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鳥居真里子「鬼蓮のおきつきのおく鬼の唄」(「俳壇」7月号より)・・

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 「俳壇」7月号(本阿弥書店)、特集は「〈港〉の見える俳句」その他、浅川芳直「俳壇時評/型についての覚書」、巻頭エッセイに土肥あき子「蛤の吐いたやうなる」、連載に、栗田やすし「碧梧桐研究余話、第一回鵜平氏の短冊」、長谷川櫂「二度目の俳句入門/第二章 言葉の意味と風味〈3)」、秋尾敏「旧派の俳句⑯」、井上泰至「知っているようで知らない俳句用語⑲・間」、坂口昌弘「名句のしくみと条件㉛芝不器男と高屋窓秋の名句」、栗林浩「俳書の森を歩む」など。ここでは、新連載の仁平勝「 俳句文法への招待/ー山田孝雄『俳諧文法概論』を読む 」を少し紹介したい。 (前略) 著者を知らない読者も多いと思うが(俳人・山田みづえの父君です)、その文法学は山田文法として、松下大三郎の松下文法、橋本進吉の橋本文法、時枝誠記の時枝文法と並んで日本語の四大文法と呼ばれる(学校で習うのは橋本文法)。私は吉本隆明の影響で時枝誠記を愛読していたが、とりわけ文法学に興味があったわけではない。たぶん「俳諧文法」というテーマに食指が動いたのだろう。 (中略)   私は三年程前、本誌の「俳壇時評」で「文法は法律とは違う」(二〇二二年三月号)という文章を乗せているが、そこにこんな事を書いている。   先に文法という規則があって、それに則って私たちが言葉を使っているいのではない。話は逆だ。私たちの祖先が自然に使ってきた言葉を、後から学者が法則化したものが文法である。 「俳諧文法」もまた、俳諧(俳句)で「自然に使ってきた言葉を、後から学者が法制化したもの」にほかならない。そして付け加えていうと、俳諧では、本来の文法が必ずしも守られない。  (中略)  では次に、なぜ文法の破格が生じるのか。山田はその理由を「俳諧は(中略)短い形で、語数と句形とに著しい制限がある」からだと述べる。これはとても重要なことだ。  私なら「著しい制限」といわず、「語数と句形とが優先する (・・・・) 」といってみたい。「句形とはつまり五七五の定型のことで、その音数律を外せば俳諧(俳句)という定型詩は成り立たない。というより、文法とはそもそも散文の法則で、俳句のような韻文に当てはまらないのです。 (中略)  「俗語」とは、文法的にいうと口語のことだ。今日の俳句でも「主として文語の法格による」のが主流だが、俳諧では、そこへ口語を「交へ用ゐること」も...

こしのゆみこ「呼び継ぎの湯呑み回すや開戦日」(「豆の木」No,29)・・

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 「豆の木」No,29(豆の木)、2024年代30回20句競作「豆の木賞」に、有瀬こうこ「月夜茸」。評論に片岡秀樹「言霊と戦争 巻の陸/筑波問答歌篇(上)愛の章」、毎号楽しみな「こしのゆみこ 旅ノート㉗ 弘前・青森・金木・秋田紀行」。    さくらんぼふふみてわれを笑わかす       こしのゆみこ 句集評欄は充実。田中泥炭「花のうつそみ―佐々木紺『平面と立体』評―」、広瀬ちえみ「ホンジツモテイネンヲシキネムルナリー中内火星句集『シュルレアリスム』評ー」、堀切克洋「全音のエチュードー月のぽぽな『人のかたち』に寄せてー」、皆川燈「『たましいのいれもの』考ー嵯峨根鈴子第四句集『ちはやぶるう』を読むー」。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。    さかむけを故郷と思ふ薄氷           有瀬こうこ    木枯しと親し街角喫煙所             上野葉月    腕まくら抜き室咲きの香の厚く          内野義悠    心臓を木の葉のやうにして眠る          大石雄鬼    青鷺は人間界に立つてをり            岡田由季    人類の最後の形である花野            小野裕三    ゴシック体嫌ひな紙魚のゐるらしき        柏柳明子    木炭もダイヤも炭素労働祭            片岡秀樹    風の殻いま開きしが秋の蝶           川田由美子   生き延びむ夢鮫は見ぬちのあをと         楠本奇蹄   さるすべりもう息の吸いにくい距離         近 恵    黄泉までは身過ぎ世過ぎの酔芙蓉        嵯峨根鈴子    青嵐ひとを庇ふに人殴り             佐々木紺    人の日の穴ぼこ焼け焦げて無数          田島健一    柚子いびつ明日は笑顔を売る仕事         田中信克    ありがとうのようなごめんねシクラメン     月野ぽぽな   性別不詳の人体模型春の蠅           鳥山由貴子    青になるまで待つ赤い煩悩            中内火星    大南風妻に馴染まぬ猫ねむり           中嶋憲武    点けて消して半分眠る白泉忌           東濃 誠    苗札に紙飛行機の端乗れり           ...

