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宇多喜代子「過ぎし日は金色銀色葛湯吹く」(『俳句とともに/わが半生の記』)・・

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  宇多喜代子(聞き手・神野紗希)『俳句とともに/わが半生の記』(朔出版)、その帯に、  颯爽と、ひたむきに。  9歳の日の戦火の記憶、家族への思い、師桂信子や先達・仲間との交流、俳句創作の軌跡、そして、これからの俳句に思うこと―ー  戦後俳句の貴重な証言とともに 90年の生涯を語り下した 初の自伝!  とある。巻末の神野紗希「インタビューを終えて/宇多喜代子という俳句史」の中に、  (前略) 師・桂信子の俳句を評する文章の中で若き宇多喜代子が記した一節は、彼女自身の俳句創作の本質をも射抜いているように思えてならない。現実(うつつ)と言葉(一句)と経験(おもい)、この三点がどのように関わって俳句となるか。現実の「或る日咲いた花」に言葉を捧げる客観写生とも違うが、かといって「我が来し方」の経験を軽視するのでもない。第一句集『りらの木』のあとがきにも「私は、目前の興味深い花や蝶よりも、花や蝶という言葉に原景の中の花や蝶をみていたつもりであった」と語るように、喜代子は経験を根とする「原景」から「おもい」を育て、より純度の高い言葉を花ひらかせる。 (中略) 俳句は一人間の生を通して、人間全体の普遍的な「おもい」を描きうる大きな詩だ。一人間の人生に奉仕する小さな詩ではないが、一人間の生きた時間がなければ生まれてこないという点で、有機的で愛おしい詩でもある。 (中略) 「誰かがやらないとね」が口癖で、俳句のためにできることを一つずつ重ねてきた。  女性俳句の顕彰もそう。消えそうな声を書きとめ直すその労は、遍く人間を愛する心の表れであり、俳句への情熱の発露でもあった。また、幼い頃に経験した戦火の記憶は、長い年月を経て作品に結晶化し、現代という不穏な時世にこそ、大いなる問いとして鋭い光を放ち続けている。ライフワークとしてきた田んぼと食も「生きる」に直結する重要事。最後のインタビューの折には「次の句集は田んぼと戦争をテーマにしようと思ってるの。どちらも生きることとつながっているから」と語ってくれた。  宇多喜代子という俳人の足跡を辿ったこの本は、俳句史そのものである。と同時に、本質的な俳句論でもある。  とあった。同感!! 愚生もいくつかの場面に、共に居たことを思い起こすが、宇多喜代子への俳恩は、はかり知れない。とにかく、本書を直接、手にとっていただきたい。ともあれ、本書より、いくつ...

高野ムツオ「車にも仰臥という死春の月」(「俳句と昭和百年 現代俳句パネル展示」より)・・

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   昨日、東京タワーフットタウン2Fエレベータ―横で開催されている(10月28日~11月2日)「俳句と昭和百年 現代俳句パネル展示」(現代俳句協会蒼年部)に出掛けた。どなたもいらっしゃらなかったが、現俳蒼年部作成による「昭和100年 俳句年表」と「現代俳句協会加入書」パンフ「俳句をみんなで楽しもう」、「おーいお茶俳句募集」チラシなど、「ご自由にお持ち下さい」と置かれていた。外国の方が手にとって見ていたので、おもわず、そうぞ!と日本語で言った(愚生は外国語は全くダメなので…)。  展示パネルのうちに、池田澄子の「じゃんけんで負けて蛍にうまれたの」や攝津幸彦の「路地裏の夜汽車と思ふ金魚かな」を見て、満足して帰宅した。こよなく、雲一つない秋晴だった。   展示されていた句のパネルや年表から、いくつかの句を以下に挙げておこう。11月2日(日)16時~17時には、東京タワーメインデッキ1F『Club333』に於て、第62回現代俳句全国大会前日祭が開催される。御用とお急ぎでない方はどうぞ!!    起立礼着席青葉風過ぎた           神野紗希    春や有為の奥山越えてダンスダンス      柿本多映    猿曳や猿の背中をそつと押し         西村麒麟   癌くらいなるわよと思ふ萩すすき      正木ゆう子    戦争と戦争の間の朧かな           堀田季何    あっ 彼は此の世に居ないんだった葉ざくら  池田澄子    忘れないための消しゴム 原爆忌        秋尾 敏    男来て出口を訊けり大枯野         恩田侑布子   よき仕事する蚯蚓らに土尽きず        矢島渚男    夕焼けの原発すでにして遺跡         仲 寒蟬    人類に空爆のある雑煮かな          関 悦史    わが死後は空蝉守になりたしよ       大木あまり   空へゆく階段のなし稲の花                                      田中裕明    ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、きれ                   ...

