   万巻の現代俳句風光る      大腸がん手術   砂漠のごとくさらばと手術の夏   廃墟の駅少年が月を指している   桃白く父の忌に読む母の文   花氷愛はもっとも不平等   木の実降る声がことばとなる子ども   ひとりごとばかりがぎゅっと煮凝りぬ   覚えなき手紙三寒四温かな   対馬康子(つしま・やすこ) 1953年、香川県高松市生まれ。      撮影・中西ひろ美「秋の遊具を雨の匂いが滑り落つ」↑

石川桂郎「栗飯を子が食ひ散らす散らさせよ」(「天晴」19号)・・

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  「天晴」19号(発行人 津久井紀代/編集人 杉美春)、特別寄稿に細谷喨々「石川桂郎の最初の十年/第一句集『含羞』からの道」、他に津久井紀代「石川桂郎第句集『含羞』を読むーあまりに寒くー」、石川桂郎の一句鑑賞に扇義人・妹尾茂喜・相沢恵美子・髙橋紀美子・佐藤武代・岡田尚子・汲田泉・永井玲子・杉美春。その他、津久井紀代「大木あまり小論(三)/星が教えてくれたもの」、「髙橋多見歩追悼」の記事、宮崎斗士「なつはづき第二句集『人魚のころ』、石橋いろり「ぶらっと小平霊園ー富安風生・富沢赤黄男を訪ねてー」等々。その細谷喨々の文中に、  (前略) 翌昭和九年に正子 (愚生注:久女門下の宮本正子) は桂郎を句会に誘った。落ち着かない桂郎が東京なまりで「けえろう(帰ろう)」を連発したことから、正子が桂朗という俳号をつけたという話は私も聞いたことがある。後に小説の師、横光利一が桂朗を桂郎に直したらしい。生まれてはじめての句は「あすからは嫁が君ではないただの鼠かな」とか。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。    裏がへる亀思ふべし鳴けるなり        石川桂郎    震災忌本邦になき核シェルタ        高橋多見歩    冬草や夢見るために世を去らむ       大木あまり    多見歩逝く木場に聞きたる祭笛       津久井紀代    秋澄むやふとアンカーの待ち時間      なつはづき    葡萄狩迷彩服の見え隠れ           川崎果連    水筆で伸ばす群青夏つばめ          杉 美春     新涼の細くなりたる雀かな          佐藤 久    花菖蒲きりりと飯島晴子の忌         関根洋子    どの檻の何処の梢か貌よ鳥         三宅深夜子    見晴るかす休耕田や茄子の馬         井口如心    極楽の空は深藍百日紅            白石正人   ★閑話休題・・松尾和來「敬老日今日も元気なおじいちゃん」・・   松尾和來(わこ)は、愚生の孫娘だが、身内のことは本ブログには、なるべく書かないでおきたかったが。9月15日(月)の敬老の日の夕食が終わったところで、孫娘のワコが、プレゼントがあると、手作りの小さな色紙風のものを渡してくれた(ありがとう!)。一応俳句のつもりだという「 敬...

