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北大路翼「サラダ記念日ほとんどがもやし」(『給食のをばさん』)・・

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    北大路翼『給食のをばさん』(角川書店)、帯の背には 「給食俳句日記」 とあり、表紙側の惹句には、  どんな生き方だっていいじゃんか。/俺が証明してやるよ。  SDGs、ジェンダー、少子化……  給食調理場へと変貌を遂げた人気俳人が全人類にお届けする全くあたらしい日記文学……誕生。  とあった。著者「あとがき ごちさうさまのかはりに」には、   時間があるけど金がない。給食の仕事を選んだもう一つの理由は勤務時間が短いことだ。給食を作つて、片付けが終はれば毎日十五時にはあがれるわけである。勤務地も家から近いし、空いた時間で句作に専念するつもりだつた。ところが、勤務時間が短といふことはその分給金も減るといふ当たり前のことをすつかり忘れていた。忘れたといふより気にしないふりをしてゐたといつた方が正直か。 (中略) 愚かな人間にこそ俳句は必要だ。給食俳句も思うたよりも愚痴つぽくなつてしまつたが、食を通して何らかの問題提起になつてゐれば幸ひだ。うまくいかないのは自分のせゐなのはわたつてゐるが、とにかくいまの夜の中は生きづらい。文学といふ大きなフライパンで必ず世の中ごとひつくり返してやる。プリキュアは絶対あきらめない。    とあった。いくつかの例句を抽き、以降は句のみになるが。愚生好みに挙げておきたい。    六月一日 麦御飯、お好み卵焼き、豚汁、野菜の辛子和え     卵を二十六キロ分割った。プーチンも卵を割るように人を殺して     ゐるのだらう。   ふと我に返る卵の殻掬ひ   七月十日 鶏牛蒡ピラフ、トマト卵スープ、ビーンズポテト     皿を洗つてゐるところをじつと見学してゐる生徒がゐた。少年よ、     目をそらすな。これが人生だ。   夏痩せの肩をエプロンずり落ちて   九月二十九日 芋御飯。メカジキの照焼き、南瓜団子汁、切干大根サラダ    南瓜をマッシュするまでは楽しかつたが、月を模した団子を作り    続けるのがしんどかつた。月は一つでいいよ。   明月をつくる身分となりにけり   二月十日 あんかけチャーハン、ビーフンスープ、パイナップルケーキ    バレンタインデー、チョコや他部署からの紅茶ケーキの差し入れなど    甘いものづくしだつた。僕はチャーハンを必死にもぐもぐ。   ハッピーバレンタイン検体提出日   海苔の香のつきし魚卵のよくこぼれ ...

鍵和田秞子「炎天こそすなはち永遠(とは)の草田男忌」(『戦後俳句作家研究』より)・・

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 戦後俳句作家研究会『戦後俳句作家研究』(風心社)。鈴木太郎「はじめに」に、 「戦後俳句作家研究会」を構成する幹事・会員はそれぞれ所属する俳句結社や年齢・性別が異なる。いわば超結社で評論を発表しながらお互いに批評し、勉強する会といえる。俳句作家としては吟行や句座を共にして優に、三十年を超える仲間でもある。研究会としての第一回の発表は、平成二十八年(二〇一六)年四月であった。 (中略)   戦後俳句のマンネリ化と師系の希薄化、また総合誌の発表作品の平均化、論争や評論の矮小化から、改めて師系の見直しを含めて何かをしようという機運が、ここに一つの集まりとなったのが大きいといえようか。  とあり、蟇目良雨の「あとがき」には、  (前略) 此の会の発足の経緯を少し補足する。俳人協会の中に超結社「塔の会」があるが毎月句会を重ね、その後の懇親会の席上で研究会を立ち上げようという機運が起こり、評論に関心の深い仲間を「塔の会」会員以外にも広く誘って「戦後俳句作家研究会」が出来たものである。  とあった。主要目次を上げると、稲田眸子「 倉田絋文を導いたもの」 、遠藤由樹子「 鍵和田秞子最終句集『火は禱り』再読」 、佐怒賀直美「 松本旭と隠岐 」、鈴木太郎「 森澄雄の『あはれ・無常について』ー『太平洋戦争』と『アキ子夫人の死』を中心にー 」、高井美智子「 細見綾子の底知れぬ実践力とその背景」、 中山世一「 波多野爽波研究ー俳句スポーツ説と爽波の写生ー 」、二ノ宮一雄「 飯田龍太ー侠--その世界 」蟇目良雨「 人間素十 出生の秘密から読み解くこと」 、松永律子「 女流俳人の作句法」 、水野晶子「 『気骨の人』西島麥南 」など。  ともあれ、本文中に引用された句のいくつかを挙げておこう。    我もまた草の芽俳句それでよし         倉田絋文    八十路には八十路の禱り初御空        鍵和田秞子    天つ日の片頬 (かたほ) に暑き遠流の地     松本 旭    ひとり身はひとりをたのみ秋深む        森 澄雄    ふだん着でふだんの桃の花           細見綾子    金魚玉とり落しなば舗道の花         波多野爽波   またもとのおのれにもどり夕焼中        飯田龍太    書初めのうゐのおくやまけふこえて       高野素十    ...

