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川島由紀子「負けん気と寒気ぶつかるイヤリング」(『アガパンサスの朝』)・・

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 川島由紀子第二句集『アガパンサスの朝』(朔出版)、帯文は坪内稔典、それには、     秋の窓開けて夕焼けクラブ員  「夕焼けクラブ」があったらボクも入会したい。「川島さん、夕焼けクラブをつくろうか」と言えば彼女はすぐに行動に移るだろう。その行動力が彼女の魅力である。そしてその行動力は、句づくりにおいても発揮されている。この句集の作品の基調をなす多彩な「取り合わせ」がそれだ。  とある。また、著者「あとがき」には、  (前略) 句集名は「新しい朝の雨音アガパンサス」に由来します。アガパンサスは、私が幼い頃住んでいた家の庭に母が植えた花でした。  思えば、私の俳句は詠むときも、また読むときも仲間とともにありました。ある「俳句講座」が閉鎖になった時は、その時のメンバーと俳句グループ「MICOASIA」(講師・坪内稔典)を結成しました。 (中略)   仲間の中で俳句を作り続けることは、自分を客観視することに繋がり、季語(季節)に向き合うことで、自然に心を開いてゆけば、ちっぽけな自分であっても心が広々してきました。 (中略)  国と国との戦争も人と人との諍いも、一向に無くなりそうもない現実にあっても、新しい朝の雨音と共に咲くアガパンサスの希望を、忘れないでいたいと思います。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。   触れてみるロダンの像と草の芽と        由紀子    蒲の絮射手座の放つ矢を受けて   黒牛の逆三角形冬が来た   啓蟄の少年ひょいと木に登る   すいと来て今もすいっとすいっちょ   ホントはって言いそうになる林檎剥く   指笛はすすきを分けてきた風だ   疑心ならザボンの皮と刻んだわ   春著着てたっぷり泣かはる笑うわはる   人に臍あんパンに臍獺祭忌   新しく昨日今日明日青木咲く   もがり笛小鬼の少女駆けてくる   火の玉の地球に住んで雪の朝   フランスパン長くてあっと秋の虹   川島由紀子(かわしま・ゆきこ) 1952年、東京都生まれ。       撮影・中西ひろ美「冬兆すなどど語りて早起きす」↑

中村和弘「穂孕の闇に鶏糞においけり」(「陸」1月号)・・

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  「陸」10月号(陸俳句会)、「五七五の本棚 句集紹介(五)」に、愚生の句集『水月伝』(ふらんす堂)の評を瀬間陽子が丁寧に書いていただいている。深謝!!少し紹介したい。   大井恒行氏の第三句集である「水月伝」は、この一句から始まる。   東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク  三つの地名と「空襲」、「廃墟」の文字。一九四五年太平洋戦争末期の東京大空襲と、二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ。その二つのあいだに、時間を歪ませたかたちでアフガニスタンの廃墟が置かれる。見えるのはねじ曲げられた時間と空間だ。東京にもアフガンにもニューヨークにも、同じ次元で広がる「廃墟」。作者の静かで痛烈な怒りの声が聞こえる。 (中略)   Ⅱの章、Ⅳの章は、作者の内面が色濃く投影されている。空や大地、雨や鳥、山や木や花など自然の光景に、俳句と長い年月をかけて関わり、年齢を重ねられた現在の心象が詠み込まれている。俳句の言葉でなければ表現できない、重大な告白を聞くようであった。   鳥かひかりか昼の木に移りたる   雨の   氷雨の   日暮らし   みがく風の玉   赤い椿 大地の母音として咲けり     また、本誌の「編集後記」に、「『 俳壇』九月号の中村和弘主宰特別寄稿『見える物見えない物へ』はご覧になりましたか。中村先生がかねてから口酸っぱくおっしゃっている〈もの俳句〉〈ことがら俳句〉について論じられておられます」 とあった。その中村和弘の結びの部分のみになるが、以下に挙げておこう。  (前略) 実は、事柄による俳句はなかなか難しい。つい意味で述べてしまうからである。しかし私は〈ことがら俳句〉に未来あり、と考える。今日〈もの俳句〉に行詰り感が出ているからである。ただし、思想・現実認識・詩性など作者の独自性、なにより表現力が求められよう。意味に頼らない、そして類想の無い新鮮な〈ことがら俳句〉を期待する。  とある。ともあれ、以下に本誌より、いくつかの句を挙げておきたい。    夜なべして夜の硬さになつてゐる         大石雄鬼    葭切やもう分かつたよ分かつたよ        浅沼眞規子    暑中見舞いに大津絵の鬼が来る         大類つとむ    百日紅目を瞑らずに子を孕む           瀬間陽子    大公孫樹来し方未来語る喜寿           竹内實

