鍵和田秞子「炎天こそすなはち永遠(とは)の草田男忌」(『戦後俳句作家研究』より)・・
戦後俳句作家研究会『戦後俳句作家研究』(風心社)。鈴木太郎「はじめに」に、
「戦後俳句作家研究会」を構成する幹事・会員はそれぞれ所属する俳句結社や年齢・性別が異なる。いわば超結社で評論を発表しながらお互いに批評し、勉強する会といえる。俳句作家としては吟行や句座を共にして優に、三十年を超える仲間でもある。研究会としての第一回の発表は、平成二十八年(二〇一六)年四月であった。(中略)
戦後俳句のマンネリ化と師系の希薄化、また総合誌の発表作品の平均化、論争や評論の矮小化から、改めて師系の見直しを含めて何かをしようという機運が、ここに一つの集まりとなったのが大きいといえようか。
とあり、蟇目良雨の「あとがき」には、
(前略)此の会の発足の経緯を少し補足する。俳人協会の中に超結社「塔の会」があるが毎月句会を重ね、その後の懇親会の席上で研究会を立ち上げようという機運が起こり、評論に関心の深い仲間を「塔の会」会員以外にも広く誘って「戦後俳句作家研究会」が出来たものである。
とあった。主要目次を上げると、稲田眸子「倉田絋文を導いたもの」、遠藤由樹子「鍵和田秞子最終句集『火は禱り』再読」、佐怒賀直美「松本旭と隠岐」、鈴木太郎「森澄雄の『あはれ・無常について』ー『太平洋戦争』と『アキ子夫人の死』を中心にー」、高井美智子「細見綾子の底知れぬ実践力とその背景」、中山世一「波多野爽波研究ー俳句スポーツ説と爽波の写生ー」、二ノ宮一雄「飯田龍太ー侠--その世界」蟇目良雨「人間素十 出生の秘密から読み解くこと」、松永律子「女流俳人の作句法」、水野晶子「『気骨の人』西島麥南」など。
ともあれ、本文中に引用された句のいくつかを挙げておこう。
我もまた草の芽俳句それでよし 倉田絋文
八十路には八十路の禱り初御空 鍵和田秞子
天つ日の片頬(かたほ)に暑き遠流の地 松本 旭
ひとり身はひとりをたのみ秋深む 森 澄雄
ふだん着でふだんの桃の花 細見綾子
金魚玉とり落しなば舗道の花 波多野爽波
またもとのおのれにもどり夕焼中 飯田龍太
書初めのうゐのおくやまけふこえて 高野素十
花曇り工員が消す残置燈 皆川盤水
ひるがほに電流かよひゐはせぬか 三橋鷹女
木の葉髪一生(ひとよ)を賭けしなにもなし 西島麥南
撮影・中西ひろ美「うつし世の朝涼に誘われて出て」↑
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