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森須蘭「入道雲の余白自転車こいでいる」(自由句会誌「祭演」72号より)・・

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  自由句会誌「祭演」72号(ムニ出版)、本号は、創刊225周年記念合同句集である。各人30句とミニエッセイ。萩山栄一は、   (前略) 「祭演」の特徴は現代語俳句を徹底しながら、ポエムをおろそかにしていない点である。  私は現代の趨勢に不満を持っている。古典語有季定型を疑う事もなく崇拝している輩に対してである。これからも蘭さんにはアンチテーゼを突きつけてほしい。  とあった。ともあれ、本誌本号よりいくつかの句を挙げておこう。    能登死ぬな河津桜は満開に         東 國人    逃げられるだろうか日記の春を焼く     伊東裕起   回春堂薬局を出て冴返る          金子泉美    この世から身震いをして卒業す       金子 嵩    押し出しの四球で終わる油照        川崎果連    浜風を詩人が売って無人駅         髙坂明良    目交ひに廃炉のありぬ潮干狩り       鈴木三山    余白これ料紙の中の花ふぶき        諏訪洋子    遠く来て水たっぷりと墓洗ふ        髙橋保博    さくらさくらとみんなはなれてゆきました  田中信克    星落ちて朝顔に血のかよいだす       塚本洋子    西は戦争東に共同募金           中内火星    千代に八千代にかまぼこ兵舎かぎとゐぬ   中尾美琳   法師蟬有給休暇最終日           成宮 颯    僕の影から夜がにじみ出てくる       萩山栄一   木犀の気流に乗れば会えますか       服部修一   十字架をゼロとラムネに割るならば    浜脇不如帰   処方箋は月の渚を歩くこと         水口圭子   ベランダに打ち水パートは休みです     宮原 純   冬銀河 シーラカンスひらっ太古から   わたなべ柊      令和5年3月25日   骨壺に入りきらない春の山         森須 蘭 ★閑話休題・・美輪明宏『戦争と平和 愛のメッセージ』(岩波書店)・・  美輪明宏著『戦争と平和 愛のメッセージ』(岩波書店)の冒頭と、結びはこうだ。  戦争とは、/あなたの愛する人が/死ぬ/ということです。 (中略)   もう一度、考えてみて下さい。/明日、自分が、/戦争に行くことになったら、  どうしますか?    美輪明宏(みわ・...

原満三寿「俳騒の径にかえらぬ翳たずね」(『俳騒(はいざい)の径(みち)』)・・

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  原満三寿第12句集『俳騒(はいざい)の径(みち)』(私家版)、表紙装画は日和崎尊夫「花」。句作品以外は、なにもないシンプルな句集。添えられた便りには、 (前略) この夏は書斎で烏瓜の花を咲かせることに成功。その妖しい美しさに喝采いたしました。また「自発的隷従」(お役に立ちますぜ)という言葉を知り、その宿痾を深く考えさせられました。  このたびは、かような佇まいの冊子句集をお届けするご無礼をお許し下さい。  小生も寄る年波となり、生の感情も懐もいささか寂しくなりました。そこで、ご縁のある俳人様だけに献本することとし、希少部数。簡易印刷の私家版の句集といたしました。  とあった。本集の章立ては「孤蝶の骨」「老鬼の始末」の二章。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    山椒魚 (はんざき) の咬傷のこと他言せず     満三寿    俳騒のデジャ-ビュの径の老いたハグ   黒猫を抱いた麗子の古代微笑      *青年のころ岸田麗子さんに数度お会いした。   お地蔵のおつむにトンボ 逢いたいさ      修辞師の月光荘に開かずの間   浮雲や生はポロッで死はコロッ   震災の後にも先にも蠅つるむ   枕辺の屍蝋に舌さす蝶の群   かの春の裸灯がみえる老の春   死匠いわく地球 (ぢだま) の宴もお開きだあ   謝罪なき神々も群れピカドン忌   半島の木枯らしに聴く震災禍   核災や合掌の象 (かたち) に被曝蝶   あかつきへ八分の鬼児 泣かず佇つ      *八分=村八分  原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張市生まれ。  ★閑話休題・・黒古一夫・清水博義編原爆写真『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』(日本図書センター)・・  黒古一夫・清水博義編原爆写真『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』(日本図書センター・2005年刊)。英語部分翻訳者はジェームス・ドーシー。「被曝を超えて、いま」の執筆者は山岡ミチコさん「原爆乙女と呼ばれて」、谷口稜嘩さん「生ある限り」。その他」「外国人被爆者」には広河隆一「広島を何度も歩いた」、「核なき世界を求めて」には、松谷みよ子「もう一つの福竜丸のこと」など。        撮影・中西ひろ美「はなびらの変な感じの痛みかな」↑