谷口慎也「発禁の諸書を枕に江戸の春」(「連衆」102号)・・

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 「連衆」102号(連衆社)、夏木久が「『夏木久』の俳句観/Q俳句の迷走⑫ー『水月伝』考②ー」で愚生の句集『水月伝』評を書いてくれている。さらに次号に続くらしい。愚生にとってはじつに有難いことである。その他、連載評論に髙橋修宏「阿部青鞋ノート(3)」、作家論に谷口慎也「総論『私の中の穴井太』②」、竹本仰「谷口慎也と私の世界㉒」、森さかえ「俳諧ワンダーランド3ー俳句の視点、川柳の視点」などがある。高橋修宏の阿部青鞋ノート(3)」の中の、阿部青鞋「随想」には、   文学や詩で俳句をつくるのではなく、俳句で文学や詩をつくるのである。いわゆる文学や詩にならない文学や詩を創るのである。又、俳句の優位性は詩であることではない。俳句であるこちである。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    げんげ田に泣いてゐるのは五歳の吾       金子 敦    志の漢字しぐれてあいや暫く          松井康子    つばめ来る絶対音感つきぬけて        羽村美和子    あやめるあやめ                加藤知子    一陽や偏奇のこゑをすなどりぬ  (「偏奇」の「奇」には人偏あり)                          墨海 游    倖せをいふひさかたの聖五月          森さかえ    空室だが春を一輪入れておく          夏木 久    沖縄忌流れつくもの遺失物           小倉班女    結という人あり春が唄ってる          鍬塚聰子    大牟田や「復刊」を見て鳥帰る         下村直行    淋しくて淋しいものを見てしまう        楢崎進弘    わたくしに名を問う休耕田の芹         情野千里    孤独が太って部屋が狭くなった        わいちろう ★閑話休題・・草間彌生・三島喜美代・坂上チユキ・谷原菜摘子「創造と破壊の閃光」(於:GYRE GALLERRY ジャイルギャラリー)・・                                       ...

小川楓子「みつ豆を運びきよろきよろ眩しさう」(「ノイ」JUN.2025 VOL,2より)・・

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 「Noi  ノイ」JUN.2025 Vol.2(俳句雑誌 noi)、特集は「座談会 口語俳句の育て方」、出席者は小川楓子、神野紗希、野口る理、後藤麻衣子。その扉に「 今回は、口語を積極的に採用して書いている作家として小川楓子さんをお迎えし、口語俳句をいくつか持ち寄りつつ、『口語』という大きなテーマについて語り合いまさした 」とあった。その中から、少し抜粋したい。興味のある方は、是非、本誌に直接当たられたい。 (前略) せぐろ鷗の糞ひとすじは宙に止まれ   大石雄介                   (小川楓子が選ぶ口語俳句) (中略) 紗希 :詩って「どうやって書き終えるのか」が難しい。俳句は五七五の定型を意識すれば終わりの目安があるけれど、定型から自由になればなるほど「書き終え方」そのものが課題として立ち上がってくりんですよね。口語で書いている人は「どうやって書き終わるか」っていう意識が強いんじゃないかな、と思っていて。 る理: 切れ字がないからね。 紗希 :そう。切れ字もなく定型もスイングして自由になっていくとき、「どこが書き終わりなのか?」という答えが、作家ごとの個性にもなってくる気がするんです。 (中略) 楓子: 今、る理さんから「人格」って言葉が出たけど、大石雄介さんはまさに「俳句=人格」と考えている人です。大石さんの句は、念を送っているというか、〈止まれ〉という命令形のアクセントが切れに近いような効果を持っていて、こういうのは口語俳句において結構効いてくるんじゃないかな。少しシュールな景を書いていりんだけど、決して幻想を書こうとしおているのではなく、実体がある 。(中略) 〈せぐろ〉も意識的に仮名にひらいているはずで、そこに日常感が出てくる。そもそも普通の鷗だから〈せぐろ鷗〉って言う必要はないのに。 (中略) 楓子: 「今ちょっと俳句作りたくないな、調子悪いな」ってときは、文語定型になっちゃう。(笑〉。文語定型の句ができたのを見て「今私体調悪っぽいな」って気づく。 麻衣子: なんと。文語が体調のバロメーターになってる……。 る理: 逆に言えば、口語にはエネルギーがいるってことですね?  (中略) る理: あの、楓子さんが俳句を作るときは、一息で作る感じですか? 楓子: 息というか、乗ってくる感じというか。韻律のグローヴ感を、自分の中...

