加藤郁乎「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」(「俳句界」10月号より)・・
「俳句界」10月号(文學の森)、特集は「これからの俳句に新味を求めることは可能か?」。執筆陣は、井上泰至「巻頭論/これまでの俳句の『新味』」、大井恒行「これからの俳句に新味を求めることは可能か?」、山田耕司「宿命としての『新味』」、マブソン青眼「『新韻律』について」、佐藤文香「わたしが一番あたらしかったとき」、抜井諒一「新味と妙味」、赤野四羽「“new“ で“fresh“な俳句の未来」、小川楓子「若手俳人は今」、浅川芳直「文台引き卸せば即ち反故」である。以下、第二特集は「家族を詠む」、座談会「若手句集を読む⑤」等々。ここでは山田耕司の言を少し抽いておく。
夏の海水兵ひとり紛失す 渡邊白泉
何が、「水兵」を「紛失」したのか。どうして、「水兵」を「紛失」をしたのか。「兵」という
言葉が呼び水となって、「戦争」という大きなピースが招き入れられる。(中略)
一句の表現が、読者の想像力を引き出す。「戦争」と書かないからこそ、読者がそこにピースをはめ込む。想像力が引出されてこそ、読者は「戦争」を読むだけでなく、「俳句」を読むことになる。読者の想像力が一句を仕上げる。その体験における新鮮味こそが、大切なのだ。(中略)
俳句とは、読者という他者を自らの中に養う文芸である。内なる読者との葛藤によって自らの作品は磨かれることが宿命づけられている。その葛藤がもたらすものを「新味」と呼ぶならば、それは必要なものだ。一方で、時代の変化に応じた素材の「新味」に関しては、必要に応じてご随意に……、ということになるだろうか。
とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり 阿部完市
姉にあねもね一行二句の毛はなりぬ 攝津幸彦
狐火の乗物めいてくることも 鴇田智哉
星がある 見てきた景色とは別に 佐藤文香
原発に土筆あるんだ見に来なよ 飯本真矢
秋よ詩を読むこゑが思つたより若い 大塚 凱
再配達は1を、虹の追跡は2を 斎藤よひら
虫刺され汝のポーチの塗り薬 安部元気
天窓の月を愛でたる夜食かな 林 誠司
金風爽々雲の高さにトスを上げ 阪上真吾
冬の瀧底へ底へと落ちゆけり 井上康明
渡り鳥露天湯の母立ち上がる 太田うさぎ
父となる人と見てゐる桜かな 矢野玲奈
栗拾ひ離ればなれにいて家族 花尻万博
プレアデス星団妻に読む絵本 西川火尖
龍淵に大地に人語あふれおり 白石司子
いわし雲なりゆきが溢れだしている 中内火星
コスモスやこの世の秩序揺れている 酒井春棋
碑の文字かく小さし敗戦忌 田中遼弥

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