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大井恒行「遠景に唄う無限の青き蛇」(2025年1月1日・新年詠)・・

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  謹賀新年!!本年もよろしくお願いいたします。 年賀状は6年前、古稀を迎えて以降、まったく失礼をしています(悪しからず・・)。 皆様のご健勝を祈念いたします。  下の案内(写真)は、昔からの友人・市原正直と藤田三保子が企画した俳句展。 愚生の下手な字を衆目にさらすのは、いかにも心苦しいのです。 が、浮世には断ってはならない誘いもあります。 俳縁の楽しみを増やしていただいたというところです。 「第一回 令和俳人展」(於・ギャラリーGK) 会期:2025年(月)~25日(土) 時間:12時~19時(最終日16時) 住所:104-0061 中央区銀座6-7-16    第一岩月ビル403(1月から4F)    ギャラリーGK 出展者:市原正直・乾佐伎・上野貴子・大井恒行・ 鎌倉佐弓・佐佐木あつし     杉浦正勝・髙津葆・夏石番矢・なつはづき・野谷真治・蜂谷一人     藤田三保子・山本紀生・吉田悦花           撮影・芽夢野うのき「冬眠を目覚めて蛇の立ち上がる」↑

高篤三「Voa Voaと冬暖のメトロ出る河童」(『新興俳人 高篤三資料集』より)・・ 

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 児玉佳久(谺佳久)編著『新興俳人 高篤三資料集』(私家版)、、便りには、「 亡き母が師事した俳人の高篤三の資料集を上梓しました」 としたためられていた。貴重な編著と思う。その「はじめに」に、   物心ついた頃から、簡素な仏壇には親族の遺影に交って、謎の丸縁眼鏡の男性の写真があった。後になって、その人物が高篤三と知った。  母は、師事したその俳人を「タカ先生:」と呼んでいた。「タカ先生は通勤のバスの中で手紙を書くのよ」と言って、「立春のいつものバスにゆられゐる」の句を諳じていた。 (中略)   私が五十歳になった頃、篤三の句集や書簡、短冊などを母から託された。特に「多麻」という雑誌については、「これは大切なものだからね」と念を押された。今になって幻の雑誌であることを知った。  平成四年だったか、母の許に『高篤三詩文集』(現代俳句協会)が送られて来たことから、著者の細井啓司氏との交流が始まった。篤三の写真、原稿等を、「どれも宝物ですね」と氏は高く評価してくださった。  そこで、新興俳句運動の一翼を担った高篤三の諸資料をまとめて公にするのがベストと考え、本冊子を刊行することになった。 とあった。また「あとがき」には、   本冊子は、母が独身時代に、高篤三に師事した約三年半(戦前・戦中)の書簡集が中心である。篤三は浅草に在住の俳人だったが、長女を足利の親戚に預けたことから、しばしば浅草と足利間を往き来して母とも交流があった。  母は群馬(旧、邑楽郡永楽村新福寺)で生まれ育ち、足利高等女学校を卒業したが、足利の詩人岡崎清一郎氏とも親交があったらしい。 (中略)   また篤三は俳句ばかりでなく詩も作り、さらに正岡容と共に新内節の「たけくらべ」の作詞を手がけるなど演劇にも精通していたので、単に俳人と括るよりは詩人と称した方が良いのかもしれない。 (中略)   大変未熟ながら、この『新興俳人 高 篤三資料集』を母の十三回忌に捧げたいと思う。合掌       二〇二四年(令和六年) 五月吉日      児玉佳久  とあった。 高篤三(こう・とくぞう)1901年6月2日~1945年年3月10日、東京市浅草生まれ。本名、八巣篤雄(はっそう・とくお) 歌人としての名は谺佳久(こだま・よしひさ)、 1949年生まれ。 ★閑話休題・・児玉いね「シクラメン老を見せざる女部屋」(『山里』...

