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寺井谷子「秋灯かくも短き詩を愛し」(『現代俳句年鑑/2025』より)・・

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 『現代俳句年鑑’25』(現代俳句協会)、「現代俳句 諸家菌近詠」は、1560名/7798句であるが、現代俳句協会員のほぼ3分の1ほどの登載人数なのは、正直、少し寂しい気がしないでもない。あと500名近くの方が増えてもらい、約2000名ほど、つまり、協会員の半数近くを収録できたらよいと思うのだが…・俳句作品こそが、俳句界の活力、活性の源であることは、今も昔も変わらないはず・・。 是非、一人でも多くの方が、来年は参加してもらえれば、もっと充実した年鑑になると思う。ともあれ、以下に、協会賞関係の方々の句を挙げておきたい。  以為 (おもえらく) あの世浮かれて凌霄花   寺井谷子(現代俳句大賞)   雪触るる眼のあり誰の孤燭ならむ       楠本奇蹄(兜太現代俳句新人賞)   春立てどテント燃やされるは止まず      十川長峻(  同    佳作)   砕けては組みた立つ LOGOの・屋根は青   とみた環(  同    佳作)  泣いている木 笑っている木 みな木    マブソン青眼(現代俳句協会賞)  死者生者噴水虹を生むばかり         村田珠子(現代俳句協会年度作品賞)  ★閑話休題・・川崎果連「裸木をうっかり抱いてしまいけり」(第165回「豈」忘年句会・第9回攝津幸彦記念賞準賞(太代祐一)授賞式)・・ 第9回攝津幸彦記念賞準賞の太代祐一↑  本日、11月30日(土)は、第165回「豈」忘年句会(於:白金高輪インドール)だった。 昼の部、句会は、2句持ち寄り。まずは、先日、11月22日(金)に死去した同人・高橋比呂子への黙祷を捧げた。句会後、夕刻より、懇親忘年会には、池田澄子、高山れおな、佐藤りえ、田中信克も加わった。合わせて、第9回攝津幸彦記念賞準賞・太代祐一(応募時28歳)の授賞式(正賞はなく)を行った。会は新同人の紹介、乾杯を池田澄子、中締めの一本絞めは高山れおなであった。愚生は、二次会のあと、董振華と中野まで一緒に帰った。  以下に句会での一人一句を挙げておこう。    銀河から星の干し場になってゆく       川名つぎお    一笑に付すべき野史や石蕗の花         董 振華    訪れる雪を採点する教師            太代祐一    豈の座や加減乗除の星の人           早瀬恵子    かたつむりむかし観音流れ着く ...

中村和弘「瓦礫にて最も霜の花盛り」(『荊棘(おぼろ)』)・・

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   中村和弘第4句集『荊棘(おぼろ)』(ふらんす堂)、栞に堀田季何「救いはある―ー非人間描写による人間認識」、その中に、 (前略) つまるところ、中村和弘俳句の特徴は、その徹底的な生物描写を通じて、人間に対する認識の瞬間を描くことにある。  句集『荊棘』では、通奏低音として、人間側の事情を意識して生きていない非人間が描かれる。人間と非人間の温かい関り合いを描いたり、手放しで諸生命を肯定的に捉えたりする意思は微塵もない。   蟻食の暗き眼にこそ夕桜   五位鷺の生簀の月を覗きおり   パイプ椅子耀く下に轢死せり    (中略) など、人間の生活も不幸も風流も季題の本意も、非人間の動植物には無関係である。  むしろ、人間側の方が事情により非人間干渉することがある。 (中略)  この非情な眼は、次の三つの特徴に表れている。  一つは、句材にタブーがないことである。 (中略)  一つは、具象も抽象も、一切をモノとして、即物的に把握する姿勢である。   暗黒も物として在り大旦   大寒のモダンバレエの肋かな   月光の殺ぎたる山へ鷺帰る   (中略)  もい一つは、この世が「まことにおどろおどろしい」という世界観である。国内の景でも海外の景でも、幻想の景でも、人間しか感得しか感得し得ない人間の残酷が頻繁に示される。 (中略)   海底 (うなぞこ) に白き蟹群れ良夜かな においては、海上の月光と無縁の海底で、数他の海没死者たちが白き蟹となり、今もなお人間非人間の屍骸を喰らい続けている。 (中略)   句集『荊棘』は、救いへの甜い希望も易しい道も示さない。そこには中村和弘という一個の人間の詩情と非情に裏打ちされた深い認識があるだけだ。  とあった。集名に因む句は、    人間の影こそ荊棘 (おどろ) 夜の秋      和弘  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。   月光に色を消したる鷹の爪              和弘        注 鷹の爪=唐辛子の一種    厳冬のアンデルセンはなお怖し   霊柩車しばらく蝶のまつわれり   軍用車輛渋滞しつつ青野かな   アスベストほろり剝れし秋暑し   その間にも星あまた死す追儺かな   激震の断層に垂れ蚯蚓かな   御降りの臼を濡らしてあがりけり   鹿肉に腱ののこりて冬深し   宇宙なお...

