高橋龍「ドヤ顔は芭蕉もしたり翁の忌」(「翻車魚」Vol.8/北狐号より)・・


「翻車魚」Vol,8/北狐(きたきつね)号(走鳥堂)。招待作品の「歌/句」に山口遼也「俄かにジーニアスな」、小説に青野暦「透明」。なかでは、高山れおな「鑑賞 高橋龍の百句」が読ませる。短めの鑑賞一、二を挙げておこう(興味ある方は、直接本誌に当たられたい)。


雁来紅(かりそめのくちべに)と仮名振りしひと

 二〇一六年一二月刊の句控『名都借』より。集名は、流山市の小字名でナヅカリと読むとのこと。

 雁来紅は葉鶏頭の別名で、雁が訪れるころ紅く色づくというのが含意。「雁来」を雁が来初(きそ)めるころ→仮初めと解き、「紅」を口紅と解いたわけで、修辞的ルビとして洗練を極めたものか。「仮名振りしひと」と思わせぶりに言い収めところにも、艶冶な味わいがある。


浅蜊蜆(あつさりしんじめー)と売りに来る

 句控『十太夫』は二〇一七年一二月刊。この年、高橋はじつに三冊の句控を刊行したことになる。句を出来るだけ多く溜め、そこから精選した作品で編む通常の句集とは異なり、いつ死ぬかわからないという意識のもとで新作をこまめに本にし続ける、それが句控だったのだろう。刊行の間隔の詰まり具合からもそう察しられるし、浅蜊・蜆を行商する声を「あっさり死んじめェ」と聞きなして興じる掲句などを見ると、いよいよそう思わざるを得ない。自分の老いと死をネタにしながら、言葉の世界に軽々と遊んでいる。なお、書名の読みはジュウダユウで、流山の地名。


 以下に、本誌所収の高橋龍の句のみになるが。、いくつか挙げておきたい。


  霧の町だねさかしまへの道標(みちしるべ)だね        龍

  大門(おおもん)は見立ての鳥居晉子の忌

  死顔をときどき見する昼寝かな

  本物は偽物に似て春深し

  名月や可借句会に身を沈め

    「読みは、メイゲツヤ・アタラ・クカイニ・ミヲ・シズメ」

    「苦界(くがい)に身を沈める」の苦界と句会にとりなした」。

  新玉や生れてオギャアー死ぬそつと

  はからざる業(わざ)自づから姫始

  鳥籠を鳥の星座はめぐるなれ

  たましひの及ぶかぎりに河豚の毒

  朝霧とメニューにあればたのみけり


 以下は、本誌本号より、作品を挙げておきたい。


    蓑虫に顔近づけてする話                山口遼也

  てのひらに蛍をのせた少年の俄かにジーニアスな面構え


  火となりし世界の指輪拾ひけり                関悦史


    かなしばり四季之詞

  ひやしざけ つげ ば ほかげ や かうま の き    高山れおな


  小田急車両全種通過し柑橘一樹               佐藤文香 



 ★閑話休題・・豊里友行写真展「~おきなわ・辺野古~ うむいぬ花」(~11月24日まで・於:アトリエ併設ギャラリー seaborn KAMAKURA)・・






 その案内状に、

豊里友行(とよざと・ともゆき)。俳人で写真家。出版社の沖縄書房の代表。

写真集「オキナワンブルー」(2015年刊、未来社)でフォトシティさがみはら2017・プロの部「さがみはら写真新人奨励賞」を受賞。沖縄に根差した俳句と写真を発信し続けている。

 とあった。



          鈴木純一「潰されて怒りもせずに葡萄かな」↑

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