島一木「風呂吹にしるす十字架われも信徒」(『日月耕読』)・・

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   島一木『日月耕読』(冨岡書房)、装画は著者。いつものことながら、略歴もなければ「あとがき」なども何もない。句集はすでに4冊目ではないかとおもうが、不明である。愚生が覚えているのは。かつて、高柳重信亡きあとの暫くを、阿部完市、三橋敏雄、藤田湘子などでの共同編集時代があり、その実務を澤好摩が担っていた頃、原正樹こと島一木は、その実務を補助していた。その後、「俳句研究」は角川書店の子会社・富士見書房に買い取られ、彼は失職した。その無職の時代、毎日、俳句文学館に開館から閉館まで毎日通い詰めては俳句漬けの日々を送っていた。従って、愚生がごくたまであるにも関わらず、俳句文学館に行くと必ず彼に会えたのだった。その後、しばらくして彼は実家のある関西に戻り、阪神淡路大震災に遭遇した。震災後のボランティアで日々くたくたになっていた。一度だけ、俳句なんかまったくできません。倒れ込むように寝て、また起きて現場に行くだけですと愚生に便りして、音信は途絶えたのだった。その彼が健在であったことだけで嬉しい。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    いざご帰還 放蕩息子の夏の果て        一木    潮騒や埠頭へ蝶はかへりくる    扇子にて顔をかくすは狐かも   枯れ木の根 都市から都市へのびる荒地   トランプにあらず落ち葉の寝覚めかな     蜩よ詠嘆の度が過ぎてゐる   よつこらしよ 蜷のあとから 蜷うごく   食器棚より皿しづみゆく春の海   波として粒であるとは日脚のぶ   山彦の返しともなく落し文   花人の連れなる犬は花を見ず   とくとくの清水とくとくちとせかな   逆しまにとまり擬態の蝶となる   紅葉へと疎水の渦は移りゆく  ★閑話休題・・河口聖展「Recollection」・樋口慶子展「地といきもの」(於:ギャラリー檜e/F)・・                 河口聖氏↑  一昨日、河口聖展・穂口慶子展ともに、最終日にやっとギャラリー檜e,Fを訪ねることができた。       撮影・芽夢野うのき「ひたすらに膝掛け毛布の緋が恋し」↑

須藤徹「野分後太極拳が空気割り」(「現代俳句」11月号より)・・

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 「現代俳句」11月号(現代俳句協会)、主要記事は第25回現代俳句協会年度作品賞の発表である。年度作品賞の受賞者は村田珠子「霧の海」。 佳作は木村和也「さりさりと」と望月士郎「そらいろの空箱」であった。選考経過は宮崎斗士、選考委員評は岡田耕治、神田ひろみ、倉田明彦、木暮陶句郎、鈴鹿呂仁、田中朋子、松本勇二。他の連載記事に小野芳美「 横山白虹と松本清張 ー『眼の壁』『巻頭句の女』『時間の習俗』の句を中心に(2)」。巻頭エッセイの「直線曲線」に塩見恵介「 俳句称美の基準三十項 」。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   雪吊の溶暗までの禊かな         久保純夫    霧の夜の栞のごとき訃報かな       小林恭二    猫の目の碧を絞りて霜の朝       木暮陶句郎    にんげんが空に住む首都鳥わたる     江中真弓    一木一草夏霧の海の中          村田珠子    寒さうな水汲んでくる子どもかな     木村和也    8月の8をひねって0とする       望月士郎     ドイツ    まづヨハンの鵞鳥に名づけクリスマス   山崎秀貴    影のかたち違ふふたりの里神楽      川又 夕   虫しぐれ記憶がすり替えられてゆく   羽村美和子    狐の剃刀銭湯とうふ屋消えました    石橋いろり    秋風や右向け右は怖ろしき        山﨑十生    神話まで自転車でゆく小春午後      山本敏倖 ★閑話休題・・山口明子「蹲(つくばい)にブリキの金魚秋に入る」(第71回三鷹市市民文化祭俳句会 文化祭賞)・・  本日、11月10日(日)、三鷹市中央防災公園・元気創造プラザ 四階ホールに於いて、第71回三鷹市市民文化祭俳句会が開催された。特別選者は愚生と津久井紀代。表彰式は改めて開催されるそうである。その他、特選、佳作などの作者名などは、三鷹俳句会(会長・根岸操)から、正式に広報されると思う。  愚生は、文化祭賞の句・山口明子「 蹲 (つくばい) にブリキの金魚秋に入る 」は特選の次の佳作に選び、特選句としたのは、    地震 (なゐ)の浜瓦礫の浜や雁供養     林 真志  の句であった。     撮影・中西ひろ美「立ち止まる音なき泪夫藍が愛しき」↑

