攝津幸彦「南浦和のダリヤを仮りのあはれとす」(「俳句四季」10月号より)・・
「俳句四季」10月号(「東京四季出版)、「LEGEND/私の源流」に佐藤りえが攝津幸彦(第1回)を書いている。その中に、
(前略) 幾千代も散るは美し明日は三越
南国に死して御恩のみなみかぜ
引用される折、「幾千代も~」の句は三越百貨店の宣伝のパロディと片付けられてしまいがちだが、二句のあいだにあるのは「皇国(みくに)花火の夜も英霊前をむき」「春霞軍神といふ檜かな」であって、「散る」はあくまで玉砕のイメージを引いている。(中略)
私は、「豈」を通じ、いかなる工夫で俳句を書き続けていくのか、あるいは俳句を断念するのか、その有様をじっくりと見てみたいのである。いずれにしろ、「豈」が近い将来、終刊を宣言する頃に、我々の胸に、はっきりとした決意が表れているはずである。
(「豈」創刊号編集後記)
平均年齢三十歳強の十六人が集い、同人誌「豈」が創刊されたのは昭和五十五年六月。表紙には「FORST OR LAST」の文字があった。彼らが築いたのは安住の地ではなく、「本当に書きたいことを書く」のるかそるかの土壇場である。梁山泊などと嘯きつつ、ついに自らの手で書く「場」を切り開いたのは、幸彦三十三歳の初夏のこだった。
とあった。たぶん、近年にない筆致で、攝津幸彦を描きだすのではないかと思われる。あと2回の連載。楽しみ楽しみ・・・・。他に、筑紫磐井の「俳壇観測」連載273の「平成の考古学ー俳句四協会の立場を超えて」もある。また、「座談会 最近の名句集を探る」98回では、「豈」同人・高山れおなの句集『百題稽古』が俎上に上っている。
ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。
空蝉も張り子の虎も口を開け 今瀬剛一
十三夜声の記憶の辻にあり 和田華凛
せせらぎに似てしすすきらのささやきは 野口る理
妻迎ふ舟か静に瞬ける すずき巴里
鉦叩その音も鳴くといふならむ 片山由美子
刃を渡るごとく死がくる棉吹けば 鳥居真里子
黒ビール桂郎が来て三鬼来て 杉 美春
消さるるも句のほまれなり芋に露 山田耕司
年頃のかな女の写真秋の昼 山本鬼之介
七月の光欲る帆や沖へ発つ 大髙 翔
鵙高音一途に小川流れけり 二ノ宮一雄
人間を乗り継いでゆく沖の旅 堀田季何
甘露なる谷水掬ふ風の色 浅井民子
ななかまど出てゆくための村の道 衣川次郎
VRゴーグル三六〇度広島八月六日朝 榮 猿丸
鳥葬も風葬もままよ落暉 栗原かつ代
行き先のなき葉書ある朴散華 柴田獨鬼
くみあいと書かれサイロや雲は秋 村上佳乃
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