佐佐木幸綱「はるばるとそらわたりきてにっぽんの白鳥となるしもつきのあさ」(「六花」VOL.9より)・・

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 「六花」VOL.9(六花書林)、「かなり長めの編集後記」に、   『六花』vol.8から一年を経てのyol.9の刊行である。 (中略)  感慨にひたるわけではないが、編集に入る前にこれまでの八冊を積み上げてみた。創業十一年目に急に思い立って始めた『六花』である。六十四頁での出発だった。そしていつのまにか創業二十周年が視野に入ってきた。 とあった。愚生の知り合いの俳人の執筆は、五島高資「言葉で言葉を超える」、田中亜美「混沌の中からー金子兜太展に寄せて」、宮崎斗士「令和の金子兜太・その後[俳が流れる7]」。ブログタイトルにした佐佐木幸綱の歌は、田中亜美のエッセイの末尾の「 会の最後に兜太の句への佐佐木の〈返歌〉が紹介された 」からのもの。以下でである。   霧に白鳥白鳥に霧というべきか             『旅次抄録』  はるばるとそらわたりきてにっぽんの白鳥となるしもつきのあさ  梅咲いて庭中に青鮫が来ている  きさらぎのしののめさむくうめさいてうめちってしろい男くるなり  ともぱれ、本誌本号の中の歌句をいくつか挙げておこう。  ごらん 雲のむかうで秋の青年の裸体を恥ぢるやうな          山木礼子  あまつぶのどれかにひそむ詩をさがしつづけるごとき雨後のゆふばえ   小田桐夕  満月や大人になってもついてくる             辻 征夫  二十年前の約束果たさんとフランクフルトの空港に立つ         田中徹尾  いつまでもあたしのものにならん声をそれでも30年を暮らした     山中千瀬  ウォーターリリーここに生まれてウォーターリリーここがどこだかまだわからない                                     川野里子   もうこれを戦争以外の何と呼ぶゲートの前の押し合う人々       波照間千夏  反戦ははるかなる虹見えながら指さしながらだれも触れず       小島ゆかり   デッサンのモデルとなりて画用紙に十字よりわれの顔は始まる      花山周子   いき違う話の途中なめらかなカーテンレールに見ているひかり      堀 静香         撮影・中西ひろ美「天高くしてどんぐりを踏んだ音」↑

三村純也「いつしかに横に来る奴年忘」(『高天(たかま)』)・・

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  三村純也第6句集『高天(たかま)』(朔出版)、その「あとがき」に、 (前略 )タイトルの「高天 (たかま) 」は、大学へ登校するたびに仰ぎ見てきた、金剛葛城山系の古名に因んだ。大阪の最高峰として聳える金剛山、その左にどっしりと横たわる葛城山は、古くは、一体の峰とされ、修験道の山伏修行の聖地だあり、ここが高天原だという伝承も残っている。その勇姿は春夏秋冬、朝夕、さまざまな表情を見せてくれ、私の心を慰めるとともに、詩嚢を膨らませてくれた。その山霊に敬意を表して命名した。  花鳥諷詠とは何かという問いに、今もって答えることは出来ない。しかし、それを一つの思想と考え、それに随順して生きてゆくという覚悟は定まって来たように思う。 (中略) 季題と五・七・五の定型で捉えられる世界を、ありとあらゆる方向から、また、さまざまな表現をもって探ろうとする興味は、いよいよ高まって来ている。  とあった。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。    拳を打つらしき影ある春障子          純也    晴れ続くまに三寒四温かな   昨夜の雨こぼして蕗を折つてゆく   初嵐一本松に韵きけり   雲間より月の覗きて大文字     悼 千原叡子先生    梔子の花に面輪の立ちそよぐ   いとしこひしいとしこひしと法師蟬   特大を天狗と呼びて茸採   泡一つ二つ三つ四つ田水沸く   丈競ひ色は競はず秋の草   初場所の大一番の喧嘩四つ   汀子亡き庭の淡墨桜かな   出ては摘み出ては摘まれて山椒の芽   水占の水に落花の貼り付ける   ゐのこづち忍びの術を知ってゐし   三村純也(みむら・じゅんや) 1953(昭和28)年、大阪生まれ。     撮影・鈴木純一「聲もなく冬の陽が櫛の歯をぬける」↑