佐怒賀正美「きつね火のつひの洒落声(しやらごゑ)あふれけり」(「秋」12月号・通巻630号)・・

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 「秋」12月号・通巻630号(「秋」発行所)。愚生の『水月伝』(ふらんす堂〉を見開き2ページ「現代俳句句集評(十)」で、馬場裕美に丁寧に評していただいている。深謝!!その中に、     東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク    なぐりなぐる自爆者イエス眠れる大地   第一句目は、ほぼ百年前に始まった日本の軍国拡張主義の結果の日本全土の空爆、さらにアメリカ同時多発テロを機に始まったアフガン紛争を簡潔に語っている。そうして二句目は、現在も続く、異なる宗教を持つ民族同士の中東での凄惨な殺し合い。この二句で、二〇世紀の初頭から寸時も止まることの無く、しかも人類に何物も生み出すことの無い戦争という愚行の現実を突きつけられてしまう。 (中略)     かたちないものもくずれるないの春    冬青空ウイズコロナウイズ核  何事もなく平和裏に生を全うした人間を侵すものは人間同士の争いのみではない。自然もウイルスも、増上慢の人間に自らの小ささを教えてくれているようだ。 (中略)  このように自らや時代に厳しい目を向けつつ、その一方で希望といえる想いの句もまた多く存在する。    赤い椿 大地の母音として咲けり    言の葉のひかりとならん春よ来い    人にのみ祈る力よ 日よ 月よ    根は風のうそぶく水を生きており   とあった。その他、「句集評(十一)/(十二)」には、安達昌代「高橋睦郎句集『花や鳥』(ふらんす堂)」、齊藤眞理子「栗原かつ代句集『母は水色』(現代俳句協会)」等があった。ともあれ以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    闇鍋に声出すものを入れし鬼        佐怒賀正美    青鷹真日に対 (むか) ふをはばからず    小笠原 至    秋遍路後へ先へと己が影           鈴木栄子    防国てふ彼我の亡国芋嵐           馬場裕美    銀漢や無限に続くπ・素数          杉 美春    冷房裡原爆図より「児に水を」        佐藤栄子    八月を覆ひきれないシャツの白        安達昌代    ミサイルとホームランの報秋暑し      齊藤眞理子    ストリートピアノに月が下りてきた     渡部疲労子    よひやみにをどるデジタルサイネージ     藤色葉菜   いつまでも既読のつかぬ星月夜    ...

虚子「去年今年貫く棒のごときもの」(坪内稔典著『高浜虚子』より)・・

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  坪内稔典著『高浜虚子』(ミネルヴァ書房)、その帯に、   余は平凡が好きだ/世間並であることの楽しみとは。  俳句と小説、多彩な文業を軽やかに。  とある。ブログタイトルにした句「去年今年貫く棒のごときもの」について、最終章の「第十章 老艶」に以下のように記している。 (前略) この句を愛誦する人は多いが、端的にいってどこがいいのか、よく分からない。 (中略) もっとも、「棒」が意味するのは何か、これがボクには分かりにくい。ゲバ棒という棒が学生時代にあったことは思い出すが、まさかゲバ棒ではあるまい。 (中略)   ボクは先の『老いの俳句』でこの句を「一九五〇年、七十六歳の虚子が詠んだ大月並み句、駄作中の駄作だ」と評している。月並み句とは平凡、陳腐な句(駄作)だが、この虚子の句は季語が含有している意味をなぞっただけの平凡な句と判断した。ただ、そういう駄作はしばしば超有名になる。「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」(千代女)は、朝顔が絡まってつがつかえなくなったので貰い水をした、というのだが、朝顔に気をつかったところは通俗的な配慮、なんだか見えすいている。だから月並みで駄作だが、でも、その分かりやすい配慮がうけて超有名になっている。駄作もしばしば傑作になるのだ、俳句では。  整理しよう。「爛々と昼の星見え菌生え」は俳句の表現として傑作、「去年今年貫く棒のごときもの」は駄作中の駄作であることで傑作になっている。    そして、「あとがき」の中に、   選句が日常の仕事であって、俳句を作ることよりも選句に比重が置かれていたのではないか。俳句はおもに句会とか吟行で作られていて、それは「日常の仕事」になっていな印象だ。こうした印象だからと言って虚子を非難するわけではない。俳句はしばしば瞬間的に出来る。その瞬間の創作を虚子は句会で行っていた。瞬間には考える間がないが、そのことが突発的に意外性や奔放さを俳句にもたらす。ボクの好きな虚子の俳句はそうした意外性や奔放性を帯びた句である。具体的に言えば、   爛々と昼の星見え菌生え   昼寝する我と逆さに蠅叩  などの句だ。  とあった。ともあれ、本書中より、いくつかの句を挙げておこう。   流れ行く大根の葉の早さかな       虚子    川を見るバナナの皮は手より落ち   遠山に日の当たりたる枯野かな   桐一葉日当りながら落...