大久保樹「案外に角は崩れぬ冷奴」(『ありつたけ』)・・

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 大久保樹第一句集『ありつたけ』(邑書林)、跋は谷口智行「未知なる場所」、その結びに、 (前略)  樹さんは、単にモノを見て、句の主題を得ているのではない。採り上げた句の〈水平線の漁火〉、〈沖波の光〉、〈かなかな〉のように、自分から遠い何かを心の中に手繰り寄せ、それによって立ち現れてくる「未知なる風景」を待ち受けている。しかし、当のご本人、おそらくとても切なく、そして不安なのだ。それが読み手にじんじんと伝わってくる。  未知なるその風景……その中で自分はどう生きてゆけばいいのか、どう詠んでいけばいいのか……。僕は樹さんのそういった懊悩とおののきの中からこそ、かけがえのない作品が生み出されてゆくと確信している。俳句に対し、真摯に向き合ってきた人ゆえに。  異形の作家が「運河」に飛び込んで来てくれた。身震いするような句集が世に出された。樹さんは「運河」にとっても、俳壇にとっても貴重な作家である。類稀その詩精神を大切に見守ってゆきたいと思う。  とあり、著者「あとがき」には、  (前略) 俳句を始めたの、働きだしてからで、「俳句で心を整える」と言う方法を知り、そこから私の本格的な句作が始まったと言えます。  また、私は、滋賀県の豪雪地帯・余呉町で育ちました。その頃の忘れられない記憶の句も含まれています。 (中略)   「観る」と言うことを大切にして、大らかに平明な句を詠みたいと思っております。現在、心の赴くまま、のびのびと句作させていただけていることや、私の俳句との向き合い方を、見守ってくださっている谷口主宰には感謝も一入でございます。 (中略)   ここまで考えると、「ご縁」という言葉と、「感謝」と言う言葉で今までの私があると感じます。これからも、私らしく研鑽を重ねてゆきたいと思います。  とあった。集名に因む句は、    ありつたけの命のはたて夏の星       樹  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    凍てきつたポラリス温める血潮    鉛筆の皆ちんがつて新入生   花明りその奥にある星明り   満開の花へと仕上げゆく雨に     この路地の奥へ矢印花吹雪   ダイヤほど尖つて生きて春愁   輝ける若さ消えたり夏蒲団   星屑を揺らして峡の虫時雨   日時計に小鳥の時計刻まるる   木犀の香に縄張りのありにけ...

岡崎由美子「沙緻の忌の卓に新茶と新刊書」(『くれよん』)・・

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 岡崎由美子第一句集『くれよん』(朔出版)、序句に、    くれよんで猫の絵を描く涼しさよ       大木あまり」  序文は山本潔、その結びに、     寒星の欠片こつんと空缶に    野遊びの子らは光の妖精に この二句はエピローグの最初と最後に置かれている。プロローブの江ノ電の句が実景を写生していたのとは対照的に、いずれも心象的でメルヘンチックな内容だ。写生に徹していた頃とは明らかに異なる独創的な俳句を探索し始めていることが窺える。  句集『くれよん』はエピローグで終わるが、由美子さんにとって俳句の終章とはなりえない。むしろ、四半世紀を超えた俳句の新たなる道への序章となることだろう。そうなると信じて筆を擱きたい。 とあった。また、著者「あとがき」には、 (前略) 私と俳句の出会いは、平成九年四月、NHK文化センター東陽町教室に入会したのが始まりでした。「俳句の作り方教室」と勘違いしていた私は、いきなり句会の席に座らされることになり、大いに戸惑ってしまいました。そんな私に畠山譲二先生は「続けていれば楽しくなるから、途中で辞めては絶対に駄目だからね」と明るく声を掛けてくださいました。 (中略)   だからこそ、その後の舘岡沙緻先生、山本潔先生との出会いがあり、東陽町教室で出会った句友との長い交流も続いています。 とあった。因みに本集に因む句は、   父の日のくれよん書きのラブレター     由美子 である。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    強北風に高き鳶の輪歪みけり   百歳の母と二人の春炬燵     「海嶺」主宰・畠山譲二師を悼み    先生に別れを告げし夜の驟雨   透きとほることの淋しき葛湯かな   甌穴の底まで青しえごの花   海の日や地球儀青きまま古りて   風鎮のことりと壁に涼新た   「さよなら」のいつもの握手春の星   亡き人に文出すポスト陽炎へり   犬の仔に銀杏落葉の降るよ降る   風に鳴るテントを灯し飾売   ザラ紙の中也詩集やヒヤシンス   父の忌の庭を離れぬ黒揚羽   炎昼や破裂しさうな瓦斯タンク   ぽつねんと父の勲章開戦日   雛仕舞ふ雛の吐息と吾が吐息   岡崎由美子(おかざき・ゆみこ) 1943年、旧満州新京生まれ。       撮影・芽夢野うのき「紫陽花のある日雨路地裏の雨」↑

奥坂まや「地下街の列柱五月来たりけり」(『自註現代俳句シリーズ・奥坂まや集』より)・・

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 自註現代俳句シリーズ・13期・30 『奥坂まや集』(俳人協会)、その「あとがき」に、   ここまで上梓した句集『列柱』『縄文』『妣の国』『うつろふ』の四冊から、七十五句ずつ、計三百句を選びました。  選句の作業をしていると、様々な吟行の記憶がなまなましく蘇ってきます。  とあった。ここでは、句の自註を三篇挙げておこう(句のルビは省略する)。    海鳴やこの夕焼に父捨てむ         昭和六二年作           父を出版人としては尊敬しているが、個性の強烈           さから、家庭人としては最悪だった。ある日不意           に、心の奥底の思いが引出されて句となった。   瞳なき石膏像や原爆忌           昭和六二年作           季語に「原爆忌」があると知ってから、毎年、必           ず一句は作ると決めている。小学校四年で訪れた           広島の原爆資料館の衝撃が忘れられないから。   桃の在るのは人生のちよつと外       平成二〇年作            ひとつの疵も無く完璧に熟れた桃は、指を降れる             こともためらうような特別の存在。人の世の埒外           に在る。 以下には、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。   蹼 (みずかき) の吾が手に育つ風邪心地      まつくらな沖より年 (とし) の来つつあり   人死して蛇口をひらく油照   万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   草に白蛾 (はくが) ここはさつきもとほつたはず   曼殊沙華青空われに殺到す   兜虫一滴の雨命中す   坂道の上はかげろふみんな居る   すいつちよのちよがこめかみに跳びつきぬ   墓守は箒と老いぬ藤の花   冬空を鵜の群妣 (はは) の国へゆくか   白鳥の首をぐにやりと水より抜く   血走れる眼球模型 (がんきゅうもけい) 敗戦日   春の星この世限りの名を告ぐる   月光に兵が往くその中に父   奥坂まや(おくさか・まや) 1950年、東京都神保町生まれ。     撮影・中西ひろ美「梅雨入りの知らせはさらさうつぎにも」↑