関口比良男「黒生れ たちまち白が包囲する」(「俳句」7月号より)・・

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  「俳句」7月号(角川文化振興財団)、連載・角谷昌子「俳句の水脈・血脈--平成・令和に逝った人々」第49回は「関口比良男」。その「比良男の生い立ち」に、   比良男は、明治四十一年(一九〇八)十二月十五日、東京世田谷に生まれる。父横田清兵衛(日進銀行頭取)、母関口ゑい。本名貞雄。戸籍上では、父の弟横田喜兵衛の庶子。父の死後、十一歳で戸籍通りに嘉兵衛の家に預けられる。だが、二年後に伯父の家になつかないという理由で、生母の養子として縁組され、母は理髪業で比良男を養うという複雑な家庭環境だった。  十九歳で小学校の代用教員として勤務し、〈朝露を踏み麦の穂の影を踏み〉と詠む。翌年、國學院大學高等師範部に入学、金田一京介、折口信夫に教えられた。  とあり、 「山﨑十生氏(『紫』主宰)に聞く」の「『紫』主宰継承の思い」では、   平成六年(一九九四)の「紫」八月号に師は「私に万一のありました場合、紫の題号および経営の形態や方針につきましても、十死生君にすべて一任する考えでおります」と書かれた。私は、師の召天の日には、意志を継ぐ覚悟をしており、翌年、主宰を継承した。  師は常々、「俳句芸術派」を標榜していたので、私もその精神を引き継いでいるちもりである。 (中略)  このように語る山﨑氏の代表作に〈もう誰もいない地球に望の月〉(句集『伝統俳句入門』)がある。人類が滅亡したあと、〈望の月〉が巨視的に地球を眺め、照らしている。山﨑氏は、美しくも怖ろしい景を描出して、地球上の戦争や環境破壊に警鐘を鳴らし、俳句芸術の象徴性の迫力を見事に示している。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句をあげておきたい。    九十九里あるというのに蟹走る          関口比良男    夏来たる子らよ馬には乗つてみよ          西村和子    俳諧の国に青黴生え放題             岩淵喜代子    帚木の枝の岐れの杳として             山口昭男    鶴帰る吊るしておかむ魄の紐           鳥居真里子    昭和の日昭和を知らぬ子の未来          稲畑廣太郎    通草咲く夕べは侏儒の饒舌に           佐怒賀直美    出たからは酒も辞さずよ春の昼           三村純也    銭湯へ会津桐下駄蚊食鳥        ...

渡辺智恵「太陽のような妹ソーダ水」(秩父で俳句を作ろう「俳句イン秩父」より)・・

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 本日、6月28日は“ 秩父で俳句を作ろう“「俳句イン秩父」(主催/秩父むらさきの会・彩の国俳句を作る会)(於:秩父宮記念市民会館)だった。愚生の大いなる失敗は、大会日程を見たとたん、その中に「特別ゲストスピーチ『今、俳句について思うこと』/大井恒行氏」という式次第を見たときだ(会場に着いて、選者控室で、出されたお弁当を開きながら、何気なく、そのパンフをみた・・・)。全く失念していたのだ。山﨑十生氏と車中でも語らい、選者としての講評は承知していたのだが・・・。思わず声が出た。十生氏に、「最近の、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進運動のことでも」、と水を向けていただいて、とにかく、その現状を語ることにしたのだった(30分ほど)。加えて、帰り際に、恐縮ながら、愚生の第80回現代俳句協会賞受賞のお祝いの品までいただいた(ありがとうございました!!)。  当日句の席題は「近」で一句。ともあれ、以下に、事前応募句を10位までと、席題句のいくつか(愚生の選んだ句)を挙げておきたい。    太陽のような妹ソーダ水           渡辺智恵    宇宙より星を貰ひしてんと虫         馬場菊子    二年後は閉校となる桜かな          眞下杏子    一切をのみこんでゐる朧かな         斎藤久子    万緑や両神山といふ気骨           福島時実    泣き虫は夜行性です月朧           藤澤晴美    本心を隠したままの曼殊沙華        小山とし子    花は葉に手書きの地図が大雑把        久下晴美    陽炎の中は殺気が消えてゐる        渡辺まさる    雨上がるしずくを編むや蜘蛛の糸      長谷川清美  当日、兼題「近」の愚生の選んだ句、と愚生の挨拶句を以下に、    近ちゃんはずっと親友遠花火         宮崎小雪    目近には武甲の吐息七変化          藤澤晴美    森涼し遠近両用眼鏡拭く           浅野 都    唐突に近づいて来るはたた神         久下晴美    隕石接近ながむしぐるぐる          金子和美    豆の飯遠くて近き母の家           角 達朗    梅雨明け近し花婿はモヒカンで       池田めだか    球場近き歓声田水湧く     ...

