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瀧春樹「三瀬川渡らずに待てえごの花」(「樹(TATHIKI)」375号・休刊)・・

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  俳句通信「樹」375号・2023,7月号(樹の会)、その告知の案内に、  ◎休刊のお知らせ  「あとがき」内にも記しましたように、去る五月十日深夜、脳梗塞に罹患し入院加療の身となりました。句作は愚か、原稿もかくことが出来ず、不本意乍ら375(7月)号をもちまして、一旦休刊といたします。  僅かでも体調が戻れば復刊も考えておりますので、その節は倍旧に増してのご支援、ご協力をお願い申し上げます。                          俳句通信「樹」代表 瀧 春樹  とあった。一日も早いご回復を祈る。ブログタイトルにした瀧春樹「 三瀬川渡らずに待てえごの花 」の句には「悼…依田しず子」の詞書が付されている。本誌の特集といえば、何よりも、「特集・東日本大震災を詠む(147)である。東日本大震災が起きてから、現在まで、毎号震災を詠み続けてきたことである。その継続された意志と特集は、他誌では、まったく見られないものだ。敬意を表して、本号よりその一人一句を挙げておきたい。    3・11風化させまい伝承館           宮川三保子    原発棟に散水浮世は夏休み             太田一明    投函の音をのみこむ卯波かな           梶原マサ子    母の日や歯ぎしりの癖なおらない          鍬塚聡子    三鉄の徐行運転夏来たる              坂本晶子    地下茎を伸ばすコスモスみたまへ (・・・) と    林 照代    海までは辿り着けざる花筏            藤﨑喩由希子         受 ★閑話休題・・・ 第78回現代俳句協会賞受賞は井口時男、第3句集『その前夜』。   「その前夜 (いまも前夜か) 雪しきる」 ・・・    井口 時男(いぐち・ときお)・句集『その前夜』(深夜叢書社 発行)  1953(昭和28)年2月3日、新潟県生まれ、70歳。  「豈」「鬣TATEGAMI」「鹿首」各同人。        芽夢野うのき「ガマの穂やほんのわずかの束縛を」↑

田村明通「腹を蹴るまだ見ぬ吾子の水遊び」(立川市保険講座「俳句をたのしむ」第2回)・・

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  本日、6月28日(水)午後一時半~は、立川市保健講座「俳句を楽しむ」(於:立川・柴崎福祉会館)第2回だった。前回、一兼題につき一句、合計2句を宿題とした。ちなみに「水遊び」と「虹」。以下に一人一句をあげておきたい。    虹立つや生きるだけ生き潔く       田村明通    滝の音しぶきのすそに虹を見る     三枝美枝子    水遊び下駄を流され兄の背へ       小池利江    水遊び着替えも無しの帰り道       和田信行    レクチャーのつく世となりぬ水遊び    中尾淑子   水遊びはじける声が夏を呼ぶ      福井多恵子    水遊びネジ巻きの舟沈没す        西村文子    雨上る摩文仁の丘に虹立てり       牟田英子    夕虹やあの世で逢える姉と姪      笹渕美恵子    水遊び父の不器用子が笑い        笠井節子    下校時に急な雨降り水遊び        荻野芳子    八階に訪ねし友と夕の虹         奥村和子    多摩川の虹立つ空や目覚め良き      甲斐千里    雨あがり見あげる空の富士に虹       サ ラ    水遊びする我に知らない我もいる     大井恒行  次回、7月12日(水)第3回の宿題は、「無季の句」の句を2句、持ち寄り。        撮影・中西ひろ美「カメムシの世界だここに入れるか」↑ 