松澤雅世「猫の眼の撃ち返すなり稲光」(「四季」11・12月号)・・

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 「四季」11・12月号(四季会)、特集は、「河村正浩句集『うたかたの夢』、執筆陣は瀬藤芳郎「『うたかたの夢』について」、広井和之「心象造型=『うたかたの夢』を求めて」、佐々木克子「散る前に」、倉林ひとみ「『うたかたの夢』私の好きな俳句」、中山文子「『うたかたの夢』を拝読させていただいて」、石川綾乃「句集『うたかたの夢』を読む」、伊東類「“うたかた“などと言う勿かれ」、村井一枝「河村正浩様」。また、他に愚生の句集『水月伝』について、伊東類が「句集を読む」で丁寧に評してくれている。深謝!! その一部を引いておきたい。  (前略) 草も木もすなわちかばね神の風      凍てぬため足ふみ足ふむ朕の軍隊      多喜二忌はピエタ神も仏もなきと母 (セキ)       かたちないものもくずれるないの春      戦争に注意 白線の内側へ  Ⅰには主に戦争、原子力発電所、辺野古、冷害なそ時事的な素材を主に構成されている。時事的というと批判的な内容になるが、それだけなく当事者に寄り添う、特に「神の風」や「多喜二」の句に見える深い情けの情は持って行きようのない苛立ちさえ感じる。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    秋やへうへう碧落の麓亭忌        河村正浩    蜻蛉にまぎれすいすい生國へ       石井長子    今生に謎の残りし原爆忌         遠藤久子   満月にコインと恋の裏表         瀬藤芳郎    おみならに軽き飢えあり夜の蝉     佐々木克子    鬼灯の奥へ戦をしかけたる        広井和之    語り部のあやつる汗をかかへたる     伊東 類   朝顔の青き一輪とは一会        戸田みどり    頂は極められずに芒原          中山文子    幼虫の小さし山椒は実となりぬ      難波昭子    恋人は野の花のやう糸瓜の忌       石川綾乃    カクテルの塩の冠星月夜        倉林ひとみ  ★閑話休題・・森澤程「ザムザかさこそ十六夜の揺椅子」(「ちょっと立ちどまって」2010・10)・・  津髙里永子と森澤程のお二人の、月に一度の葉書通信「ちょっと立ちどまって」より。       宇宙へは行けぬ夜霧が重いから        津髙里永子              撮影・

