蓑虫山人「みの虫は 世渡り知らずごくつぶし 人の情けを かさにきるのみ」(『蓑虫放浪ー蓑虫山人放浪伝』)・・
望月昭秀・文 田附勝・写真『蓑虫放浪』(国書刊行会)、「一、源吾」の章「長母寺」の項に、
(前略)蓑虫山人、本名は「土岐源吾(ときげんご)。虫の蓑虫が家を背負うように笈(おい )=折りたたみ式の庵(いおり)(小屋・茶室)を背負い、幕末から明治にかけて全国を放浪した絵師だ。
美濃国、現在の岐阜県八郡結村で生まれ、放浪ののはてに六四歳でこの寺にたどり着いた。半年後、長母寺のすぐ近くにある漸東寺(ぜんとうじ)へ湯を借りに行き、風呂上がりに昏倒して、そのままこの世を去った。享年六五歳。脳溢血だったのだろう。(中略)
蓑虫(親しみを込めて時折こう呼ばせていただく)は青森県津軽にある「亀ヶ岡遺跡」を発掘し、またその様子を他に先駆けて東京人類学会雑誌に寄稿して、全国にこの遺跡の存在を知らしめた人物だ。
亀ヶ岡遺跡とは、縄文時代を代表する遺跡である。現在東京国立博物館に所蔵されている、左足のない見事な「遮光器土偶」(日本で一番有名な土偶だろう)も、亀ヶ岡出土と伝えられている。(中略)
蓑虫山人日記―、ここにこそ蓑虫の独自性が詰まっている。画面の中央には蓑虫自身の姿が描かれ、出会った人物や、目にした文物、そのときの感動が、自由で何ものにもとらわれない筆致で描かれる。日記といっても他人に見せるためのものなので、サービス精神旺盛に描かれていて、上手い下手を超えた楽しさがそこにある。
とある。興味あるご仁は直接本書に当たられたい。ここでは、蓑虫のために詠まれた歌などをいくつか挙げておきたい。
はだか虫なれども君は天地を みのになしたる虫にぞありける 山岡鉄舟
晴れぬれば雨を忘るる世に中に みのきてくらす虫もありけり 税所敦子
秋山の梢にすがるみの虫は しぐれの雨も知らずやあるらむ 小池道子
雨みのを晴れてもおのが身にまとひ世のひじりこにそまぬこの世 下田歌子
世の中を 面白しとて暮すうち 頭も白く なりにけるかな 蓑虫山人
・蓑虫山人(みのむし・さんじん)1836(天保7)年1月3日~1900(明治33)年2月20日、享年65.安八郡結村(現・岐阜県安八郡安八町)
望月昭秀(もちづき・あきひで) 1972年、静岡市生まれ。
田附勝(たつき・まさる) 1974年、富山県生まれ。
★閑話休題・・井谷泰彦「霜月鉄腕アトムの歌詞も宇宙に/谷川俊太郎逝く」 (第35回「きすげ句会」)・・
本日、11月21日(木)は、第35回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「小春」。以下に一人一句を挙げておこう。
煮凝りの静かに眠るジビエ肉 杦森松一
まっさらなひかりくだきて冬の鳥 寺地千穂
小春日の掴まり立ちや十ヶ月 久保田和代
ささがにの糸きらめきて小春かな 清水正之
たまぐしにふるへるゆびや七五三 高野芳一
星月夜薄き翼もつ観覧車 山川桂子
壁 壁 壁 つくらないでね冬の風 井上芳子
親ガチャに抗(あらが)ひにけり寒烏 濱 筆治
枯葉舞いフロランタンの甘い蜜 井谷泰彦
灯油売りの軽トラを呼ぶ今朝の冬 井上治男
草色の色づく時雨ごごちかな 大井恒行
次回は、12月19日(木)、兼題は「冬至」。きすげ句会総会&忘年会が予定されている。
撮影・鈴木純一「憂國忌豆腐切つても四角なり」↑
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