松村五月「紫の百のひと色今朝の秋」(「響焔」11月号・通巻689号)・・

 

 「響焔」11月号・通巻689号(響焔俳句会)、大見充子「総合誌の俳句から」に愚生の次の句を挙げて鑑賞していただいている。深謝!!(愚生の句を取り上げて評してくれる方はほとんどいないので・・・)。引用させていただく。


  彗星のこころころころ孤独の紫陽花(よひら)  大井恒行

                 (「俳句四季」8月号より)


 何と調べの良い句だろうか。己を“紫陽花“に例え、心の迷いを抱えて独り悩み“紫陽花“の花の色の移り変わりと、心の移ろいを同調させている。彗星のようにこの思いが、流れては消える。

 頭韻により流れの良さを生み、心の内を隠喩で詠い上げ、深い思いの伝わってくる感慨深い一句。


 とあった。「響焔」は、1958年3月、和知喜八を中心にして創刊。その後、山崎聰が主宰を継ぎ、米田規子、松村五月と継承されきた歴史のある俳誌だ。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。


  男生きてみずうみは夜の霧の底      山崎 聰 

  家普請ようやく終り柿に色        米田規子

  祭果てひとりひとりとうしろから     松村五月

  黙禱の鐘の沈んで長崎忌         和田浩一

  骨太の意志の大滝落下中         石倉夏生

  背負籠の母へ追いつく花野道       栗原節子

  行き先の違う男ら終戦日         渡辺 澄

  熱帯夜テレビを過る戦の火       加藤千恵子

  燃えあがるまでの沈黙曼殊沙華      中村克子

  大夕焼いや濃きところ神の宿       大見充子

  熟寝るする蛍袋のなかなれば       蓮尾碩才

  炎天や子らの歓声みな本気       小川トシ子



★閑話休題・・柴田千晶詩集『イエダマ』(思潮社)・・


 柴田千晶詩集『イエダマ』(思潮社)、冒頭の詩篇は「朝顔の塔」。そののちに目次があるなど、全体の構成は、愚生には、なかなか難しかった(面白く読めるのだが・・・)。おおむね長編詩の体裁になっているので、本ブログでは紹介が困難(直接、本書を手にとっていただきたい)。

 よって、目次の次のページにある7行の短い詩篇(片)のみになるが、以下に引用しておこう。


 家の中に死体がある

 大半は敷蒲団に仰臥したまま白骨化

 あるいはミイラ化しており

 凄絶な腐臭を放ち

 無残な姿をこの世に晒し続けている 

 死体は書類上はまだ生きており

 誕生日には複数の通販会社から誕生日割引のDMなどが届いたりする


 柴田千晶(しばた・ちあき) 1960年神奈川県横須賀市生まれ。



   撮影・中西ひろ美「なにもかも置いておいでと秋の薔薇」↑

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