久保純夫「真空の次の音くる添水かな」(「儒艮」50号)・・

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「儒艮」50号(儒艮の会)、 特集は、久保純夫大第15句集『季語情況論』(発行 儒艮の会・発売 小さ子社)にかかわるもの。岡田耕治「わたしの好きな久保純夫の五〇句」。論考に妹尾健「風土記にむかって―ー久保純夫句集『季語情況論』に寄せて」、田中信克「ー久保純夫への手紙 記憶の展開がたどる風土記の姿ー」、『季語情況論』の30句選は江田浩司・西躰かずよし・杉浦圭祐・中嶋飛鳥・依田仁美・森澤程・横井来季・藤田俊・伊藤蕃果・土井探花・上森敦代・原知子・堀田季何・相田えぬ。その堀田季何のコメントには、   もっと久保純夫が読まれるにはどうしたらよいのか、もっと久保純夫が語られるにはどうしたらよいのか。もっともっと読まれて、語られて欲しい久保純夫。もっともっと久保純夫久保純 夫。季語は約束事もしくは虚構ならば、久保純夫はその対極にある。有季は例外なく無季で、無季は例外なく有季、久保純夫こそ勇気である。  とあった。このことに関連するように、妹尾健は「風土記にむかって」で語っている。  (前略) このところだけみると有季即無季といったはなはだ即時的な解釈にうけとられかねないと思う。正確に言えば有季ー(状況。情況)ー無季であって、これは無季ー(状況・情況)ー有季ということになる。これを即自とみると有季=無季ということになってしまうのではあるまいか。 (中略) この場合六林男のいう情況とは全面的な事象の肯定ではなくて、有季も無季もともに、虚構だということであろう。情況論はここで有季無季のこちたき判別を越えて、虚構の世界(これを古来から、空とか無とかいってきた)が出現する。久保純夫の解釈はこうした世界観にささえられていると私は思う。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    千年を螺鈿の小鳥冬うらら          金山桜子    セーターをキリンに着せる打ち合わせ    木村オサム    眠りから覚めてまづ飲む九月かな       伊藤蕃果    恋猫を好き放題に弄ぶ            曽根 毅    ボタンホールに小指刺し入れ十三夜     近江満里子    山彦の住み継ぐ社木の実降る         上森敦代    転生の少し早まる冬帽子           亘 航希    車止め並ぶ向こうの虫時雨          志村宣子    まほろばの無人の駅にひ...

牟田英子「日晒しの城の堀切冬の蝶」(第180回「吾亦紅句会」)・・

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 本日、12月27日(金)は、第180回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「短日」。以下に一人一句を挙げておこう。    鰤起し「きらめき」めざす能登漁師    吉村自然坊    真っ新な暖簾に並ぶ冬日和        折原ミチ子    あれこれと省くひとりの年用意       関根幸子    ガザ凍るアンネの涙血の涙         須﨑武尚    鉢叩き空也上人旅途上           齋木和俊    天神の大樹見上ぐる七五三         松谷栄喜    黙祷で始まる集い年の暮          佐藤幸子    裸木の裸になりて悔いてをり        田村明通    短日やアップルパイの皮幾重        牟田英子    音もなく水溜まりに落つ冬の月       西村文子   日向ぼこ保育園児の箱車          渡邉弘子    風の中湖水に散りし冬桜          村上さら   おでんなり湯気の向かいに妻の顔     佐々木賢二    ゆく秋や駅舎のピアノ弾く男        笠井節子    泉岳寺の線香のけむり師走かな       高橋 昭   亡き猫のぬくもり恋し冬半ば        武田道代    ゆく秋や駅舎のピアノ弾く男        笠井節子   君と行くりんごの花が窓の外       三枝美枝子    押し入れの冒険したり短日の        大井恒行  次回は1月24日(金)、兼題は「煮凝り」。句会の後、新年会が予定されている。   ★閑話休題・・小山老人「眠り草押し花として旅鞄」(村松友視『武蔵野倶楽部』より)・・  村松友視著『武蔵野倶楽部』(文藝春秋)、初出は「オール讀物」平成18年2月号~平成19年6月号までの連載で、小説6編を収める。そのなかの「武蔵野倶楽部」の部分、  (前略) 「それはね、眠り草だよ」   小山老人は、そう言ってあわてて清明さんの指から抜き取った押し花をノートに戻し、そのページの中に記した一句を指で示した。眠り草押し花として旅鞄……そんな句だった。三人が読み終わると、小山老人はそそくさとノートを閉じた。その印象が強く目に残り、清明さんはその句をいまも暗記しているのだった。  吉祥寺の街のスナック「武蔵野倶楽部」での物語だ。かつて愚生は、吉祥寺駅ビルロンロン弘栄堂書店勤務の...

