宇多喜代子「過ぎし日は金色銀色葛湯吹く」(『俳句とともに/わが半生の記』)・・
宇多喜代子(聞き手・神野紗希)『俳句とともに/わが半生の記』(朔出版)、その帯に、
颯爽と、ひたむきに。
9歳の日の戦火の記憶、家族への思い、師桂信子や先達・仲間との交流、俳句創作の軌跡、そして、これからの俳句に思うこと―ー
戦後俳句の貴重な証言とともに 90年の生涯を語り下した 初の自伝!
とある。巻末の神野紗希「インタビューを終えて/宇多喜代子という俳句史」の中に、
(前略)師・桂信子の俳句を評する文章の中で若き宇多喜代子が記した一節は、彼女自身の俳句創作の本質をも射抜いているように思えてならない。現実(うつつ)と言葉(一句)と経験(おもい)、この三点がどのように関わって俳句となるか。現実の「或る日咲いた花」に言葉を捧げる客観写生とも違うが、かといって「我が来し方」の経験を軽視するのでもない。第一句集『りらの木』のあとがきにも「私は、目前の興味深い花や蝶よりも、花や蝶という言葉に原景の中の花や蝶をみていたつもりであった」と語るように、喜代子は経験を根とする「原景」から「おもい」を育て、より純度の高い言葉を花ひらかせる。(中略)俳句は一人間の生を通して、人間全体の普遍的な「おもい」を描きうる大きな詩だ。一人間の人生に奉仕する小さな詩ではないが、一人間の生きた時間がなければ生まれてこないという点で、有機的で愛おしい詩でもある。(中略)
「誰かがやらないとね」が口癖で、俳句のためにできることを一つずつ重ねてきた。
女性俳句の顕彰もそう。消えそうな声を書きとめ直すその労は、遍く人間を愛する心の表れであり、俳句への情熱の発露でもあった。また、幼い頃に経験した戦火の記憶は、長い年月を経て作品に結晶化し、現代という不穏な時世にこそ、大いなる問いとして鋭い光を放ち続けている。ライフワークとしてきた田んぼと食も「生きる」に直結する重要事。最後のインタビューの折には「次の句集は田んぼと戦争をテーマにしようと思ってるの。どちらも生きることとつながっているから」と語ってくれた。
宇多喜代子という俳人の足跡を辿ったこの本は、俳句史そのものである。と同時に、本質的な俳句論でもある。
とあった。同感!! 愚生もいくつかの場面に、共に居たことを思い起こすが、宇多喜代子への俳恩は、はかり知れない。とにかく、本書を直接、手にとっていただきたい。ともあれ、本書より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
父までの瓦礫を越えるりらの枝 宇多喜代子
母戻るかならず麦のかなたより
終戦といえば美し敗戦日
サフランや映画はきのう人を殺め
塩鮭の口開くままに母の家
麦よ死は黄一色と思いこむ
死に未来あればこそ死ぬ百日紅
粽結う死後の長さを思いつつ
八月の赤子はいまも宙を蹴る
秋風や人類の史は赤子の史
天皇の白髪にこそ夏の月
一勺の酒そゝぐべき落葉かな 石井露月
息しづかに葱汁吸うて生きてあり 森川暁水
少年や六十年後の春の如し 永田耕衣
泉の底に一本の匙夏了る 飯島晴子
たてよこに富士伸びてゐる夏野かな 桂 信子
黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ 林田紀音夫
ねて見るは逃亡ありし天の川 鈴木六林男
友よ我は片腕すでに鬼となりぬ 高柳重信
やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ 富澤赤黄男
ところてん煙の如く沈み居り 日野草城
山鳩よみればまはりに雪がふる 高屋窓秋
昭和衰へ馬の音する夕かな 三橋敏雄
しろい昼しろい手紙がこつんとい来ぬ 藤木清子
好きなものは玻璃薔薇雨駅春雷 鈴木しづ子
どの子にも涼しく風の吹く日かな 飯田龍太
早き瀬に立ちて手渡す青りんご 山本洋子
泣きやみておたまじやくしのやうな眼よ 西村和子
てふてふや遊びをせむとて吾が生れぬ 大石悦子
暗黒や関東平野に火事一つ 金子兜太
泥かぶるたびに角組み光る蘆 高野ムツオ
三月の甘納豆のうふふふふふ 坪内稔典
光る水か濡れた光か燕(つばくら)か 神野紗希

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