岩城久治「六面の一面は詩碑みどりさす」(『さまざまな紙片』より)・・

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   岩城久治著『さまざまな紙片』(本願寺出版社)、著者「あとがき」に、   小稿は「大乗」に「古新聞・古雑誌など」というタイトルで毎月(平成六年二月号~平成十一年三月号)に掲載されたものである。   ちょとした紙片のメモからでも思い出すことどもがあった。いろいろ調べていくとその記憶の思い違いなどもあった。事実を正しながら一日それで日が暮れてしまうこともあったが、楽しくその日が過ぎた。  このコラムは桂樟蹊子先生(俳誌「霜林」主宰)急逝の後任としておすすめくださったのが玉井利尚氏であった。  とあった。本著ご惠送の便りのなかに、上掲写真の「絵連歌展 2004年11月2日~14日」(ギャルリー石塀小路 和田)の案内のコピーが」同封されていたのだ。20年ほど以前の案内書をわざわざ送って下さったのだ。その理由は、愚生が、かつて十代最後の京都時代に、さとう野火(立命俳句)の世話になっていたことを、どこかでお知りになったのだろう。その夫人であった城貴代美について、「 さとう野火氏には、お目にかかったことはなかったですが、城貴代美氏には何度かお目にかかっています (中略)  遊花が城さんです 」と、わざわざ知らせて下さったのだ。  なるほど、「ギャルリー石塀小路 和田」の案内ハガキには、「 宗匠:高城修三(作家)/執筆:岡本万貴子(書家)/連衆:遊花(俳人)/連衆:宮内憲夫(詩人)/連衆:山田喜代春(版画家)」 と記されいる。よい記録である。  ともあれ、以下に、本書より、アトランダムになるが、岩城久治の句をいくつか以下に挙げておきたい。    雪つひに学ばざる日の負債感          久治    悴みてさへ鉛筆を握る形   長靴の水上勉竹落葉   分校の教師にあまる貰ひ酒   雪起し職決めかねつ書類閉づ   螢待つきらりきらりと眼鏡かな   露けしや木屑にひらく舟図面   芽吹きたる島々多し船はしる   春雷や遅き戻りの父を待つ   特集に大作の貌十二月  岩城久治(いわき・ひさぢ) 昭和15年、京都生まれ。    撮影・鈴木純一「去年の実へしきりにかかる今年の実」↑

白井達也「初燕ベッドの上の吸引器」(『もりこ合同句集 おでかけ』より)・・

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 『もりこ合同句集 おでかけ』(もりこ俳句な会)、政成一行「あとがき」には、 もりこ合同句集は重症心身 (・・) 障がいの人たちの作品集です。千葉県茂原市にある母里子 (もりこ) ネットは障がい児・者の母親たちが自ら立ち上げたNPO法人で、デイサービスの活動として音楽や工芸などと並んで俳句の時間が生れました。そのきっかけは、私が俳句を作っていることを知った金網真希さんから「俳句、。やりたい」と熱心な声が上がったこと。はきはきして明朗快活な彼女がいなかったら「俳句な会」は実現せず、ましてや十年にもわたって続かなかったことでしょう。  この施設の利用者は医療を含めて日常生活動作に介助を必要としますが、活動できる人にもペンが握れない人や声を出せない人がいます。それで文字盤を使ったり時間をかけてパソコン入力したり、と工夫の積み重ねでした。担当職員もまた、各人の個性を心得た見事な聞き取りと通訳で、さながらパラマラソンの伴走者のようにサポートしてくださいました。 (中略)  本句集は、Ⅰ初期を彩り退所された方、Ⅱ継続参加の方、Ⅲ最近参加された方と三部に分け、全三五一句を各人・編年式に並べました。もともと俳句を通した言葉あそび(リハビリ)を主眼としたが、年月を経て素直で自由な句として〈個性的な俳句らしさ〉が出てきたようです、師・伊丹三樹彦の「凡句の道 辿れば至る 秀句の門」を実感しています。参加者の皆さん、ややもすれば引き籠りがちで行動半径も狭められるだけに、俳句づくりは新しい世界への一歩を踏み出す機会となりました。 (中略) 人は周りの色に染められながらも、新しい自分の色彩を放ちはじめる。その自分にしか詠めない一句こそ秀句への入口といえましょう。そうした思いをこめて、句集名を『おでかけ』としました。   とあった。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。    とろとろとクリームチーズとなる冬田        金綱真希    秋めくや忘れないでね僕のこと               (退所時の挨拶句だが、奇しくも絶句となる)  杉田誠則    五月雨をはさんで食べるハンバーグ         野元真一    しりとりのカードめくれば蝶になる         井上 舞   サッサッサ芒揺らして空を掃く           森真莉子    「おでかけ」の短冊ゆれる星まつ...