三島ゆかり「極月の仁平勝を読む夜汽車」(『フリーしりとり/夏麻引く汽水域』)・・

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  三島ゆかり・青山酔鳴『フリーしりとり/夏麻引く汽水域』(みしみし舎)、愚生には、どうにも手に負えないので、巻末に、本書の解説とでも言える 小林苑を「遊んでなんぼ。だと思ふ 」から、引用しておこう。   しりとりは最後の一字を頭にするゲームだけれど、だとしたらしりとりとは言えないのではないか、という突っ込みをした上で、「フリーしりとり」ってなんだを考えてみる。三島ゆかりさんは連句の捌き手で、たくさんの連句を巻いてきた。でもこれは連句のようで、連句でない。連句にはルールがあって、というより必要で、その縛りをどう生かすかが発想のしどころなのだ。  「フリーしりとり」はそんな縛りから自由だ。 (中略)      行く春や上乗せにする請求書     ゆかり    赤伝を軽く切られて夏隣       酔鳥   鉛筆の先を舐めては藤の房    古茶ばかり啜る社長の金鎖  出だしは分かる人には分かる挨拶句。それに寄り添う二句目。連句作法にちかい。古茶ばかり啜る、と対句仕立て。ここだけ読むとおとなしく前句を受けている。  二章目になる頃には「これでどうだ」「それならこれで」になって来る。    二丁目の浴衣まつりのハイヒール   襟元に豹柄覗く夜涼かな    実写版シテイハンター揚羽蝶   完全変態池上線晩夏  いくたびも季節は廻り、前句のどこというより、雰囲気に、思い出に、さらには音のイメージを引き出そうとする。ここら辺り、二人に打ち合せがあったのかなかったのか。 (中略)  そして先ほどのゆかりさんの弁どおり音がしりとりの主役になってゆく。    弾丸道路あんぱん道路うそ寒し   国労も動労もない烏瓜    若冲忌なんの苦労もない烏   菊人形の如きオートクチュールかな  もう中身より「音」探しという新たなゲームをしている自分がいる。これが結構面白い。とにかく読んでみる。きっとあなたも嵌るはず。一つだけハッキリ言えることがある。「フリーしりとり」って思い切って遊ぶってことなんだ。 (中略)  それに、とわたしは思う。俳句は真実を書くものでもないし、目の前のものを単に写生するのとも違う。不思議なのだけれど、俳句を読んでいるうちに作者(本人ではなくて作者)の人格というか、人柄に触れる。「フリーしりとり」を読んでいるときもクスクス笑ったり、しみじみしたり、ほほ笑んだりもする。ゆかり

秦夕美「遠野火や金と銀なき千羽鶴」(「俳句界」7月号より)・・

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  「俳句界」7月号(文學の森)、特集の一つは「追悼 秦夕美」。執筆陣は、50句選が谷口慎也、論考は藤原龍一郎「言葉に憑依した人」、田中葉月「詩に生きるー孤高の俳人夕美ー」、「追悼と好きな一句」鑑賞は、池田澄子「 ももさくら死や死や汝をいかにせむ 」、大井恒行「 遠野火や金と銀なき千羽鶴 」、松岡耕作 「十六夜に夫を身籠りゐたるなり 」。藤原龍一郎はこう記している。   私がもっとも印象に残っている作品が多い句集は第四句集の『万媚』。秦夕美四十代前半の時期の作品集になる。   一条の縄もてあます涅槃西風   きさらぎの箸十五尺なすな恋   さりとても言葉は闇か春の闇   誰も叫ばぬこの夕虹の都かな  どの句にもゆるぎない美意識がみなぎり、言葉がしなやかに息づいている。 (中略) どの句も十三文字で統一されていることに気づいてほしい。この一句の文字の統一は、俳句の内容とは別に、一句のオリジナリティを意識している証左であり、こういう言葉の仕掛けは最後の最後まで、ゆらぐことなく貫かれていた。その姿勢が、言葉を式神のように使いこなしていたと思う所以である。 (中略)   余寒なほキーウに杖の影いくつ   昏れゆくやミッドウエーの春の潮   日をまねきかへす扇か戦時中   軍歌にも四季や五情や雑煮腕   日の本の雨の桜と赤紙と   春の雁きくは冥府のトテチテタ  一句ごとの鑑賞は無用だろう。秦夕美は昭和十三年生まれ、敗戦時七歳、聡明な子であったにちがいない彼女であれば、戦争の状況も世間の空気も十分に実感していただろう。その記憶も鮮明だったはずである。  現実的には「贅沢は素敵」という人生を送った方だが、八十代になって、何故このように戦争の色濃い句をつくらねばならなかったのか。言葉に憑かれ、言葉に憑き返したサイキックな感性が、危うい今日明日を予見していたことは疑いようもない。  秦夕美(はた・ゆみ)1938~2023年、福岡県生まれ。享年84。以下に、本誌より秦夕美の句をいくつか拾っておきたい。       晩夏光仮面にかはる仮面なし       夕美    水底の都美はし春の修羅   地獄絵にふる金の雪銀の雪   生きてまたつかふことばや初暦   金の輪をくゞる柩や星涼し   のらくろもゐたか月下のレイテ島     他のひとつの大特集は、「魂の俳人 村越化石」、執筆陣は、望月