篠原隆子「空爆や片陰さへも奪ひ去り」(『一つ踏み』)・・

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  篠原隆子第一句集『一つ踏み』(角川書店)、序句は大谷弘至、    舞扇いざ忘れ世の花をこそ        弘至  著者「あとがき」には、   (前略) 舞踊の振り付けを仕事にしてきたこともあり、音楽はいつもわたしの身体の中を流れています。  「俳句は音楽でなくてはいけません」という、大谷主宰の言葉を聞いた時、「俳人」になりたいと思いました。  「言葉には意味の他に風味がある」という長谷川先生の言葉は、長く日本語を離れていた身にしみ入りました。 (中略)    句集名の『一つ踏み』は、拙句    清らなる地を一つ踏み舞始  よりとりました。  とあった。 ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。    わが汗のおちて大地の白さかな        隆子    竹伐るや畚 (ふご) も柩も竹の国     福引や踊り出たる当たり玉   よき椿えらんで杖に翁の忌   どの紙も狭くてこまる筆始   ものの芽やくれなゐなせる毒と効   猿曳が天をあふげば猿もまた   大空へ帰りたき羽子つきにけり   蛍来よわが身の水の涸れぬうち   草の香の無月をねむれ月の子よ      サダーム・フセイン   宰相の像をちこちに陽炎へり   水売って日銭をかせぐ髪に花      イラク人は私が日本人と知ると、          必ず雪とはどういうものかと尋ねる   夜咄のまほらの雪ぞなつかしき   灼けにけり大地も人も銃身も   夕涼や生くるものみな外へ出て   篠原隆子(しのはら・たかこ) 東京清瀬市生まれ。 ★閑話休題・・テンジン・クンサンwith駒沢裕城/ナマステ楽団「天国的人生興奮」(於:新宿CON TON TON VIVO)・・  9月14日(日)午後は、旅音楽一座ナマステ楽団(ギターの末森英機・タブラのディネーシュ)、チベット仏教音楽家のテンジン・クンサン、孤高のペダルティールギターリストの駒沢裕城(元はちみつぱい)のライブ「天国的人生興奮」(於:新宿CON TON TON VIVO)に出掛けた。    撮影・芽夢野うのき「川べりを下りつつ彼岸まで陽気に陽気に」↑

鈴木和枝「主流と生きて老いと言う字忘れている」(「主流」No,654/創刊79周年記念誌上俳句大会)・・

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 「主流」No.654(主流社)、特集は「●戦後80年―-『主流』創刊79周年記念(誌上)俳句大会」。以下に、愚生の特選句への評を以下に挙げておきたい。その余は、各選者の特選句をあげておこう。    主流と生きて老いという字を忘れている    鈴木和枝(大井恒行選)  「主流」創刊79周年記念俳句大会のこの上ない挨拶句として選んだ。挨拶といっても儀礼的にというのではない。戦後俳句の伴走者としての「主流」。まだまだコミットすべき課題が残されているからであろう。  しかし、「老いと言う字を忘れている」のは、心にもない言い方だ。むしろ、はげしく「老」を宥めているのだ。志こそ讃えたい。    麦秋の駅で昭和を待っていた         冨田 潤(安西 篤選)    生も死もすなわちエロス白日傘       北邑あぶみ(長井 寛選)    三月のライオンにある火の記憶       田中由美子(田中 陽選)    地下鉄サリン事件30年の希薄        野谷真治(金澤ひろあき選)    白魚の骨ひりひりと泳ぎけり         朴美代子(羽村美和子選)    おもちゃの国にうぐいすが鳴いている    直井あまね(谷口慎也選)    どの山も作り笑いはしていない        山岸文明(飯田史朗選)   置き配重く青年の匂いする          鈴木和枝(秋尾 敏選)    いちどしか死ねない白い白い枯野      宮本美津江(萩山栄一選) ★閑話休題・・つげ忠男×中里和人 二人展「東京原風景/サブが居た街」(於:立石BASE)9月21日(日)まで、ただし会期中の金・土・日・月 13時~18時開館・・  チラシには、 1968年月刊漫画「ガロ」デビュー以来、劇画表現に新たな地平を切り拓き、海外でも高い評価を得る漫画家・つげ忠男と、風景の裏側に潜むマージナルな領域を凝視しつづける写真家・中里和人による画と写真のコラボレーション。  本展開催地、葛飾立石は呑兵衛の聖地として知られ、つげが幼少・青春期を過ごした数多の名作群の舞台となった街。近年は駅前を中心に再開発が進み、街の佇まいを一変しようとしている。 (中略)   ちなみに会場となる立石BASEはかつてのブリキ工場をリノベーションしてカフェに再生そたもの。  とあった。  つげ忠男(つげ・ただお) 1941年、東京...