佐藤順子「岡本太郎の目玉見に行く大暑かな」(『浦賀水道』)・・

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 佐藤順子第一句集『浦賀水道』(ふらんす堂)、序は藤本美和子、それには、   本書の「Ⅰ 料峭」の平成四年から「Ⅲ 良夜」の平成二十六年四月までは前主宰綾部仁喜の選を経た作品である。 (中略)  小誌「泉」hさ石田波郷の唱導した「韻文精神」を掲げ、型、切れ、季語遣いなど俳句の固有性をもっとも大切にしている。  そのような傾向にあって、自身の思いをストレートに述べ、字余りの手法に託した順子句は少々異色で他の作品を圧倒していた。当然ながら、岡本太郎の名前を上五に据えた大胆な一句が巻頭を飾ったことはいうまでもない。同時に私が佐藤順子という作家に注目するきっかけともなった作品である。 とあり、著者「あとがき」には、   八十四歳にして大腸癌を除去しました。何年か生き長らえたことを思い句集作りを思い立ちました。(中略)又東北の地から出て来て此処浦賀に住み着き、朝に夕に接してきた浦賀水道を句集名に出来たのも嬉しいことです。  とあった。その浦賀水道を詠み込んだ句は、       三浦   浦賀水道混み合つてゐる干し大根        順子   浦賀水道西日の船を繰り出して   魚跳んで浦賀水道秋夕焼  である。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。   枯蘆の終の靡きとなりにけり   遠く向き合ふサッカーゴール紅蜀葵   蛭蓆ひそひそ声をうちかむり   讃美歌の木立越しなる冷し馬   烏賊の背にむらさき走る涅槃吹   銅壺屋のゐざり働き日詰まる   なかなかな隠れごころに田芹摘む   池波にして高波の浮巣かな   しみじみと黒を尽して秋の蝶   みじろぎてみ空の色の冬の蝶   夜上がりの空の凌霄かづらかな   何を蒔きたる足跡ぞ秋の風   籠居を決めて八月十五日   一陽来復ひあはひを来る日の光  佐藤順子(さとう・じゅんこ) 昭和14年6月、宮城県生まれ。             撮影・鈴木純一「知らぬまに秋の陽当る更地かな」↑

木村内子「でで虫の白杖めける角二本」(『金平糖』)・・

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 木村内子第一句集『金平糖』(ふらんす堂)、津久井紀代の跋には、     初夢や俳句の神様舞ひ降りる  初夢が正夢になったのが木村内子さんの第一句集『金平糖』である。『金平糖』は眼科医から「詩」を究められた一人の女性の物語である。神様が舞い降りるのだという空想的童話的発想は内子さんの屈託のないお人柄によるものである。  とあり、宮原榮子の跋には、   私はあとがきある笹倉淑子さんが、高校、大学を通しての親友という関係で、木村眼科を紹介され、内子先生とのおつきあいが始まりました。患者としての第一印象として、先生はさっぱりとした気質で、応答が的確で速く、すっかり親近感を覚えたのを思い出します。 (中略)   亦、諧謔味のある句にも内子さんのさばさばした気質があらわれています。例えば    啓蟄やわれ吟行か徘徊か    鰯引く雑魚は持つてけ子の駄賃    戯言のひとつやふたつ衣被    熱燗や嘘のひとつも上手くなり  そして突然の病にかかられても    ふと触れし乳のしこりや青嵐  と冷静に詠まれ、驚きつつも強く生きる姿が見えます。 とあった。著者「あとがき」には、 (前略) 京都に住む友人の女医が亭主をつとめる茶会で、京都緑寿庵清水の金平糖が良く出る。ここの金平糖はエアコンの無い工房で、人間より大きな窯で手仕事で砂糖を溶かした窯に付きっきりでかき混ぜ、二十日間かけて出来上がるという。寺田寅彦が金平糖のツノを不思議に思い数々の実験をしたという話も面白い。〈春を呼ぶ金平糖とお薄かな〉から、句集名を「金平糖」とした。 とある。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。」       送り火の消えて小さき闇生るる        内子    袋入りの七草にして粥香る   ひたすらに医の道を来て冬支度   枯れてなほ借景となす葦の原   おおらかにうたた寝めける寝釈迦かな   来し方行く末よろづおぼろの柚子湯かな   柿ならば熟柿が好きと言ひし妣   重陽の日の菊坂を上がりけり   そよごの実揺れて小鳥の耳飾り   大津絵の鬼も仏も日向ぼこ   鰯雲大門火消し「め組」の碑   角が立つ智は衰へて漱石忌   悲しみは悲しみのまま浮いてこい   戦下なる少女に遠き聖樹の灯   白紫陽花島津別邸岩襖   朝顔や明日咲くことを疑はず  木村内子(きむら・ちかこ) 1...