齋木和俊「キジムナーに語り部託す沖縄忌」(第186回「吾亦紅句会」)・・

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  本日、6月27日(金)は、第186回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「雨蛙」。去る6月9日に逝去された牟田英子さんのために、黙祷を捧げた後、句会が始まった。そして、亡くなる直前に自身で選句された句集『虹を渡る』(私家版)が句会の仲間に配られた。牟田英子への追悼の句も多くみられた。以下に一人一句を挙げておきたい。    牛蛙笑み涼やかな山ガール         田村明通    つながれた命が歌う沖縄忌         奥村和子    雨蛙上眼使いに世を図る          齋木和俊    君逝くや百名山の星月夜          須崎武尚    桜桃忌電気ブランの夜は更けて       村上さら     紫陽花や歪む昭和の硝子窓        折原ミチ子    濃紫陽花女性専用車混雑          渡邉弘子    陽を風を浴びて葡萄の葉の繁る       笠井節子    梅雨晴れや此処を先途と鳥の声       松谷栄喜    朝靄に菩薩を見んと蓮池に        吉村自然坊     明日はさどの色になる雨蛙         関根幸子    コココ米ココココ米は庭の鶏 (とり)   三枝美枝子    そよと風ことば失う白牡丹         西村文子    登下校秘密の場所に雨蛙          佐藤幸子    小雨降る枝葉で遊ぶ雨蛙         佐々木賢二    雨蛙明日は晴れぞどこへ行く        武田道代    餓鬼の子のペンキ逃れよ雨蛙        大井恒行  次回は、7月25日(金)、場所は立川女性総合センターアイム。兼題は海開き、牟田英子追悼句一句。 ★閑話休題・・牟田英子「やんばるも摩文仁の丘もさみだるる」(『虹を渡る』より)・・ 牟田英子遺句集『虹を渡る』(牟田親子舎)、挟み込まれた「ご報告」には、  皆さま この度残念ながら一足先に旅立ちました   山友達と300名山に、海外の山に/自然豊かな日本の山に   バトミントンの仲間との愉快なお付き合い/俳句仲間との句作、   近くのお友達など/沢山の友達に恵まれ幸せな人生でした    優しい二人の娘、姉妹に感謝    皆さま ありがとうございました                        牟田英子/令和7年6月9日没                ...

細谷喨々「何処までが此(こ)の世彼(あ)の世の螢かな」(『自註現代俳句シリーズ・細谷喨々集』より)・・

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  自註現代俳句シリーズ・13期31『細谷喨々集』(俳人協会)、その「あとがき」に、 (前略) お釈迦様の時代のインドでは、人生を四つの時期に分けて考えたといいます。ヒンドゥー教の四つの発展段階によります。「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」。私に当てはめまると第一句集は「学生期」、第二句集は「家住期」、第三句集では「林住期」が詠まれました。「林住期」では内面的な探求、洞察が行われ、最後の「遊行期」に向ってmの準備が進んだように思います。  私の俳句人生は二十歳前から始まりましたから、もうじき六十年、およそ二十年ずつ段階を上がってきたことになります。そのことを句を選びながら、つくづくと感じました。 とあった。以下に、三、四の自註を紹介して、その他は、愚生好みに偏するが、いくつかの句お挙げておきたい。原句は総ルビだが、全句には入れなかった(お許しあれ)。    俳書繙 (ひもと) く君羨 (うらや) まし風邪薬      昭和四六年作               「征良君に、吾も卒業試験と前書。二歳下の               「風土」の仲間、島谷君は国学院大学国文科の卒               業試験のために『俳諧七部集』を勉強中だった。    雛菓子に血の色医者をやめたき日            平成四年作              死なれることが続くと鬱の気が兆す。雛菓子の赤              にも血の色を感じる。つらい日々だった。    みとりとは生きることなり霜柱            平成一九年作              治るようになってきた小児がん、それでも旅立っ              てしまう子もいる。親と一緒に亡くなる子を看取る。              みとる側はしっかり生きなければならない。    雨を汚し木の芽を汚し私 (わたし) たち        平成二三年作             一九六〇年代にジョーン・バエズがよく歌った             「雨を汚したのは誰」。繰返し行われた核実験への             プロテストソング。東日本大震災の福島が悲惨。   麗 (うらら) かや父からもらふ聴診器   死の冷えの移りて重き聴診器   冷房やこぼれて涙あたたかき   夢想して苦悩して月のくらげかな   ...