宮川夏「夢二見し榛名に雨の山つつじ」(『心の振り子』)・・

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    宮川夏第一句集『心の振り子』(文學の森)、装画・石倉政苑。扉挿画は著者。序は、石倉政苑。跋は、松田ひろむ「時にやささしく、ときに激しく」。その序の中に、 (前略) 俳句や俳画を通じて親しくなり、その後東京から滋賀の自宅まで習いに見えました。以後交流を深め、「俳壇花藻社」に入会され、同人として活躍されています。  趣味も多彩で、英語俳句に力を入れておられ、今回俳句と俳画、英語俳句とバラエティにとんだ、楽しい句集にとても期待しています。    やじろべえのような半生寒明ける    稽古着の固まっている余寒かな    紅白梅空を狭しと色尽くす    路地裏に三味の爪びき紅椿  とあり、また、跋には、 (前略) 情念というか情感の人と言えば、私にとっては桂信子であるが、夏さんも桂信子―—澁谷道につながる女性俳人への道を目指していると位置づけてもいいのではないだろうか。      銀杏散る真っ只中に酔いしかな  これはいうまでもなく〈銀杏散るまつたゞ中に法科あり〉(山口青邨)、〈銀杏散る万巻の書の頁より〉(有馬朗人)を踏まえたものであるが、彼女は「酔いしれぬ」とする。この「しれぬ」は「痴れぬ」である。 「銀杏散る」から自分自身に返して「酔いしれぬ」はいかにも女性である。それを彼女の秘められた激情といってもいい。  とあった。そして、著者「あとがき」に、  義理の父母が俳句をしていた事に刺激を受け家事の合間に俳句を詠みはじめました。義父母の亡き後、本棚に仲良く並ぶお二人の句集を見る度に、私も何時かは句集をと考えておりました。そんな折「文學の森」の方から句集のお話を頂き、二十年目の記念に初句集を創る事にしました。  と認められていた。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。     白酒の売り口上も買いにけり        夏     「舞踊俳句」清元「お夏」     お夏追う清十郎の朧影     林芙美子邸     つくばいに春愁浮かせいたりけり    余震なお地蔵の陰になめくじり    顔洗う水に目のあり原爆忌    戦なき美しき大和や星流る    終止符のうちどころなくちちろ鳴く    新宿の裏も表も鰯雲    秋空や逆立ちの子の泣きぼくろ    詩の箱に座りピエロの冬灯    ポケットを空っぽにして青き踏む    春を待つ身のせせらぎを聞きにけり

山内将史「三界をガソリン臭き夏の蝶」(「山猫便り・2023年6月1日」)・・

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 「山猫便り/二〇二三年六月一日」(山内将史)。それには、     あたたかく鶏の高音部が狂ふ    宮入聖『暗泉記』  喉の熱い血をごぼごぼと掻き混ぜている様な鶏鳴の音程がひと外れる。生理的な変調の表現は宮入聖の得意でファンには醍醐味だ。  リーン監督「ライアンの娘」を見た。冒頭の日傘が断崖を落ちてゆく場面から魅了された。英軍少佐もトラウマを負っていたかもしれない。 (中略)   福間健二さんは僕に、何か一つに力を集中し世の中に認めさせないと器用貧乏で終わってしまう、と忠告してくれた。「伸びて下さい」とも言われた。僕の詩を一番評価してくれた。ありがとうございました。  とあった。愚生は、福間健二に一度だけ会ったことがある。20年前くらいであろうか。ワイズ出版の事務所で、故・岡田博と一緒だった。映画についての、彼の本についての打ち合わせだったらしいが、何を話したかは忘れてしまった。その福間健二は、先々月、4月26日に亡くなられた。享年74。合掌! ★閑話休題・・春風亭昇吉「夕焼けやつくばいのある美術館」(6月15日、TVプレバト昇格試験)・・・  コロナ禍前まで、月に一度の飲み食いをしながらの遊句会のメンバー・仲間であった春風亭昇吉は、句歴にすると、もう10年近くになるかもしれない。その間に、真打にもなり、TVプレバトではとりあえず下のほうの級の特待生4級で、その昇級試験だった。判定は、夏井いつきに現状維持の裁断をされた(本作では妥当なところか)。バラエティ番組だから、というわけでもないが、添削後の句は「 作品名『つくばい』夕焼美術館 」だった。どう見ても、一句としての句の立ち姿の良さからすると、添削前の「 夕焼けやつくばいのある美術館 」の方が風趣があって佳いように思うがいかに・・・。          芽夢野うのき「しもつけの白に白旗あげるほかなし」↑