筑紫磐井「星唱ふ攝津幸彦(つくしばんせい)返つてくる」(「俳句」2025年1月号)・・

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 「俳句」2025年1月号(発行:角川文化振興財団/発売:株KADOKAWA)、特集のメインは「豪華競詠/新年詠+エッセイ『小さな変化』」。新春特別即吟句会として坂本宮尾・望月周・和田華凛・生駒大祐・佐藤知春。競詠は70名以上とあるので、ここでは紹介し切れないので、愚生好み?に絞って以下にいくつかの句を挙げておこう。    俳諧の歴史とともに去年今年         星野 椿    一歩二歩三歩四歩に春の風         宇多喜代子    何? という向きの変えかた初雀       池田澄子    獏枕南十字星 (はいむるぶし) をもう一度   宮坂静生    初日浴び戦後八十年思ふ           大串 章    我も又初商ひのホ句七句           高橋睦郎    松過ぎのそろりそろりと霊柩車       大木あまり    天網の影が砂丘に冬深む           中村和弘   鱶(ふか) 食べてわが一党の去年今年     坪内稔典    シデムシオサムシ冬のものぐさ食ひ尽くせ   行方克巳    綿虫のわが身いづこより出し         西山 睦    大綿や老いて遊びを怠らず          橋本榮治    雀にもタイヤにもあり去年今年       高野ムツオ    かの世よりかからぬものか初電話       西村和子    初夢のみんな遠くの方にゐる         仁平 勝    名刺交換冬のサウナのロッカーで       今井 聖    御鏡や活断層と核弾頭           山下知津子    静けさがだんだん重し日向ぼこ        奥坂まや    枝打や山路は常に行き止まり         中原道夫    めでたいかめでたいかと問ふもののこゑ   正木ゆう子    新しき年また母に賜りぬ          片山由美子    乗初の一駅ごとの人の顔           星野高士    高からぬ山を大和の年移る          対馬康子    人日はも天上の父へ誕生歌         佐怒賀正美   騎初や埴輪の馬の寄り目なる         小澤 實    ひらかれてあり初富士のまそかがみ     恩田侑布子    まなぶたの軽くなりたる笹子かな       石田郷子    初夢がうつつの我をかき乱す         ...

中戸川由実「壺ぬぐふ縁の小春や朝人忌」(『プリズムⅡ』)・・

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 中戸川由実第二句集『プリズムⅡ』(ふらんす堂)、帯文は島端謙吉、それには、   前著『プリズム』に次ぐ由実氏第二句集。十年を経た作者の個性は、想い濃く温みを加えて、さらに豊かに開く。  その分光のなんと清々しくあざやかであるか。作者はそれを十分に知らせてくれた。  とあり、著者「あとがき」には、    第一句集『プリズム』から十年、昨年は父朝人の十三回忌、母の三回忌であった。コロナ禍を経て「今・ここ・われ」をいっそう強く意識し、俳句とともにある幸せを実感している。〈俳句はいきいきと生きる主体のあらわれ〉との師の教えはゆるがない道しるべである。光を透して彩色を放つプリズムのように、一瞬の心のゆらぎを句に刻みたいという思いは変わらない。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。    遠巻きにをのこも群れて虹二重         由実    枯れきはむ木に鳥礫星礫   行けさうな鏡の向かう緑の夜   指栞して春眠の膝の本   潮騒と思ふ葉騒や聖五月   雪花菜炊く厨に通す夕蜩   ひだまりの椅子に母載る小春かな   ひと掴み母にも持たせ年の豆   林火忌の胸にひらきしもののあり       母永眠   白粥の終のひと匙霜の花    神々の住まひし丘や匂鳥   山国ははた川国や紅の花   声にしてその名涼しき尾花沢   帯結ぶ合せ鏡に春立てり   白南風の海へ傾るる旧市街   汝も吾も遊子のひとり萩の風   吸ふてみる蜜のむかしや忍冬   中戸川由実(なかとがわ・ゆみ) 1958年、横浜生まれ。            撮影・中西ひろ美「泣く前の一瞬はあり冬の賛」↑

京極杞陽「性格が八百屋お七でシクラメン」(「週刊 金曜日」11月29日・1499号より)・・

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 「週刊 金曜日」11月29日・1499号(株・週刊金曜日)、特集は「俳句界の巨魁 虚子生誕 生誕150年」。その、世界の現状に対するイロニーのようなリードに、 (前略) 〈いかに窮乏の生活にいても、いかに病苦に悩んでいても、ひとたび心を花鳥風月に寄することによってその生活苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置くことができる〉〈これによって慰安を得、心の糧を得、もって貧賤と闘い、病苦と闘う勇気を養うことができる〉(『俳句への道』。仮名表記に一部変換)  とあった。論考に青木亮人「『写生』を有季定型に結晶」、岸本尚毅「職業としての俳句」。エッセイ「私と虚子」に、池田澄子・稲畑廣太郎・岩田奎・奥坂まや・櫂未知子・如月真菜・斉藤志歩・野名紅里・村上鞆彦。百句鑑賞に安原葉「珠玉の花鳥諷詠詩を味わう」。じっさいは102句になったという鑑賞文は年代別に分けてあるので、その中から、句のみになるが、以下に、いくつか挙げておこう。    遠山に日の当たりたる枯野かな         虚子 26歳    金亀子擲つ闇の深さかな               34歳    春風や闘志いだきて丘に立つ             38歳    野を焼いて帰れば燈下母やさし            44歳    流れ行く大根の葉の早さかな             54歳    襟巻の狐の顔は別に在り               58歳    神にませばまこと美はし那智の滝           59歳    大いなるものが過ぎ行く野分かな           60歳    たとふれば独楽のはぢける如くなり          63歳    天地の間にほろと時雨かな              68歳    初蝶来何色と問ふ黄と答ふ              72歳    去年今年貫く棒のごときもの             76歳    明易や花鳥諷詠南無阿弥陀              80歳    風生と死の話して涼しさよ              83歳   春の山屍をうめて空しかり              85歳  高濱虚子(たかはま・きょし) 1874(明治7)年2月22日~1959(昭和34)年4月8日、享年85。 ★閑話休題・・尾池和夫「冬の日の花綵列島静かなり」(「週刊 ...