松村五月「紫の百のひと色今朝の秋」(「響焔」11月号・通巻689号)・・

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   「響焔」11月号・通巻689号(響焔俳句会)、大見充子「総合誌の俳句から」に愚生の次の句を挙げて鑑賞していただいている。深謝!!(愚生の句を取り上げて評してくれる方はほとんどいないので・・・)。引用させていただく。    彗星のこころころころ孤独の紫陽花 (よひら)   大井恒行                  (「俳句四季」8月号より)  何と調べの良い句だろうか。己を“紫陽花“に例え、心の迷いを抱えて独り悩み“紫陽花“の花の色の移り変わりと、心の移ろいを同調させている。彗星のようにこの思いが、流れては消える。  頭韻により流れの良さを生み、心の内を隠喩で詠い上げ、深い思いの伝わってくる感慨深い一句。   とあった。「響焔」は、1958年3月、和知喜八を中心にして創刊。その後、山崎聰が主宰を継ぎ、米田規子、松村五月と継承されきた歴史のある俳誌だ。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。    男生きてみずうみは夜の霧の底       山崎 聰     家普請ようやく終り柿に色         米田規子    祭果てひとりひとりとうしろから      松村五月    黙禱の鐘の沈んで長崎忌          和田浩一    骨太の意志の大滝落下中          石倉夏生    背負籠の母へ追いつく花野道        栗原節子    行き先の違う男ら終戦日          渡辺 澄    熱帯夜テレビを過る戦の火        加藤千恵子    燃えあがるまでの沈黙曼殊沙華       中村克子    大夕焼いや濃きところ神の宿        大見充子    熟寝るする蛍袋のなかなれば        蓮尾碩才    炎天や子らの歓声みな本気        小川トシ子 ★閑話休題・・柴田千晶詩集『イエダマ』(思潮社)・・  柴田千晶詩集『イエダマ』(思潮社)、冒頭の詩篇は「朝顔の塔」。そののちに目次があるなど、全体の構成は、愚生には、なかなか難しかった(面白く読めるのだが・・・)。おおむね長編詩の体裁になっているので、本ブログでは紹介が困難(直接、本書を手にとっていただきたい)。  よって、目次の次のページにある7行の短い詩篇(片)のみになるが、以下に引用しておこう。   家の中に死体がある  大半は敷蒲団に仰臥したまま白骨化  あ...

各務麗至「生き生きて生きて戦後の喜寿の秋」(「詭激時代つうしん」13より)・・

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 「詭激時代つうしん」13*栞版(詭激時代社)。同時に「詭激時代つうしん」12*栞版が贈られてきたのだが、こちらの冊子は各務麗至の小説集である。収録されているのは「悲しいけれど」「覚書にかえて―ー追憶 松本道介先生の思い出」「―-戞戞一五七号(2023・11・15)あとがき から(注ー。・巻頭に、ことに小夜子詩を掲載」が 収載されている。その「覚書にかえて」の中に、 (前略) 松本道介先生に繋がる思い出からどうも自分探しになってしまいそうだった。  というもの―ー。「文學界」同人雑評の頃で、今猶勉強させて貰っているという忘れることのない思いが私にはあるjからだった。私に語れるほどのものがあるとしたら、それこそ先生のお蔭、教えられて育てられての賜なのであった。  現代仮名遣いになっても、人と違った作風をと私は模索した。  子どもの、表現の追いつかない感知のような、行間の余白に詩のような感動を、と、改行や句読点を多用するようになっていた。  そして、行き着いたのが主語を使わない文章で、何のことない「私小説千年史」で日本語独特の主客融合なる言語形態であると教えられたり、俳句からひらいめいて書いてきたその後のいかにも省略だらけの自己流の文章が何も新しい作文でなかったと頷いたり、  この方向でいいのだと……。  おおおげさに言えば日本文学史的には異質でも何でもなかったと幸福な能天気な力をいただいたものだった。   とあった。ともあれ、俳句「容赦なき―ー附 炎天」の掲載されている号より、いくつかの句を挙げておきたい。   初恋だろか小走りは時雨かな         麗至   容赦なき炎天ミサイルが飛ぶ     死は必然それとも当然敗戦忌   秋天や人は人にして人殺し   炎天や光にひかり重ねけり   炎天やリセットされて死んでゆく ★閑話休題・・山上鬼猿「新酒酌む土佐の郡の夕明り」 (「月刊ひかり 西山俳壇 城貴代美選)・・ 「豈」同人でもある選者・城貴代美「西山俳壇」(「月刊ひかり」京都府 光明寺)の特選と選者詠を下記に挙げておこう。    羅の人と行き交う塩小路       黒田十和    落蟬やその鳴き声も聞かぬ間に    柴田祥江   花八手ともかく声を挙げにけり    城貴代美            鈴木純一「実柘榴やひとつ一つに鏡の間」↑

