中村和弘「瓦礫にて最も霜の花盛り」(『荊棘(おぼろ)』)・・
中村和弘第4句集『荊棘(おぼろ)』(ふらんす堂)、栞に堀田季何「救いはある―ー非人間描写による人間認識」、その中に、
(前略)つまるところ、中村和弘俳句の特徴は、その徹底的な生物描写を通じて、人間に対する認識の瞬間を描くことにある。
句集『荊棘』では、通奏低音として、人間側の事情を意識して生きていない非人間が描かれる。人間と非人間の温かい関り合いを描いたり、手放しで諸生命を肯定的に捉えたりする意思は微塵もない。
蟻食の暗き眼にこそ夕桜
五位鷺の生簀の月を覗きおり
パイプ椅子耀く下に轢死せり (中略)
など、人間の生活も不幸も風流も季題の本意も、非人間の動植物には無関係である。
むしろ、人間側の方が事情により非人間干渉することがある。(中略)
この非情な眼は、次の三つの特徴に表れている。
一つは、句材にタブーがないことである。(中略)
一つは、具象も抽象も、一切をモノとして、即物的に把握する姿勢である。
暗黒も物として在り大旦
大寒のモダンバレエの肋かな
月光の殺ぎたる山へ鷺帰る (中略)
もい一つは、この世が「まことにおどろおどろしい」という世界観である。国内の景でも海外の景でも、幻想の景でも、人間しか感得しか感得し得ない人間の残酷が頻繁に示される。(中略)
海底(うなぞこ)に白き蟹群れ良夜かな
においては、海上の月光と無縁の海底で、数他の海没死者たちが白き蟹となり、今もなお人間非人間の屍骸を喰らい続けている。(中略)
句集『荊棘』は、救いへの甜い希望も易しい道も示さない。そこには中村和弘という一個の人間の詩情と非情に裏打ちされた深い認識があるだけだ。
とあった。集名に因む句は、
人間の影こそ荊棘(おどろ)夜の秋 和弘
であろう。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。
月光に色を消したる鷹の爪 和弘
注 鷹の爪=唐辛子の一種
厳冬のアンデルセンはなお怖し
霊柩車しばらく蝶のまつわれり
軍用車輛渋滞しつつ青野かな
アスベストほろり剝れし秋暑し
その間にも星あまた死す追儺かな
激震の断層に垂れ蚯蚓かな
御降りの臼を濡らしてあがりけり
鹿肉に腱ののこりて冬深し
宇宙なお膨張しつつ蚊の声す
瓦礫よりふわりと来たり春の蠅
銃眼を覗けば冬の鳥みちる
流氷にロシアの土か透けて見ゆ
共食の鯰眺めて昼寝せり
汚染水のタンク増えつつ下萌ゆる
アルマイトどこか凹みて終戦日
ラッパのごとき象のひと声年つまる
軍手みな氷柱をつかみ飯場なり
中村和弘(なかむら・かずひろ) 1942(昭和17)年、静岡県生まれ。
★閑話休題・・中村和弘主宰「陸」創刊五十周年記念俳句大会・祝賀会(於:如水会館)・・
昨日、11月28日(木)は如水会館に於いて、「陸」創刊50周年記念の俳句大会・祝賀会が行われた。愚生は祝賀会からの出席だったが、祝賀会に先立ち、式次第には、「陸」賞に牧ひろし、「陸」新人賞に三宅桃子を表彰。祝賀会の実行委員長は大石雄鬼、司会は瀬間陽子。来賓挨拶には、宮坂静生、池田澄子、能村研三、対馬康子。乾杯の音頭は中原道夫。約50名の来賓と「陸」の多くの方々でにぎわった。
撮影・芽夢野うのき「さくら紅葉われら昭和の子の色に」↑
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