江良純雄「改札にマフラー無人駅暮れる」(第64回「ことごと句会」)・・

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  昨日、11月25日(月)は、通常の第三土曜日ではなく、変則日開催の第64回「ことごと句会」だった。兼題は「無」。以下に一人一句を挙げておこう。    濁酒汲めば本音が透きとほる         石原友夫    日記果つ捨てるに惜しき日々のあり      村上直樹    ななかまど三人寄れば謀反談        杉本青三郎    小春日の言葉に艶のある御仁         渡邉樹音    折鶴をひらく 無情を知る夜長        武藤 幹   それはそれ月の裏側良夜かな         金田一剛     色あせてペンキ二度塗り文化の日       杦森松一    核抑止力ノ有効無効寒演習          林ひとみ    11/12月と薄さに揺れる暦        照井三余   転がりて集いて落ち葉の私語密か       渡辺信子    始末書の埋火風に飢えている         江良純雄    虚空より兵降りくるや無影灯         大井恒行 次回は、これまた変則開催の12月22日(日)、新宿・大久保地域センター。 ★閑話休題・・末森英機「君も階段(きざはし)なれば宜(むべ)なるや月も穂も巷の子」(詩集『巷(ちまた)の童子(こ)』・龜鳴屋)・・  ナマステ楽団の“唄う狂犬“こと末森英機が詩の狩人・天使犬となっての詩集『巷(ちまた)の童子(こ)』(龜鳴屋・限定499部番号入り・2000円)を上梓した。装画・挿絵は鈴木翁二。各冊手作り本、文庫本より更に一回り小さい。「妻へ」の献辞がある。短い詩篇2篇を挙げておきたい。   ふじゆうなからだで歌いにいって  もっとふじゆうなからだで帰ってくる  喜んでがまんをして聞いてくれることを  がまんする愚かものになりたい  雲母のようにどこまでもはがれていって  この世の果てに桃ひとつ植えて  骨をもくぐってゆく  おおいなるうべなるかな  妻のむべなるかな   言葉に烟 (けぶ)っ て行意義の悪い鴉の子はお伽の巷童子 (ちまたのこ)   末森英機(すえもり・ひでき) 1955年生まれ。『光の楔、音の礫』(港の人・2016年刊)以来、11冊めの詩集。          芽夢野うのき「天泣きやいまわの鳥を覗き込む」↑

田村葉「火の色を描けぬ指先雪女」(『黄昏通り』)・・

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                                  田村葉第二句集『黄昏通り』(東京四季出版)、帯文は河村正浩、それには、     立春のわだち過ぎ行く夜の耳  常に静謐な眼差しで対象や事象の奥を見つめ、何の衒いもなく作者の心を主観的或いは客観的に捉えている。  つまり、対象や事象に対する自己の意識によって触発された作者の詩的内面に触れて詠まれている。  とあり、著者「あとがき」には、   二〇二四年一月、山口市は「ニューヨーク・タイムズ」紙の「2024年に行くべき52ヵ所」中、〈3番目〉に選ばれて大いに活気を帯びている。 (中略)   「山彦」に参加して十二年が経過する。  リアリズム派の河村正浩主宰の下で、自身の俳句を見直す機会にも恵まれた。  穴井太「天籟通信」元代表の「形は後から付いて来る」の助言通り、俳句形式の中で自由に呼吸し、自己表現する術 (すべ) を認識できるのも、継続の恩寵かと思われる。  とあった。愚生は、高校を卒業するまでのほぼ18年を山口で過ごした。いわば「これが私の故里ださやかに風も・・・」である。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。    饒舌な鳥から消ゆる桜雨          葉    鳥帰るあと一分の別れより   白粉花使わぬ闇を引き寄せて   一声は人の声らし初鴉   憤怒する蟬は大地に裏返り   ピエロにもなりぬ花野のど真ん中   朧夜やいちにち減らぬ鬼の数   ほうたるの後を追うから水になる   昼夜と疼く八月被爆の木   銀杏散る次の頁は猫の街   戦争を知らぬ木の芽にコロナの禍   向日葵のための空色雲の色 田村葉(たむら・よう) 1945年、山口県生まれ。        撮影・中西ひろ美「諦めて冬野にむかう列車かな」↑