穴井太「吉良常と名付けし鶏は孤独らし」(「ペガサス」第23号より)・・

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  「ペガサス」第23号(代表・羽村美和子)、第23号作品評「鳥観図」に外部から江里昭彦が執筆している。興味深ったのは「雑考つれづれ」の連載記事、きなこ「原郷樹林逍遥…穴井太の俳句⓵」である。その結びに、 (前略) ぼくは今後も俳句によって「より良き生き方を求め」続々句集を刊行したいと考えている。 穴井太の俳句人生は始まったばかりである。  (次号へ)  と書かれているように、これからが楽しみである。これから登場するであろう上野英信などとの筑豊ぶんこで、あるいは山福康政などとの交流も描かれるにちがいない。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   つま先を月に合わせる夏至の客        F よしと    竹皮をへらりと脱いで明日へ飛べ         きなこ    春巻きの皮がパリッと響き夏          木下小町    金魚玉客引かぬ遊女のあぶく          坂本眞紅    スーパームーンあの日の海を操って       篠田京子   刃物から夕立の匂い拭き取りぬ        瀬戸優理子    永劫の戦後に咲けり月桃花           高畠葉子    陽炎のたまに行き交う交差点          田中 勲   ミサイルの飛び交う夜の星赤し         中村冬美    戦前が触手を伸ばす水海月          羽村美和子    ネモフィラの丘の天辺人消える         水口圭子    夏の星そろそろ千になる折鶴          陸野良美    向日葵や向きは何時でもかえられる       浅野文子    風よ風卒業という風よ風            東 國人    吉原は北枕なく青時雨             石井恭平    いけずな春たちの忘れ物を拾う         石井美髯    旧型のセスナ機遠し雲の峰          伊藤左知子    桜坂 吾子の心音聞こえた日         伊与田すみ    遠花火都市間バスの休憩地           及川和弘    鳴ききった八日目の蝉ケ・セラ・セラ     本吉万千子    巻き尺のもどる早さよ木の芽風        山﨑加津子         撮影・中西ひろ美「今生の夏の終りの雌蕊かな」↑

坂本登「朝遇ひし人にまた逢ふ泉かな」(「OPUS」第83(終刊)号より)・・

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 「OPUS」第83(終刊)号(OPUS俳句会)、その「編集後記」に、   ▽平成一四(二〇〇二)年一〇月に和田耕三郎が代表となって創刊した俳句同人誌『OPUS』は、同人の皆様には既に文書で案内したとおり、令和七年八月一五日発行の今号(八三号)をもって終刊とします。 ▽『OPUS』終刊にあたり代表と奥様より次のようなメールをいただきました。 「皆様には大変お世話になりました。感謝しかありません。これからも俳句を楽しんでください。有難うございました」(代表)  (中略) ▽「OPUS」俳句会は、和田代表の方針で俳誌は作品と短評のみというシンプルな内容に徹し、句会を第一義として活動してきました。このため、終刊後も句会については、対面、通信、WEBともに参加者がいる限り継続し、俳句を「楽しみ」たいと思います。   とあった。ともあれ、本号より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。    田の見えて田植見えざるまひるかな        亀割 潔    節子忌の朝の櫻のあをざめて        たかはしさよこ    清流に顔をぶつけて平泳ぎ            宮崎静枝    初夏の森の色なる水たまり            村木高子    無言劇に声だし笑ふ花の昼           上野みのり    半夏の夜ひざに親し一誌閉づ           北岡ゆみ   ふところに鹿を棲まはせ山笑ふ          篠塚雅世    荢環の花コットンのやうな風          和田ゑみこ    万緑や古刹へ上る九十九折            池部月女     父の日をぼんやり父の籐椅子に         斉藤かずこ    猫に傘さしかくる子や花槐            坂本 登         撮影・鈴木純一「夕化粧かなはぬことを口にして」↑