井口時男「母よいま銃身熱き古都の夏」(『井口時男批評集成/批評の方へ、文学の方へ』より)・・

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『井口時男批評集成/批評の方へ、文学の方へ』(月曜社)、著者「あとがき」に、  (前略) これまで十冊ほどの評論集を出したが、単行本未収録の文章も多かった。そこで、あんまり多すぎる時評や書評は除外して、落穂拾いみたいな一冊を作りたいと思い立ったら、なんと落穂だらけ、そのほぼすべてを拾った結果、こんな分厚い一冊になってしまった。 (中略)  なお、実は文芸ジャーナリズムに対する失望体験を繰り返したあげく、十年ほど前から、私の関心はもっぱら俳句という無口なジャンルに移ってしまった。本書が「追悼句による室井光広論のためのエスキース」など、俳句エッセイ風に見える近年の文章三篇を含むのはそのためである。しかし、これらはまぎれもない批評文。「俳句は詩であり批評である」は私の俳句のモットーなのだ。そしてまた本書冒頭「小林秀雄と佐藤春夫 エッセイと昭和批評」で紹介した近代批評誕生前後の佐藤春夫の「創作的批評」提唱に対する、百年を隔てての、私なりの応答実践のつもりでもある。  とあった。 もう一カ所、少し引用する。「孤独なテロリストたちに贈る九句」の項には、    はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」        (句集『天来の獨樂』、後に『永山則夫の罪と罰』にも収録)  俳句を作り始めた二〇一二年夏、永山則夫の故郷、網走で詠んだ七句のうちの一つ。はまなすにささやいたのは、句の隠された一人称としてのこの私だ。  ニ〇二二年七月八日、白昼堂々、安部晋三元首相を銃撃射殺した山上徹也は絶望した孤独者だった。絶望した孤独者は、私にいつも永山則夫を思い出させるのだ。 (中略)  山上もニ〇〇五年に自殺未遂をしている。自分の死亡保険金を困窮した兄と妹に渡したかったのだそうだ。山上も、絶望して死にきれず、あげく「人殺し」になってしまった男なのだ。  だが、彼を「政治的」テロリストと呼べるかどうかは疑わしい。なるほど彼は大物政治家を選挙応援演説中に銃撃したが、動機はあくまで「私怨」である。しかも彼自身この「私怨」を「公憤」にすり替えるような一語も発していないし、むしろ彼は安倍晋三の政治姿勢を高く評価していたらしい。  彼は絶対に「反アベ」の「サヨク」ではない。それは彼の行動様式が証明している。白昼堂々、姿をさらして、衆人環視に中、標的に接近し、銃撃する。逃げられるとも思っていなかったろう...

毬矢まりえ「残党は巣を守れずに秋の蜂」(『「妖精に注意』)・・

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   毬矢まりえ第一句集『妖精に注意』(朔出版)、栞文に神野紗希「ほがらかな虚実」、阪西敦子「聞こえ続ける人」、堀切克洋「半透明な日本語で美を紡ぐ」。帯文と序句は中原道夫。序句は、    天蓋に汝の歌  放て明易し        中原道夫     帯には、    金雀枝やここより妖精に注意  「窓を開けてどうぞその顔を見せておくれ」で始まるカンツォーネの名曲「マリア・マリ」を十代の頃知った。それから五十年経って、「マリヤ・マリエ」という女性が「銀化」の門を叩いた。驚くと同時にG・ステファーノのその曲を知ってのことなのではと、因縁めいた出会いが今に続いている。その彼女の第一句集。一言で彼女の作風を言うなら、西洋文学がその出自、基盤にあるようで、所謂、黴臭いに日本風土にはない軽やかな、オード・トワレのような甘やかな匂いがする。  とあった。 また、著者「あとがき」には、  (前略) 振り返れば、夢中で本を読み空想し、物語や詩を書いていた少女時代。アメリカに留学し充実した寮生活を送った高校時代。英語もピアノも本格的に学びました。大学・大学院時代にはフランス文学を研究しました。  ところが、難病になり挫折。いえ、実はここから人生に光が差しました。深見けん二門下の母を通して、俳句と出会ったのです。 (中略)   俳句に関する評論執筆に続いて句作も始めました。妖精の杖を得たように湧き出る俳句に熱中していると、苦しみが昇華されるようでした。   ともあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。    いづれのおほんときにか鶯の初音       まりえ    フランスに原子炉真白若草野   小春日や臓器を持たぬぬいぐるみ   少女には少女の流儀百千鳥   不機嫌は辛子に溶かし心太   山の黙ほたるぶくろの鳴るばかり   クオ・ヴァディス万緑胸に閉ぢこめて   緑蔭にチェスさす騎士と死神と   今日の日の爆弾レモンひとつ切る   寒林檎カナンの蜜を閉ぢ込めて   鋭角のザムザの視野に五月来る   秋扇指に逆らふひらくとき   霧の木々隣の木々を愛するか   小春日のさびし内臓軋みたる   異界より大凍滝の生ひ立ちぬ    毬矢まりえ(まりや・まりえ) 1964年、東京都生まれ。  ★閑話休題・・八木重吉没後98年「茶の花忌」・YO-EN...