高橋龍「ドヤ顔は芭蕉もしたり翁の忌」(「翻車魚」Vol.8/北狐号より)・・

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「翻車魚」Vol,8/北狐(きたきつね)号(走鳥堂)。招待作品の「歌/句」に山口遼也「俄かにジーニアスな」、小説に青野暦「透明」。なかでは、高山れおな「鑑賞 高橋龍の百句」が読ませる。短めの鑑賞一、二を挙げておこう(興味ある方は、直接本誌に当たられたい)。 雁来紅 (かりそめのくちべに) と仮名振りしひと   二〇一六年一二月刊の句控『名都借』より。集名は、流山市の小字名でナヅカリと読むとのこと。  雁来紅は葉鶏頭の別名で、雁が訪れるころ紅く色づくというのが含意。「雁来」を雁が来初 (きそ) めるころ→仮初めと解き、「紅」を口紅と解いたわけで、修辞的ルビとして洗練を極めたものか。「仮名振りしひと」と思わせぶりに言い収めところにも、艶冶な味わいがある。 浅蜊蜆 (あつさりしんじめー) と売りに来る  句控『十太夫』は二〇一七年一二月刊。この年、高橋はじつに三冊の句控を刊行したことになる。句を出来るだけ多く溜め、そこから精選した作品で編む通常の句集とは異なり、いつ死ぬかわからないという意識のもとで新作をこまめに本にし続ける、それが句控だったのだろう。刊行の間隔の詰まり具合からもそう察しられるし、浅蜊・蜆を行商する声を「あっさり死んじめェ」と聞きなして興じる掲句などを見ると、いよいよそう思わざるを得ない。自分の老いと死をネタにしながら、言葉の世界に軽々と遊んでいる。なお、書名の読みはジュウダユウで、流山の地名。   以下に、本誌所収の高橋龍の句のみになるが。、いくつか挙げておきたい。   霧の町だねさかしまへの道標 (みちしるべ) だね         龍    大門 (おおもん) は見立ての鳥居晉子の忌   死顔をときどき見する昼寝かな   本物は偽物に似て春深し   名月や可借句会に身を沈め      「読みは、メイゲツヤ・アタラ・クカイニ・ミヲ・シズメ」     「苦界(くがい)に身を沈める」の苦界と句会にとりなした」。    新玉や生れてオギャアー死ぬそつと   はからざる業 (わざ) 自づから姫始   鳥籠を鳥の星座はめぐるなれ   たましひの及ぶかぎりに河豚の毒   朝霧とメニューにあればたのみけり  以下は、本誌本号より、作品を挙げておきたい。     蓑虫に顔近づけてする話                 山口遼也   てのひらに蛍をのせた少年の俄かにジー...

芳賀博子「袋綴じ企画ニッポンのすべて」(『髷を切る』)・・

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   芳賀博子川柳句集『髷を切る』(青磁社)、帰説は、町田康。その結び近くに、     ゴミ袋ぼそっと突いて薔薇の茎  ゴミ、も、ゴミ袋、も、ぼそっと、も、突いて、も、薔薇、も、茎、も、どれもひとつびとつが置き換えできない言葉としてそこにあって、全体として見たことがないのに忘れられない景色を見せながら、誰にでも覚えがあるのに世間やルールの形に合わせて処理してしまった小さな感情が復元せられてここにあらしめて在る。 (中略)   人生にときどきふってわくメロン  と言われると、その通りだと頷き、頷いただけでは足りないような気がして、ないメロンを抱いて踊ったり、石仏に打ち付けて叩き割ったりしたくなる。そしていつの間にか、マアマア自由になって暫し孤独から免れている自分に気がつく。凄いことである。  とあり、著者の「文庫版あとがき」には、   句集『髷を切る』の初版発行から五年。本書はその文庫版、には違いないのだけれど、新しいかたちは自身の感覚としては、むしろ生きものの変態に近い。たくさんの方に育まれて思いがけなく、たとえばもし蛹が蝶になるように羽根など得られていたら、この先にまたどんな世界が広がっているのだろう。  文庫化に際し、新たに一章を追加収録した。初版以降に詠んだ作品から選び、選句中はこの五年と改めて向き合う時間ともなった。  とある。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    一番の理由が省略されている         博子    先生の愛した先生の写真   この鍵はちがうあの鍵は捨てた   がたぴしと二人のジェットコースター   実弾が飛び出すここだけの話   ラストサムライにおごってもらう玉子丼   蹲る まだまだ転がってゆける   芒からやっと怒りが抜けました   今生の隅に突き出す自撮り棒   コイントス天まで上げて転生す   お免状曰く精進のみである   あ、録画するのを忘れてた戦争   月光に触診されている窓辺   哭いてゆく遠心力をフルにして   陽炎に抵触するのではないか   来年の今ごろへ吹くしゃぼん玉 芳賀博子(はが・ひろこ) 1961年、神戸市生まれ。 ★閑話休題・・「ゆにアンソロ」(ゆに代表 芳賀博子)・・   巻末近く「ゆにのご案内」には、   ■ゆにのホームは「公式サイト」  ゆには、紙の発表誌を...