黒岩徳将「あいうべ体操秋空に舌垂らす」(「かばん」12月号)・・

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 「かばん」12月号・通算489号(発行人 井辻朱美/編集人 高村七子)、「かばん」別冊・40周年記念号(発行人 井辻朱美/編集人 土井礼一郎)。「かばん」12月号の「かばんゲストルーム」に、俳人の黒岩徳将「あいうべ体操」8句。特集は、堀静香第一歌集『みじかい曲』(左右社)、その歌集評に笹川諒「〈物〉の聖性/いつか死ぬ」、飯島章友「『みじかい曲』の時間論」、久間木志瀬「あかるいエスカレーター」、「会員による一首評」に土井礼一郎、夏山栞、齋藤けいと、大甘、浅香由美子、来栖啓斗、生田亜々子。堀静香書下ろしエッセイに「ギャル文字jさない」。堀静香(ほり・しずか)は1989年、神奈川県生まれ、山口県在住。また、お祝いイベントで「かばん 40周年 記念題詠 題『40』」で106首が投歌されていて、さらに各人が投票して、投票順位が公表され、かつ「評・感想」が付されている。さらに、その座談会がユーチューブ「 チャンネル名:かばん40 祝。かばん40周年企画『がやがや動画』 」で観ることができるようになっている。ここでは、その一位(35票)、二位(24票)三位(23票)の歌を以下にあげておこう。   わたしたち四十の爪を光らせるけだものとして春をあゆめり      甲斐 無所属   待ち合わせを40分も過ぎたのにまだ春からの連絡がない     春ひより 無所属   煮崩れた花豆を掬うだけの宵40分後も猫はまだ猫        土居文恵 かばん   ともだちの40色のクレパスのなかでっゆっくり日が暮れてゆく  萩原璋子 かばん     「かばん」別冊・「40周年記念号」には、「かばん 結成秘話/40周年を迎えて」のエッセイに井辻朱美「『かばん』創刊の頃」、「結成秘話★初代村長に聞く/中山明」。さらに「かばん 歴代編集人のヒトコト/とっておきの話も…」では、「歴代編集人・副編集人」の担当年度と号数が表になっているが、眼を瞠るのは、1990年以来、毎年4月には編集人・副編集人が交代しているこである。従って、人数をざっと数えただけで、50人をい超える。これはすごいことだと思う。いわば雑誌を発行するに際しての実務のアレコレがの作業が、各同人に共有されている、ということでもある。  「かばん 《てくてく》40年」の扉には、   1984年4月の創刊から44年という歳月を経て、2024年...

石原友夫「悔いならば積もるほどあり今朝の雪」(第65回「ことごと句会」)・・

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 本日、12月22日(日)は、第65回「ことごと句会」(於:新宿区・大久保地域センター)だった。兼題は「美」。以下に一人一句を挙げておこう。    竈猫幸薄そうな役どころ            渡邉樹音   枯蓮ひゆつと息つくジャコメッテイ       林ひとみ    美しき残像たぐりよせれば枯芙蓉       杉本青三郎    落暉いま人を包みて石蕗の花          武藤 幹    托鉢の柱背にして師走かな           杦森松一    雨しとど咳が谺す美術館            江良純雄    いただきますと言っても一人 晦日蕎麦     村上直樹    丁丁と、とある詩人の人の詩 (うた)     金田一剛    無口よし飾らんでよし冬木立          石原友夫    寒雀朝日に喉元ちからぬく           照井三余    被団協灯すトランププーチン習近平の夜に    渡辺信子    聖堂はるか滅びる者へ散る山茶花        大井恒行   次回、一月はお休みで、2月15日(土)の予定。   ★閑話休題・・アイヌの歌姫・藤戸ひろ子+ナマステ楽団・タブラ楽師、ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンディ「愛をはじめよう、ほほえみに帰るように!」(於:南千住泪橋ホール)・・  作日、12月21日(土)は末森英機のナマステ楽団とアイヌの歌姫・藤戸あやこのトーク・ライブ(於:南千住・泪橋ホール)に出掛けた。ただ、末森英機は手術を含む入院となって、演奏に来られず、いつものコンビを組むタブラ楽師、ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンディとアイヌの歌姫・藤戸あや子の共演ライブとなった。   織田忍『山谷めぐる旅』(新評論)、本書には「泪橋ホール」のことも出てくる。かつての、山谷争議団、映画『山谷(やま)―—やられたらやりかえせ』の舞台でもある。本書の結びには「 山谷は生き直しができる稀有な場所かも知れない。なぜなら『ヤマ』は、『敗北感』こそが役に立つ街んさのだから 」とあった。本の帯には、   長くセーフティネットとして機能してきた日雇い労働者の街「山谷」  消えゆくドヤ街を前に、寄せ場の歴史をたどり、  引き寄せられた者たちの記憶を掘り起こす  生と死を見つめるノンフィクション  とある。  織田忍(おだ・しのぶ) 1975年、千葉県生まれ。現...