松葉久美子「秋霖の鏡にひらくオッドアイ」(『雨より遠い燕たち』)・・

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 松葉久美子第3句集『雨より遠い燕たち』(ふらんす堂)、著者「あとがき」も何もない、実にシンプルな句集である。 愚生が松葉久美子の名を知るのは、半世紀近く前の、「鷹」と「琴座」誌上においてだ。明らかに意識したのは、書肆山田から句集『ゆめに刈る葦』が出たときである。確か、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田・1985年刊)上梓の翌年、書肆山田から出版されたのだ。当時、書肆山田から句集がでるのは珍しかったからだ。  著者略歴によると、その句集を1986年に上梓、「制作中止」とあるから、以後は全く消息不明といってよかった。句作再開は5年程前である。結社には所属せずに句作されているらしい。昨年、句集『屋根を飛ぶ恋人』(ふらんす堂)が出されたときは、驚きとともに少し感慨があった。今回の句集でも、かつての句風は一新されている。著者自身の想う処を目指しておられるようだ。  ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    銀杏落葉どれもナイーブみなカーブ         久美子    ケルビン・ヘルムホルツ不安定性の雲師走   春の風くうきの舟にくうきの帆   秋の虹天敵だった母へも雨   見よ音符はダリアの意識・暗号化   ダリア組み立てよ気球化ラボラトリ   母を焦がし子を吹き飛ばし原爆 忌   難民をふやす地球よ秋の波   短日の元ひとの街明日も瓦礫   未来すでに全部シュレッド竹の秋   滝壺の日月水に水の裏   (ひかる金魚)カフェは幻その客も   秋の薔薇プロコフィエフの不協和音   雪を仰ぐアリスは戦禍体験者   いもうとを忘れたアリス冬日向   人造湖干上がりいつも渇く月   クリスマスお菓子の家にないトイレ   アイノ・シベリウス微笑む春の雪   胸像の数多の瞳飛花落花   全世界の気化の混合夏の雲   松葉久美子(まつば・くみこ) 1955年、横浜生まれ。  ★閑話休題・・田島征三展「夢の中から芽がでたよ」2025年9月3日(水)・木曜 休廊・12時~19時(於:三鷹市・ぎゃらりー由芽)・・  愚生は、24日に、三鷹駅南口から徒歩6分ほどの田島征三展(於:ぎゃらりー由芽+ぎゃらりー由芽つづき)に出掛けた。会期は9月3日(水)まであるが、2度目のトークイベントが、   ・8月31日(日)17時~18時にはトークイベントがある。  「来年...

坂本宮尾「日盛りの草の奢りをまぶしめる」(『ゆるやかな距離』)・・

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  坂本宮尾第4句集『ゆるやかな距離』(角川書店)、著者「あとがき」には、  句集『ゆるやかな距離』は、『天動説』『木馬の螺子』『別の朝』につづく私の第四句集です。二〇一六年夏から二〇二四年夏まで、七十代に詠んだ三五四句を収めました。 (中略)   長年、私は研究者の仕事と併行して俳句を詠んでまいりました。旅行といえば仕事の資料探し、取材が主目的の一人旅で、俳句を詠むための旅は思うようにできませんでした。退職後、俳句を中心とした暮らしを始めて何より嬉しかったのは、憧れていた場所をゆっくり訪ね、各地の行事に句友たちと参加する機会に恵まれたことです。 (中略)   句集名の『ゆるやかな距離』は、長い距離をゆったりしたペースで走るというマラソンなどの練習法LSD(Long Slow  Distance)にちなむものです。主に初心者向けのトレーニングのようですが、息長く、自分なりの俳句の歩みをつづけていけたらという願いを込めました。   とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。   沈みたるものも影もつ冬の水         宮尾     季刊雑誌「パピルス」創刊    新涼や真白き紙に何書かむ   藻の花のまはりの水の窪みたる   人に書に天寿あるなり草螢   霜の声本を育てるてふことも   越中の五色めでたき氷餅   石割つて聴く石のこゑ日の盛   風入れや母の細かき縫目解く   とある窓兎と野鴨吊されて      有馬朗人先生急逝   師の船がゆく冬麗の喜望峰   滝の上なほ見えぬ滝響きけり      長姉逝く   今朝ひらく白玉椿枕花      急逝の黒田杏子先生への追慕、限りなし   悠々と大白鳥の北帰行      『杉田久女全句集』刊行   久女への終りなき旅菊枕    多羅葉に文運と書き冬ぬくし     坂本宮尾(さかもと・みやお) 1945年、中国・大連生まれ。       撮影・中西ひろ美「ガンバっているなと思う夏の朝」↑