マブソン青眼「イカロスの笑み光りけり火焔土器(どき)に」(『ドリームタイム』)・・

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    マブソン青眼第10句集『ドリームタイム』(本阿弥書店)、フランス版・PiPPA E'ditions『ドリームタイム』(フランス語・日本語対訳)。ここでは、本阿弥書店版に寄る。帯には、   オントロジー的転回“ガイアの眼で“地球を眺める・・・  火焔型土器、/地中海の太陽、/イカロスの夢、  そして その先には/人類が消えた後の/「量子俳句」  010101の鳥語  とあり、著者「あとがき/量子俳句の夢へ」には、  本集は第十句集となる。第九句集は縄文文化を主題とし、全句において、第八句集の途中で授かった「無垢句」の新韻律「五七三」を遺っていた。本集でも「五七三」(たまには「五七二」あるいは「五七一」)のリズムに従ったが、発想・表現法に関しては大きな展開があった。 (中略)   とくに本集の最終章「量子俳句」において、具体的でいながら「この世(物質の世)の世とあの世(波動の世)の二重写し(重ね合わせ?)」のような一物仕立ての句ばかりとなり、一つの題材だけでも(無季の題材でも)「二重底の意味」なら「取り合わせ論」でいう「匂付 (においづけ) も可能だと実感した。なお、頭韻が増えたことで音韻的にも句が単純化され、意味(粒子)と言語音(波動)が統一され、なんとなく古典力学から量子力学に変わったかのような“浅くて深い“風景が見えてきた。「五七三」の左右非対称のリズムが、量子ビットの「0」「1」「0/1」のように、二択(5,7)ではなく三択(5,5+2、5-2)を促し、閉じられた円ではなく螺旋型の時空間となり、字数が減ったことでむしろ無限の可能性が広がったように感じた。ついには切字「や・かな・けり」も消えてしまったのだ。現在形しかない、人語の理屈もホモサピエンスのエゴもない“原初的な波動のオントロジー“、“量子 (たましい) の世界“に少しばかり近づけたか。 (中略)   本集は、そんな新たな「アニミズム俳句」の旅への船出であってほしい。今後、私が主人公ではなくなっても、新韻律「五七三」の夢路は続くだろう。  とあった。集名に因む句は、   ドリームタイムからまよいこみみぞれ      青眼 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    魔物死んで天使も死んで焚火              逆さなる火焔 (どき) に凍土...

林桂「立葵七年逢(たちあふひななとせあ)はぬ父(ちち)と母(はは)」(遠近紀行)・・

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 林桂第10句集『遠近紀行』(ウエップ)、その「あとがき」に、 『遠近 (をちこち) 紀行』は、『百花控帖』に次ぐ第十句集である。多行表記を基本とする六冊の句集に対して、一行表記句集の四冊目となる。 (中略)   日常の時間を「紀行」と呼び、小さな旅の時間も「紀行」と呼ぶことで、その照合が自照にならないかという試みである。父母を失い、久しくなる離郷から、漂いはじめた晩年意識をいきることとなった。いっそこれを「紀行」と呼んでしまうことで、時間の輝きを取り戻せないかという細やかな前を向くための発想の転換を意図している。「旅」との照合を通して、褻の時間をも「紀行」として生きようとするけなげな思いである。巻頭の芭蕉の言葉の引用部分は、そんな思いに対応したものである。  とあった。献辞に、「 船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる――芭蕉 」が置かれれている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。句には、総ルビが施されいるが、ここでは、多くを省かせていただいた(許されよ)。      喫茶ダウンビート ここでの小さな「ビート句会」から「鬣」は始まった    馬場川 (ばばつかは) の陽の煌めきを秋思かな        桂    内閣府貸与線量計残暑 (ないかくふたいよせんりやうけいざんしょ)    青柿や〈アンダーコントロール〉下 (か) の遺影    平和公園を穿 (うが) つ防空壕あまた    五月来 (ごぐわつく) る影をひっとりにひとつづつ    夕暮れは地より沸きたつ寒椿   寒昴未来に追ひつくことなくて   観月に影得 (う) れば影動きをり   つんとしてしんしんとしてをり冬真昼 (ふゆまひる)    雪の根に睡 (ねむ) る蟬の子の吾 (あ) もあらむ    蝕 (しよく) 終へしひかりの月や冬薔薇 (ふゆさうび)    釣鐘 (つりがね) は闇を吊りをり重信忌 (ぢゆうしんき)   ゑくぼにも涙のたまる晩夏かな   海に遅れて空昏 (そらくら) くなる秋の暮       老い易き少年ぞわれ蟬翁忌 (せみをうき)    湖 (うみ) しぐれ敗るる者の尊 (たふと) けれ    七日好摩 (なのかかうま) 八日重信 (やうかぢゆしん) 雲の峰     林桂(はやし・けい) 1953年、群馬県生まれ。     撮影・中西ひろ美...