杦森松一「リレー後のピストル二発夏終る」(第18回「きすげ句会」)・・

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             雀よけカイト・(農工大)↑   本日、6月22日(木)は、第18回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「雨」+雑詠2句持ち寄り。以下に一人一句を紹介しておこう。    振り上げし空蟬の爪ひかりあり      井上治男     十五歳になる柴犬    相棒よゆっくりゆこうよ虹でたよ     井上芳子    糠床に紫紺ふかむるなすびかな     久保田和代     浅間山「水の女神」の祠の前で    木下闇彌都波能買神の透けて見ゆ     濱 筆治  (こしたやみみずはのひめかみ)      今日は雨年一度買う薔薇香        杦森松一    出で来るや仮面の執事夏館        髙野芳一    雨乞も過ぎれば憎し豪雨かな       清水正之    「プランク」する高齢仲間夏の風     山川桂子    梅の実の手の平まろぶ散歩道       寺地千穂    花びらに真珠の涙ひとしずく      大庭久美子    雨のこと雨思う日の七変化        大井恒行 他に、愚生だけが選を入れた句は、   林檎忌やみちのくに雨だんさんと      清水正之  次回、7月13日(木)の兼題は「海」。 ★閑話休題・・有賀眞澄「白ら髪や逃げも隠れも花吹雪」(「宇宙零ー無限の刹那ー」展)・・  「宇宙零ー無限の刹那ー」展、於:zaroff、6月22日(木)~7月1日(土)。28日(水)は定休日、最終日hさ画廊。喫茶店ともに午後5時で終了。  ●画廊・珈琲 zaroff  151-0061 渋谷区初台1-11-9 五差路             Tel:03-6322-9032              展示者ー浅野信二・有賀眞澄・木村龍・菅野まり子・轟英・藤川汎正。      撮影・中西ひろ美「もいで干し種を抜きたる杏かな」↑

橋本榮治「短手(しのびで)に魂を呼び出す炎天下」(『瑜伽』)・・

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   橋本榮治第5句集『瑜伽』(角川書店)、跋文は黒田杏子。その中に、   橋本榮治さんは私のもっとも信頼する友人のひとり。その人が句友でもある事は私の人生の幸運。嬉しくありがたい事です。  私より一世代お若い。いわゆる団塊世代の方ながら、めったに居られない大人。 (中略)   ここから第五句集『瑜伽』について感想を述べさせて頂きます。私の十二句選は帯をごらん下さい。無欲の人の静謐な句は見事。    虫売や闇より暗く装へる  闇より暗く装へる。とまで詠み上げられた句はありません。虫売の白眉です。    昨日満ち今日なほ満ちて八重桜  桜の句を読み続けてきた私ですが、八重桜の美しさ、豊かさをここまでは詠めていません。橋本さんのこころの美しさの出た一句。    八月が去る遠き蟬近き蟬  無欲の人の言葉は貴く重たいです。蟬と人間の関係がこれほど豊かに詠めるとは……。俳句の無限の可能性を知り、学びました。  とあった。また、著者の「あとがきにかえて――望郷の岡――」には、  (前略) 元興寺のそばの岡の上には奈良ホテルが建ち、道一つ隔てた向かいの岡には小さな社が鎮座する。名は瑜伽神社。瑜伽は「ゆが」ともいうが地元では「ゆうが」と呼んでいる。周辺は奈良の飛鳥と呼ばれ、岡は望郷の岡とも言う。ふるさとが恋しくなると人々は岡に登り飛鳥を望んだ。その一人に大伴坂郎女がいる。    ふる里の飛鳥はあれど青丹よし平城の明日香を見らくしよしも  と飛鳥古京を望み、「万葉集」にこの一首を残した。岡に立っても私には飛鳥の影さえ見えなかったが、その心は十分に読みとることができた。飛鳥人が岡に立ってふるさとへ想いをはせたように、私は自作を通して父母と生きた懐かしい時代へ思いをはせたい。 とある。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集よりいくつかの句を挙げておきたい。    身に入むや父母の亡き世をなきやうに      榮治    あたたかや千手の二手は掌を合はせ   先生が出でてもつるる水喧嘩   戻れぬと白夜より来し便りかな   一集も遺さず逝きぬ浮いて来い   どの星も沖を出でくる烏賊釣火   歌女鳴くやいくさ終りし日のやうに   亡き父母の箸秋寂びの極みとも   陰の菊日の菊冬の来つつあり   死者のこゑひときはとほる薪能   逝く人に東風を持たせてやれぬこと   一の蔵空 (から) 二の蔵に秋