佐藤りえ「我々と我は思つてゐる夏天」(「九重」6号)・・

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   「九重」6号(発行人 佐藤りえ)、ゲストは岡田由季、作品「消去法」10句とエッセイ「蝶道」。読みどころは、佐藤りえ「むさしの逍遥/その5/旧石川組製糸西洋館・稲荷山公園」、その多くの記述は歌人・石川信雄に費やされている。   (前略) 歌人石川信雄の母の生家・石川家はこの入間市豊岡の地で明治から昭和のはじめにかけて県内一位の製糸会社「石川組製糸」を営んでいた。洋館は創業者の幾太郎が迎賓館として大正12年頃に建設したものでる。戦後の一時期GHQに接収され、将校が居住したこともあるが、現在は入間市が所有、内部を見学できる。 (中略)   ポオリイのはじめてのてがみは夏のころ今日はあついわと書き出されあり                                 「シネマ」  歌人石川信雄は、この西洋館を建てた石川組製糸社長・石川幾太郎の末妹りよ (・・) の長男として生まれた。婿入りした信雄の父は福島県の原町(現在の福島県南相馬市)工場長、叔父叔母従兄弟たちがそれぞれ工場を担い、石川組は一時期愛知、三重にも工場を持つ大企業に成長した。信雄 少年は原町工場設立のため家族揃って原町に移り、川越中学入学に際し、豊岡に舞い戻った。 (中略) 川城中学では松本良三に出会い、ともにガリ版刷の機関誌を手がけ、短歌の投稿をはじめる。良三は川越の医家の出で、信雄同様早くから文学を志したが二十七歳で急逝、遺歌集『飛行毛氈』は信雄の手によって編まれた。  森のなかにたほれゐるわれのまはりより茸の類が夜夜に生れる                           松本良三『飛行毛氈』  昭和4年、大学は父の厳命により早稲田大学政治経済学部に入学、しかし信雄本人はその気なく、外国文学の講義を受け、映画を見まくった。 (中略)  信雄は昭和6年に大学を中退、一時家業に専念する。昭和11年、父急逝の後歌集「シネマ」を発行、文藝春秋社に入社。菊池寛を終生父と慕った。翌年の昭和12年、石川組製糸は解散する。 (中略)  どうもこの木の中に歯車やベルトがあってあれらの花花を生産しているらしい  かつて否定した自由律に近い歌もあり、口語を活かした歌もある。信雄自身が「『シネマ』の近代主義。/中国歌の写実的浪漫主義。/戦後歌の浪漫的象徴主義。/然し、それらはすべて私の歌であることに変りが...

武田道代「艶話今も昔も西鶴忌」(第188回「吾亦紅句会」)・・

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 8月22日(金)は、吾亦紅句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。兼題は「花火」。以下に一人一句を挙げておこう。    被爆樹の悶へし樹形原爆忌              齋木和俊    なんきんや「ビビディバビディブー」馬車になれ    関根幸子    手に汗をタイブレークの甲子園           吉村自然坊    花火果つ闇に流るる人の波              松谷栄喜    山車うごく「疫病退散」古都の町          堀江ひで子    夕焼けてオーボエ流る川流る             西村文子    公園の遊具親子や涼新た               奥村和子     子供らの笑顔まぶしき夏休み            佐々木賢二    芝棟の雲の窪みや秋の草              折原ミチ子    花緒から覗くペデキュア赤花火            村上さら    ホテル窓母少し笑み見た花火             笠井節子    精進湖の冨士隠れをり敗戦日             須崎武尚    玉の緒のさまよふ夜空流れ星             田村明通    花火の音怖がる猫はもういない            武田道代    四姉妹末は喜寿なり蚊遣香              佐藤幸子      八十年戦はノーモア全世界             三枝美枝子    国士という言葉たまわる花火かな           大井恒行  次回は、9月26日(金)、兼題は「夜長」。場所は、今月と同じ、立川市女性総合センター アイム。  ★閑話休題・・小倉進作品集『軌跡 2025-1971』・・  小倉進作品集『軌跡 2025-1971』(発行・小倉進/編集小倉佳子・頒価2000円)、巻末の「作品集刊行に寄せて」には、染谷滋(美術研究家)「進み続ける人」、酒井重良(群馬県美術会副会長)「小倉進・人と作品」、小倉佳子(長女)「夜の画家」。小倉進の「小文録」には、「絵と私の軌跡/大樹の年輪のように/伊勢崎に美術館を!」が収められている。 ここでは、長女・小倉佳子の「夜の画家」から、少しだが、引用紹介しておこう。 「父は趣味で……いや、趣味ではんしんですよね。ある意味、本業?いやいや、仕事ってわけじゃないんですけどね。何だろうな、生き方...