江田浩司「わが生の幻としてこの地なる艸影(さうえい)にあれ智恵子と隆」(『艸影集)・・

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    江田浩司第11歌集『艸影集』(現代短歌社)、その帯には、 岡井さん、山中さん、たくさんの思想をありがとうございました。/ぼくは今、ちがふ場所に来てしまつたやうです。/韻律の風がやはらかく吹き過ぎた後に、揺れてゐる野の艸。/土のうへにあるあるかなきかのその艸の影。/短歌(うた)とは畢竟、そのやうなものではないか――。 亡き歌人たちへの思慕を深め、/魂を沈めんとする第十一歌集。 わが生の幻としてこの地なる艸影(さうえい)にあれ智恵子と隆  とある。著者「あとがき」には、  (前略) 『艸影集』は、「くさのひかりしゅう」という意味です。歌の一首一首を、草の光に譬え、その光の集まる歌集を心に描きながら、『艸影集』と名づけました。光あるところに、必ず影があることも、歌集の由来に含まれています。また、二〇二三年九月に、未来短歌会の選者に就任し、選歌欄を「草影集」と名づけたことも記念しています。 (中略)   平仮名を多く使っていますが、それについては、従来の私の短観観が反映しています。古歌や近、現代短歌の読み直しを通して、今書くべき私の歌を志向した結果です。また、「短歌往来」(ながらみ書房)に、現在執筆している「短詩型韻律攷」の問題意識と表裏をなすものでもあります。実作と理論を併せ志向しつつ、私の短歌のすすむべき姿を更新できればとおもっております。 (中略) それは、短歌の詩形と、言葉の韻律の聲が、自然に拓かれてゆく歌を探究する道程 (みちのり) です。私にとっての新しい歌は、その先にしかないと思っております。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの歌を挙げておきたい。     時のこちらで、あかるい鞠(マリ)が咲く   きずついたあなたのうたを書きとめる鞠 (マリ) の咲けるうつつに  ほんたうは苦しみだけがうつくしい神からとほくいなびく艸影  「詩は、愛より疲れる。」といふ詞書、わが師の口は氷へんをおふ  やうしきのさしだす腕 (うで) をうちはらひうつつをうたへとのたまはりけり  ひややかなはるのあしたにくちずさみ雑詩 (ざつし) にゆける風をまた恋ふ  やはらかき土ふむときにこゑひとつひかりのなかに立つをまもりぬ  あゆみきて神 (かみ) ふかくゐるわが人のうたのことばにわたるいのちか  罪のなき人死にゆくをいくたびか見てさむき身か雨のあぢ...

高山れおな「鏡花幻稿総紅玉(ルビ)や蔦嵐(つたあらし)」(「朝日新聞」5月28日、夕刊より)・・

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 「朝日新聞」5月28日(水)夕刊。高山れおなのインタビュー記事。そのリードに、  高山れおなさんの句集『百題稽古」  俳人で朝日俳壇選者の高山れおなさん(56)が、第5句集「百題稽古」(現代短歌社)を刊行した。和歌の古典で詠まれた題をそのまま使った題詠300句からなる。「酔狂で趣向過剰な試み」と言うが、野心的な挑戦。変幻自在に言葉を操る様は、まるで魔術師のようだ。  とあり、記事中には、 我が狐火 (こい) も霜夜は遊べ狐火 (きつねび) と 「忍恋 (しのぶこい) 」の題で詠んだ一句。「恋」を孤独の火、つまり自分一人の中で燃えている火と表現し、冬の季語「狐火」を合わせる技巧を凝らした。 (中略) 「百題稽古」は「ほりかは」「永久」「六百番」の3章で構成され、それぞれ100句が収められた。平安時代の「堀河百首」「永久百首」と鎌倉時代の「六百番歌合 (うたあわせ)」 で詠まれた題を順番通りに使い、俳句に昇華させた。  なぜ、このような「酔狂」に挑んだのか。「19歳か20歳で俳句を始めたものの、新古今集に感じていた陶酔を俳句に覚えたことがなかった。百題作れば、新古今歌人と同じことをやれると思った」 (中略)  やはり近現代の俳句ではあまり詠まれてないのが「恋」の句だが、和歌では一大テーマ。「百題稽古」でも70句が恋の題を詠む。 「初恋」の題で次の句。 命とは白シャツ透く君なりき 「別 (わかるる) 恋」で。 息白き別れは星の匂ひかな 「顕 (あらわるる)恋 」の題で。 新日記白ければ恋顕はるる 俳句や短歌に触れた句もあり、中にはドキリとする句もある。 題が「躑躅 (つつじ)」 の次の句。 短歌 (うた) は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ 題が「春雨」の句。 春雨や既視感 (デジャ・ビュ) のほかに俳句なし  (中略) 俳人として心がけている原則がある。儒教の五徳である「仁・義・礼・智・信」をもじった「甚・擬・麗・痴・深」。意味するところは? 「甚」=甚 (こってり )を旨とし(味付けは濃いめに)、「擬」=古詩に擬 (なぞら) え(本歌取りとアナクロニズム)、「麗」=麗しきを慕い(姿は美しく)、「痴」=痴 (おろ) かに遊び(中身は狂っていて)、「深」=心は深く(深く生きている感じがほしい)。  とあった。         撮影・鈴木純一「になのあと名前を呼ばれるのを...