小宮澄江「記念碑の忍の一字や風薫る」(『若菜』)・・

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 小宮澄江句集『若菜』(俳句アトラス)、序は林誠司。その中に、    澄江さんの俳句は、『源氏物語』への傾倒やボランティアが一段落した頃に始まる。その頃、ご夫君を亡くされたこともあり、新たな生きがいを模索していた頃、地元の方に句会に誘われ始まった。平成二十一年から令和三年まで俳句結社「海」に参加し、現在は地元の星雲俳句会、梅句会に参加されている。今回の句集も「梅句会」の指導者で、ひだか里山俳句「開耕」主宰の水村治雄さんのご協力もあり、出版する運びとなった。 (中略)   百選の水つめこんで山笑ふ   畦道はつねにぬかるみ稲の花   濡れながら光つてをりぬ甘茶仏   川に散り川へせり出す冬紅葉   ぼうたんの一夜の雨に崩れけり  自然永は格調が高く、魅力的な作品が多い。一句目、ペットボトルか水筒に清水を汲んだのであろう。その水を汲み、春山を仰いだ時に春到来を実感したのである。一句全体が生き生きして、心の躍動が見える。「百選:というのも現代的でいい。  とある。集名に因む句は、    真向ひに真白き富士や若菜摘む       澄江 であろう。また。著者「あとがき」には、  句集名は思い出深い『源氏物語』の登場人物「若菜」から、また、私の誕生日が一月七日、七草の日なので「若菜」としました。  とあった。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておこう。      早逝のの母へ    母となり祖母とはなれず昭和の日   八十の初心者講座夏館   遠き日のまた遠くなり敗戦忌   春愁や亡夫のつけし襖疵   吊橋に一歩の軋み天高し   老いきれぬ心のままや竹の春   野の花で仕上げし過疎の花御堂   野菊咲く終着駅は無人駅   仏前へ告げたる米寿寒九の水   手の甲に試す口紅春兆す  小宮澄江(こみや・すみえ) 昭和8(1933)年、埼玉県狭山市生まれ。       撮影・中西ひろ美「いたはずのバッタが小さすぎる夏」↑

宮本奉子「星近きところに七夕」(『華麴』)・・

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  宮本奉子第2句集『華麴』(東京四季出版)、帯文は中田水光。それには、       商ひは黴の華なり麹室  宮本奉子さんはともかく元気で誠実な方である。姿勢と精神が一句に凝縮されている珠玉の作品を堪能していただきたい。 とあった。また著者「あとがき」には、   父母が俳句をやっているらしい、という漠然とした話は子供の頃、私の耳にも入っていた。その後、学生時代は親元を離れていたので父母が句会を開いていた様子も、また、私の目の前で作句していたことも一度も見かけたことはなかった。  一度だけ、四十歳を過ぎた頃、「あなたも今からやれば少しは作れるようになるわよ」と母に勧められたことがあった。当時子育ての最中であり、全てに余裕のない生活、時間の使い方の中で、父母の言葉を遠くに聞くばかりであった。  平成十年、中田水光主宰の講座を受講、以来ご縁を得て二十五年を経た。  とある。集名に因む句は、「 商ひは黴の華なり麹室 (むろ)」であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。     玉砂利を踏んで戴く淑気かな         奉子     鬱の字に僅かな隙間春兆す    耕して今年の土の色とせり    団扇風届くはずなき人に遣る         浅草の高楼くづれ雲の峰    空蟬を満載にして虫の籠      耳福得る寝覚に蓮のひらく音    扇もていざよふ月を昇らせむ    新海苔の旗そこここに日本橋    冬の虹通学電車が通り抜け    綿布団重きに生きて昭和果つ    春隣色変へてみる試着室   宮本奉子(みやもと・ほうし) 1943年、北海道生まれ。       撮影・芽夢野うのき「やってくる昨日の声の梅雨の花」 ↑

池田澄子「とどくとはかぎらぬことば夏百夜」(『月と書く』)・・

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 池田澄子第8句集『月と書く』(朔出版)、帯の句は、    お久しぶり!と手を握ったわ過去の秋       そして、「後記」には、   (前略) 前句集『此処』を纏めたあとのコロナウイルス出現以来、人が人に逢えなくなった。更に信じがたい戦争。他の動物は爆撃などしない。戦争はダメ、と、嘆く日々が続いている。  その心の飢えを抱きながら、逢いたい逢いたいと書いてきた日々を、過去のことにして出直したい気持が体内に満ち溢れてしまったらしい。逢いたい人に逢えて、あぁ世の中に戦争などない暮らしに戻らないことには、人心地がしない。その口惜しさが飽和状態になったらしい。  などと、他人を見るように自分を眺めながら更に、第一句集を纏めた頃の自分、見守ってくださる先生のいらした、あの、ひたすら未来に向いていた日々に戻りたくなった。そして今、錯覚にしろ私は、確かに第一句集以前に戻っている。  とあった。集名に因む句は、   逢いたいと書いてはならぬ月と書く         澄子  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    蛇寒い筈日々老いて眠い筈   湯水のようにつかういのちと竹の花   此の世から花の便りをどう出すか   鷹化して鳩となるなら我は樹に   水馬さびしいか水凹まして   年とれば若いと言わる敗戦日   迎え火に傘のいらないほどの雨   空腹の象また熊や天の川   あの人あの人あの人も居ず寒夕焼   アイライン入れたら泣くな敗戦日   待てど待てど星は流れず我は我   満月の裏に闇夜のあり浮世   春を待ちかね覚えたり忘れたり   春寒き街を焼くとは人を焼く   蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか     池田澄子(いけだ・すみこ) 1936年、鎌倉生まれ、多く新潟で育つ。            撮影・中西ひろ美「花束の中のひまわり梅雨の雷」↑