西東三鬼「算術の少年しのび泣けり夏」(『俳句の立ち話』より)・・

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 仁平勝著『俳句の立ち話』(朔出版)、その「はじめに」で、  (前略) 内容から大きく二部に分けたが、第一部では、一言でいうと俳句の芸について述べている。私なりに重視したい芸として、省略の技法と一物仕立てを取り上げた。ただし、いわゆる芸談ではない。俳句はむろん文学だが、それ以前に芸事である。芸事をバカにすると、俳句という文学は成り立たない。そういう話です。  第二部の「五七五のはなし」は、俳句の「切れ」(切字)が主なモチーフで、そこから俳句と発句は違うという話になる。  とあった。 本ブログでは引用にも限界があるので、直接、本書に当たってほしい。損はありません。以下には、アトランダム、不十分になるが、もう少し、紹介しておきたい。 「Ⅱ 五七五のはなし 」から、 (前略) 九/虚子は「俳句に志す人の爲に」(昭和六年)という文章で「切字といふことを昔は大変やかましくいつてゐましたが,それほどやかましくいふ必要はありません。要するに、終始言若しくはそれに代る言葉が一句のうちに一つあればよいといふことであります」と述べている。  山本健吉が、俳句に発句性を取り戻そうとするなら、虚子は、発句性に別れを告げたといっていい。 (中略)     向ふ家の秋の簾も垂れしまゝ(・・)    小春ともいひ又春のごとしとも(・・)  ほとんど散文と変らない文体が、五七五という定型律によって(ここが大事なのです!)俳句になっている。句末の語に傍点をふってみたが、これが虚子の「終止言若しくはそれに代る言葉」にほかならない。「切れ」がないというより、むしろ意識的に「切れ」を避けていると考えていい。  そして私にいわせれば、これはすなわち平句のかたちである。子規は、俳句を近代の詩として蘇生するにあたって、連句の形式を否定した。それに対して虚子は、連句の意義を否定していない。連句論もいくつかあり、連句を論じた最初の文章は明治三十三年の「俳話二則」だが、そこで「人事を詠ずる上に於ては、元禄の連句は俳句より一歩を進めて居たのだ」といって連句の平句を評価している。 (中略)  山本は「三十一音が十七音となるまでの間に、時間性の抹殺という暴力的飛躍が遂行されたのだ「(挨拶と滑稽)」と書いたわけだが、私はそこで時間性(つまり韻律)が抹殺されたとは考えない。では、五七五の発句が七七の脇句を切り離したとき、そこで...

渡邉樹音「新しい水着は恋をまだ知らぬ」(第70回ことごく句会)・・

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  6月21日(土)は、第70回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「新」。以下に一人一句を挙げておこう。    新薬の針より夏の血に溶ける        春風亭昇吉    泰山木の花にしまつておくこだま       林ひとみ    日本地図消せない民の沖縄忌         杦森松一    籐椅子の凹みは父の置き土産         村上直樹    青葉潮鳥語はいつも真上から         渡邉樹音    仏飯の蠅はらうまたひとり          照井三余   新じゃがは皮にこそあれ春の味       渡辺信子    土 (つち) から始 (はじ) む日月火水木金   金田一剛    青にならんと絡み合うかたつむり      杉本青三郎      魔女からの伝言ですとアマリリス       江良純雄    幸せと言ふは退屈麦の秋           石原友夫    新メンバー加え寿ぐ夏句会          武藤 幹    児の胸のふくらみほどの月日貝        大井恒行  次回は、7月19日(土)予定。ここで、チョッピリ、報告しておくと、二次会の懇親も終わって、新宿駅近くの路上で、現代俳句協会から連絡が入り、愚生の 『水月伝』が、記念すべき第80回現代俳句協会賞に 決まったと、嬉しい知らせをいただいた。深謝!!! ★閑話休題・・安村和義「世を憂ふ眼くもらず穀雨の忌」(「こんちえると」第91号/第5回大牧広記念俳句大会より)・・ 「こんちえると」第91号(牛歩書屋)の「牛歩書屋日誌」には、  没後6年・七回忌の今年、第5回大牧広記念俳句大会はご多忙の折、快く選句を引き受けて下さった贈呈読者の皆さまのお力添えで天地人を発表することができました。(中略)選任選者を持たない小紙は、一年に一度のこのイベントにおいて、著名俳人の選を受けることが何よりの悦びであり、自分の俳句を確認するよい機会となりました。 とあった。以下に、各選者の天の句を挙げておこう。カッコ内は選者。   すててこやペンで戦ふ師の夜毎     深江久美子(黒川由紀子選)   正眼の矜持揺るがぬ夏帽子        成田榮一(黒沢弘行・栗林浩選)   カート押すまろき背中や蜆蝶       波切虹洋(小島浩子選)   『全句集』学び新たに穀雨の忌       檜原れい(小林...

