佐藤順子「岡本太郎の目玉見に行く大暑かな」(『浦賀水道』)・・
佐藤順子第一句集『浦賀水道』(ふらんす堂)、序は藤本美和子、それには、
本書の「Ⅰ 料峭」の平成四年から「Ⅲ 良夜」の平成二十六年四月までは前主宰綾部仁喜の選を経た作品である。(中略)
小誌「泉」hさ石田波郷の唱導した「韻文精神」を掲げ、型、切れ、季語遣いなど俳句の固有性をもっとも大切にしている。
そのような傾向にあって、自身の思いをストレートに述べ、字余りの手法に託した順子句は少々異色で他の作品を圧倒していた。当然ながら、岡本太郎の名前を上五に据えた大胆な一句が巻頭を飾ったことはいうまでもない。同時に私が佐藤順子という作家に注目するきっかけともなった作品である。
とあり、著者「あとがき」には、
八十四歳にして大腸癌を除去しました。何年か生き長らえたことを思い句集作りを思い立ちました。(中略)又東北の地から出て来て此処浦賀に住み着き、朝に夕に接してきた浦賀水道を句集名に出来たのも嬉しいことです。
とあった。その浦賀水道を詠み込んだ句は、
三浦
浦賀水道混み合つてゐる干し大根 順子
浦賀水道西日の船を繰り出して
魚跳んで浦賀水道秋夕焼
である。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。
枯蘆の終の靡きとなりにけり
遠く向き合ふサッカーゴール紅蜀葵
蛭蓆ひそひそ声をうちかむり
讃美歌の木立越しなる冷し馬
烏賊の背にむらさき走る涅槃吹
銅壺屋のゐざり働き日詰まる
なかなかな隠れごころに田芹摘む
池波にして高波の浮巣かな
しみじみと黒を尽して秋の蝶
みじろぎてみ空の色の冬の蝶
夜上がりの空の凌霄かづらかな
何を蒔きたる足跡ぞ秋の風
籠居を決めて八月十五日
一陽来復ひあはひを来る日の光
佐藤順子(さとう・じゅんこ) 昭和14年6月、宮城県生まれ。
撮影・鈴木純一「知らぬまに秋の陽当る更地かな」↑
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