攝津幸彦「階段を濡らして昼が来てゐたり」(「俳句四季」11月号より)・・ 

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 「俳句四季」11月号(東京四季出版)、佐藤りえが「LEGEND私の源流/攝津幸彦2」を書いている。攝津幸彦伝としては、精緻によく調べられている。今回が連載2回目、次号で一応完結のようだ。その中に、   (前略) 幸彦が参加した今回の舞台は青梅の有形文化財「河鹿園」であった。。三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、大木あまり、小澤實、岸本尚毅に歌人の岡井隆、と強者揃いのメンツに混じり、幸彦は善戦を続けた。   荒星や毛布にくるむサキソフォン  格好良い幸彦句として人口に膾炙するこの句は、岡井が「かもしだすパ―スぺクティブがっちょうどいい」と評するなど、初日の最高点となった。句会録は『俳句という愉しみー句会の醍醐味ー』として平成七年に岩波書店から刊行され、版を重ねた。筆者が初めて攝津幸彦の人となりを知ったのもこの本による。同書のヒットは、職場で俳句の話を一切しない幸彦がは詩人であること露見する端緒ともなった。 とあった。本誌本号には他に、特集「俳句とインターネット」には、岡本星一郎「巨大」、森川 雅美「詩客」、西原天気「週刊俳句」、堀切克洋「セクト・ポクリット」、筑紫磐井「俳句新空間」、「AKANTHA」、「カルフル」、「ハニカム」、「メグルク」「RUBY」、「よんもじ」。共同管理人筑紫磐井は「俳句新空間」の文中に、  開設当時、二〇一〇年代の時代背景には「俳句など誰も読んではいない」という高山れおなの絶望的な名言があった。だから、評論を書くこと。このBLOGのURLha開設当初から「aegohaikuwoyomu[ (戦後俳句を読む」になっている。どこにでもある俳句創作BLOGではなくて、俳句をどう考えるかがテーマになっているのだ。新風を作るのではなく、新思潮を発見したいと思っている。   とあった。筑紫磐井は他に「俳壇観測・連載274/大学生俳人の意識ー第三世代の俳句に対する意識の変化も執筆しいる」。ともあれ、本誌より以下にいくつか句を挙げておこう。    冬立つや藻屑に残る風の荒れ       橋本榮治    連れ立ちて来て連れ立ちて踊りだす   名村早智子    淋しさのひとりにひとつ大花野     日下野由季   文机に筆乾ききる長き夜         朝妻 力   夜の翼に隠れてなさい露の子ら      長谷川櫂    梅の実の堕ちて地上を少し救う    ...

西村文子「衣被つるりと剥くや真砂女の手」(第190回「吾亦紅句会」)・・

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    10月24日(金)は、第190回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「案山子」。以下に一人一句を挙げておこう。    白き風棚田の案山子笑ひをり      堀江ひで子   秋澄めりシュルシュル走るEV車      渡邉弘子    リハビリに付き合い歩く秋日和      武田道代   紅玉のタルトタタンの午後三時      関根幸子    日本中銃を構へる案山子かな       田村明通    賤か家の庭に揺蕩う曼殊沙華       村上さら    鬼灯や時を忘れた掛時計         齋木和俊    君もいた私もネコも虫の音も       西村文子      雲かくれ賞でる人なき名残月      吉村自然坊    いざなみや日本列島救い賜も       須﨑武尚    むかし道問へば案山子の影動く      松谷栄喜    しゃれこうべ見上ぐかなたの流れ星    佐藤幸子    児ども等が案山子に声かけ登校す    三枝美枝子    昨日今日反省多き夜寒かな        奥村和子    家仕舞色変えへぬ松石燈も       折原ミチ子    突然の冬にあわてる葉や花や       笠井節子    秋晴れや私に影のスマホなり      佐々木賢二    かの案山子声にならない叫び秘め     大井恒行   ★閑話休題・・田村明通「神主も水着になって海開き」(「図書館俳句ポスト7月選句結果・入選」)・・  図書館俳句ポストの7月の兼題「海開き」で、立川市高松図書館の入選作に田村明通の句が入選していた。選者は太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄。       撮影・中西ひろ美「実りにもまこと不思議な色かたち」↑

