黒田杏子「きのふよりあしたが恋し青螢」(『黒田杏子俳句コレクション1 螢』)・・


  髙田正子編『黒田杏子俳句コレクション1 螢』(コールサック社)、帯の惹句には、


 黒田杏子・螢の名句ベスト100!

 疎開時代の螢との出逢いから/進化し、更新してゆく「季語の記憶」。

 髙田正子の鑑賞と共に杏子俳句の核心へ迫る。


 とある。髙田正子の「1 青螢」の鑑賞文の末尾には、


 杏子の初期の螢は「青螢」である。疎開してから大学進学のために上京するまでの、栃木での十二年間に培われた「記憶」が生んだ、杏子だけの季語である。


 とあり、また、「Ⅱ 螢ふぶき」では、


  螢が「ふぶく」というのは、寂聴先生と清滝へ行った夜に初めて抱いた感慨です。私だけの表現だと思っています。


 ある日、句会の席で杏子がこう語るのを耳にした。「青螢」を記憶が生んだ季語とするならば、「螢ふぶき」は新たな体験が生んだ季語である。


 という。そして、著者「あとがき」に、


 三月十三日、師匠の黒田杏子が急逝した。山梨・笛吹市開催の「飯田龍太を語る会」にて、「山盧三代の恵み」を熱く語った翌々日のことであった。まさに現役大往生である。加えて命終を迎えたのが、かつて龍太を看取った病院であったというから、この上ないご最期であったと申し上げるべきだろう。

 この「黒田杏子俳句コレクション」シリーズ企画として、コールサック社から提案され、生前の師の了解を得ていたものである。膨大な句群からテーマ別に百句を抽き、解説を付す、という杏子作品のエッセンスを味わうことを目的としている。(中略)

 だが、師は第一巻「螢」の初校ゲラさえご覧にならずに逝ってしまわれた。

 もう新たな指令はどこからも降ってこない。淋しい。


 とあった。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


  羽の国や蚊帳に放ちし青螢         杏子

  一の橋二の橋ほたるふぶきけり

  人影もよし方丈に螢籠

  兄病めば母病む螢籠ひとつ

  ほうたるにこゑをのこしてゆかれけり

  なほわれを呼ぶ母のこゑほたる川

   『岡田隆彦詩集成』が届き、しばしおしゃべり

  麻乃さんと史乃ちやんのことほうたる来い

  

 黒田杏子(くろだ・ももこ)1938年~2023年。東京生まれ。享年84.

 髙田正子(たかだ・まさこ)1959年、岐阜市生まれ。



★閑話休題・・件の会・黒田杏子を偲ぶ会/第17回みなづき賞(俳句甲子園実行委員長・石川紀男氏受賞)贈賞式・・

                 「件」第41号↑

                黒田杏子夫・黒田勝雄↑                    

         みなづき賞・俳句甲子園実行委員長石川紀男↑↓

      
       「件の会」メンバー、櫂未知子・対馬康子・所用にて欠席↑
  

 左より、横澤放川・髙野ムツオ、愚生、星野高士・飯田秀實(撮影=武藤幹)↑

 本日、6月11日(日)15時から、お茶の水・山の上ホテルに於て、「件の会」による「黒田杏子を偲ぶ会」と第17回みなづき賞贈賞式が行われた。みなづき賞は俳句甲子園実行委員長・石川紀男が受賞した。黒田杏子偲ぶ会では、献花のあと黙祷。懇親会は17時30分から行われた。19時半散会後、愚生は帰路、一緒だった酒巻英一郎、表健太郎、今泉康弘、髙野公一、武藤幹と喫茶店で少しお茶を飲ん家路についた。

 なお、みなづき賞は第19回をもって一旦休止するが、「さろん・ど・くだん」と同人誌「件」の発行は続けるとのことだった。なお、第19回みなづき賞は「受賞作なし」。



    撮影・中西ひろ美「咲きたくて父の日をまっています」↑

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