林亮「丹頂を降ろして天に帰るもの」(『詩筒』)・・

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   林亮句集『詩筒』(私家版)、シンプルな句集。「あとがき」もわずか5行である。   前句集「致遠」(令和四年十二月刊)以降の約二年間の作品の中から、季節ごとに十の題を定め、一主題七句として二百八十句を選んでみました。  「草樹」の会員をはじめ多くの人に読んでいただければと思っています。  句集の名については、この冊子を「詩を書いた紙を入れる竹のつつ」に見立てて「詩筒」としました。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。    何か浮く薄氷でなく水でなく         亮    終へし後も花をよそほふ梅の紅   雪間草明日のみどりを今日にはや   花吹雪次逝く人を真白くす   老いし子の眼花にくもる母子草   ゆつくりと吹きて間に合ふ春の風   魂ぬけのうつけに七賢竹の秋   蛍火にいくたびとなく舟の燃ゆ   曼殊沙華劫火に蘂のありとせば   はなびらを濁りと見立つ菊の酒   個の声のいくつか残る虫時雨   夜をさらに暗くもしたる籾殻火   咲くことをもつてことほぐ返り花   わづかなる声に日を継ぐ冬の虫   明け方に吹き手の代はる虎落笛   凍てを経て要らざる音のなき滝に   風花をいくひら止むに間に合はず   逝くことの真意は春を待てぬこと   林亮(はやし・まこと) 1953(昭和28)年、高知県生まれ。         鈴木純一「かづらきの蒲団にもどる寝釈迦かな」↑

蕪村「水仙や寒き都のここかしこ」(「新・黎明俳壇」第12号より)・・

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   「新・黎明俳壇」第12号(黎明書房)、特集は、「気鋭の俳人10人が鑑賞!“郷愁の詩人“与謝蕪村を読む」。特集の扉には、「『 郷愁の詩人与謝蕪村』からは武馬が20句選び、各2句ずつペアで鑑賞していただきました、朔太郎VS現代俳人をお楽しみ下さい 」とあり、執筆陣は、川嶋ぱんだ・村山恭子・岡村知昭・星野早苗・小枝恵美子・若林哲哉・赤野四羽・田中信克・千葉みづほ・横山香代子。その他の連載記事もなかなか興味深いものばかり。川嶋由紀子「近江の言葉たち③宮沢賢治星」、松永みよこ「俳句の中の非知たち⑪人の作れぬ美しいもの」、太田風子「ニューヨークから俳句⑫/SHOの落書アート」、ひらの浪子「遠くの句碑・近くの句碑/愛知・杉田久女句碑」、赤石忍「俳句こぼればなし/選ばれる句・唱えられる句」、朝倉晴美「二十四節気を俳句で楽しむ/冬至」、千代女「俳句殺人事件簿⑫/隣の客」、武馬久仁裕「名句再発見/与謝蕪村ー『牡丹散て』の英訳を味わう」等々。  本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   葱抜いて急に線路が近くなる      森澤 程    森深くモルナカ蝶の眠る郷       瀧澤和枝   追憶のトレードセンター霧の中     太田風子    柚子ちゃんを思う冬至の日暮かよ    朝倉晴美    雪片のああこんなにもかさならぬ    杉山久子    夏氷刹那に融けている地球       天海 楓(第46回黎明俳壇特選)    タンカーの南へ向かふ厄日かな     大山高正(第47回黎明俳壇特選)    秋時雨あなたと出会う少し前     武馬久仁裕   撮影・芽夢野うのき「うっすらと日が差すうたかた朝の岸」↑