高橋かづき「ねむれぬ人にねむれぬ星が光るなり」(「垂人(たると)」48より)・・

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 「垂人(たると)」48(編集・発行 中西ぎろ美/広瀬ちえみ)。中西ひろ美「今は使われていない・意味が変わっている古典の中のオノマトペーー雀連会9・芭蕉七部集講読順不同レポート」の中に、 勤行の頭 (ズ) のむつむつと花の冷え      佛渕雀羅 うきうきとむざむざがゐる花の山         同  古典の中の「むつむつ」は「睦睦」ではなく、「無口」「無愛想な男」のこと。「むつむつ」の使用例は冒頭の引用句の中にあり、雀羅さんの御作は「花の冷え」が「むつむつ」をむっつりの方へ寄せている。  古語辞典で、「うきうき(浮き浮き)」は「心が落ち着かないようし」。「むざむざ」は「無念に思いながら何もなあすこともないさま」、浄瑠璃にいくつも使用例がみられる。古来「花]の本意はここにあるのだろう。  (俳諧より前の時代の)連歌にはオノマトペは見られない。(手引書などの)散文にはある。という雀羅さんのお話に、改めて俳諧の革新性を思う。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    おはやうと仰げば揺るる山法師         ますだかも    ほしいもの丸くて甘くてもの言わぬ       中西ひろ美   亡き人となんぢやもんぢやの花あふぐ       川村研治    長いこと物干し竿をつとめてる         広瀬ちえみ    花言葉「ひみつ」といいし空木かな        渡辺信明    熱中症は怖いが     熱中するものが       ないのは辛い              中内火星       ピカソよりもマティスよりもクレマチス      高橋かづき    台湾の地図広げられ五月闇            岡村知昭    てにをはの歯並びのよき葉月かな         野口 裕     ★閑話休題・・週刊文春・年末恒例企画!/俳句大募集!/締め切り12月1日必着/入選句は12月25日発売号に掲載!選者は大井恒行・・ *募集要項 自作未発表のもの郵便はがき一枚に3句まで。兼題なし。下記の宛先まで郵送か「文春オンライン」の投句フォーム(Qアールコードは便利)。応募料:無料。  102-8008 千代田区紀尾井町3-23「週刊文春」俳句係。 *住所、氏名(掲載名)、年齢、電話番号を明記。 *投句締切:12月1日(月)郵送必着。 *発表 「週刊文春...

池田澄子「言論の自由葉を食む虫の自由」(「トイ」ⅤOL.16より)・・

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 「トイ」VOL.16(編集発行人:干場達矢)、樋口由紀子はエッセイ「新種の孤独」に、 〈鉢植えのこれは新種の孤独です  広瀬ちえみ(ひろせ・ちえみ)〉  私も部屋にサンスベリアの鉢植えを置いている。空気が浄化されるらしい。庭のように雑多の樹木のなかに混ざって立っているのではなく、たった一種の、たった数本(枚)の、誰にも邪魔されない、いつ見ても、独りを満喫している堂々たる姿である。それが「新種の孤独」とは思いもよらなかった。作者ならではのウイット感を引き出している。 (中略)   どの言葉とどの言葉をくっけて、並べるか、選択と語順は短詩型文学の肝であり、見せどころである。それによって、抜け落ちるものと生れ出るものがある。「孤独」の孕んでいる切なさ、寂しさ、哀しさをありふれた情緒や抒情に回収しないで、機微を伴って、ナンセンス風に意外性とユーモアに移行させる。結果、デリケートな孤独と向き合うことに成功している。  とあった。ともあれ、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    口笛指笛どれも吹けねど青葦原        池田澄子    満塁のセカンドフライ天高し         仁平 勝    夜の秋「返信不要」に返信す         干場達矢    白服の人と寸志といふを受く         青木空知    学校で習ったことは役に立つ        樋口由紀子 ★閑話休題・・原田洋子「逃水を追って戻らぬガザの子ら」(第43回東京多摩地区現代俳句協会/俳句大会賞より)・・  去る10月13日(月・祝)、立川市子ども未来センターで開催された第43回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会作品集が送られてきた。以下に、愚生の選んだ特選句と並選句を挙げておこう。    無言館出てなお無言かなかなかな       戸川 晟    バイク屋にまつ赤なバイク立葵        田口 武    無書店となりタンポポは絮飛ばす       永井 潮    みな笑まふ家族写真やさくらんぼ      秋山ふみ子    ひとりにはできない人と枇杷を剥く      吉田典子    湖までの抜け道風と茂りかな         平井 葵    艶福の翁在りけりかきつばた         淵田芥門    冠木門春たけばはを刈り込んで        広井和之    赤松の淑気みなぎる気比の浜    ...