伊藤政美「八月の蟻は足音たててゐる」(『一切衆生』)・・

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   伊藤政美句集『一切衆生』(菜の花会)、著者「あとがき」には、   この句集は、十一冊目になるが、再編集したものと四冊の句集を集約したものを含むので、実質的には『二十代抄』『四郷村抄』『天王森集』『青時雨』『雪の花束』に継ぐ六冊目の句集になる。  令和三年から五年までの三年刊に「菜の花」に発表した七九一句から、三四〇句を収めた。集名は、令和四年冬、奈良県長谷寺で行われた「一泊吟行会」での作〈冬天や一切衆生青の中〉から採った。 (中略)   さて、この先は、もっともっと自由な俳句を書きたいと思う。例えば、年齢に合った口語発想の表現、呟いた一言がそのまま俳句になるような、そして、どんどん言葉を削って一読しただけでは何が言いたいのか分からない、それでいて何か心に沁み込んで簡単に否定出来ない、そんな俳句が書けたら面白いと思っている。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    弱さうな金魚から掬はれてしまふ          政美    蛞蝓一生涯を銀の道   死なないからと空蝉を飼つてゐる   亀をみてゐる亀鳴くと思ふから   晩年とは死後に言ふこと桜満つ   酔芙蓉見せない色もありにけり   湯豆腐ぐらり一人づづゐなくなる   人をらぬところへ鳥の帰りたる   飛ばないから紙風船は飾つておく   花の空鳩など飛んで平和なのか   人の手の荒れて汚れて秋の風   紅屋橋新紅屋橋虫時雨   十二月八日は人を撃つ日なり   聖夜などと言ひ戦争をしてゐたる   日捲りの骨だけ残り年詰る  伊藤政美(いとう・まさみ) 1940年、三重県四日市市生まれ。 ★閑話休題・・第61回府中市民芸術文化祭俳句大会のご案内(事前投句9月10日締め切り)・・  府中市・府中市芸術文化協会主催、公益財団法人府中文化振興財団共催.府中市俳句連盟主管「第61回府中市民芸術文化祭俳句大会が、来たる10月19日(日)、午後1時~市民活動センター「プラッツ」第5会議室で開催される(参加費1000円)。大会当日句2句もあるが、兼題・当季雑詠での事前投句がある(9月10日締め切り)。以下に要領を記しておこう。是非、多くの方の投句、並びに参加をいただきたい。   ・兼題投句 当季雑詠 1組3句(自作未発表)  ・投句方法 200字詰め原稿用に記載、封筒に投句と朱...

澤好摩「懐かしき人土佐にあり秋の声」(『澤好摩俳句集成』より)・・

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  山田耕司編『澤好摩俳句集成』(ふらんす堂)、栞文に小林恭二「自転車を押すや死ぬなら麦の秋」と高山れおな「澤好摩かくかくしかじか」。山田耕司の「あとがき」には、  澤好摩からの最後のメールは、本文がなかった。タイトルには「さわてす」とある。澤さんが危篤状態にあると聞いたのは、その翌日の午後のことだった。  澤好摩は、旅先の米沢で転倒し、その後の手当てもむなしく逝去した。二〇二三年七月七日のことである。山田へのメールは、転倒後に遠のく意識の中で入力したものであったようだ。 (中略) 「澤好摩の作品集を作る」澤好摩を偲ぶ会(二〇二三年十一月・東京)の席上で、山田は来訪者の方々に、そう宣言した。  本書は、多くの読者の方々が澤好摩の作品に接することができるようにという願いから生まれたものである、最後のメール、その書かれていない本文の内容を汲み取りながら行動した結果でもある。   とあり、また、沢好摩第一句集『最後の走者』の解説・坪内稔典「沢好摩ノート」の結びには (一九六九・六・十) 、  (前略) 沢の近作の    春の樹へ寄る 少年の明るい膝小僧    生糸巻く 杏の樹からたそがれ湧き  などを見ると、その抒情構造は、先の作家たちと無縁ではない。この自らの内の尾テイ骨をあきらかにすることは、僕らの時代精神を、近代との対比の中ではっきりさせることであり、内容と形式の総体として〈近代〉を把握する作業は、俳壇にも僕らにも重要な課題である。  第二には、金子兜太、高柳重信、赤尾兜子、飯田龍太など、現代の作家についての徹底的な批判・継承が必要だろう。この点はかつて手記が、草田男などと『青玄』をストレートに結びつけることで欠落させていたことである。  これらの課題は、はっきりしたものであるが、実際の僕らの現実は、不透明であり、課題を設定しようにも困難な状況であるといえる。しかも、沢のいう、詩を書く態度における倫理的意味性の排除と刹那的衝動の否定のあと、僕らを訪れるものについてのいくらかの確信さえも持ち合わせがないことを思うと、言葉の彼方、その沈黙の深みに、僕らは自らを晒してゆかねばならないのだ。沢もまたそのような同時代たることを選んだ。  〈最後の走者〉の彼方、僕らの時代と精神の深遠へ、沢は肉体を下降させてゆくだろう。この一冊の句集とともに。              ...