ローランド・ハーゲンバーグ著・画「夢のしずくの静けさ」(『POEMS/BEDSIDE]』より)・・

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 ローランド・ハーゲンバーグ著・画(抄訳 ローランド・ハーゲンバーグ 赤星堂)『BEDSIDE/POEMS』(書肆まひまひ)、「あとがき」の日本語部分のみを記しておくと、     私の内なる声と共に、時代を超えて  後になって、遠くから振り返ってみると、書くということは不条理な仕掛けのようだった  書くことの始まりは、眠っている時や途上で  その後に何が来るかは決して分からない  以下に、日本語訳の部分のみになるが、いくつかの短い詩篇を挙げておこう。   私たちの周りでは  病院の所見が燃えている  しれは私たちの欲望の  誤った診断だから  完璧な一日!  風が私の思考を彩る  太陽が雲のふちを  彩るように  しかし  その時突然 創意工夫  私は夏の脚の間に  花を摘む  あなたは賢い人だ  砂糖の道を切り開き  ハニートラップを仕掛け  存在しない未来を信じさせ  嫉妬のスリルを追い払う  *ローランド・ハーゲンバーグはウイーンで育ち、現在は京都と東京を拠点に作家、アーティスト、写真家として活動。 ★閑話休題・・高野芳一「鯨飛ぶ薄暮に割れし水平線」(第36回「きすげ句会」)・・  本日、12月19日(木)は。第36回きすげ句会(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「冬至」。以下に一人一句を挙げておこう。       冬至の日白湯へ添えたる銀の匙      井上治男    熱燗に錯覚の羽広げたり        久保田和代    鴨の水尾うすらぐあたり水尾あらた    寺地千穂   冬至のそら天使の梯子置き去りに     濱 筆治   冬至来る一ミリの差の岐路に立つ     杦森松一    冬紅葉水に落ちても影の中        高野芳一    日向ぼこの福竜丸老ゆ夢 (ゴミ) の島   山川桂子    一陽来復地球 (ほし) も期待す被団協   清水正之    冬至の日庭の柚子入れひたりけり     井上芳子    みな傷む身体をもてり虎落笛       大井恒行  句会の後は、府中駅近くの中国料理・福泰飯店にて、忘年会だった。  次回は1月23日(木)、兼題は「初」。  皆さん良いお年をお迎え下さい!!      撮影・中西ひろ美「赤き実に年の残りを知らさるる」↑

石川青狼「雪暗(ゆきぐ)れの湿原列車から汽笛」(「幻日」第3号)より)・・

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 「幻日」第3号(発行人 石川青狼・事務局 鮒橋郁香)、巻頭のエッセイは石川青狼(せいろう)「『くちびる山』吟行記」、それには、     初夏の月放ちてくちびる山幼し   金子兜太  平成十年(一九九八)六月七日、掲句の句碑が大雪山国立公園・然別湖畔(鹿追町)に建立され、句碑除幕式が行われた。あわせて祝賀句会と祝賀会が開催された。  序幕は鹿追町長岡野友行様、金子兜太句碑建設委員会・鹿笛吟社加藤日射会長、「海程」山中葛子が行い、粛々と序幕の儀が行われた。  落成式典には金子兜太主宰誌「海程」会員の道外からの参加者は「北の旅」ツアーが組まれ、安西篤、武田伸一、山中葛子、塩野谷仁、伊藤淳子ら主要同人三十名が参加。道内からは帯広市の鈴木八駛郎をはじめ、旭川市の加川憲一、十河宣洋、井出都子、釧路からは丸山久雄、福島昌美、堺信子ら十二名の参加があり、奥野ちあきも参列してくれた。  とあった。ともあれ、以下に本誌より一人一句を挙げておきたい。      フラメンコ阿寒颪を踏み鳴らせ        石川青狼    ひと品は天窓の月食卓に           子飼紫香    ブランキストン線わが化身なるヒヨドリは   斉藤郁子    原野煌煌浮き足の白虹            清水健志    囀りやぜんまいの無きオルゴール     中村きみどり    去年今年いま天辺の回転木馬 (カルーセル) 西村奈津    踏切にQRコード秋涼し           鮒橋郁香 ★閑話休題・・宮川夏「なよなよもつんけんもせず寒椿」(第3回「浜町句会」)・・                                     忘年会ー於:浜町・筑前屋 ↑  本日、12月18日(水)は、3か月ぶり、3回目の「浜町句会」(於:中央区・久松町区民館)だった。雑詠3句持ち寄り、句会の後は忘年会。  以下に一人一句を挙げておこう。    もみ殻の中に決意の林檎かな         武藤 幹    今更とポツンと言って寒烏          宮川 夏   漱石忌ときどき取り出してみる心      杉本青三郎     焼鳥は透きです前世は鳥です...