高屋窓秋「きりぎりすきのふのそらのきのこ雲」(「トイ」Vol.15より)・・

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              「トイ」Vol.15(編集発行人:干場達矢)、池田澄子のエッセイ「たいへんな自慢話」の中に、 (前略) 赤い罫のあるその原稿用紙には「きりぎりす」という題名と八句と細めの黒の万年筆で丁寧に書かれていて、その中の二句が鉛筆の線で消され、横に私の鉛筆の文字で二句加えられている。欄外に、「一九八七年作 高屋窓秋」丁寧な文字で記されている。 (中略)    タイトルの「きりぎりす」の句は、 〈きりぎりすきのふのそらのきのこ雲〉 次の行の〈昨日より鳥渡りゐる遺骨かな〉が〈なきがらは花いつぱいの花野かな〉と直されていて、最後の句は〈落花この終わることなき大地かな〉。窓秋の作品は透明感が美しいと言われているけれど。人類を憐れみ、地球を心配し胸を痛めている人の、濃い思いが満ちている。  人と話すことが嫌いです。食べることが嫌いです、と、賑やかな大勢の酒席で先生は、隣席に居た私に静かに仰った。その静かな、しかし、本当のことをきちんと仰って、この世に居ることの嘆きのようなものに、まるで嫌みがないのだ。  とあった。ともあれ、以下に、本誌より、一人一句を挙げておこう。    一帯の桜を撮つて人を消す         仁平 勝    恋猫になつてしまへば鳴くほかなし     干場達矢   咲けば散る桜やわっと咲きそめし      池田澄子    神さまと会ったことある草の上      樋口由紀子    傘を打つ雨粒ひうがみづきにも       青木空知     撮影・中西ひろ美「梅雨が消えたので消えます私たち」↑

 清水正之「ろくろ廻す爪先に現(あ)る土の神 」(第42回「きすげ句会」)・・ 

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  6月19日(木)は、第42回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「五月雨」。以下に一人一句を挙げておこう。    さみだれや泣きたいような昼さがり       寺地千穂    父の日や手紙に書けぬ言葉あり         高野芳一    慰霊の日ただ紺碧の海の色           杦森松一    紫陽花の花色あせる暑さかな          清水正之    旱星ポケットに入れたがるカンガルー      山川桂子    夏てふ舞ふ寄り添ふ影も生きてをり       濱 筆治    五月雨にトボトボ蛙アジサイの道       大場久美子    五月闇聴こゆる振りの白寿かな         新宅秀則    五月雨や梅太らせて滴りぬ          久保田和代    荒梅雨や座敷横切る子連れ猫          井上芳子    オオウミウマ乗るは弥勒の心映え        大井恒行   次回は、7月17日(木)、会場はいつもと変わって、府中市中央文化センター。兼題は「蟬」。 ★閑話休題・・津髙里永子「街小さく見ゆる一気のソーダ水」(「~ちょっと立ちどまって~2025・5~」)・・  「~ちょっと立ちどまって~」は津髙里永子と森澤程の二人の葉書つうしん。あと一人、森澤程の句を以下に‥‥。     量子ってなに蛇は枝を巻き進み        森澤程         撮影・鈴木純一「蓮の音や中将姫はまつり縫ひ」↑