大井恒行「人にのみ祈る力よ 日よ 月よ」(「俳句四季」9月号より)・・

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 「俳句四季」9月号(東京四季出版)、筑紫磐井・大西朋・後藤章・野崎海芋座談会「最近の名句集を語る」より、愚生の自己宣伝になるような記事だが、 (前略)筑紫  今回最後の句集は大井恒行さんの第四句集『水月伝』(ふらんす堂)です。大井さんは一九四八年生まれ。俳歴は、学生時代からなので長くて、「豈」の創刊同人で、私の大先輩ですね。今は「豈」の編集顧問をしてもらっています。 (中略) 「神風に『逢ったら泣くでしょ、兄さんも』」。これで私が連想したのは島倉千代子の「東京だよおっ母さん」です。こお曲は歌詞の一部が問題視されNHKでは一番までしか演奏されなかったといういわくつきの曲で、そういうことを知っていてはめ込んでいるのかなと思いました。「洗われし軍服はみな征きたがる」はそういう仕掛けは何もないけれど、言いたいことはむしろ素直に伝わるような気がします。「極彩の爆心地かな敗戦日」。金子兜太の「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」より、あの八月の上旬をうまく表しているような気がします。これをもっと曖昧にすると「かたちないものもくずれるないの春」。「ない」は東日本大震災の事だと思いますが、それをこういう形で言っています。 (中略)  後藤  インタビューでも取り上げたのが「団塊世代かつて握手の晩夏あり」。この「晩夏」は追悼の歌の方の「挽歌」に通じるんですかと聞いたら、そういう見方もあるかと言ってすぐには頷かなかったんだけれど、団塊の世代同士ってこういう感じかなという気がする。  おもしろく読んだのは、「木を植えて木が音出すよ春の山」「手を入れて水のかたさを隠したる」。写生句としてすごいなと思ったのが「蝶や鳥 翔ばんとしてはうつる影」。微妙な一瞬をよく捉えて詠ってるなと感じました。 (中略)  大西  さっき筑紫さんがロマンチストだと言われましたが、私がこの句集へのコメントとして書いてきた言葉と重なっていてびっくりしました。 (中略) その中で「原発忌即地球忌や地震の春」。これは三・一一の時の句だと思いますが、今の時点でも世界で核戦争の危機があるので、それはもう「地球忌」になってしまうという恐ろしさもあって、普遍性のある句だなと思いました。  「Ⅱ」の章が私にとってはとっつきやすかったですね。その中ですごく好きだったのは、「白雲のなか白雷の去来せり」。これは昼の雷が白雲の中を光り...

魚住陽子「冥界の戸の透き通るまで月鈴子」(『魚住陽子詩文集 草の種族』より)・・

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  魚住陽子詩文集『草の種族』(椿編集室)、挿画・イラストは加藤閑。その帯には、   はじめに詩がありました。  魚住陽子が小説に先んじて発表した初期の「詩」と「詩的散文」を網羅。  併せて個人誌『花眼』掲載の俳句全編と掌編小説(『五月の迷子』所収)の合間に書かれた  未発表詩編を収録する。  とあり、表4帯には、   あお向けになったまま音楽に轢かれて死んでゆく  短い祈りもなく 苦悶に見開かれたままの目を閉じてくれる指もない  こんなにも静かで覆りにくい絶望があることを  人はいつ知ってしまうものなのか。        ―-「音楽」(『詩(二)』より)  とあった。また、編者の加藤閑の「あとがき」には、  小説家の表現活動の出発点が詩であったという例はすくなくない。むしろ詩に興味を抱かずに小説を書いたというケースの方がすくないのではあるまいか。魚住陽子の場合も、一九七六年から八一年にかけて、『味蕾』『艸』『クレオメ』といった同人誌に詩を発表していた。 (中略)   魚住の死後刊行された著作は六冊ある。遺稿集として位置付けられる『夢の家』をはじめとする五冊の小説集(いずれも駒草出版刊)と、句集『透きとほるわたし』(深夜叢書社刊)である。これらの諸作は、雑誌、個人誌等に発表されたもの、もしくは魚住が発表の明確な意志を持っていたと推測されるもののほぼすべてを網羅している。それの対し本書『草の種族』は既発表とはいえども若い時代の同人誌への掲載で、広範な読者を想定した作品とは言い難いものが多い。 (中略)  なお本書掲載の俳句作品については、既刊句集『透きとほるわたし』(鳥居真里子編、深夜叢書社二〇二二年刊)に約3分の1が掲載されているが、個人誌『花眼』発表の全容を表すために敢えて重複を承知で掲載したことをお断りしておく。  とあった。以下に詩編「風」の冒頭部分と最終行を挙げておきたい。       風   風が吹くととても寂しい   風が吹くと 死者を思うから   過ぎ去って行くものの道が見えるから   風は私に告げていく   忘れたきり 思い出せないものは いっそう甘美だと     (中略)    恋に過ぎ去ってずいぶん月日は流れ   あなたの声も忘れて過ごしているのに   すべての詩の中にあなたがいて   化石の中で死んでしまった蝶のように私はそれを取り出せ...

