大井恒行「人にのみ祈る力よ 日よ 月よ」(「俳句四季」9月号より)・・
「俳句四季」9月号(東京四季出版)、筑紫磐井・大西朋・後藤章・野崎海芋座談会「最近の名句集を語る」より、愚生の自己宣伝になるような記事だが、
(前略)筑紫 今回最後の句集は大井恒行さんの第四句集『水月伝』(ふらんす堂)です。大井さんは一九四八年生まれ。俳歴は、学生時代からなので長くて、「豈」の創刊同人で、私の大先輩ですね。今は「豈」の編集顧問をしてもらっています。(中略)
「神風に『逢ったら泣くでしょ、兄さんも』」。これで私が連想したのは島倉千代子の「東京だよおっ母さん」です。こお曲は歌詞の一部が問題視されNHKでは一番までしか演奏されなかったといういわくつきの曲で、そういうことを知っていてはめ込んでいるのかなと思いました。「洗われし軍服はみな征きたがる」はそういう仕掛けは何もないけれど、言いたいことはむしろ素直に伝わるような気がします。「極彩の爆心地かな敗戦日」。金子兜太の「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」より、あの八月の上旬をうまく表しているような気がします。これをもっと曖昧にすると「かたちないものもくずれるないの春」。「ない」は東日本大震災の事だと思いますが、それをこういう形で言っています。(中略)
後藤 インタビューでも取り上げたのが「団塊世代かつて握手の晩夏あり」。この「晩夏」は追悼の歌の方の「挽歌」に通じるんですかと聞いたら、そういう見方もあるかと言ってすぐには頷かなかったんだけれど、団塊の世代同士ってこういう感じかなという気がする。
おもしろく読んだのは、「木を植えて木が音出すよ春の山」「手を入れて水のかたさを隠したる」。写生句としてすごいなと思ったのが「蝶や鳥 翔ばんとしてはうつる影」。微妙な一瞬をよく捉えて詠ってるなと感じました。(中略)
大西 さっき筑紫さんがロマンチストだと言われましたが、私がこの句集へのコメントとして書いてきた言葉と重なっていてびっくりしました。(中略)その中で「原発忌即地球忌や地震の春」。これは三・一一の時の句だと思いますが、今の時点でも世界で核戦争の危機があるので、それはもう「地球忌」になってしまうという恐ろしさもあって、普遍性のある句だなと思いました。
「Ⅱ」の章が私にとってはとっつきやすかったですね。その中ですごく好きだったのは、「白雲のなか白雷の去来せり」。これは昼の雷が白雲の中を光りながら走っているという景で、「去来せり」が下五にきているので、見た後の作者の残像も感じられます。(中略)
野崎 まずテーマ別の構成というのに驚きました。最初のページに「なぐりなぐる自爆者イエス眠れる大地」の句があって、これはパレスチナですよね。「木の 針金の ブリキの脚で 笑う人形」。これは香月泰男に捧げる十句となっていて、シベリア抑留を詠んだ連作のうちの一つ。(中略)
最後の第Ⅳ章では「人にのみ祈る力よ 日よ 月よ」。句集全体にある人類への批判や終末的なイメージを踏まえつつ、それを越えてゆこうとする希望や願いみたいなものがこの句には込められていて、章の中の一つのポイントになっている句ではないかと思いました。
とあった。ともあれ、本誌本号よりいくつかの句を挙げておこう。
うはばみのための徳利や芒挿す 中原道夫
生前も死後も木槿の花盛り 仙田洋子
轆轤挽く秋声に耳傾けて 木暮陶句郎
エルダリ― ドライブ ノー サイン
まだ生きる後期高齢者の秋暑 二上貴夫
勲章親授
菊の日を薫るや玉の言の花 高橋睦郎
カップケーキほどの紫陽花馬鹿だ私は 佐藤智子
泣いたもん勝ちの世界や毛皮巻く 牧野 冴
さへづりのだんだん吾を容れにけり 石田郷子
揃ひけり磯鵯と言ひし声 黒岩徳将
寒木の神木にして男前 福本弘明
冬凪の太陽に手をあてにけり 山西雅子
マリア像あるクリニック手毬花 柴田千晶
撮影・鈴木純一「炎天に一つの影をつれまわす」↑
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