黒田杏子「紬着て発たれし後の十三夜」(『一行の自己表現』より)・・

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 黒田杏子『一行の自己表現』(朔出版)、「あとがきに代えて」には、   本小冊子は、二〇〇三年十月十八日、三菱商事株式会社で行われた「MC経営塾」に於いて、講師としてお招きした故・黒田杏子氏の講演の記録である。  黒田杏子氏が二〇二三年三月十三日に急逝された折、嘗て講演をお願いした会社の責任者として、人事部へ関連資料の照会を行った処、講演を録音したコンパクト・カセットテープが保管されていることが判明した。直ちに関係者で試聴してみたが、録音自体に欠落がある他、再生機器が旧式のアウトプットであることから、再生に多くの手間と時間を要した。 (中略)  なお。講演の後半には、黒田杏子氏による受講者詠の句評もあり、長時間に及んだが、句評の部分は割愛した。     二〇二四年五月吉日                       三菱商事株式会社顧問  古川洽次  とあった。本書は黒田杏子のご主人・黒田勝雄氏から届けられた。その「ご挨拶」に、 「この度……杏子八十六回目の誕生日となる日に世に送り出され 」とあり、歳の結びに、「 皆様のお心に杏子の言葉が届くことを願っています 」とあった。ともあれ、本書中の「 小岩の園長さん 」の部分から抽いておこう。  (前略) 八十歳から始めて、NHK生涯教育センターというところの通信教育に入りまして、句集も歌集も出しましたけれども、そのおばあさんの代表句は、    もうじきに参りますよと墓洗ふ  墓洗ふというのが季語です。お盆の時期なんです。この句は、死んだ旦那さんのお墓を洗っているわけです。 (中略)   それでもう一つ、この人にはすごい句がありまして、保育園もつくったんですね。ご主人が死んでから、小岩のお寺の境内に。羽生瑞枝さんという名前なんですけれども、みづえ保育園とおうのをつくって、園長になったわけです。娘さんがもう七十八歳ぐらいです。だって、お母さんが百二歳ですから。   此の国を頼むと渡す卒園書  卒園書というのは保育園の卒業証書ですよ。 (中略)  そうしたら、一か月経った頃に、先生、先月の句を訂正しますって、本人が自分の字で書いているんですよ。代筆なんかしてもらってないんですから。   此の国を興せと渡す卒園書  その人は字が本当にお上手で、年賀状は、百歳を超えても子供と一緒になって作っています。   とあった。    黒田杏

白鳥美智子「外国(とつくに)の言葉間近に深大寺」(立川市シルバー大学・第3回「俳句講座」)・・

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 11月6日(水)は 、立川市シルバー大学第3回「俳句講座」(於:立川市曙福祉会館)だった。宿題は「無季(雑)で作る俳句」2句を持ち寄って句会と後半は、俳人紹介のコーナーにしている。今回の俳人は、前回に資料配布をしておいた高屋窓秋。  ブログタイトルにした句「 外国 (とつくに) の言葉間近に深大寺 」は、互選の高点句である。ともあれ、1人1句を以下に挙げておこう。    庭仕事百の年輪手を合せ               島田栄子    つきぬけて天色 (あまいろ) の空風白し       堀江ひで子    鎮 (しず) まりし魂 (たま) もあらむや墓じまひ    中尾淑子    宵の星みなそれぞれに帰る家             大西信子    真夜中の天体劇や宙 (そら) の詩 (うた)     古明地昭雄    祝宴や外れし音もマイウェイ            小川由美子    暗闇 (くらやみ) に音 (おと) だけ響く古時計     中村宜由    お陽さまのもったいなくも疎ましく          林 良子    継ぎ紙の平安の香に胸躍る             村上たまみ    ドッグラン昭和公園種々 (しゅしゅ) 競 (きそ) ひ  白鳥美智子   細き腕押す車椅子丸き背と              原 訓子    榛名山モザイクに染め澄み渡る           赤羽富久子    ショウタイム快音響け万華鏡             手島博美    逆行す車内を過去に戻るごと             大西信子    パスワード打ち込む母の誕生日            山下光子    みどり児の夢飛行機雲に乗せてみる          大井恒行  次回、12月4日(水)の兼題は「落葉」「雪」。 ★閑話休題・・関戸信治「八月の空へ飛べない鶴を折る」(第42回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会より)・・                  秋尾敏氏↑  過日、11月4日(月・祝)は第42回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会(於:武蔵野スイングホール)だった。秋尾敏講演「 碧梧桐と虚子ー現代俳句のルーツについてー 」を聴きに出かけた。予想していなかったきすげ句会の仲間や入選を果たした川崎果連、白石正人、そして、田中信克にも会った。       撮影・中西ひろ美