武馬久仁裕「ありもしない花束となる薔薇を切る」(「黎明俳壇」第14号より)・・

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 「黎明俳壇」第14号(黎明書房)、特集は「明治・大正・昭和の女性俳人VS男性俳人」。気鋭の俳人10人が鑑賞!とあり、その執筆陣は、塩見恵介、小枝恵美子、若林哲哉、田中信克、大西美優、横山香代子、なつはづき、村山恭子、千葉みずほ、川崎果連。特集について、武馬久仁裕は、   本特集では、まず明治・大正・昭和の時代に活躍した女性俳人の中から10人を選びました。それから、彼女たちの句に、同時代に活躍した男性俳人10人の句を合わせて行きました。それを、現在活躍中の気鋭の俳人10人に観賞していただきました。  2つの句をペアにして、鑑賞しますと、それぞれの句が鑑賞者の中で互いに照らし合い、響き合い始めるのです。1句鑑賞とはまた一味違った世界をお楽しみください。  とあった。他の連載記事もなかなか読ませる。滝澤和枝「秘境で俳句④」、川島由紀子「近江の言葉たち④」、松永みよこ「俳句の中の人たち⑬」、太田風子「ニューヨークから俳句⑭」等々。 ともあれ、本誌の中より、いくつかの句を挙げておこう。    くちびるの気ままを許す赤林檎          鎌倉佐弓    サファリパーク子象とびだす草いきれ       滝澤和枝    夏盛んブギウギを弾くピアノの手         太田風子     なんもかんも思い出ばかり秋彼岸         朝倉晴美   姓変へるだけだと思ふ白雨かな      弥生弐庫(黎明俳壇・特選)    この街の出会いは春の麩のかるさ    夏風かをる(  〃    )      別れぬと粘る葉っぱと桜餅        遠藤玲奈( 〃・ユーモア賞)      蟻さんは出会いであいでゴッツンコ    滝澤政司(   〃    ) ★閑話休題・・永瀬(ななせ)ゆらダンスショーwith横山知輝&末森英機atお座敷シアター「まちぶせしあう輩たち」(於:国立ギャラリービブリオ)・・  8月16日(土)は、国立のギャリービブリオで行われた異色の吟遊詩人末森英機(Vo&GT)と楽師は気鋭のベーシスト・横山知輝と人気ストリッパー・永瀬ゆらのお座敷ダンスパフォーマンス「まちぶせしあう輩たち」に出掛けた。         撮影・中西ひろ美「争わず静かに全うするが夏」↑

志賀康「門すでに無けれど橋はいまも在り」(『志賀康俳句集成』より)・・

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  『志賀康俳句集成』(文學の森)、先ず帯の背に 「既刊五句集に新句集を加え/鏤骨の長編評論を併載した志賀康俳句の集大成」 とあり、表1の帯には、   既視領域やおのれの心象にもとづく句づくりを排し、言葉の動的作用力に期待しつつ、俳句作品行為を可能にする俳句形式と、俳句形式をつくり上げる作品行為との、永遠の循環運動に身を託して創出した俳句作品と、その基盤となる俳句認識の論考を収載した志賀俳句の全貌  とあった。本集成に、収められた新句集とは『萬籟』、論考とは「私家版俳句形式論」。巻末には、詳細なる「著者略年譜」がある。まずは『萬籟』の「後記」から、   本集は前句集『日高見野』に続く第六句集である。第一句集『山中季』の上梓以来二十一年目を迎える。この間、いわゆる一句のモチーフをもって作品制作の原動力とすることの限界に気づいてからも、ずいぶん年月がたった。次第に、自身にお作品行為の動態の深耕によって、作品活性化の途を拓いていこうと考えるようになったが、近年、その歩幅を充分に保つのが容易ではなくなってきたと感じつつある 。(中略)  「萬籟」とは、いかにも老境の句集題のようで、まだ早いぞという気もするが、いつか心に浮かんできて、その音の響きが気に入っている。   とあった。ともあれ、この未刊の句集から、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。   野牛 (のうし) 行くありきあらずと唱えつつ       康   帆よわれら振り返らずには離 (さか) られぬ   木洩れ日や水に声あり地の静か   花摘めばしらざりしこと摘まれおり   稲に来て波の音聴くこぬかむし   胸当てて聴く大木の外心 (ほかこころ)   おなもみの実の悦びが人に付く    今生や樹もまた辿り着けず居り   川下もわが川上でありぬらん    蜉蝣 (ふゆう) 落つ自由に飛べと言われてか   蟬落下しかと為されしこととして   目立たねど書き足しのある今朝ならん   春闌けてものの陰らも育つらん   日暮るると気づいてからが烏瓜   声よりも開いた嘴 (はし) に鳥の詩   答うるが麥なら問うのも麥ならん  志賀康(しが・やすし) 1944年、仙台市生まれ。           撮影・鈴木純一「敗戦が終戦でみな助かった」↑