谷口慎也「発禁の諸書を枕に江戸の春」(「連衆」102号)・・
「連衆」102号(連衆社)、夏木久が「『夏木久』の俳句観/Q俳句の迷走⑫ー『水月伝』考②ー」で愚生の句集『水月伝』評を書いてくれている。さらに次号に続くらしい。愚生にとってはじつに有難いことである。その他、連載評論に髙橋修宏「阿部青鞋ノート(3)」、作家論に谷口慎也「総論『私の中の穴井太』②」、竹本仰「谷口慎也と私の世界㉒」、森さかえ「俳諧ワンダーランド3ー俳句の視点、川柳の視点」などがある。高橋修宏の阿部青鞋ノート(3)」の中の、阿部青鞋「随想」には、
文学や詩で俳句をつくるのではなく、俳句で文学や詩をつくるのである。いわゆる文学や詩にならない文学や詩を創るのである。又、俳句の優位性は詩であることではない。俳句であるこちである。
とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。
げんげ田に泣いてゐるのは五歳の吾 金子 敦
志の漢字しぐれてあいや暫く 松井康子
つばめ来る絶対音感つきぬけて 羽村美和子
あやめるあやめ 加藤知子
一陽や偏奇のこゑをすなどりぬ (「偏奇」の「奇」には人偏あり)
墨海 游
倖せをいふひさかたの聖五月 森さかえ
空室だが春を一輪入れておく 夏木 久
沖縄忌流れつくもの遺失物 小倉班女
結という人あり春が唄ってる 鍬塚聰子
大牟田や「復刊」を見て鳥帰る 下村直行
淋しくて淋しいものを見てしまう 楢崎進弘
わたくしに名を問う休耕田の芹 情野千里
孤独が太って部屋が狭くなった わいちろう
★閑話休題・・草間彌生・三島喜美代・坂上チユキ・谷原菜摘子「創造と破壊の閃光」(於:GYRE GALLERRY ジャイルギャラリー)・・
草間彌生↑谷原菜摘子↑
6月15日(日)最終日に、草間彌生・三島喜美代・坂上チユキ・谷原菜摘子「創造と破壊の閃光」(於:GYRE GALLERY5月14日~6月15日)に表参道まででかけた。もっと前に出掛けるつもりだったが10日も程前に肺炎にかかっていたらしく、一週間ほど自宅で養生する羽目に落ちいって、ようやく最終日に間に合ったというわけである。その案内チラシに、
草間彌生は、人格と行動が芸術と一体化しているといえるほど、芸術に人生を捧げてきた。57年に渡米した草間は、展示空間全体を体感させる巨大な作品を次々発表し、過激な反戦運動やパフォーマンスを繰り広げることで、マスメディアがベトナム戦争の恐怖を連日報道するアメリカ社会に対して平和と愛の強烈なメッセージを表現し続けた。(中略)
本展の草間彌生と対話相手となる作家は、戦争経験をした草間と戦後経済成長による大量消費社会であった時代精神を共有した三島喜美代、そして光と闇、生と死、自己消滅の草間の世界観と「自身の負の記憶と人間の闇を混淆した美」が交錯する谷原菜摘子の世界観、そして種植業を営む旧家に生まれた草間の自然観と通底する坂上チユキの太古の楔形文字の血うな無数のかたちがひとつの宇宙を形成する作品との対話によって展覧会構成されることとなる。
とあった。
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