宇多喜代子「秋風や人類の史は赤子の史」(「noi」vol.6より)・・

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 「noi」vol.6(俳句雑誌noi)、特集は「宇多喜代子」。神野紗希抄出「宇多喜代子40句抄」、総論に田中亜美「赤子はいまも―ー宇多喜代子と昭和・平成・令和」、相子智恵「第一句集『りらの木』評/境界と共存する知性」、小田島渚「第二句集『夏の日』/詩病の表象」、網野月を「第三句集『半島』/客観的形象と内視的再現」、久留島元「第四句集『夏月集』評/熊野の夏」、渡部有紀子「『ひとたばの手紙から―女性俳人の見た戦争と俳句』書評/『当事者』からのまなざし」、野口る理「第五句集『象』評/撃然たる平明」、吉川千早「『女性俳句の光と影』書評/私たちは台所で書いてきた」、樫本由貴「第六句集『記憶』評/肉声の記憶へ」、西山ゆりこ「第七句集『円心』評/水輪を広げる」、横山航路「第八句集『森へ』評/ごまかせない眼への覚悟」、北口直「第九句集』評/当たり前だということ」、加えて神野紗希と宇多喜代子の対談「喜代子という俳句史」。その対談の結びに、 (前略)神野  〈過ぎし日は金色銀色葛湯吹く〉。過去を懐かしく眩しくかえりみています。   宇多  過ぎた日というにおは、輝かしい金やら銀やらの世界であったと思いながら、葛湯をふうふう吹いている。辛いことや苦しいこと、悲しいこともありはしたけれど、人間九十年近くも生きてくると、いろんなことが自分の中で昇華されて、そんなふうに肯定できるようになってくる。  いくだったか、耕衣さんが「歳をとってから、一番助けてくれるのは自分の句だ」と言っていたことがあってね。若いときの自分の句を読んでみると、元気が出てくる。自分の句が自分を一番励ましてくれるって。 神野  宇多さんも、ご自分の句にはげまされますか。 宇多  そうそう。拙い句でも、つまらないと思わずに「こんないい句がある」と思うわけだ。「ヘボだなあ」なんて思わずに「おやおや、いい句詠んでいたじゃないか」と肯定する。そうすると、なんだか力が湧いてくるからね。折々に作った句は、良い句でも悪い句でも、自分の手足、肉体となって生きている。誰に褒めてもらうでもなく、自分の句を自分で褒めてやる。それが、俳句を続けていく力になるからね。  とあった。ともぁれ、以下に本号よりいくつかの句を挙げておこう。    天皇の白髪にこそ夏の月         宇多喜代子     桂信子没    大鷹の空や一期の礼をなす...

佐藤鬼房「星月夜精霊をわがほとりにし」(「小熊座」10月号より)・・

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 「小熊座」10月号(小熊座俳句会)、同号の「鬼房の秀作を読む(182)」に、愚生が寄稿したので、一部を再録しておきたい。  第八句集『何處へ』の帯文に、「『みちのく』と『晩年』の二重奏。管・弦ともに鳴るおもむきがある」と記したのは神田秀夫。「綾取の橋が崩れる雪催」「星飛べり空に淵瀬のあるごとく」などの句が抽かれている。  主宰誌「小熊座」創刊は昭和六十年、鬼房すでに六十六歳。愚生が「十周年記念大会」に、パネリストで招かれた折に、三橋敏雄が祝辞のなかで「主宰誌をもつには歳をとりすぎている。せめてもう少し早く持ってほしかった」というようなことを述べられたのを思い出す。その二次会の席で、俳句を始めたばかりの渡辺誠一郎に初めて会った。 (中略)   最後に鬼房氏にお会いしたのは、忘れもしない攝津幸彦一周忌の偲ぶ会(一九九七年十一月二十九日)に遠路駆けつけてくださった時だ。鬼房七十九歳。深謝の他はない!  本号には、他に小田島渚「俳句時評/表現としての匿名性」がある。それには、   昨年十二月、現代俳句協会青年部勉強会「名付けから始めよう 平成・令和俳句史」がZOOMにて 開催された。(司会黒岩徳将)。平成・令和時代に起こった俳句に関する事象とそれを取り上げたい理由を述べ、名付けをするもので、パネリストの赤野四羽、柳元佑太、岩田奎の回答はごく簡単に要約すると次の杳になる。 (中略)   勉強会に戻ると、岩田は「みんなで新しい月並のリーダーズになろう!」と呼びかけた。「ズ」の複数形は特定の俳人ではなく、遍く届ける声として響いた。「みんな」、そして柳元のいう「ゆるやかなわたしたち」にも、匿名性の志向が感じられる。匿名性は声を解放し、フラット化は関係性を解体する。この二つが交わるところに、現代俳句が果たしうる最も鋭利なレジスタンスがあるのかもしれない。  とあった。その余は、本誌本号に直接当たられたい。ともあれ、本号よりわずかだがいくかの句を挙げておこう。    土食つて生き薔薇色に蚯蚓死す       高野ムツオ    ホモ・サピエンス新酒は舌を濡しては    渡辺誠一郎    ためらひなどなく白桃のかがやきぬ      川口真理    寒蟬のこゑ燎原の火となりて         佐川盟子    反対も涼しスリッパ右ひだり        津髙里永子    生涯の水のぼり...

