三村純也「いつしかに横に来る奴年忘」(『高天(たかま)』)・・
三村純也第6句集『高天(たかま)』(朔出版)、その「あとがき」に、
(前略)タイトルの「高天(たかま)」は、大学へ登校するたびに仰ぎ見てきた、金剛葛城山系の古名に因んだ。大阪の最高峰として聳える金剛山、その左にどっしりと横たわる葛城山は、古くは、一体の峰とされ、修験道の山伏修行の聖地だあり、ここが高天原だという伝承も残っている。その勇姿は春夏秋冬、朝夕、さまざまな表情を見せてくれ、私の心を慰めるとともに、詩嚢を膨らませてくれた。その山霊に敬意を表して命名した。
花鳥諷詠とは何かという問いに、今もって答えることは出来ない。しかし、それを一つの思想と考え、それに随順して生きてゆくという覚悟は定まって来たように思う。(中略)季題と五・七・五の定型で捉えられる世界を、ありとあらゆる方向から、また、さまざまな表現をもって探ろうとする興味は、いよいよ高まって来ている。
とあった。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。
拳を打つらしき影ある春障子 純也
晴れ続くまに三寒四温かな
昨夜の雨こぼして蕗を折つてゆく
初嵐一本松に韵きけり
雲間より月の覗きて大文字
悼 千原叡子先生
梔子の花に面輪の立ちそよぐ
いとしこひしいとしこひしと法師蟬
特大を天狗と呼びて茸採
泡一つ二つ三つ四つ田水沸く
丈競ひ色は競はず秋の草
初場所の大一番の喧嘩四つ
汀子亡き庭の淡墨桜かな
出ては摘み出ては摘まれて山椒の芽
水占の水に落花の貼り付ける
ゐのこづち忍びの術を知ってゐし
三村純也(みむら・じゅんや) 1953(昭和28)年、大阪生まれ。
撮影・鈴木純一「聲もなく冬の陽が櫛の歯をぬける」↑
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