江里昭彦「眼を病めり ああとおき世の捨身飼虎(しゃしんしこ)」(「左庭(さてい)」57号)・・
「左庭(さてい)」57号(さてい 編集・発行人 山口賀代子)、編集後記と思える「つれづれの」の末尾に、同人の「伊藤悠子さんの詩集『白い着物の子どもたち』(書肆子午線刊)が、第31回丸山薫賞を受賞されました。伊藤さんおめでとうございます」と記されている。
「左庭」の同人は、伊藤悠子・江里昭彦・君野隆久・冨岡郁子・堀江沙オリ・岬多可子・山口賀代子の7名。ここでは、唯一の俳人である江里昭彦の作品「希望が消えたとき 愛は飛び去らねばならぬ」10句より、いくつか挙げておきたい。
因みに、「折れた翼をひろげたまま/あなたの上に落ちてゆきたい /加藤登紀子『難破船』」の献辞が添えられている。
漂える迦陵頻伽(かりょうびんが)は恋知らず 昭彦
もう勃(た)たぬ乳首 昧爽(よあけ)の青海波
水兵が戯れ唄を撒く帆柱(マスト)かな
有為のおくやま毛脛抱く夢きりもなや
冥府でも股間の汗と脇の汗
★閑話休題・・「坑口を開けたぞ!82年の闇に光が届いた・・・」(「刻む会たより」NO.94[特集号]・2024年11月28日より)・・
この「刻む会たより」No.94のリードに、
多くの皆様の募金のおかげで、長生炭鉱水没事故から82年の時を経て、どこにあるか分からなくなっていた坑口を探し当て、掘り出すことができました。心より感謝申し上げます!そしてこの坑口を前に、国内外からご遺族を招いての10.26集会を開催し、250名の参加者で祈りを捧げることができました。
集会に参加した韓国遺族会会長は、「坑口が開いたからと言って喜んでいる場合ではない、遺骨は確実にある。発掘を至急にしなければならない」と記者会見で述べられました。
とある。1942年2月3日、山口県宇部市で起きた宇部炭鉱の海底炭鉱・長生炭鉱で起きた落盤水没事故(坑内にいた朝鮮半島出身者136名、日本出身者47名が生き埋めになった)、戦中ゆえ歴史からは抹殺されていた。1991年1月、市民団体「長生炭鉱の“水非常“を歴史に刻む会が発足したという。本年9月、これらをクラウドファンテングによる坑口の発掘とダイバーによる潜入が開始されたことはを、愚生は「長周新聞」の記事、報道で知り、同じ宇部に住む江里昭彦なら、このことの詳しいことを知っているに違いないと思っていた(あるいは、関わっているであろうと・・)。この度、「左庭」に同送されてきた「刻む会」により、いくばくかの詳細を知りえることができた。深謝!!
芽夢野うのき「ほんまにこれは母と見たしや柿花火」↑
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