河本緑石「こんな美しい星空で児を火葬にする」(『中井金三と砂丘社の仲間たち/〈不思議の町倉吉〉100年の旅から未来へ』より)・・

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 波田野頌二郎著『中井金三と砂丘社の仲間たち/〈不思議の町倉吉〉100年の旅から未来へ〉』(ふらここ叢書)、その帯には、  焼芋を食べながら、画家中井金三を囲んで若者らは考えた。「芸術が生活だ、美術、文学なんでもやろう」。ここから砂丘社は出発する。前田寛治、河本緑石らが生まれ、モダンの風が吹く〈不思議の町倉吉〉は紡 (つむ) がれていく。…そして100年の時がたち、今、砂丘社の水脈は県立美術館〈アートの足袋〉へ灌 (そそ) ぐ。   町には伝え継ぐべき物語がある。 とある。「まえがき」の前の扉には、      〈アート〉をするよろこびをすべての子供たちへ  の献辞があり、「まえがき」には、   二〇二四年春、中井金三 (なかいきんぞう) 先生が生誕して一四〇年、中井先生を中心として発足した芸術文化団体砂丘社 (さきゅうしゃ) が誕生して一〇五年をむかえました。   私は河本緑石 (かわもとりょくせき) 研究会が発足したときから、会員の高田彬臣 (たかたよしとみ) さんより「中井金三と砂丘社」について本を書くようずっと促されてきました。 (中略)   中井先生は明治三〇年一四歳の時に上京し、西洋画に目覚め東京美術学校へすすみます。優秀な成績を修めながらも、頼る兄の商売が倒産し卒業と同時に郷里へ帰ります。倉吉中学校の美術教師をしながら、若い人たちと砂丘社という芸術文化団体をつくり、町の芸術、文化、教育に計り知れない影響をもたらすのです。砂丘社運動は時間を超えて倉吉、中部、鳥取県の人たちへ波紋ととなって伝播 (でんぱ) していきました。   そして,「あとがき&サイド・ストーリー」の中に、 (前略) 時期を図ったかのように研究会の山崎英俊さんが、一冊の本「倉吉中学創立二五周年記念号」を「これをどうぞ」と渡してくれました。そこに父幸治が「河本緑石君の死を悼む」と題して書いていました。この文章を読んだとき、私は言葉を失い涙があふれてこらえることができませんでした。そこには「君(緑石)が最後の著作として『人間放哉傳』を書いたごとく、だれか『人間緑石』の記録を書く者はいないかと思っている」と誌してあったのです。私は父に七五年たって、「あなたはなぜ今、なぜこの時にこのことを私に伝えに来たのですか」と問いかけ、不思議な世にいる思いがしてならなっかたのです。このたびの『中井金三と砂丘社

福永法弘「ジオラマの湖もみづいろ鳥渡る」(『永』)・・

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   福永法弘第4句集『永(えい)』(角川書店)、帯には、 是生滅法 Tous Les Hommes Sont Mortels 何せうじ くすんで Memento Mori 今生の舞台迫り出す花の上 とある。著者「あとがき」には、  本句集『永』は、『悲引』『遊行』『福』に次ぐ、私の第四句集であり、六十代の俳句日記である。(中略)   句集名は前句集と同様、多くをこだわらず『永』とした。二冊をつなげば私の福永となるが、わかりやすい題名で、気に入っている。 (中略)   還暦を過ぎ父の没年を越えて老境が進むに従い、若い頃には美的にすら捉えていた「死」という観念が、ともすれば、不条理の虚無の翼を広げて覆いかぶさってくる。それを振り払い、振り払い、今生の舞台で愉楽を貪る老残の我が身が哀れで滑稽で、しかし、愛しい。  とあった。ともあれ、以下に愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    彼岸西風我がと名と同じ法弘寺      法弘   雨なれど大雨なれど大文字             泉涌寺    飛ぶ鳥のけふは地にあり涅槃変     祇園一力亭にて節分と大石忌    一力を出て行くお化け入るお化け      「餅寅」裏に明智光秀の首塚あり   桔梗一輪謀反の動機あれやこれ      竹久夢二寓居跡   胸を病む彦乃のけはひ後の月   母を見舞ひて数へ日の一つ減る   動かざる亀と向き合ふ端居かな      奄美群島   ガジュマルに吊りしぶらんこケンムン来            (注)ケンムンは奄美群島の精霊   壺焼や老いらくにして色好み      山口にて天為同人総会   鰭酒の継酒に所望「山頭火」      父の三十三回忌   出迎への狐火灯る無人駅       有馬朗人先生急逝   木の葉髪遺言めくもの何もなし   花ミモザ俳句この頃をんな歌   わくらばや言葉みじかき水みくじ      関東大震災より百年   螻蛄鳴けり木歩は今も二十六     福永法弘(ふくなが・のりひろ) 1955年、山口県美川町(現・岩国市)生まれ。  ★閑話休題・・「金井一郎 翳り絵展ー銀河鉄道を巡る旅ー」(武蔵野市立吉祥寺美術館、~11月4日まで)・・  チラシには、   光と影をテーマとする造形作家 金井一郎(1946年、埼玉県生まれ)。 独自の技法「翳 (かげ) り絵

