久保田哲子「民族の追はれしのちの大花野」(『翠陰』)・・
久保田哲子第三句集『翠陰(すいいん)』(朔出版)、帯文は堀切克洋、それには、
還る裸ざる手紙のやうに冬鷗
一枚の便箋のような冬鷗が翔び立つ。それは、遠き日にすでに失われてしまった、読み返したいと切に願っても叶わぬ手紙だ。古りゆくものに囲まれる生活のなかで、作者の追想する過去は、降り積もりはじめる初雪のように新しい。
とある。また、著「あとがき」には、
『翠陰』は、『白鳥来』『青韻』につづく第三句集です。小学四年の担任であった三好文夫先生(小説家)との出会いによって、俳句の道へと導かれたように思います。(中略)
北海道の大自然に生まれ育ち、「明るく強く美しく」を目指した句づくりを心がけてきましたが、ぢれほど作品に反映できたのだろうか、そんな自問を今も繰り返しています。しかしながら、ここ数年続く体調不良のなかで、第三句集を上梓できたことは、幸せであり、有難いことと思っています。
とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。
川へ石投げては語りあたたかし 哲子
トッロトの馬上の少女朝桜
水平線いたどりは花懸けつらね
翅音のみ聞えて蛍袋かな
棒鱈にひすがら海の鳴る日かな
限界集落押入れに亀鳴きにけり
蕎麦の花柩にみちをひらきけり
寺田京子の鷹がどこにもゐぬ暑さ
寒満月われも一樹として立てり
雪解野の下は渦潮かもしれぬ
未完の絵のこし出征揚雲雀
秋の虹歩き出さむと軍靴あり
わたなかに祭あるべし鮭帰る
朱鷺色の馬のはじしも冬に入る
ペンギンをバケツで量る冬うらら
初時雨その日は馬に会ひしのみ
雪原のはじくひかりを狐とも
久保田哲子(くぼた・てつこ) 1948年、北海道愛別町生まれ。
撮影・鈴木純一「爪に爪なくて戀しき爪の跡」↑
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