笹木弘「徴兵が無くても曲がる唐辛子」(第61回府中市民芸術祭 俳句大会・府中市俳句連盟)・・

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               主選者・鳥居真里子↑   第61回府中市民芸術祭 俳句大会/府中市俳句連盟(於:府中市民活動センター・プラッツ)、主選者は鳥居真里子。                              笹木弘・府中市俳句連盟会長↑  市内の部 第一位  徴兵が無くても曲がる唐辛子      笹木 弘       第二位  まだ母に話すことあり茄子の馬     高野芳一       第三位  立秋の風懐に溜めておく        相馬陽子  市外の部 第一位  いつも履く靴が重たい残暑かな     松本秀紀       第二位  芋虫を箸で摘まめばきゆつと鳴き   相馬マサ子  総合    7位  馬こけてどっと歓声村芝居       田頭隆紀        8位  梁に残る繭の匂ひや虫の闇      横山由紀子        9位  木の実落つ示し合はせてゐるごとく   新保徳泰       10位  つないだ手そっと離して曼殊沙華    井上芳子   特別選者陣は、秋尾敏・大井恒行・岡本久一・佐々木いつき・清水和代・田中朋子・野木桃花・星野高士・前田弘・松川洋酔・松澤雅世・本杉康寿・山崎せつ子・吉田功・笹木弘・米山多賀子。第二位のきすげ句会の高野芳一 「まだ母に話すことあり茄子の馬 」の句は、愚生のほかに、田中朋子特選にも入っていた。ちなみに愚生の他の特選句を挙げておくと、    花野かな亡者の垂らす白い帯       村木節子    馬こけてどっと歓声村芝居        田頭隆紀  他の選者の特選のなかにきすげ句会の方が何人かあった。それは、    スマホ充電忘れし夜の螢かな       高野芳一(星野高士選)    つないだ手そっと離して曼殊沙華     井上芳子(岡本久一・前田弘選)    子を連れて野猿の遊ぶ良夜かな      井上治男(吉田功選)    七本の竹二本伐る風の道         寺地千穂(笹木弘選)    鏡花忌の一目会いたいひとがいる     杦森松一(笹木弘選)    夏の娘の見せびらかしたるへそピアス   新宅秀則(米山千賀子選)  ★当日句「席題」の「柿」と「冬支度」の愚生の5句選(内一句特選句)は、    肉親や百夜 (ももよ) を赫き柿吊げて   鳥居真里子(特選)    うつし世の動くものみな冬...

照井三余「われも枯木となりて浸す足」(第73回「ことごと句会」)・・

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   10月18日(土)は第73回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「宮」。以下に一人一句を挙げておこう。       ののさまは山の峰よりころんと出       金田一剛    どこを攻めに行くのだろう鰯雲        江良純雄    迷宮のさらなる奥の秋時雨          杦森松一   自転車のポツンと一機赤蜻蛉         石原友夫    つまづける檸檬ひとつぶんの寝息       林ひとみ    愛弟子のひとりやふたりきりぎりす      宮澤順子    虫籠に棲みるると泣く君は誰         渡邉樹音   鳴き納む蝉に笑みする野の羅漢        渡辺信子    ご帰宅の猫のしっぽに露ひかる        武藤 幹    菊日和 ドイツ製なるベビーカー      春風亭昇吉    碁仇 (ごかたき) のひょいと現る良夜かな   村上直樹    しづかに汗もまだでる蝸牛          照井三余    撫で回すトルソー無月やりすごす      杉本青三郎    叫び叫ぶいのち尽きるな蓮は花        大井恒行              鈴木純一「暴君は自分の名前だけは書け」↑