原満三寿「死神ののっぺらぼうのべらぼうめ」(『俳扉』)・・

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  原満三寿第11句集『俳扉の朝』(深夜叢書社)、帯の惹句には、   天翔けるニッポニアーニッポン天缺ける  木洩れ日の朝がはじまる俳扉 「あらゆる生類が、少しでもやさしく生きられる空を望めないものでしょうか」(「あとがき」より)―—地球温暖化による異常気象は、わたしたち人類が招いた災厄にほかならない。この世界の危機的状況と作者の多様な思いが〈俳扉〉を介して重奏する、異端かつ画期の第十一句集  とあり、背には 「漲る俳諧力」 とある。また、著者「あとがき」には、   三十年ほど親しくしていただいた詩人の飯島耕一さんの代表詩集に『他人の空』があります。崩壊した戦後の精神状況を暗喩したものです。  他人の空にせよ、自分の空にせよ、かつては、そこにまぎれもにあ人や生きものの空がありました。しかし、今の空は、わたしたちに牙をむける凶暴な空と化したと言えるでしょう。温室ガス排出最多更新、世界気温3度上昇も杞憂ではなくなっています。 (中略)   〈俳扉〉は、そうした危惧を抱いている最中に立ち現れた造語です。ささやかでも地球の異常とわたしなりの俳諧力で向き合ってみたいとの思いです。全句集の造語〈俳鴉〉が降られたのかもしれません。 (中略)   俳扉 舞いでてただただ一孤蝶 この句は、前書にあるように齋藤愼爾さん追悼の句です。俳扉を模索していますと、ふわりと愼爾さん想いの句が降ってきたのです。わたしの第二句集から本句集まで、すべて愼爾さんの後押しのたまものです。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    俳扉 百鬼・死民は通りゃんせ         *死民=石牟礼道子さんの造語    枯れ野面 年相応に白光す    秘すほどに勿忘草の情強 (こわ) し   きみたちの未生の修羅を肩車   温暖禍 流木のはらわた曝される   パラソルへバスからうちふる手の無惨   過疎の村 謀議をあおる遺影たち   雪おんな人に憑 (よ) るほど溶ける陰 (ほと)    太郎は咬み次郎は舐める雪おんな   ホームにて若い夕陽にハグされる   蛍狩りうしろのしょうん女盛り   どの鬼も絶滅危惧の鬼種流離   獰猛な空を慰撫して日は昇る         原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道夕張生まれ。 ★閑話休題・・橋本照嵩「ぼくたち わたし