渡辺信子「幕は降りる耳目も肺も天に還し」(第50回「ことごと句会」)・・

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 本日、6月17日(土)は、第50回「ことごと句会」(於:歌舞伎町・ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「清」(出題は前回高点だった杦森松一)+雑詠3句出し。以下に一人一句を挙げておこう。    なるようにしかならぬさ半夏生清 (すが) し    渡辺信子    雨音の変わるを数え籠枕             渡邉樹音    梔子の花錆びてなほ清香あり           武藤 幹    水無月は吸い取り紙に吸い取られ         金田一剛    音飛びのレコード盤のラムネ玉          杦森松一    いずこにも行けぬ蛞蝓日和かな          照井三余    ねばならぬねばならぬとは茄子の花        江良純雄   降るはみな花にあらずやきのこ雲         大井恒行  ★閑話休題・・石井ミモザ「地平なほ平らか成らず穀雨忌来」(「こんちえると」第67号より)・・  「こんちえると」第67号(牛歩書屋主人・関根どうほう)、「第3回大牧広記念俳句大会」の各選者の天地人が発表され、選評が掲載されている。因みに愚生の天地人と寸評を転載させていただく。    天 地平なほ平らか成らず穀雨忌来    石井ミモザ   地 正眼をとおす足跡風かをる      若林ふさ子   人 春の海まっすぐ延びし架橋いま    嶺岸さとし  評: 「穀雨」も「正眼」も大牧広の亡くなった日や、句集名に因む。また、「春の海まつすぐ行けば見える筈」の句を踏まえている。いずれの句も師を偲んで秀逸。            芽夢野うのき「撫子やひのもとの国あ、あやふや」↑

林ひとみ「空豆のなかでひらがな孵りけり」(現俳・令和5年度第2回「金曜教室」)・・

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  本日、6月16日(金)は、現代俳句協会・令和5年度第2回「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。雑詠2句持ち寄り。前半は句会・全句講評。後半は、愚生が、昔、福田葉子の花見の会の折に、いただいた約30分CDを聞いていただいた。それは「折笠美秋に贈る 重信/昭和57年3月」と記されているものである。  音源の内容は、関西で行われた赤尾兜子を偲び、句集『颯』の出版記念会の二次会のなかで、折笠美秋を励ますために、髙柳重信が参加者の声を録音して、東京に持ち帰り、さらに「俳句評論」発行所を訪ねてきた高屋窓秋、三橋敏雄の美秋見舞いの声が入っている。因みに、収録された俳人名を挙げておくと、関西和田悟朗、鈴木六林男、宗田安正、桂信子、小泉八重子、三宅美穂。また、髙柳重信が一人で歌ったサイパン島玉砕の歌と補作の新興俳句の歌などである。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    十薬のはびこるからだ日に開く      石川夏山    約束の反故にされたる冷奴        白石正人    ゆふぐれのなみうちぎはのくらげかな   川崎果連    梅漬ける煩悩封じ塩二割         岩田残雪    青水無月石貨に膝を屈めたり       籾山洋子    桜桃忌この日わたくし生まれたの     村上直樹    消費税分足りなくて薔薇買えず      武藤 幹    飛魚 (アゴ) が飛ぶ水平線をバーにして  石原友夫    絡み合う玉葱の髭白きなり        杦森松一    白雲が並んで梅雨の晴れ間かな      山﨑百花    奈良漬のぽらりぽぽらり梅雨曇      林ひとみ     浴衣姿の訛も色気茶を運ぶ        宮川 夏    方言札いまは無きかや琉歌 (ウタ) の夏  大井恒行  以下は、愚生のみが選んだ句、       麦秋や三日ののちの世を生きて      山﨑百花  次回、7月21日(金)は、無季の句、2句の持ち寄りです。        撮影・中西ひろ美「夏空に音だけがして壁テニス」↑

