秦夕美「遠野火や金と銀なき千羽鶴」(「俳句界」7月号より)・・
「俳句界」7月号(文學の森)、特集の一つは「追悼 秦夕美」。執筆陣は、50句選が谷口慎也、論考は藤原龍一郎「言葉に憑依した人」、田中葉月「詩に生きるー孤高の俳人夕美ー」、「追悼と好きな一句」鑑賞は、池田澄子「ももさくら死や死や汝をいかにせむ」、大井恒行「遠野火や金と銀なき千羽鶴」、松岡耕作「十六夜に夫を身籠りゐたるなり」。藤原龍一郎はこう記している。
私がもっとも印象に残っている作品が多い句集は第四句集の『万媚』。秦夕美四十代前半の時期の作品集になる。
一条の縄もてあます涅槃西風
きさらぎの箸十五尺なすな恋
さりとても言葉は闇か春の闇
誰も叫ばぬこの夕虹の都かな
どの句にもゆるぎない美意識がみなぎり、言葉がしなやかに息づいている。(中略)どの句も十三文字で統一されていることに気づいてほしい。この一句の文字の統一は、俳句の内容とは別に、一句のオリジナリティを意識している証左であり、こういう言葉の仕掛けは最後の最後まで、ゆらぐことなく貫かれていた。その姿勢が、言葉を式神のように使いこなしていたと思う所以である。(中略)
余寒なほキーウに杖の影いくつ
昏れゆくやミッドウエーの春の潮
日をまねきかへす扇か戦時中
軍歌にも四季や五情や雑煮腕
日の本の雨の桜と赤紙と
春の雁きくは冥府のトテチテタ
一句ごとの鑑賞は無用だろう。秦夕美は昭和十三年生まれ、敗戦時七歳、聡明な子であったにちがいない彼女であれば、戦争の状況も世間の空気も十分に実感していただろう。その記憶も鮮明だったはずである。
現実的には「贅沢は素敵」という人生を送った方だが、八十代になって、何故このように戦争の色濃い句をつくらねばならなかったのか。言葉に憑かれ、言葉に憑き返したサイキックな感性が、危うい今日明日を予見していたことは疑いようもない。
秦夕美(はた・ゆみ)1938~2023年、福岡県生まれ。享年84。以下に、本誌より秦夕美の句をいくつか拾っておきたい。
晩夏光仮面にかはる仮面なし 夕美
水底の都美はし春の修羅
地獄絵にふる金の雪銀の雪
生きてまたつかふことばや初暦
金の輪をくゞる柩や星涼し
のらくろもゐたか月下のレイテ島
他のひとつの大特集は、「魂の俳人 村越化石」、執筆陣は、望月周「境涯を出発点として」と50句選、荒波力インタビュー「差別にも打ち勝つ、俳句の力」、三浦晴子「村越化石先生を心の師と仰いで」、一句鑑賞に関森勝夫「蓑虫と息合はすごと暮らすなり」、角谷昌子「色鳥や心眼心耳授かりて」、田中亜美「筒鳥ポポポポ馬の足跡森出づる」、関悦史「腰掛けて石と一つや夏に入る」、田島健一「ふと覚めし雪夜の一生見えにけり」、外山一機「常闇(とこやみ)の身を湯豆腐にあたためぬ」など。もう一つは、注目の句集/清水道子『桜の世』特集。論考は櫂未知子「ある勇気」」。一句鑑賞は、鳥居真里子「蟬の羽化未生の色を曳きにけり」、小島岳青「夜桜のあをあをと水あげてをり」。
そして、「豈」同人の一人である五島高資は「俳句界Now」に登場。エッセイ「宇都宮は宇宙の宮」と自選句30句「涼夜」掲載。
蛍火のときをりわれにかへりたる 高資
撮影・芽夢野うのき「水無月の月になる前ははのうた」↑
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