小倉蒼蛙「あおがえる一歩を何処に向けようか」(『優しさの手紙』)・・

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 小倉蒼蛙第4句集『優しさの手紙』(書肆アルス)、序は、河内静魚「誠の俳人」、その中に、 (前略 )私がこれから述べるのは、俳人小倉蒼蛙の俳句の世界である。結論からいうと、多彩な小倉一郎さんの才能が、混ざり合い、渾然一体になって花開いているのが、蒼蛙俳句と言っていいように思える。その本質を一言で表すとしたら「誠の俳句」であろう。誠とは,嘘のない心、飾り気がないことである。以前、蒼蛙俳句を、等身大の俳句、素の俳句と述べたことがあったが、誠の俳句の方がピッタリするようだ。 (中略)   蒼蛙さんとの出会いは、二十五年ほど前のことである。一緒に荻窪で女優の松岡みどりさんたちと句会を楽しんだ。そしてどんどん蒼蛙さんは俳人としての腕を上げた。俳句番組を共にしたこともあった。私の主宰する「毬」という結社の初代編集長を務めてくれた。 (中略)   病気がちの蒼蛙さんだが、いつもその都度克服して立ち上がる。今回の肺がんのステージ4でさえ奇跡的に乗り越えている。つよい精神力と家族の励ましが支えたのだろう。 (中略)  蒼蛙さんはこころ優しい俳人だ。暖かい俳人だ。そしてやさしい、いい人だ。    いい人にたくさん会えた梅の花    シャボン玉別れは常にあるんだよ。  とあった。   そして、著者「あとがき」の中に、   癌という病を得て、数ヶ所あった教室を閉じ、俳句結社「あおがえるの会」を作ったのは生き急いだからで、美しい日本語を残したい、伝えたいという思いから多くの句友に助けられて今日に至っています。  告げられた余命を過ぎても癌は現在の医学で消滅しました。  これを機会に、生まれ変った気分で芸名を俳号の小倉蒼蛙にしました。  再発防止のための抗癌剤治療は今も続いていましすが、もし俳句がなかったら私は途方に暮れていたでしょう。  私にはいつも俳句が傍らにあった。幸せといっていい。  これからも駄句を量産していくと思います。  とあった。集名に因む句は、       山田太一さんサヨウナラ    優しさの手紙を今も冬あたたか         蒼蛙  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。    山の音空の音きき木守柿     丹波哲郎さんサヨウナラ    霊界に色なき風は吹きますか    蠟梅や武甲しだいに低うなり   おでん酒わしゃああ...

鳥居真里子「鬼蓮のおきつきのおく鬼の唄」(「俳壇」7月号より)・・

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 「俳壇」7月号(本阿弥書店)、特集は「〈港〉の見える俳句」その他、浅川芳直「俳壇時評/型についての覚書」、巻頭エッセイに土肥あき子「蛤の吐いたやうなる」、連載に、栗田やすし「碧梧桐研究余話、第一回鵜平氏の短冊」、長谷川櫂「二度目の俳句入門/第二章 言葉の意味と風味〈3)」、秋尾敏「旧派の俳句⑯」、井上泰至「知っているようで知らない俳句用語⑲・間」、坂口昌弘「名句のしくみと条件㉛芝不器男と高屋窓秋の名句」、栗林浩「俳書の森を歩む」など。ここでは、新連載の仁平勝「 俳句文法への招待/ー山田孝雄『俳諧文法概論』を読む 」を少し紹介したい。 (前略) 著者を知らない読者も多いと思うが(俳人・山田みづえの父君です)、その文法学は山田文法として、松下大三郎の松下文法、橋本進吉の橋本文法、時枝誠記の時枝文法と並んで日本語の四大文法と呼ばれる(学校で習うのは橋本文法)。私は吉本隆明の影響で時枝誠記を愛読していたが、とりわけ文法学に興味があったわけではない。たぶん「俳諧文法」というテーマに食指が動いたのだろう。 (中略)   私は三年程前、本誌の「俳壇時評」で「文法は法律とは違う」(二〇二二年三月号)という文章を乗せているが、そこにこんな事を書いている。   先に文法という規則があって、それに則って私たちが言葉を使っているいのではない。話は逆だ。私たちの祖先が自然に使ってきた言葉を、後から学者が法則化したものが文法である。 「俳諧文法」もまた、俳諧(俳句)で「自然に使ってきた言葉を、後から学者が法制化したもの」にほかならない。そして付け加えていうと、俳諧では、本来の文法が必ずしも守られない。  (中略)  では次に、なぜ文法の破格が生じるのか。山田はその理由を「俳諧は(中略)短い形で、語数と句形とに著しい制限がある」からだと述べる。これはとても重要なことだ。  私なら「著しい制限」といわず、「語数と句形とが優先する (・・・・) 」といってみたい。「句形とはつまり五七五の定型のことで、その音数律を外せば俳諧(俳句)という定型詩は成り立たない。というより、文法とはそもそも散文の法則で、俳句のような韻文に当てはまらないのです。 (中略)  「俗語」とは、文法的にいうと口語のことだ。今日の俳句でも「主として文語の法格による」のが主流だが、俳諧では、そこへ口語を「交へ用ゐること」も...