村上佳乃「亡父亡母亡夫茫々花の雨」(『空へ』)・・

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村上佳乃第一句集『空へ』(邑書林)、小澤實「序にかえて」に、    両腕に受け一本のどんこ榾       村上佳乃    螺子ゆるめ螺子立ち上がる冷ややかに  同    (中略)    螺子をゆるゆると螺子が立ち上がった。螺子は何かと何かを固定するもの。決して主役にはならない。それがここでは主役となる。「冷ややかに」という季語が荘厳して、ささやかな螺子にあたかも仏像のような存在感を与えている。  執着、単純化の極みにおいて生まれる華やぎ。不思議な句風である。     とあった。句集扉には、    天上の夫 村上周平に献ず  と献辞がある。また、著者「あとがき」には、  (前略) 二〇二二年四月一日、夫・村上周平は八ヶ岳でアイスクライミング中に雪崩に遇い、命を落としました。六十五歳でした。早期退職して八年、山岳救助隊として何度も表彰されるなど「山屋」として暮らしてきた人なので、さぞや無念だったと思いますが、三年たった今となっては「いい人生だったね、しゅうさん」と語りかけずにはいられません。 (中略)  私は元気です。でも、やっぱり「会いたいよ」とときどき空気に言います。  俳句の話を少し、俳句は師と出会うことがとても大事な文芸です。 (中略)  澤入会まもない頃、小澤先生に添削を受けました。 「おしゃれな句は捨てて下さい」 「俳句をつくろうと思わないでください」 そんな言葉が今も残り、迷ったときに私を導きます。俳句は私を単純にしてくれるので、好きです。生きればいいんです。命ある限り。  とあった。集名に因む句は、   雲形や「空へ」と標し夫が墓        であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   もしもしいま代掻中でカタカタカタ        佳乃   崖見れば登る夫ゐて木の芽風   御柱曳かせてもらふ曳つぱらる   大鹿村歌舞伎おシャシャのシャンに了   ガソリンスタンド「窓拭きません凍るから」   十二時間 働いちまふ母の日よ   シャワー当て褥瘡に湧く蛆流す   梨剥きくれぬ包丁に刺し食へと   介護士をアホと呼ぶ爺ひよんの笛   フィンセント・ファン・ゴッホと鳴るよ麦の風   葱散らしもつ煮や恋と劣情と   みづうみにこほりはじめのみづのいろ   犀に雪肩あることのさみしかり   夜を駆けサンタク...

鈴木牛後「人(ひと)は世(よ)に飼(か)はれてはるか天(あま)の川(がは)」(『鄙(ひな)の色(いろ)』)・・

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 鈴木牛後第4句集『鄙(ひな)の色(いろ)』(書肆アルス)、その「あとがき」に、   本句集は、『にれかめる』以降の、二〇一九年から二〇二三年までの五年間に発表した句から三七二句を選んで編んだ。二〇二三年までとしたのは、北海道から関東へ転居したのがニ〇二三年の十一月ということで、区切りとしてちょうど良いと思ったからである。  見ておわかりのとおり、本句集は総ルビを採用している。俳句ではよほどの難読漢字以外、ルビは避けられる傾向にあるが、それでは あまりに読者に負担を掛けることになると思ったからだ。「これくらい読めて当然」「わからなければ調べれば良い」という考えもあるだろうが、私はその立場を取りたくはない。ただそれだけである。   とあった。集名に因む句は、    ひだるさや鵯草 (ひよどりぐさ) は鄙 (ひな) の色 (いろ)   牛後  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、くつかの句を挙げておこう。    春 (はる) の蠅 (はへ) 出 (で) てはたゆたひ出 (で) ては死 (し) ぬ    猫 (ねこ) も手 (て) を汚 (よご) して喰 (く) らふ鳥曇 (とりぐもり)    雪掻 (ゆきか) いて雪 (ゆき) より明日 (あす) を掘 (ほ) り出 (だ) しぬ    鉄鎖引( てっさひ) けば雪 (ゆき) の底 (そこ) より鉄 (てつ) の杭 (くひ)    春泥 (しゅんでい) に靴 (くつ) を取 (と) られて取 (と) りかへす   春塵 (しゅんぢん) や鄙色 (ひないろ) に暮 (く) れ 街狐 (まちぎつね)    白魚 (しらうを) を風 (かぜ) と思 (おも) うて啜 (すす) りけり    みなみかぜかつて我 (われ) らに飛 (と) べる午後 (ごご)    斃獣 (へいじう) を荷台 (にだい) に匿 (かく) す朧 (おぼろ) かな       黒田杏子先生逝去(くろだももこせんせいせいきょ)    桜散 (さくらち) るあしたのあした来 (き) てしまふ   螻蛄鳴 (けらな) くや臥 (ふ) せれば漏 (も) れる牛 (うし) の乳 (ちち)    独 (ひと) り牛 (うし) を曳 (ひ) けば素風 (そふう) が牛 (うし) を押 (お) す     鈴木牛後(すずき・ぎゅうご) 1961年...