齋木和俊「山茶花散る『みみをすます』の詩を残し」(第179回「吾亦紅句会」)・・

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  本日、11月22日(金)は、第179回「吾亦紅句会」(於:高松学習館)だった。兼題は「山茶花」。以下に一人一句を挙げておこう。    山茶花や母屋に続く屋敷墓        佐藤幸子    母逝くや遺影の八重歯小紫        須崎武尚    街灯は金のランタン銀杏散る      折原ミチ子    ゆく秋やダリやピカソや埴輪の目     牟田英子    山茶花や垣根曲れば子等の声       関根幸子    凩やジャズはアドリブクァルテット    齋木和俊    駅よりの流れに乗りて酉の市       田村明通    中尊寺寂々 (せきせき) として小雪舞う  村上さら    山茶花を散らして帰る宅配人       髙橋 昭    亡き猫と敦賀の旅路初紅葉        武田道代    山茶花や語りつがれし武家屋敷     吉村自然坊    小春日や当てのないまま地図開く     西村文子    さざんかや演歌ぎらいのへそまがり    渡邉弘子   花美しき山茶花愛し歌となり      佐々木賢二    湯けむりもすすきもみんな夢の中    三枝美枝子   さざんかの咲く道子らの歌きこえ     笠井節子    冬紅葉ライトアップにデート客      奥村和子    小春とはなれず時雨れるきのう今日    大井恒行  次回は、12月27日(金)、兼題は「短日」。 ★閑話休題・・齋木和俊「アンバルワリア秋の稔は誰のもの」(「日本経済新聞・11月9日『俳壇』神野紗希選」より)・・  吾亦紅句会の齋木和俊は、日本経済新聞・11月9日「俳壇」の神野紗希選に入選、そのコメントに、「 和俊さん。アンバルワリアとはラテン語で豊穣の祭りを意味する。お米が行き渡らなかったこの秋、稔りの歓びを改めて嚙みしめる 」とあった。   目出度いことはさらにあって、 西村文子は筆名・仁志村 文で第19回「ちよだ文学賞」大賞を「きょうを摘む」で受賞。 選考委員は逢坂剛・唯川恵・角田光代。 おめでとう!!      撮影・中西ひろ美「十一月早くも色のあふれ初む」↑

蓑虫山人「みの虫は 世渡り知らずごくつぶし 人の情けを かさにきるのみ」(『蓑虫放浪ー蓑虫山人放浪伝』)・・

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  望月昭秀・文 田附勝・写真『蓑虫放浪』(国書刊行会)、「一、源吾」の章「長母寺」の項に、 (前略) 蓑虫山人、本名は「土岐源吾 (ときげんご) 。虫の蓑虫が家を背負うように笈 (おい ) =折りたたみ式の庵 (いおり) (小屋・茶室)を背負い、幕末から明治にかけて全国を放浪した絵師だ。  美濃国、現在の岐阜県八郡結村で生まれ、放浪ののはてに六四歳でこの寺にたどり着いた。半年後、長母寺のすぐ近くにある漸東寺 (ぜんとうじ) へ湯を借りに行き、風呂上がりに昏倒して、そのままこの世を去った。享年六五歳。脳溢血だったのだろう。 (中略)  蓑虫(親しみを込めて時折こう呼ばせていただく)は青森県津軽にある「亀ヶ岡遺跡」を発掘し、またその様子を他に先駆けて東京人類学会雑誌に寄稿して、全国にこの遺跡の存在を知らしめた人物だ。  亀ヶ岡遺跡とは、縄文時代を代表する遺跡である。現在東京国立博物館に所蔵されている、左足のない見事な「遮光器土偶」(日本で一番有名な土偶だろう)も、亀ヶ岡出土と伝えられている。 (中略)  蓑虫山人日記―、ここにこそ蓑虫の独自性が詰まっている。画面の中央には蓑虫自身の姿が描かれ、出会った人物や、目にした文物、そのときの感動が、自由で何ものにもとらわれない筆致で描かれる。日記といっても他人に見せるためのものなので、サービス精神旺盛に描かれていて、上手い下手を超えた楽しさがそこにある。   とある。興味あるご仁は直接本書に当たられたい。ここでは、蓑虫のために詠まれた歌などをいくつか挙げておきたい。  はだか虫なれども君は天地を みのになしたる虫にぞありける   山岡鉄舟  晴れぬれば雨を忘るる世に中に みのきてくらす虫もありけり   税所敦子   秋山の梢にすがるみの虫は しぐれの雨も知らずやあるらむ    小池道子   雨みのを晴れてもおのが身にまとひ世のひじりこにそまぬこの世  下田歌子  世の中を 面白しとて暮すうち 頭も白く なりにけるかな    蓑虫山人     ・蓑虫山人(みのむし・さんじん)1836(天保7)年1月3日~1900(明治33)年2月20日、享年65.安八郡結村(現・岐阜県安八郡安八町) 望月昭秀(もちづき・あきひで) 1972年、静岡市生まれ。 田附勝(たつき・まさる) 1974年、富山県生まれ。 ★閑話休題・・井谷泰彦「霜月鉄腕...