こしのゆみこ「呼び継ぎの湯呑み回すや開戦日」(「豆の木」No,29)・・

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 「豆の木」No,29(豆の木)、2024年代30回20句競作「豆の木賞」に、有瀬こうこ「月夜茸」。評論に片岡秀樹「言霊と戦争 巻の陸/筑波問答歌篇(上)愛の章」、毎号楽しみな「こしのゆみこ 旅ノート㉗ 弘前・青森・金木・秋田紀行」。    さくらんぼふふみてわれを笑わかす       こしのゆみこ 句集評欄は充実。田中泥炭「花のうつそみ―佐々木紺『平面と立体』評―」、広瀬ちえみ「ホンジツモテイネンヲシキネムルナリー中内火星句集『シュルレアリスム』評ー」、堀切克洋「全音のエチュードー月のぽぽな『人のかたち』に寄せてー」、皆川燈「『たましいのいれもの』考ー嵯峨根鈴子第四句集『ちはやぶるう』を読むー」。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。    さかむけを故郷と思ふ薄氷           有瀬こうこ    木枯しと親し街角喫煙所             上野葉月    腕まくら抜き室咲きの香の厚く          内野義悠    心臓を木の葉のやうにして眠る          大石雄鬼    青鷺は人間界に立つてをり            岡田由季    人類の最後の形である花野            小野裕三    ゴシック体嫌ひな紙魚のゐるらしき        柏柳明子    木炭もダイヤも炭素労働祭            片岡秀樹    風の殻いま開きしが秋の蝶           川田由美子   生き延びむ夢鮫は見ぬちのあをと         楠本奇蹄   さるすべりもう息の吸いにくい距離         近 恵    黄泉までは身過ぎ世過ぎの酔芙蓉        嵯峨根鈴子    青嵐ひとを庇ふに人殴り             佐々木紺    人の日の穴ぼこ焼け焦げて無数          田島健一    柚子いびつ明日は笑顔を売る仕事         田中信克    ありがとうのようなごめんねシクラメン     月野ぽぽな   性別不詳の人体模型春の蠅           鳥山由貴子    青になるまで待つ赤い煩悩            中内火星    大南風妻に馴染まぬ猫ねむり           中嶋憲武    点けて消して半分眠る白泉忌           東濃 誠    苗札に紙飛行機の端乗れり           ...

谷口慎也「発禁の諸書を枕に江戸の春」(「連衆」102号)・・

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 「連衆」102号(連衆社)、夏木久が「『夏木久』の俳句観/Q俳句の迷走⑫ー『水月伝』考②ー」で愚生の句集『水月伝』評を書いてくれている。さらに次号に続くらしい。愚生にとってはじつに有難いことである。その他、連載評論に髙橋修宏「阿部青鞋ノート(3)」、作家論に谷口慎也「総論『私の中の穴井太』②」、竹本仰「谷口慎也と私の世界㉒」、森さかえ「俳諧ワンダーランド3ー俳句の視点、川柳の視点」などがある。高橋修宏の阿部青鞋ノート(3)」の中の、阿部青鞋「随想」には、   文学や詩で俳句をつくるのではなく、俳句で文学や詩をつくるのである。いわゆる文学や詩にならない文学や詩を創るのである。又、俳句の優位性は詩であることではない。俳句であるこちである。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    げんげ田に泣いてゐるのは五歳の吾       金子 敦    志の漢字しぐれてあいや暫く          松井康子    つばめ来る絶対音感つきぬけて        羽村美和子    あやめるあやめ                加藤知子    一陽や偏奇のこゑをすなどりぬ  (「偏奇」の「奇」には人偏あり)                          墨海 游    倖せをいふひさかたの聖五月          森さかえ    空室だが春を一輪入れておく          夏木 久    沖縄忌流れつくもの遺失物           小倉班女    結という人あり春が唄ってる          鍬塚聰子    大牟田や「復刊」を見て鳥帰る         下村直行    淋しくて淋しいものを見てしまう        楢崎進弘    わたくしに名を問う休耕田の芹         情野千里    孤独が太って部屋が狭くなった        わいちろう ★閑話休題・・草間彌生・三島喜美代・坂上チユキ・谷原菜摘子「創造と破壊の閃光」(於:GYRE GALLERRY ジャイルギャラリー)・・                                       ...