齋藤愼爾「孤島夢や螢袋で今も待つ」(「コールサック」114号より)・・・

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   「コールサック」114号(コールサック社)、特集1は「追悼 黒田杏子・齋藤愼爾」である。執筆陣は、「追悼 黒田杏子」に、坂本宮尾「一日二十句修行――連れだって広重の江戸百景を歩く」、永瀬十悟「牡丹園の夜明け」、関悦史「桜の巨木に対するように」、董振華「杏子先生との思い出」、寺井谷子「胸中紙片」。「追悼 齋藤愼爾」に、渡辺誠一郎「齋藤愼爾氏について思い出すこと――闇・暗愁の彼方へ――」、筑紫磐井「コールサック・齋藤愼爾が自らを語る」、井口時男「齋藤愼爾氏追悼――日録風に」、高澤晶子「句集『冬の智慧』に見る齋藤愼爾の死生観」、武良竜彦「哀悼―—私はいつも間に合わない」、鈴木光影「近くて遠いお二人」。黒田杏子については、他の雑誌でも、数多くの追悼記事や特集が組まれるだろうから、ここでは井口時男の齋藤愼爾を挙げておきたい。    天上の蜜に渇くや蝶の旅       時男   三月三十一日午後二時半から西葛西にて告別式。齋藤さんにふさわしく簡素な別れの式だった。     蝶の棺に砂粒ひとつ入れておく         蝶だって何だって、齋藤さんだってこの私だって、無神の国の単独者はみな砂漠の住人なのだ。4LDKを埋め尽くし、床を隠しベッドを隠し湯舟の縁まで迫っていたという無数の書物が、そのすべての頁のすべての活字が、増殖する砂粒でなくて何だろう。だが、単独者たる詩人は、砂粒を花びらに変える秘法を探究するのである。砂漠の商人になったランボーだってその秘法を探し続けていたのかもしれないのだ。  愚生にとって、齋藤愼爾との出会いは、版元・深夜叢書社との吉本隆明『「反核」異論』の販売をめぐる注文部数の件で、当時、全国書店の年間売上げベストテン入りをはたしていた弘栄堂書店吉祥寺店においても、その部数確保は至上命令である。話題性もあり、ベストセラー間違いない書籍であった。ただ、仕事を別にすれば、愚生は、その後、吉本本はほとんど読んでいない。吉本隆明は確か、その本で、原発における核エネルギーは、科学によって制御できるという言い方だったからである。素人の直観にすぎないが、愚生はもともと原子爆弾であろうと、核の平和利用などというまやかしの原発も当時から全く認めていなかったから、なおさらであった。いつだったか、コロナ禍直前、同席した場で、そのことについて齋藤愼爾に質問したことがある。当然なが

大井恒行「紫陽花や大井恒行淋しけれ」(立川市保健講座「俳句をたのしむ」第1回)・・

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  本日、6月14日(水)は、立川市保健口座「俳句を楽しむ」(於:立川・柴崎福祉会館)第一回だった(募集対象は、60歳以上の立川市民)。市の募集の内容には「 17音に思いを込め、季節を楽しみ、また、落ち着いて取り組むことができる。講座を通じて俳句を作る楽しさを学ぶ 」とあった。  とはいえ、愚生が受け持つ講座は、どこでも第一回目は、必ず自己紹介俳句を一句作っていただくことにしている(愚生の句は、最初に示しておくが、見本ながら駄句…)。それは、皆さん相互で名前と顔を覚えていただき、簡単な自己紹介をしていただくことで、スムーズに進行できるからである(もちろん、愚生が名前と顔を一致させ、覚えることが苦手という事情もあるが・・・)。定員15名、いっぱいの申し込みがあったが、実際に来られたのは、14名だった(キャンセル待ちの方4名がおられるとのことだった)。その中でも、ブログに句を公表してほしくないと言われた方もおられたので、以下に、とりあえず、許可を得た方々の句のみ挙げておきたい(順不同)。   田植時田村明通 (あきみち) 走り出す      田村明通   水無月に三枝美枝子一句詠む         三枝美枝子   枇杷たわわ笹渕美恵子眺めをり        笹渕美恵子    梅雨にはじく雨音胸はずみ           石川浩代   原節子同じ節子で大ちがい           笠井節子    和やかに過ごせぬ日あり走り梅雨        奥村和子    紫陽花や秋に生まるる甲斐千里         甲斐千里    田に波紋蛙合戦平和かな            和田信行    梅雨をうけ中尾淑子も仲間入り         中尾淑子  次回、6月28日(水)第二回は、兼題「虹」と「水遊び」の各一句を持ち寄り。 ★閑話休題・・森澤程「大蜥蜴去りて山中歩き出す」(~ちょっと立ちどまって~2023・5~)・・  森澤程と津髙里永子の二人による一か月に一度の葉書通信である。葉書中から、ささに一句を挙げておこう。   水音を歩く夏の夜抱かれたく       津髙里永子    久闊や軒の下なる蟻地獄          森澤 程       撮影・中西ひろ美「虎が雨むかしむかしのB5かな」↑