木戸葉三「死ねばひときて舌のながさを確かめる」(「不虚(ふこ)」20号より)・・

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 「不虚」20号(編集・発行 森山光章)、箴言集、アフォリズムのような「更なる〔終わり〕へ」には、      *   「梅原猛」氏は、〔詩人は自殺してはいけない〕と語られる。  わたしも、そう思う。   〔存在そのもの〕の腐敗 (・・) ー頽落に抗して (・・・・・・)、 〔終わり〕の闇 (・) に、痙攣しなければならない(・・・・・・・・・・・)。〔終わり〕の闇 (・) の血の (・・) 〔供犠〕がわたしを呼んでいる。〔哄笑〕のみが、ある。  とある。他のエッセイに、前田俊範「素敵な公共施設は、素敵な避難場所」、森山光章「骨となりてもふりむかず―ー木戸葉三句集『幺象眉學』を読む」があり、その結びには、  木戸葉三氏は、〔彼方〕を、〔浄土〕を願求 (・・) している。そこには、〔義〕だけがある。現代詩人も現代俳人も、名聞名利 (・・・・) を生きているだけである。砕滅の刀 (・・・・) を、研 (と) がなければならない。   〔骨となりてもふりむかず〕―—。                 〔諾(ダ―)!〕。   ともあれ、以下に、いくつかの作品を引いておこう。   語りえぬ   原 (アルン) ー日本の   誼   出撃する                森山光章     大学にうかりし曾 (ひ) 孫の便りには櫻の蕾 (つぼみ) 大きくなりしと  佐藤ミヨ子   交差点生死流転の波のごとし        木戸葉三           芽夢野うのき「いささかのさくら紅葉を目の中に」↑

山本純子「くちびるがぷるんきのこが木にぷるん」(『オノマトペ』)・・

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  山本純子句集『オノマトペ』(象の森書房)、背に「100句の句集」とある。帯文は坪内稔典、それには、     秋風を飼うだぶだぶのシャツだから    新旧の友来て冬瓜がとろん  「だぶだぶ」が秋風とシャツを、「とろん」が友と冬瓜を結びつけている。  いた、親和的に同一化している、というべきか。  H賞受賞のの現代のこの詩人は、オノマトペを介して  俳句の言葉の生成に立ちあう気鋭の俳人でもある。 とある。また、著者「あとがき」には、   2020年は特別な年だった。20年あまり参加していた俳句グループ「船団の会」(坪内稔典氏代表、以下ねんてん先生)が、春に散在した。 (中略) 私は少年詩集を作ることに心を傾けた。どういう場で俳句を作っていくかという課題は、しばらくわきへ置いておくことにした。  そこへ、ねんてん先生からブログ「窓と窓」へ投句するよう、お誘いをいただいた。2020年度、ひと月に一度、五句を投句した。投句には、選句とも言える、ねんてん先生のコメントがついた。それは、思いがけなく新鮮な体験だった。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。    手帳まっしろ打ち寄せられて水母         純子    布袋草つつく背びれをもつ午後は   ハイヒール蜥蜴にUターンされた   多言語のメニューめくって鍋野菜   トマト冷え切るかガブリか海見るか   掃除機のコードがしゅるんナスころん   風抜けるテントぱちんとオセロです   うんていはどっちもゴールいわし雲   セーターが背にひっかかる羽化したか  山本純子(やまもと・じゅんこ) 1957年、石川県生まれ。  ★閑話休題・・中田美子「『白生地』の異なる織目冬来る」(「Υ ユプシロンNO,7)・・  「Υ ユプシロン」(発行 中田美子)は、仲田陽子・中田美子・岡田由季・小林かんな、四名の俳句同人誌、以下に一句ずつのみになるが挙げておきたい。    なんとなく定員のある焚火かな       仲田陽子    白椿落下の夢を見続ける          中田美子    二箇所からおーいと呼ばれ花筵       岡田由季    足一本どうしても浮く茄子の馬      小林かんな         撮影・中西ひろ美「懐に熟柿かくして敵を待つ」↑