中川浩文「生きてかへるいのちや曼殊沙華の道」(「コスモス通信」第80号より)・・

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 「コスモス通信」第80号(発行 妹尾健)、の巻頭は、妹尾健「中川浩文の文学思想についてーその青年期の在り方ー」の中に、  (前略) 中川浩文はこうもいう。「社会性や芸術性を越えるとい矛盾ーそこに介在する矛盾を救ってくれるものを私は惟 (カンガ) えたいのである。」と。多くの人々はそんな立場があるのかと反問するであろう。それが信の立場だとこの真宗人はいうのである。 (中略)   私は一九七〇年の或る研究室での中川浩文との会話を思い出す。私が、  「先生は俳句をどんな基準で評価されますか。」  と質問したとき。  「それは句の中に仏があるかどうかでしょう。」  と中川浩文は答えた。一瞬私は怪訝な表情をしたらしい。  「分からないでか。仏では。いのちといっていいものかもしれない。」  と先生は言い直された。  私はいまでもこの会話を覚えている。宗教と芸術、俳句のことを考えるとき、この会話は 私の中に強いものを与えてくれる。それは文学の意義と表現の本質を示唆するものであったからである。  とある。ブログタイトルにした中川浩文の句「 生きてかへるいのちや曼殊沙華の道 」には、「 復員感懐 」と前書が付されている。  実は愚生は、中川浩文については、忘れられない思い出がある。愚生が京都に居た折(東京に流れる直前、二十歳のころ)、関西学生俳句連盟の句会が行われ、100名近くの参加者があったように記憶しているが(どこで行われたか、忘れている)、愚生は「地底棲む流浪の目玉蟹歩む」の句を出した。結果は誰の選にも入らなかったが、唯一、選者としておられた中川浩文のみが、この句を特選に採ってくれたのだった。  その他の論考に、妹尾健「『谷間の旗』論ー鈴木六林男について③」がある。ともあれ、以下には、妹尾健「猛暑集/ある猛暑の記憶のために」70句からいくつかの句を挙げておこう。    文月のいたるところに喘ぐ声         健    黙礼が別離となって天の川   交配の進めば野菊ではすまぬ   なんとなく力芝には近寄らず   剣呑に返事してまた草取女                                 ...

千葉みずほ「花を持つすこし汚れて長靴は」(「なごや出版情報」第15号より)・・

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  「なごや出版情報」第15号は、東海地区の11社でつくるフリーペーパー。その中に、俳人でもある武馬久仁裕が社主をつとめる黎明書房のページには、「私の出会った東海の秀句②」がある。それには、 (前略)  若き日のヒールの高さ巴里祭    井戸昌子  「若き日の」と、たった五音で、華やかな若き日々への思いを馳せることからこの句は始まります。  思いは高揚し、その高揚感は「ヒールの高さ」へと展開します。  そして、この句の中の人の世界は、一変、甘く悲しく、切ない美しい巴里祭へと変わるのです。  最後に置かれた郷愁を誘う「巴里祭」という言葉がなんとも言えません。 とあり、また、 「黎明俳壇への投句のお願いー全国・海外から投句多数! 投句はお一人二句まで。投句料無量、特選、秀逸、ユウーモア賞、佳作を弊社ホームページと、雑誌『新・黎明俳壇』で発表します。ハガキか、メールで黎明書房内黎明俳壇係あてに投句してください。*詳細は弊社ホームページをご覧ください。   とあった。皆様もどうぞ! ★閑話休題・・ 山川桂子「いつか径(みち)とだえて暮るる花野かな」(第46回「きすげ句会」)・・  10月16日(木)は、第46回「きすげ句会」(於:・府中市生涯学習センター)だった。兼題は「花野」。以下に一人一句を挙げておこう。    大花野母の命日多色刷り           井谷泰彦   幕間の秋思残して空き座敷          杦森松一    矢狭間 (やはざま) に湖風ひとすじ佐和の秋  高野芳一    大花野ありしところに道の駅         山川桂子    コスモスや花の缶詰め缶を開け        濱 筆治    愚図る児を肩車して花野かな         新宅秀則    待ち人よ踏絵のごとき銀杏の実        寺地千穂    やわらかな赤子抱きしめ秋に入る      久保田和代    朝風に心あづけて花野ゆく          中田統子    立ち枯れしむくろ佇む花野かな        清水正之    夕花野涙の積荷ほどかれて          大井恒行   次回は、11月20日(木)は、国分寺駅そばの殿ヶ谷戸公園吟行。次次回、12月18日(木)の兼題は「鍋」。         撮影・中西ひろ美「掴まえたつもりで秋の真ん中に」↑