堀本吟「送電線雲につらなる子どもの日」(「つぐみ」No.211、2023・6月号)・・

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  「つぐみ」No.211(編集発行・つはこ江津)、「俳句交流」は堀本吟(豈)。俳句評論(95)に外山一機「俳句の無力さについて」。その中に、   福本啓介が上梓した『保健室登校』(文學の森)は、わずか六〇句からなる小さな句集である。 (中略)      解離性健忘症    雪降り積む記憶喪失始まりて      解離性同一障害    また違ふ君現れし涼しさよ   本書のあとがきにはまた、次のようにある。   高校の教員になってから数多くの生徒たちに出会ってきたが、定時制高校の生徒たちは、ひと味もふた味も違っていた。十代半ばというのに、多くの生徒たちは、生きることに疲れ、傷付いていた。それでも前を向こうとしていた。不登校経験のある生徒はもちろん、志半ばで退学した生徒は数知れず‥‥。  この句集の句の多くは、彼ら彼女たちのやり取りの中から生まれたものだ。 (中略)    夏に入る君リスカ痕隠さずに    西日中見つめてゐたりリスカ痕    雪が降る君リスカ痕また増えて  リストカットは自傷行為のひとつだが、福本はその略語としての「リスカ」をごく自然に用いている。これは「コンビニエンスストア」を「コンビニ」と略して用いるのとは異なるふるまいであろう。というのも「リスカ」は「コンビニ」ほどにはじゅうぶんに認知されていない略語ではないかと懸念されるからだ。 (中略)    囀りのごとひとり言自閉の子  ASD(自閉症スペクトラム)の者には対人関係やコミュニケーションが苦手であるという特性がある。他者との会話が苦手であると同時に、周囲を気にせずにする独り言が多くなる傾向もある。 (中略)  たとえばこの句が〈囀りやひとり言いう自閉の子〉と詠まれていたのであれば、「囀り」が季語として中七下五の「自閉の子」ととりあわせられていることになる。いわば、「囀り」が季語としてじゅうぶんに機能していることになる。だが、福本は「囀りのごと」とすることでその機能をあえて削いでいる。ここに、季語ではなく人間の生を詠おうとする福本の意志がうかがえる。 (中略)  この句で福本が「囀り」の季語としての機能を抑え込み、むしろそれを「自閉の子」のありようを示す語として用いているのは、福本が、 ――い わば「俳句らしい」俳句を詠むために俳句を詠んでいるのではなく――こんなふうにして人間の生を賛美し、あるいは

黒田杏子「きのふよりあしたが恋し青螢」(『黒田杏子俳句コレクション1 螢』)・・

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  髙田正子編『黒田杏子俳句コレクション1 螢』(コールサック社)、帯の惹句には、   黒田杏子・螢の名句ベスト100!  疎開時代の螢との出逢いから/進化し、更新してゆく「季語の記憶」。  髙田正子の鑑賞と共に杏子俳句の核心へ迫る。  とある。髙田正子の「1 青螢」の鑑賞文の末尾には、   杏子の初期の螢は「青螢」である。疎開してから大学進学のために上京するまでの、栃木での十二年間に培われた「記憶」が生んだ、杏子だけの季語である。  とあり、また、「Ⅱ 螢ふぶき」では、    螢が「ふぶく」というのは、寂聴先生と清滝へ行った夜に初めて抱いた感慨です。私だけの表現だと思っています。  ある日、句会の席で杏子がこう語るのを耳にした。「青螢」を記憶が生んだ季語とするならば、「螢ふぶき」は新たな体験が生んだ季語である。  という。そして、著者「あとがき」に、  三月十三日、師匠の黒田杏子が急逝した。山梨・笛吹市開催の「飯田龍太を語る会」にて、「山盧三代の恵み」を熱く語った翌々日のことであった。まさに現役大往生である。加えて命終を迎えたのが、かつて龍太を看取った病院であったというから、この上ないご最期であったと申し上げるべきだろう。  この「黒田杏子俳句コレクション」シリーズ企画として、コールサック社から提案され、生前の師の了解を得ていたものである。膨大な句群からテーマ別に百句を抽き、解説を付す、という杏子作品のエッセンスを味わうことを目的としている。 (中略)   だが、師は第一巻「螢」の初校ゲラさえご覧にならずに逝ってしまわれた。  もう新たな指令はどこからも降ってこない。淋しい。  とあった。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。    羽の国や蚊帳に放ちし青螢          杏子    一の橋二の橋ほたるふぶきけり   人影もよし方丈に螢籠   兄病めば母病む螢籠ひとつ   ほうたるにこゑをのこしてゆかれけり   なほわれを呼ぶ母のこゑほたる川    『岡田隆彦詩集成』が届き、しばしおしゃべり    麻乃さんと史乃ちやんのことほうたる来い     黒田杏子(くろだ・ももこ)1938年~2023年。東京生まれ。享年84.  髙田正子(たかだ・まさこ)1959年、岐阜市生まれ。 ★閑話休題・・件の会・黒田杏子を偲ぶ会/第17回みなづき賞(俳句甲子園実行委