江里昭彦「眼を病めり ああとおき世の捨身飼虎(しゃしんしこ)」(「左庭(さてい)」57号)・・

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 「左庭(さてい)」57号(さてい 編集・発行人 山口賀代子)、編集後記と思える「つれづれの」の末尾に、同人の「 伊藤悠子さんの詩集『白い着物の子どもたち』(書肆子午線刊)が、第31回丸山薫賞を受賞されました。伊藤さんおめでとうございます 」と記されている。 「左庭」の同人は、伊藤悠子・江里昭彦・君野隆久・冨岡郁子・堀江沙オリ・岬多可子・山口賀代子の7名。ここでは、唯一の俳人である江里昭彦の作品「希望が消えたとき 愛は飛び去らねばならぬ」10句より、いくつか挙げておきたい。  因みに、「 折れた翼をひろげたまま/あなたの上に落ちてゆきたい  /加藤登紀子『難破船』」 の献辞が添えられている。    漂える迦陵頻伽 (かりょうびんが) は恋知らず        昭彦    もう勃 (た) たぬ乳首 昧爽 (よあけ) の青海波   水兵が戯れ唄を撒く帆柱 (マスト) かな   有為のおくやま毛脛抱く夢きりもなや   冥府でも股間の汗と脇の汗 ★閑話休題・・「坑口を開けたぞ!82年の闇に光が届いた・・・」(「刻む会たより」NO.94[特集号]・2024年11月28日より)・・   この「刻む会たより」No.94のリードに、  多くの皆様の募金のおかげで、長生炭鉱水没事故から82年の時を経て、どこにあるか分からなくなっていた坑口を探し当て、掘り出すことができました。心より感謝申し上げます!そしてこの坑口を前に、国内外からご遺族を招いての10.26集会を開催し、250名の参加者で祈りを捧げることができました。  集会に参加した韓国遺族会会長は、「坑口が開いたからと言って喜んでいる場合ではない、遺骨は確実にある。発掘を至急にしなければならない」と記者会見で述べられました。  とある。1942年2月3日、山口県宇部市で起きた宇部炭鉱の海底炭鉱・長生炭鉱で起きた落盤水没事故(坑内にいた朝鮮半島出身者136名、日本出身者47名が生き埋めになった)、戦中ゆえ歴史からは抹殺されていた。1991年1月、市民団体「長生炭鉱の“水非常“を歴史に刻む会が発足したという。本年9月、これらをクラウドファンテングによる坑口の発掘とダイバーによる潜入が開始されたことはを、愚生は「長周新聞」の記事、報道で知り、同じ宇部に住む江里昭彦なら、このことの詳しいことを知っているに違いないと思っていた(ある...

フランツ・カフカ「闇の暖かさのない闇」(頭木弘樹編訳『カフカ俳句』より)・・

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  フランツ・カフカ/頭木弘樹編訳『カフカ俳句』(中央公論新社)、帯に、   手紙や日記などの遺稿から精選80句+解説  九堂夜想(俳人)との特別対談収録  彼の一行が、俳句に変身する  夕方、森へ。月が満ちている―ーフランツ・カフカ    カフカ没後百年  とあり、「本書について」では、 ・カフカの言葉をあえて「句」と呼んでいます。カフカの言葉を俳句に見立てるという趣旨だからです。 ・カフカの言葉を俳句っぽく訳すということはしていません(たとえば五・七・五にするとか)。ありのままのカフカの言葉を、あえて俳句として味わってみるという趣向だからです。 ・解説は、たんに説明ということではなく、カフカのことを書いたり、自分(頭木)のことを書いたり、かなり自由な内容になっています。 とあった。また、頭木弘樹「はじめに」の中に、  カ フカの短い言葉は、俳句のようだなあ。  私は以前から、そんなふうに思っていました。  たとえば「鳥籠 (とりかご) が鳥を探しにいった」というような言葉です。創作ノートの中に、ただ、一行、こう書いてあります。  もちろん五・七・五になっているわけではありませんし、季語もありません。  でも、自由律の俳句として味わうこともできるのではないかと。 (中略)   なお、カフカは自分の本を出すときに、出版社にこんなふうに頼んでいます。 「可能な限り、最大のの活字でお願いします」 「小説というよりも詩のようなもので、そういう効果を出すためには、物語のまわりにそうとうゆったりした空間が必要なのです」  その希望になるべくそって、本書でも、カフカの言葉は大きな活字にして、周囲にゆったりした空間をとるようにしてみました。  とあった。以下には、カフカ俳句のみをいくつか挙げておきたい。    まっすぐに立つ不安              カフカ    深淵の上に横たわっている   おまえは宿題。生徒はどこにもいない   黒い水をかき分けて泳ぐ      ドアがぱっと開き、   家のなかに世界があわられる   わたしの心臓のなかで   ぐるぐる回っているナイフ   わたしの耳にひしひしと迫ってくる孤独   夜たちのせい   わたしの毛皮に、わたしの手が届かない   ある朝、ベッドの中で、虫に変わっていた   わたしは人間とは暮らせない   フランツ・カフカ 188...