井口時男「母よいま銃身熱き古都の夏」(『井口時男批評集成/批評の方へ、文学の方へ』より)・・
『井口時男批評集成/批評の方へ、文学の方へ』(月曜社)、著者「あとがき」に、
(前略)これまで十冊ほどの評論集を出したが、単行本未収録の文章も多かった。そこで、あんまり多すぎる時評や書評は除外して、落穂拾いみたいな一冊を作りたいと思い立ったら、なんと落穂だらけ、そのほぼすべてを拾った結果、こんな分厚い一冊になってしまった。(中略)
なお、実は文芸ジャーナリズムに対する失望体験を繰り返したあげく、十年ほど前から、私の関心はもっぱら俳句という無口なジャンルに移ってしまった。本書が「追悼句による室井光広論のためのエスキース」など、俳句エッセイ風に見える近年の文章三篇を含むのはそのためである。しかし、これらはまぎれもない批評文。「俳句は詩であり批評である」は私の俳句のモットーなのだ。そしてまた本書冒頭「小林秀雄と佐藤春夫 エッセイと昭和批評」で紹介した近代批評誕生前後の佐藤春夫の「創作的批評」提唱に対する、百年を隔てての、私なりの応答実践のつもりでもある。
とあった。 もう一カ所、少し引用する。「孤独なテロリストたちに贈る九句」の項には、
はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」
(句集『天来の獨樂』、後に『永山則夫の罪と罰』にも収録)
俳句を作り始めた二〇一二年夏、永山則夫の故郷、網走で詠んだ七句のうちの一つ。はまなすにささやいたのは、句の隠された一人称としてのこの私だ。
ニ〇二二年七月八日、白昼堂々、安部晋三元首相を銃撃射殺した山上徹也は絶望した孤独者だった。絶望した孤独者は、私にいつも永山則夫を思い出させるのだ。(中略)
山上もニ〇〇五年に自殺未遂をしている。自分の死亡保険金を困窮した兄と妹に渡したかったのだそうだ。山上も、絶望して死にきれず、あげく「人殺し」になってしまった男なのだ。
だが、彼を「政治的」テロリストと呼べるかどうかは疑わしい。なるほど彼は大物政治家を選挙応援演説中に銃撃したが、動機はあくまで「私怨」である。しかも彼自身この「私怨」を「公憤」にすり替えるような一語も発していないし、むしろ彼は安倍晋三の政治姿勢を高く評価していたらしい。
彼は絶対に「反アベ」の「サヨク」ではない。それは彼の行動様式が証明している。白昼堂々、姿をさらして、衆人環視に中、標的に接近し、銃撃する。逃げられるとも思っていなかったろうし、射殺されることも覚悟していたろう。「壮士一たび去って復た還らず」(『史記』)の心境。それは紛れもなく右翼の行動様式だ。しかし、あくまでその行動様式に限っていうにおであって、イデオロギーのことではない。(中略)
あくまで統一教会に対する「私怨」に発する行為であって、「政治的」影響には関知しない、という意味だろう。(中略)
山上が「私怨」に徹したことは結果的に効果的だった。山上はいわば政治的イデオロギーと無縁の「孝行息子」なのだ。その同情が根にあればこそ、やの「私怨」を「公憤」につなぐ仕事、すなわち旧統一教会問題に焦点を当てて政治権力との根深い関係をあぶりだす仕事はマスコミが代わってやってくれた。第二次安倍政権によって陰湿に恫喝され萎縮させられてきたマスコミにとっては格好の「意趣返し」の機会到来でもある。(中略)
最後に、山上徹也に贈る三句を、
太陽に黒点 炎帝に死角
一弾は母に贈らん夏マスク
母よいま銃身熱き古都の夏
とあった。ともあれ、本書中より、くつかの句を挙げておきたい。
君逝くや秋たまゆらの黒揚羽 時男
黒い揚羽の影がちらつく水の秋
銀河茫々君よく隠れよく生きたり
断腸花骨を拾ひに行く朝の
棺にりんだう大字哀野を花野とす
君は燃え我は秋日の猫じやらし
喉ぼとけ端でつまゝれ黙す秋
秋出水かけ橋いくつ途絶えたる
名刺あり「私設月光図書館司書」
木守柿荒野をナマリの騎士が行く
晩年や少し華やぎ去年今年
井口時男(いぐち・ときお) 1953年、新潟県(現南魚沼市)生まれ。
撮影・芽夢野うのき「ワタシハナイナニモナイアカマンマ」↑

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