川崎果連「戦争に視聴率ありソーダ水」(第61回現代俳句全国大会」・朝日新聞社賞より)・・

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坪内稔典氏講演「俳句の未来」↑            帯解(おびとけ)の里・水輪書屋↑   一昨日、11月16日(土)は、第61回現代俳句全国大会(於:ホテル日航奈良)であった。愚生は、久しぶりに坪内稔典の記念講演「俳句の未来」を聞き、懇親会にも参加した。翌日17日は、地元の堀本吟・堺谷真人が企画した「筑紫磐井さんを囲む会」(於:水輪書屋)に参加した(約20名ほど)。  水輪書屋は、奈良市郊外に建てられた築250年の古民家。歌人の北夙川不可止(きたしゅくがわ・ふかし)が自宅兼アートとカルチャーの発信拠点として、今春イベントスペースとして始動、「まちかど博物館」としてもスタートしたという。  大会の表彰は、第24回現代俳句大賞に寺井谷子、第79回現代俳句協会賞にマブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』(本阿弥書店)、第25回現代俳句評論賞に田辺みのる「楸邨の季語『蟬』ー加藤楸邨の『生や死や有や無や蟬が充満す』の句を中心とした考察』」、第25回現代俳句協会年度作品賞に村田珠子「霧の海」、第41回兜太現代俳句新人賞に楠本奇蹄「触るる眼」。  ともあれ、以下に第61回現代俳句大会(於:日航ホテル奈良)優秀作品の中から以下にいくつか紹介をしておこう。  幾万の鶏を枯野に埋めて忘れる       山戸則江(現代俳句全国大会賞)   納屋開けるたびに倒れる補虫網       吉田成子(   〃     )  白桃の浮力戦争終らない         山﨑加津子(現代俳句協会会長賞)   蝉の樹から少年剥がれてくる夕べ     小林万年青(関西現代俳句協会会長賞)  恐竜の名前が長い夏休み         栗原かつ代(毎日新聞社賞)   一つずつ踏切鳴らし帰省せり        松井 弓(読売新聞社賞)  春爛漫すべてのドアが開きます       満田三椒(俳句のまちあらかわ賞)   木々に雪バッハの後の無音       マブソン青眼   本閉じる誤訳のような梅雨の月       村田珠子  こゑにあつて玻璃にないもの冴返る     楠本奇蹄     撮影・鈴木純一「空也忌のよじれた輪ゴムぴょんと跳ね」↑

藺草慶子「水渡り来し一蝶や冬隣」(『雪日』)・・

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 藺草慶子第5句集『雪日』(ふらんす堂)、その「あとがき」に、 (前略) 本句集では、Ⅱ章に岩手県沢内での作品をまとめた。この章の句の制作年は前句集の作品を作った時期とも重なる。豪雪地帯である岩手県西和賀町沢内を初めて訪れたのは二十代の夏、碧祥寺に残されたこの地の民俗的な資料に降れ、その風土に激しく心を揺さぶられた。その後、斎藤夏風先生が紹介してくださったのが現地の俳人小林輝子さんだった。輝子さんのご主人は木地師。こけし工房の斜向かいには湯田またぎの頭領 (しかり) が住んでいた。失われようとしている風土の姿を、少しでも書き残せれば嬉しい。 (中略)  私も大自然の循環の中に生きる全てのものへの祈りの心をもって作句していきたい。  とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    狐火の映りし鏡持ち歩く            慶子    花粉なほこぼるる菊を焚きにけり   雪五尺こけし挽く灯をともしけり   えぐ来たな何もねえども雪ばしだ         雪ばしだ=雪でも見てくれ   青立ちの稲穂に山雨しぶきけり   廻し呑むコップの生き血熊腑分   まだ粒のふれあはずして青葡萄   金魚田と云ふはさざめきやまぬ水   この町に橋の記憶や震災忌   母の杖父の吸ひ飲み冬夕焼   挽歌みな生者のために海へ雪   閉まらざる木戸そのままに春隣   なきがらの目尻の涙明易し      黒田杏子先生の急逝を悼む   かく急ぎたまひし今年の花も見ず      母は   大病のあとの長生き草の花     藺草慶子(いぐさ・けいこ) 1959年、東京都生まれ。      撮影・芽夢野うのき「激しきは冬の花火のとおき音かも」↑

