宇多喜代子「秋風や人類の史は赤子の史」(「noi」vol.6より)・・


 「noi」vol.6(俳句雑誌noi)、特集は「宇多喜代子」。神野紗希抄出「宇多喜代子40句抄」、総論に田中亜美「赤子はいまも―ー宇多喜代子と昭和・平成・令和」、相子智恵「第一句集『りらの木』評/境界と共存する知性」、小田島渚「第二句集『夏の日』/詩病の表象」、網野月を「第三句集『半島』/客観的形象と内視的再現」、久留島元「第四句集『夏月集』評/熊野の夏」、渡部有紀子「『ひとたばの手紙から―女性俳人の見た戦争と俳句』書評/『当事者』からのまなざし」、野口る理「第五句集『象』評/撃然たる平明」、吉川千早「『女性俳句の光と影』書評/私たちは台所で書いてきた」、樫本由貴「第六句集『記憶』評/肉声の記憶へ」、西山ゆりこ「第七句集『円心』評/水輪を広げる」、横山航路「第八句集『森へ』評/ごまかせない眼への覚悟」、北口直「第九句集』評/当たり前だということ」、加えて神野紗希と宇多喜代子の対談「喜代子という俳句史」。その対談の結びに、


(前略)神野 〈過ぎし日は金色銀色葛湯吹く〉。過去を懐かしく眩しくかえりみています。

 宇多 過ぎた日というにおは、輝かしい金やら銀やらの世界であったと思いながら、葛湯をふうふう吹いている。辛いことや苦しいこと、悲しいこともありはしたけれど、人間九十年近くも生きてくると、いろんなことが自分の中で昇華されて、そんなふうに肯定できるようになってくる。

 いくだったか、耕衣さんが「歳をとってから、一番助けてくれるのは自分の句だ」と言っていたことがあってね。若いときの自分の句を読んでみると、元気が出てくる。自分の句が自分を一番励ましてくれるって。

神野 宇多さんも、ご自分の句にはげまされますか。

宇多 そうそう。拙い句でも、つまらないと思わずに「こんないい句がある」と思うわけだ。「ヘボだなあ」なんて思わずに「おやおや、いい句詠んでいたじゃないか」と肯定する。そうすると、なんだか力が湧いてくるからね。折々に作った句は、良い句でも悪い句でも、自分の手足、肉体となって生きている。誰に褒めてもらうでもなく、自分の句を自分で褒めてやる。それが、俳句を続けていく力になるからね。


 とあった。ともぁれ、以下に本号よりいくつかの句を挙げておこう。


  天皇の白髪にこそ夏の月        宇多喜代子

    桂信子没

  大鷹の空や一期の礼をなす         〃

  永日や一日と一生入れ替る         〃

  関係者以外も立ち入っていい花野    斎藤よひら

  あぢさゐの色褪せてなほ水のいろ    いずみ令香

  ハウリングするわ客席灼けてるわ     北野小町

  晩夏光船長は船首よりも老い       永山智郎

  蛍火の向かう絶滅収容所         福田春乃

  日本が嫌ひで日本で暮らす甚平着て    山口優夢

  過呼吸で蛍を吸つてないかしら      嶋村らび

  蚯蚓鳴く嚥下できずにゐることば    檜野美果子

  ヒロヒトや月下美人を下問せり      網野月を

  三日月を盗み煌々たる抽斗       高橋亜紀彦



           鈴木純一「天井に染みも臥遊と菊枕」↑

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