谷口慎也「枯山の智恵くらべなり日が当たる」(「連衆」101号・休刊号?)・・

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  「連衆」101号(連衆社)、編集後記の部分に「 連衆誌いったん休止のお知らせ (9月2 6日)」とあった。詳細は分からないが、  現 在只今の私(谷口)の体調が思わしくなく、引き続き連衆102号の発行に自信が持てませんので、ここで本誌はいったん休止と致します。なお、「連衆」同人(常時参加者)の皆様には、再開のめどがが立った時点でご報告申し上げます。  突然で申しわけありませんが、ご理解下さい。  とあった。ひたすら、ご自愛の上、体調が復されるのを祈るばかりである(氏とお会いしてから35年ほどになる)。先日、愚生の句集『水月伝』について、「夏木久が書くと言っています」と便りをされていた。よって本号に、その通りに、夏木久「 『水月伝』考①―—現代人のための風化させない交響詩入門」(次回に続く) があるので、少し紹介したい。  (前略) 更にもう一つ、目次からの4章の構成を見て、音楽好きの私はすぐに交響曲を想像してしまって、(Ⅰ章のソナタ形式、Ⅱ章の緩徐楽章、Ⅲ章の舞踏(変形)的楽章、Ⅳ章のⅠ章イメージの再現的ソナタ形式…)いた…。まあそんなBGMを脳裏に浮かべながら、句的世界へ乗り込もう。本当に前置きが長くなってしまった…。   東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク  いきなり掲句が冒頭に。三つの地域固有名詞と二つの名詞のみで構成、その二つの名詞「空襲」「廃墟」がどのエリア名詞にもかかり、同時代としての七〇年代を一つの水面に、両世紀の悲惨な映像を、自らの現代の時代状況と同時代ではないが記録記憶にある戦争動乱の過去とを、幻ではない!と映し出すことを試みているようだ。  Ⅰ章主題Ⅰは…戦争?幻でないこの一世紀にも及ばない世界社会の現実実相を確と示す。では第2主題?は…   なぐりなぐる自爆者イエス眠れる大地  イエスの眠る地…、イスラエルパレスチナ周辺の今、現在を想起させ、風化していない現実と、決して風化させてはならない想いが過去の実像、実相を絡め展開するのか。 (中略)     駅から駅へていねいに森を育てる  幾つかの句を掲げたところで、紙幅が尽きた。続きは次号「Q俳句の迷走⑫」にて展開する。Ⅰ章は言葉の表が凄まじく、Ⅱ章は言葉の裏が悩ましい。時間をかけて言葉のイメージが身に沁み込む、緩徐楽章的に。(続く)   とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておき

峰崎成規「臍の緒も渡世の悲喜も無き海鼠」(『遊戯の遠景』)・・

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  峰崎成規第二句集『遊戯の遠景』(角川書店)、帯文は能村研三、それには、   海外での仕事や地元行徳でのまちづくりに東奔西走の毎日を送る、峰崎さんは、多忙な日々に呑まれることなく、動き続ける世界を見詰めている。俳句に向かう時は、ギアチェンジをしてもう一人の私の眼から、世界を「遊戯の遠景」として眺め、俳句に作り上げている。それ故に詩性が宿り、そこから「物の見えたる光」が表出してくるのだろう。  推薦句    歳月を奪ひ去らむと野火走る   とあり、著者「あとがき」には、   (前略) この句集は、眼前に確固として存在する対象物を描写した句作りではなく、逆にそれを見詰めている自分の視点(心)の在りどころ、揺れどころを見つけるために詠み続けた行跡です。常夏の工場での仕事中も、地元の華やかな祭礼を仕切っている最中でも、夢中になっている当事者である私と、同時にそれをパースペクティブに見詰めているもう一人の私がいるのです。揺れ動く私の視点から見詰めた数多くの風景を『遊戯の遠景』として一冊に纏めてみました。  とあった。ともあれ、以下に、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   北辰の一途をほぐす朧の夜          成規    紅葉且つ散る尻ポケットにスキットル   日時計の時の切つ先風光る   この風に二度とは乗れず飛花落花   街を踏むゴジラの心地霜柱   謎解けて黒き団結蝌蚪の国   来客は子供の子供こどもの日   孑孑の明日飛ぶためのストレッチ   別るるも会ふも合掌蓮の花   芋の露おのおの抱く同じ天   地下出口また間違へる開戦日   拭ふことできぬ地蔵に花の雨   人類はみんな遠縁草の花   全山は風の音のみ滝凍つる  峰崎成規(みねざき・しげのり) 1948年生まれ。      ★閑話休題・・大野泰雄個展〈陶、アッサンブラージュ、銅版画、俳句集など〉(~11月2日・土・まで。於:不忍画廊)・・  いい加減な愚生は、案内状をよく見ておらず、先日は休廊の日に、本日は、経過観察の病院から回ったものの、開廊15分前で、思わず扉をのノックして、強引に潜り込んだ次第(失礼!)。ともあれ、満足して、句集『 へにやり/大野泰雄詠むミノヒョーゴ筆 』を求めた。その「あとがき」の中に、   友人の画家・美濃瓢吾筆による拙句の書が百枚を越えた。毎年一年分の