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

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  第4次「ー俳句空間ー『豈』」67号(豈の会・税込1100円)、メインは第9回「 攝津幸彦記念賞 」。加えて特集Ⅰとして「 攝津幸彦百句 」(筑紫磐井選と同人よるエッセイ)、と特集Ⅱ「 秦夕美追悼 」。「秦夕美追悼」では、外部の執筆者・ 寺田敬子 「秦先生の思い出」、 依光陽子 「雲をのむ」、 遠山陽子 「秦夕美さんの想い出」、加えて、昨年亡くなった 宮入聖 の再録で「禁忌の共同―—『巫朱華』そして『胎夢』」(秦夕美著「掌編小説集『胎夢』栞)。深謝!!!  さらに、書評については、外部寄稿で、 清眞人 「詩の自死なのか?―—冨岡和秀の詩的言語集『霧の本質』をめぐって」、 松下カロ 「風のゆくえ 髙橋比呂子句集『風果』を読む」を執筆いただいた。深謝!!!  第9回「攝津幸彦記念賞」は、今年も正賞が無かったものの力作揃いであった。準賞に選ばれたのは 太代祐一「その名前」 (1996年、鎌倉市生まれ))。選考委員は、大井恒行・川崎果連・城貴代美・筑紫磐井。以下に佳作4名の方々の作品とともに各一句を挙げておこう。    よくしゃべる管だ切り取ってしまおう      太代祐一(準賞)    日晒しの耳塚が聴く昼花火           斎藤秀雄(佳作)    にんげんはてふ混沌にして銀河         各務麗至( 〃)    さざ波とさざ波であふ春の耳          林ひとみ( 〃)      パスポートは期限切れ   雨具に   雨蛙は   棲んで                   尾内甲太郎( 〃)    みづいろやつひに立たざる夢の肉        攝津幸彦    十六夜に夫 (つま) を身籠りゐたるなり     秦 夕美   以下には、本号より「豈」新同人になられた方の一人一句を挙げておきたい。興味を持たれた方は、発売・日本プリメックス社でアマゾンでは扱っている。    片陰や半顔鬼となりにけり           各務麗至   母音ゆたかバスアナウンスのさみだるる     中嶋憲武    ふらここの「とびます」といふ枷のやう     墨海 游    ほんたうは狐なの押しくらまんぢゆう      村山恭子    初明りジュゴン鳴き出しさうな海       伊藤左知子  ちなみに、第10回攝津幸彦記念賞も選考委員未定ながら募集する。令和7年5...

久保田哲子「民族の追はれしのちの大花野」(『翠陰』)・・

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 久保田哲子第三句集『翠陰(すいいん)』(朔出版)、帯文は堀切克洋、それには、    還る裸ざる手紙のやうに冬鷗  一枚の便箋のような冬鷗が翔び立つ。それは、遠き日にすでに失われてしまった、読み返したいと切に願っても叶わぬ手紙だ。古りゆくものに囲まれる生活のなかで、作者の追想する過去は、降り積もりはじめる初雪のように新しい。  とある。また、著「あとがき」には、  『 翠陰』は、『白鳥来』『青韻』につづく第三句集です。小学四年の担任であった三好文夫先生(小説家)との出会いによって、俳句の道へと導かれたように思います。( 中略)  北海道の大自然に生まれ育ち、「明るく強く美しく」を目指した句づくりを心がけてきましたが、ぢれほど作品に反映できたのだろうか、そんな自問を今も繰り返しています。しかしながら、ここ数年続く体調不良のなかで、第三句集を上梓できたことは、幸せであり、有難いことと思っています。  とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。    川へ石投げては語りあたたかし          哲子    トッロトの馬上の少女朝桜   水平線いたどりは花懸けつらね   翅音のみ聞えて蛍袋かな   棒鱈にひすがら海の鳴る日かな   限界集落押入れに亀鳴きにけり   蕎麦の花柩にみちをひらきけり   寺田京子の鷹がどこにもゐぬ暑さ   寒満月われも一樹として立てり   雪解野の下は渦潮かもしれぬ   未完の絵のこし出征揚雲雀   秋の虹歩き出さむと軍靴あり   わたなかに祭あるべし鮭帰る   朱鷺色の馬のはじしも冬に入る   ペンギンをバケツで量る冬うらら   初時雨その日は馬に会ひしのみ   雪原のはじくひかりを狐とも  久保田哲子(くぼた・てつこ) 1948年、北海道愛別町生まれ。            撮影・鈴木純一「爪に爪なくて戀しき爪の跡」↑