志賀康「門すでに無けれど橋はいまも在り」(『志賀康俳句集成』より)・・

 

『志賀康俳句集成』(文學の森)、先ず帯の背に「既刊五句集に新句集を加え/鏤骨の長編評論を併載した志賀康俳句の集大成」とあり、表1の帯には、


 既視領域やおのれの心象にもとづく句づくりを排し、言葉の動的作用力に期待しつつ、俳句作品行為を可能にする俳句形式と、俳句形式をつくり上げる作品行為との、永遠の循環運動に身を託して創出した俳句作品と、その基盤となる俳句認識の論考を収載した志賀俳句の全貌


 とあった。本集成に、収められた新句集とは『萬籟』、論考とは「私家版俳句形式論」。巻末には、詳細なる「著者略年譜」がある。まずは『萬籟』の「後記」から、


 本集は前句集『日高見野』に続く第六句集である。第一句集『山中季』の上梓以来二十一年目を迎える。この間、いわゆる一句のモチーフをもって作品制作の原動力とすることの限界に気づいてからも、ずいぶん年月がたった。次第に、自身にお作品行為の動態の深耕によって、作品活性化の途を拓いていこうと考えるようになったが、近年、その歩幅を充分に保つのが容易ではなくなってきたと感じつつある。(中略)

 「萬籟」とは、いかにも老境の句集題のようで、まだ早いぞという気もするが、いつか心に浮かんできて、その音の響きが気に入っている。


 とあった。ともあれ、この未刊の句集から、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  野牛(のうし)行くありきあらずと唱えつつ      康

  帆よわれら振り返らずには離(さか)られぬ

  木洩れ日や水に声あり地の静か

  花摘めばしらざりしこと摘まれおり

  稲に来て波の音聴くこぬかむし

  胸当てて聴く大木の外心(ほかこころ)

  おなもみの実の悦びが人に付く

  今生や樹もまた辿り着けず居り

  川下もわが川上でありぬらん

  蜉蝣(ふゆう)落つ自由に飛べと言われてか

  蟬落下しかと為されしこととして

  目立たねど書き足しのある今朝ならん

  春闌けてものの陰らも育つらん

  日暮るると気づいてからが烏瓜

  声よりも開いた嘴(はし)に鳥の詩

  答うるが麥なら問うのも麥ならん


 志賀康(しが・やすし) 1944年、仙台市生まれ。



          撮影・鈴木純一「敗戦が終戦でみな助かった」↑

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