楠本奇蹄「うぐひすや遊具は仮死のままに森」(『グッドタイム』)・・

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  楠本奇蹄第2句集『グッドタイム』(現代俳句協会)、帯文は穂村弘。それには、   本書に書かれた極小の詩が、世界の秘密を解く鍵に見える。  特異な美意識の奥には、私たちが生きる現実の危機の感受があるみたいです。 とあり、著者「あとがき」には、  (前略) そんな瞬間を、俳句にとどめておきたい。誰の裡にも等しく存在し得ないものを、共通して受け取れることばで残してみる。対象のかたちの有無にかかわらず、定型とは何かを閉じ込めるひとつの姿なのかもしれない。  そんなことをこの句集のあとがきに書こうと思っていた矢先、祖母が亡くなった。  前の句集『おしゃべり』のあとがきでも触れたが、祖母は私の原風景をかたちづくった人だった。 (中略)   いったんは散り散りになった微かな粒は、ふたたび毀れやすいかたまりになっていく。見るともなく目を凝らす。遠くへいってしまったそれが、ふとしたときに眼の前でまた光を帯びるその瞬間を逃さないように。たぶんそういうふうに、これからも俳句を作っていくのいだと思う。  とあった。集名に因む句は、    花は柩ちひさく握るグッドタイム       奇蹄  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句をあげておこう。    磨る墨のきしみ積もりて晩秋は   こゑにあつて玻璃にないもの冴返る   泡散りて晩秋の水なりき   まなぶたにみづのおもさよ藤曇   押入に姉は風待ち麦の秋   カプリブルー泳ぎ疲れた背は空室   真夜中の傷を告げあふ菫かな   ひと晩の凪があやめの底にあり   空つぽの腕の重さよ鳥渡る   秋日傘チャプレンはさざなみ抱へ   弔ひの手で綾取りの橋渡る   忘却の隙間に鶴の来てひらく   思惟の手にみづのゆきさき鳥曇   鶴帰るいつかささやくその名へと  楠本奇蹄(くすもと・きてい) 1982年生まれ。  ★閑話休題・・韓江(ハン・ガン)、斎藤真理子訳『すべての。白いものたちの』(河出書房新社)・・   韓江(ハン・ガン)・斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)、その「私」の冒頭には、   白いものについて書こうと決めた。春。そそとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。  おくるみ/うぶぎ/しお/ゆき/こおり/つき/こめ/なみ/はくもくれん/  しろいとり/しろくわらう/はくし/しろいいぬ/はくはつ/壽...

伊藤裕作「帰るべき山河も断ちていまは暮暮(くれぐれ)逆髪(さかがみ)の少女と解けぬなぞなぞなどを」(『心境短歌 水、厳かに』)・・

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 伊藤裕作『 心境短歌 (わたくしたんか)  水 (みず) 、厳 (おごそ) かに 』(人間社)、解説に福島泰樹「凡愚の旗」と勝又浩「寺山修司と伊藤裕作」。前者の福島泰樹は、    伊藤裕作の短歌的出立は、一九六九年四月早稲田短歌会入会に始まる。前年、寺山修司のアジテーション(「家出のすすめ」)に煽られ三重県安濃津から上京。新聞販売店に住み込み配達の仕事を抱えながら、早稲田大学教育学部に通学していた。 (中略)  一九六九年十一月、「戦無派宣言」を発した伊藤は以後、同人誌「反措定」(短歌会の後輩三枝昂之の卒業を待って創刊した)を徹底的に批判しつつも……、だがしかし七〇年反安保闘争をわが戦闘的文学者集団「反措定」に結集して戦う。伊藤の作「僕には〈世界〉は眩しすぎる!」(「早稲田短歌」25号 一九七〇年秋刊)を引く。   蟻ほどの〈愛〉或るならば少年よ行け!塵、無知、恥辱の地上遠くまで   飛行機雲の描くキャンパス 青空に鴉、火葬場、土塊 (つちくれ) ひとつ   真っ赤な夕焼け彼方に真っ黒いじりっじりっと迫 (せ) りあがり〈終章 (ハッピーエンド) 〉  以後、伊藤の短歌の揺れは凄まじく現在へ進行してゆく。 (中略)  伊藤裕作が次ぎに私の前に現れるのは、一九七二年冬。当時、私は愛鷹山麓の村落柳沢(沼津市)の小庵で墓守人の日々を過ごしていた。 (中略)  この直後 、連合赤軍浅間山荘事件があり、ほどなく伊藤は、山田徹と共に (ブリュッケ)を創刊する。   敷島のしじまに泥泥 (マグマ) 睡りおりマグマ女神 (マリア) の交接 (まぐわい) の季 (とき)(中略)   思想史を生きる風俗レポーターとして、また凡愚の歌人ととしてだ。十九歳の君を松下彩子と比べたのは、叡智と凡愚を浮びあがらせるためであった。凡愚こそは常民の智恵、それ故に君は持続を可能としたのだ。みろ、あの時代を君と共に在った者たちすべてが創作の場から遠ざかっていってしまったではbないか。  力石徹のような風貌、戦いを自らの拠 (よりどころ) とし、七〇年代への架橋を必死に工作しようした無名戦の闘士山田徹よ、そして淑やかな感性をもって時代の慈雨を降らせ松下彩子よ。伊藤裕作はこれからも、したたかにしなやかにちからつよく凡愚の道を闊歩してゆくこちおであろう。  と記していた。そして著者伊藤裕作の跋の結び...

