三島ゆかり「極月の仁平勝を読む夜汽車」(『フリーしりとり/夏麻引く汽水域』)・・


  三島ゆかり・青山酔鳴『フリーしりとり/夏麻引く汽水域』(みしみし舎)、愚生には、どうにも手に負えないので、巻末に、本書の解説とでも言える小林苑を「遊んでなんぼ。だと思ふ」から、引用しておこう。


 しりとりは最後の一字を頭にするゲームだけれど、だとしたらしりとりとは言えないのではないか、という突っ込みをした上で、「フリーしりとり」ってなんだを考えてみる。三島ゆかりさんは連句の捌き手で、たくさんの連句を巻いてきた。でもこれは連句のようで、連句でない。連句にはルールがあって、というより必要で、その縛りをどう生かすかが発想のしどころなのだ。

 「フリーしりとり」はそんな縛りから自由だ。(中略)

 

  行く春や上乗せにする請求書     ゆかり

   赤伝を軽く切られて夏隣       酔鳥

  鉛筆の先を舐めては藤の房

   古茶ばかり啜る社長の金鎖


 出だしは分かる人には分かる挨拶句。それに寄り添う二句目。連句作法にちかい。古茶ばかり啜る、と対句仕立て。ここだけ読むとおとなしく前句を受けている。

 二章目になる頃には「これでどうだ」「それならこれで」になって来る。


   二丁目の浴衣まつりのハイヒール

  襟元に豹柄覗く夜涼かな

   実写版シテイハンター揚羽蝶

  完全変態池上線晩夏


 いくたびも季節は廻り、前句のどこというより、雰囲気に、思い出に、さらには音のイメージを引き出そうとする。ここら辺り、二人に打ち合せがあったのかなかったのか。(中略)

 そして先ほどのゆかりさんの弁どおり音がしりとりの主役になってゆく。


   弾丸道路あんぱん道路うそ寒し

  国労も動労もない烏瓜

   若冲忌なんの苦労もない烏

  菊人形の如きオートクチュールかな


 もう中身より「音」探しという新たなゲームをしている自分がいる。これが結構面白い。とにかく読んでみる。きっとあなたも嵌るはず。一つだけハッキリ言えることがある。「フリーしりとり」って思い切って遊ぶってことなんだ。(中略)

 それに、とわたしは思う。俳句は真実を書くものでもないし、目の前のものを単に写生するのとも違う。不思議なのだけれど、俳句を読んでいるうちに作者(本人ではなくて作者)の人格というか、人柄に触れる。「フリーしりとり」を読んでいるときもクスクス笑ったり、しみじみしたり、ほほ笑んだりもする。ゆかりさんや酔鳴さんの顔がチラチラすることもある。(中略)

 ついに、千句!達成ですって。おめでとう。


 とあった。因みに、本書の起首は、2022年4月22日/満尾は、2022年12月22日、於:ツイッター とある。ブログタイトルにした句は、愚生の友人の名が出ているから。「極月の仁平勝を読む夜汽車 ゆかり」の句が置かれている章は第九章、


  死後が見えそれもきらきら麦の秋      ゆかり

   ドクターストップわれに勿見えそ冷し酒   酔鳴

  喃喃と南へ向ふ夏の海

   夏蝶の南南東へ翔びゆけり

 

 で、始まる連の、43句目である。前の句は「カラフェにひらくボージョレニューヴォ解禁日 酔鳴」、後の句は「冬籠りガラムマサラをよく効かせ 酔鳴」である。


 三島ゆかり(みしま・ゆかり)1958年、東京生まれ。

 青山酔鳴(あおやま・すいめい) 北海道生まれ。


  

         撮影・鈴木純一「頼政忌やきそばパンは縦に食う」↑

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