髙橋宗司「人は詩を若葉は水を抱いている」(『清水公園界隈』)・・

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  髙橋宗司作品集『清水公園界隈』(コールサック社)、解説に鈴木比佐雄「自由な羽ばたきで多様な表現領域を超えてゆく人―—高橋宗司作品集『清水公園界隈』に寄せて」、その中に、 (前略) 初めの俳句二句は「月刊とも」の連載には引用されていなかった。本書のⅠ章の 二十四篇は全て俳句二句から始まっている。高橋氏からは俳句二句を冒頭に置くことでこの作品集を刊行することを決断されたと聞いている。私は既刊詩集二冊に関しては解説文を書かせて頂いた。高橋氏の詩の特徴は身近な事物や光景との掛け替えのない関係性の在りかを感動的に記し、叙事詩的でありながら根底には深い抒情性を感じさせてくれる作風だった。今回初めて高橋氏の「一 桜百選の街に暮らす」の冒頭に掲げた二句を読むと、その凝縮された表現の中には、詩作品とは異なる表現で世界の本質をどこか一挙に垣間見てしまい、その瞬間を読者と共有するかのような精神性を感じることができた。 とあり、著者「あとがき」には、  砂時計のように桜花が降り続けている。  風は時間の推移を示しながら桜の大木の上空にある。  激しく揺れる梢。空は深い奥行きを見せて重なる桜花であふれている。  一瞬風は立ち止まり、やがてふたたび今度は静かに吹き始める。  見上げるわれらに花吹雪。花の洪水。  時間の推移の妙に曳かれている。未来は残念ながら私に見えない。  過去、古代、既に書いていることだが時間は永続する一本の弥。  科学の世界も希求しつつ、古代、それも文字として遺されていない一八〇〇年前、弥生時代後半に関心が向いている。それほど遠いこととも思われない。当時の時間に戻れたらな。   とあった。第一章「四季のうた」は、冒頭に二句、エッセイの中ほどに、詩篇が置かれる体裁になっていて、見開き2ページに収められている。いわば、どこのページを読んでもよい。他「Ⅱ エッセイ」、「Ⅲ 評論 俳句と私」、「Ⅳ 小説 夏の日に」の構成である。ともあれ、文中の句をいくつか挙げておこう。    花吹雪側溝紅の棺となる         宗司    プラトニックラブじんわり沈丁花   放浪の行き着くところ蛇苺   人恋うは野生の証夏あざみ   蟬しぐれ名残りの熱が棲んでいる   狂い凧住まわせており三面鏡   リアリストの妻あり三月の詩集   ガリバーの手になり土筆つんでいる   健坊のベ...

妹尾健「滴りのままにピアノの流れけり」(「コスモス通信」第78号)・・

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 「コスモス通信」第78号(発行・妹尾健)、主要な論考は「貝原益軒の学問観ー貝原益軒『大和俗訓』巻之一爲學編を読む」と「状況の設定ー鈴木六林男について」。後者の論の中に、   鈴木六林男はわかりにくい俳人である。六林男は或る時は戦後俳句の代表的俳人のように見なされたり、或る時は社会性俳句の旗手とされたり、関西前衛派の遠い祖であったりされている。しかしいずれの評価にも、高橋修宏の言い方に従えば〈余剰〉と〈異和〉が残る。つまり定説や評価の部分に簡単に当て嵌まりにくい俳人を、何らかの対象として当て嵌めるために、おびただしい俳人の言説や、ヨーロッパ現代思想のロジックを引いて証明しなければならなく(高橋修宏著『暗闇の眼玉ー鈴木六林男を巡る』。以下高橋論文と記す。)なるのである。むしろ鈴木六林男の俳句にはこうした理解を拒む、わかりにくさが私にはあるような気がしてならない。このわかりにくさは従来の定説や評価や鑑賞方法とは違った部分にあるのではないかというのが、私の目論見である。 (中略)   患者たちみんな名前を持つている   嬰児の爪蒼い鱗となつてゐる   後頭を骸ゆき病廊ククと嗤ふ   午前零時医官とすれ違ふ  「病院」四句もまた不思議な世界である。この四句の連作には病院内部の現実が無機的に表現されている。非常なリアリストの眼が浮き上がってくる。対象をリアルにみつめて、そこから浮かんでくる世界ーそれは近代人の感覚ではなく、もっと底の知れない内部世界、現代人の内部世界なのだ。私の乏しい読書体験ではカフカのそれに近いものである。こうした内部世界を表現するためには、俳人はこれまでにない表現方法を用いなければならない。すなわち無季俳句の方法である。それは俳句形式内部の無季俳句ではない。形式に即応しつつ自己を溶解しながら、そこで形式に沿って自己確立するのではなくて、無季俳句を使って何を書くか。何を相手に伝えるのか、六林男はそう考えたに違いない。 (中略)    しかし六林男の眼は風化することはない。彼はおそらく内地にあるときから詳細に句をノートに書きつけ、部隊にあるときは頭の中に書きつけ記憶し、その場所、位置をたえず反芻しながらリアリストとして、その眼の中に保存していたに違いない。 (中略) こうした方法が後の社会性俳句の書き手と見られたり、前衛俳句の遠い祖とされたりすることに...